阿蘇の戦い
くろがねが停まったのは、何かの作業小屋のような粗末な建物の前だった。
険しく細い街道は市街地と違い、選べる廃墟は少ない。
陽のあるうちに辿り着けただけでも幸運だろう。
「歩けるか、笠原?」
「もちろん。目の上は出血が激しいだけだから、大した傷じゃないよ」
三歩が巻いてくれた包帯で、左目が塞がれている。
ねっとりする血の感触はあるが、もう血は垂れていない。
血が出ていないのだから、傷はもうくっつきかけているのだろう。
「アタシ、掃除をして来る」
「頼んだ。作業場は土間、三和土の先に部屋があるな。笠原、掃除が終わったら治療するから頑張れ」
「だから平気だって。昔から、痛みには強いんだよ」
木材やそれを加工する機械の奥に、玄関ではないが靴を脱いで上がる場所があった。
そこに座ると、三歩が飛龍を手伝いに行くのか靴を脱ぐ。
三剣ちゃんが僕の腿に座り、心配そうに顔を見上げた。
「痛いっちゃ?」
「そうでもないよ。もう血も出てないからね」
「でも、見てると泣きたくなるっちゃ・・・」
「三剣ちゃんは優しいなあ。それより、地図を見てなくちゃ。チハ、だっけ。追って来ないといいけど・・・」
怨霊がどうやって燃料を確保しているのかはわからないが、追撃を狙っているなら朝には決断しなければならない。
逃げるか、戦うか。
戦うとすれば勝機は【急降下爆撃】にしかない。
今夜中に爆弾が補充されれば戦い、されなければルートを変更しながら追跡を撒くのが妥当な作戦だろう。
「三剣ちゃん、爆弾の補充条件って知ってる?」
「ううん、知らないっちゃ」
「だよねえ・・・」
「笠原、来い。治療をするぞ」
「あ、はーい」
靴を脱ぎ、それを持って部屋に入る。
囲炉裏のある部屋の隅には、三歩と飛龍のブーツが置いてある。その横に運動靴を置いて、囲炉裏の前に座った。
「ゴメンよ、司令。アタシがもっと上手くやれば・・・」
「なに言ってんの。飛龍がいなきゃ、僕達は死んでたよ。ね、三歩?」
「ああ。よくぞ、あれだけの砲撃と銃撃を避けきってくれた。さすがは歴戦の飛行機乗りだよ」
「さんざん助け合ったチハに撃たれると、傷つくものだね。塗装は真っ黒になってたし細部は違うけど、あれは間違いなくチハだった・・・」
「赤レンガに帰っても、チハに辛く当たるなよ?」
「わかってるよ、姐さん。少し、言いたかっただけさ」
「へえ、チハさんって人も目覚めてるんだ。あれ、飛龍って工場で寝てたんだよね?」
なぜ、チハさんとさんざん助け合ったなんて・・・
「ああ、寝ててもすべての機体と精神は繋がってたからね。それが切れたのが、怨霊の発生時だと思うよ。前の本体が墜とされるまでは、アタシも前線にいたし」
「なるほど、って、墜とされたの!?」
「機体さえあれば、アタシ達は何度だって蘇った。そうしなきゃ、大切な人達を守れなかったからね。姐さん、今はどうなんだい?」
「わからん。今のところ、戦死者は出ていないからな」
「頑張ってるんだね、みんな・・・」
わからない事ばかり。
でも、誰も死なないで欲しいってのはわかる。
ならそうするしかない。誰も死なずに、日本を取り戻す。
「包帯を解くぞ、笠原」
「お願い」
包帯が優しくほどかれる。
それでも傷口の近くになるとピリッとした痛みが走り、新しく流れた血が服と床を汚した。
「やはり、それなりの深さだ。縫うぞ?」
飛龍が布で傷口を押さえる。三歩が小さな箱から取り出したのは、糸の付いた釣り針のような物だった。
「麻酔なんてないよねえ・・・」
「こんな傷に、麻酔など必要ない。いくぞ」
「はーい」
眉の上の傷口。
針が刺さり、糸が通る。
「うあー、糸の感触キモっ!」
「ええい、訳のわからぬ日本語を使うな。もう2ヶ所だ、我慢しろ」
刺す、引っ張って結び、切る。
それを2度繰り返して、三歩は道具を仕舞った。
すぐにガーゼがあてられ、包帯が巻かれる。
「ありがと」
「縫ったばかりだからまだ血は出ているが、じきに治まる。食事を用意するから、大人しく待っていてくれ」
「爆弾の補充をしたいけど、まずは血を止めるのが先か・・・」
「負傷してるってのに、する訳ないだろう」
「悪いけど、我慢して。【急降下爆撃】のディレイは?」
「でぃれい?」
「ああ、再使用までの時間」
「3時間だね」
「・・・長いな。でも爆弾さえあれば、戦車くらい倒せるんでしょ?」
「そりゃ、25番は敵艦だって沈める爆弾だからね」
だから、あの時に爆風であんなに吹っ飛んだのか。
生きてただけでラッキーなのかな。
「言っとくけど陸王を倒した時は、かなり爆撃位置をズラしたんだからね?」
「考えを読まないでよ・・・」
「ふふっ、司令がわかりやすいからさ」
最初の包帯を片付けてくれている飛龍が、やっと笑った。
それでいい。
思いながら、膝の上にいる三剣ちゃんの頭を撫でる。
「武器が足りない、か・・・」
「怨霊化してない武器を取りに行きたいけど、そこに行くまでに戦闘になるだろうしね」
「うん。それは避けたいね」
食事を終え、ランプを消してずいぶんと頑張ってから寝た。
「笠原、朝だぞ」
「ん。三歩、おはよう。飛龍は?」
「おはよう、司令」
「爆弾は?」
目を擦りながら上体を起こすと、首を左右に振る飛龍がボヤけて見えた。
「なら、進路を変えよう。九重連山を越えるのがいいかな」
「かなりの悪路になりそうだな。行けるか、飛龍?」
「こればっかりは、くろがね次第だからねえ・・・」
「東に向かって船を調達するのも手だけど、危険なんだよね?」
「かなりな」
「なら九重連山だ。行こう」
「クソッ、黒チハめ! 次に会ったら、鉄クズに変えてやる!」
作業小屋を出て、くろがねで走り出す。
傷の痛みは、ほぼないと言っていい。
揺れで傷口が開いた様子もないので、快適なドライブになりそうだ。
「地図にチハの印はなし、か。諦めてくれたようだな」
「だね。阿蘇の外輪山は景色もいいし、平和な日になりそうだね」
牛が牧草でも喰んでいそうな草原、夏の青い空。
悪い予感の欠片もない。
「もう少し行ったら、左に道があるんだね?」
「うん。かなり道は悪そうだけど、念の為にその道を行こう。ダメなら東かな」
「了解。ムリをしても冠が直してくれる。いっそ、アタシの本体から12.7ミリを下ろして荷台に積むかい?」
「後方しか撃てないなら意味はない。それにこれ以上速度が落ちたら、戦車からは逃げ切れんぞ」
「それもそうか。お、あの道かな。左折するよー」
「お願い」
角を曲がる。
爆発。
「何だっ!」
「チハだっちゃ!」
「バック、急いでっ!」
「クッソ!」
地図にチハの姿はなかった。
となると、黒チハにも何らかのスキルがあると見ていい。
「スキルか・・・」
「だが待ち伏せスキルなら、攻撃スキルはないだろう。くっ、後進は速度が出んな・・・」
砲撃。
至近距離だ。
それでも、くろがねは動いている。誰かが怪我をしている様子もない。行けるか!?
「道路に出るっちゃ!」
「うおおおおーっりゃ!」
車体を滑らせながら、飛龍がハンドルを切り直す。
くろがねが前を向くと同時に、タイヤを空転させて豊後街道を阿蘇方面に走り出した。
「よし、逃げ切れ、うわあっ!」
横っ腹に衝撃。
命中こそしていないようだが、くろがねは蛇行している。
「怪我は!?」
「ない。でも、後輪が片方パンクしてるっ!」
スピードは目に見えて落ちている。
倍ほどもスピードが違うからこそ、昨日は逃げ切れたのだ。
このままでは、死ぬ。
「飛龍、道を逸れろ!」
「戦車相手に、わざわざ悪路を選ぶってのかい!?」
「右前方に何が見える!」
僕も右を見る。
草原。
遥か彼方に、ポツンと何かがあるのが見えた。
「あれは、赤トンボ!? 眠ってるってのかい!?」
「知らん。だが、奇跡にかけるしかなかろうっ!」
砲撃の合間に銃撃。
飛龍の巧みな運転で命中こそしていないが、このままでは時間の問題だろう。
「了解。あそこまでは、意地でも走らせてみせるっ!」
砲撃。
抉れた土が、荷台に迫る。
三剣ちゃんと三歩を抱え込むように、できるだけ身を伏せた。
「いてて、土も凶器だね。これじゃ」
「私は平気だ。笠原は身を伏せてろ!」
「そうもいかないって。少しだけ我慢して、お願いだから」
こうしていたって、荷台に直撃を受ければ僕達は全滅だろう。
それより、飛龍が銃撃を受けないかだけが心配だ。
「もうすぐ赤トンボだよ!」
「笠原!」
「はいよっ」
恐怖を押し殺して身を起こす。
100メートルほど先に、翼が2枚あるいかにも旧式な飛行機があった。
「クソッ、やはりそう都合良くはいかんかっ!」
「眠ってるんじゃないなら、盾にするよ!」
くろがねはもう限界だろう。
振動がここまで酷いのは、悪路に踏み込んだだけが理由ではないはずだ。
振り返る。
ツノ付きの怨霊は砲塔に座って足を組みながら、はっきりと笑っていた。
「こんの鬼女が! 飛龍、駆け抜けざまに飛行機を回収、すぐに上空に取り出して!」
「な、なんだって!?」
「いいからやる。司令官命令だよ。やらないならもう、飛龍だけ手入れなし!」
「わ、わかったよ。ええい、収納。ほんでもって取り出し!」
飛行機が消え、すぐに上空に現れる。
100メートルほどの高さだろうか。これなら!
「いい位置っ。【急降下爆撃】!」
「赤トンボに爆弾は、って機体を爆弾にするのかっ!?」
【急降下爆撃】は、頭の中に浮かぶイメージで操作するらしい。
黒チハに赤トンボをぶつけるイメージ。
強く強く、描いた。
「ゴメンよ、赤トンボ。でも、僕達を助けてっ!」
飛行機が飛ぶ仕組みなんてわからない。
それでも、赤トンボは自らの意志でそうしているかのように黒チハに迫る。
驚愕に見開かれた、鬼女の目。
「死ね、怨霊!」
機首から赤トンボが黒チハに突っ込む。
燃え上がる炎が怨霊を包むと同時に、赤トンボと黒チハは物凄い音を立てて爆発した。
「おっしゃーっ!」
「凄いっちゃ、笠原~♪」
「なんと・・・」
「さすがだよ司令! 今夜はたっぷりかわいがってやるからねっ!」
ガタゴトいいながら、くろがねが停まる。
久しぶりの地面を踏みしめると、なんだか強くなった気がした。
「地図に敵影はないっちゃ~」
「なら、冠ちゃんに修理をお願いしよう」
冠スパナを出して、地面に置く。
またあの光が満ちて、目を開けると敬礼している冠ちゃんがいた。
「悪いけど、また頼みたいんだ。せっかく直してもらったばかりなのに、ごめんね?」
「いえ。機械は人を守るのが喜び。人を守った機械なら、いくらでも直します」
「・・・ありがとう。よろしく」
敬礼を交わし、冠ちゃんは修理に取りかかる。
僕が地面に腰を下ろすと、三歩と飛龍がそばに座った。
「お疲れ様。何とかなったね」
「よくぞやってくれた。ありがとう、笠原」
「見事だったねえ。さすがだよ」
「それより、気がついてるか?」
「ん、何だろ」
「経験値というのが、凄い事になってるぞ」