転進
校舎に2泊した僕達は、怨霊の検問を避けて海へと向かった。
熊本港は校舎での予想通り、怨霊の群れが出入口を固めているらしい。
双眼鏡で見た限りでは眠りについている艦船はいないとの事なので、少し戻って深夜まで身を潜め、月明かりを頼りに白川を小舟で渡った。
「笠原、朝だぞ」
「ん。起きた」
寝ぼける事なんて許される状況ではない。
廃墟の窓に近づいて、朝の光に地図を晒す。
「怨霊はいないか・・・」
「ああ。見張りを交代してから懐中電灯でずっと見ていたが、ここいらにはいないらしいな」
「次に怨霊がいそうなのは、河内ってトコだね」
「漁村なら、駐在の持つ拳銃がいるくらいだろう。安全なら、海で食料を調達してもいい」
「そうなると、心配すべきは菊池川だね」
「ああ。橋もあるとは思うが、そこに怨霊が配置されていても不思議じゃない」
そしてその先には大牟田。
昔は炭鉱があって栄えていたそうだから、こちらの世界でもそうなら怨霊は多いはずだ。
「やっぱり大牟田は?」
「炭鉱に軍需工場。怨霊が溢れててもおかしくはないな」
「菊池川を渡って山に向かうのは? 平地も挟むけど、門司まで行けるよ」
「そうしたいのは山々だが、道が険し過ぎる。私と三剣だけなら、迷わずそうするが・・・」
「姐さん、ここは1つ賭けに出ないかい?」
言ったのは、三剣ちゃんを肩に乗せた飛龍だ。
賭け。
危険な福岡方面を前にして、何をするつもりなのだろうか。
「先に言っておくが、一か八かの夜間飛行などさせぬぞ。飛龍はすでに、皇軍の一員。我が軍には、死んでもいい兵などおらぬのだ」
「嬉しい言葉だよ、姐さん。でも聞いておくれ。まず最初の案は、島原湾を渡る。軍艦や発動機付きの船を修理するのはムリでも、漁船ならアタシらでも動かせるはずだ」
「そういえば原城はないけど、島原がここからも見えるもんね」
「バラジョー?」
「ああ、島原城。僕の時代には、天守閣が復元されてたんだ」
「なるほど。しかし、内海とはいえ船か・・・」
三歩は悩んでいる。
いい案だと思うんだけどな。
「姐さん、何が問題なんだい?」
「制海権を失っているからな。呉も週に1度は怨霊艦隊に襲撃を受けているほどだ。敵艦に発見されれば、それで終わりだろう」
「じゃあ、第二案。もう、北九州は諦めてしまおう」
「どういう意味だ、飛龍?」
「佐世保鎮守府や博多港には仲間がいるかもしれないが、今はまだ眠っていてもらおうって事さ。阿蘇山を越えて、大分を目指す」
「ほう・・・」
地図をズームして、阿蘇山を越える道を探す。
「道はあるね。豊後街道かな、参勤交代の」
「途中で四国に渡ってもいいし、そのまま門司まで北上したっていい。来た道を戻る形になるけど、その方が危険は少ないんじゃないかい?」
「・・・そうだな。大刀洗にも寄れなくなるが、今は呉に辿り着くのが使命。それでいいか、笠原?」
「任せるよ。じゃあ、夜を待ってまた白川を渡るんだね」
「そうなるな。地図を貸してくれ。道を見ておきたい」
「はい、どうぞ」
阿蘇の麓を廻り、さらに険しい山道を越えて大分に着くはずだ。
さっきまで包まっていた毛布の上に、体を横たえる。今のうちから、体を休めておく方がいいかもしれない。
恥ずかしながら、三剣ちゃんの次に体力がないのは僕なのだ。
「起きろ、笠原」
「ん。え、もう夜!?」
「夜明け前さ。出るぞ、支度をして玄関に来い」
「わかった。起こしてくれたら、見張りを代わったのに」
「これからは強行軍だ。キツくなるから、今日くらいはな」
懐中電灯を受け取って、急いで軍服の乱れを直す。運動靴も、しっかり履いた。
外に光を漏らさないようにトイレを済ませ、玄関の手前で懐中電灯を消して廃墟を出る。
「お待たせ。懐中電灯、ありがと」
三歩と飛龍の姿は、月明かりで何とか見て取れる。
「よし、行こう。後1時間ほどで夜が明けるが、夕方までそのまま歩いてもらうぞ?」
「了解。僕に遠慮しないで進んで」
熊本市街地での戦闘は避け、豊後街道を歩く。
不思議なほど怨霊がいないので、その道行きは楽なものだった。
すでに正面には、阿蘇山が見えている。
「野良すらいないとはな」
「これは正解だったねえ。飛龍、偉い」
「へっへー。アタシだって、たまには役に立つのさ」
「そこの民家に泊まろうか。いつも通り私と飛龍が掃除で、三剣と笠原が探索だ」
「了解。水でいいから風呂にも入りたいね、姐さん」
「地下水を組み上げるポンプが生きていれば可能だろう。神頼みでもするといいさ」
三剣ちゃんを肩に乗せ、茶の間や台所の傷んでいない食料やお酒を収納して回る。
ザブザブと水が流れる音がするのでトイレの隣の戸を開けると、鼻歌を歌いながら飛龍が五右衛門風呂を掃除していた。
「司令、この廃墟は当たりだよ。今夜は好きなだけ頑張るといいさ」
「もう弾薬も燃料も、備蓄は充分でしょ」
まあ、それでも我慢できる自信はないけど。
こっちに来て3人とそういう関係になってから、以前では考えられないほど夜の僕は暴れん坊になっている。
三歩と飛龍がもう許してくれと言って気を失うように眠っても、物足りないと思っていたりするのだ。
「笠原、納屋を見に行くっちゃ」
「なるほど、そういえばあったね。じゃ、行ってくるよ」
「気をつけてね。地図から目を離すんじゃないよ?」
「了解」
たまに地図を見ながら、玄関に残されていた下駄を突っかけて納屋の戸を開ける。
もうもうと舞ったホコリの向こうに見えたのは、見慣れない形のバイクだった。後輪の代わりに、2輪の荷台が付いている。もしかしたら、オート三輪という物なのかもしれない。
「凄いね、これは・・・」
「この状態で保管されてたなら、もしかして。急いで三歩と飛龍を呼びに行くっちゃ!」
「わかったよ」
下駄を鳴らして走る。
とにかく見てくれと2人を納屋に連れて戻ると、すぐに三歩がバイクのエンジンを覗き込んだ。
「くろがね、だな。ほとんどタイヤも減っていない。納車してすぐ、怨霊が発生したのか」
「まさか、動くのっ!?」
「わからん。だが、試すしかないだろう」
ニヤリと三歩が笑う。
この先は険しい山道。しかも、怨霊は少ないはずだ。
なら大分の手前まででもこれを使えれば、どれだけ時間が短縮できるか。
「さあ、動いたら今夜はどんちゃん騒ぎだ!」
三歩がバイクに跨り、伸び上がるようにしてから体を沈める。
キックスタートってやつだろう。
勢い良く機械が回る音がして、オート三輪はそのまま沈黙した。
「うーむ、何かがイカれているらしいな」
「ダメかあ・・・」
「残念だけど、仕方ないやね。呉でなら修理可能かもしれない。アタシが預かっとくよ」
「頼む。おいおい笠原、そんなにがっかりするな」
「だって、これがあれば迷惑かけないで済むかなって・・・」
「ああもう、そんな顔をするんじゃない。そうだ、今夜は飲むか!」
「いいねえ。大賛成だよ、姐さん」
「酒盛りだっちゃ~♪」
お酒なんて、正月のお屠蘇を舐めたくらいの経験しかない。
それを素直に言うと、3人は大丈夫だと笑った。
「笠原、手が止まってるぞ。私の酌では飲めぬとでも言うのか!」
「笠原~、干し芋が美味しいっちゃよ~♪」
「姐さんが酌なら、アタシは尺八でも吹いてやろうか、司令?」
「こらこら飛龍、生臭くなるからそれは後だ。さあ飲め、笠原!」
どうやら、3人は大酒飲みであるらしい。
揺れる頭でそう考えていると、口に一升瓶を突っ込まれた。
記憶は、そこで途切れている。
「うっわ、見張りもなしで全裸で爆睡してたのか・・・」
三歩を腕枕しながら、飛龍が鼾をかいている。
僕の目覚めた位置的に飛龍は、僕と三歩の2人を両腕で腕枕していたようだ。
「三剣ちゃんは、いた。やっぱ全裸なんだね・・・」
飛龍の頭の上の方で大の字になっている三剣ちゃんの下半身をちり紙で隠し、2人にも毛布をかけて立ち上がる。
地図に丸はない。
が、この民家から豊後街道に地図をスクロールさせると、歪な丸の中に2つの丸がある変な模様が、道路を凄いスピードでこちらに向かっていた。
「マズイ! 起きて、敵襲かも!」
「なんだってっ!」
「朝駆けかよ、怨霊め・・・」
「数は2。だけど、これはマズイっちゃね~」
全員が服を着ている最中だ。
地図を見ながら着替えられる三剣ちゃんが、溜息を吐きながら零す。
「何がマズイんだ、三剣!?」
「側車付きの自動二輪に乗ってるっちゃ」
「九二でも積んだ陸王じゃないだろうなっ!?」
「知らないっちゃ。あ、こっちにカシラを向けて停車したっちゃね」
「全員、一応伏せろ!」
ズボンを履きながら、畳の上に転がる。
雨戸は閉めてあるし、発見されている可能性なんか・・・
銃声。
いや、僕の知ってる銃声じゃない。
これじゃ連続爆発だ。
「位置がバレてるっちゃね~」
「くっ、手練か!?」
「相当のレベルだっちゃね。それにしてもいい勘してるっちゃ、三歩は」
「大陸帰りか何かの怨霊だろうな、クソッ。着替えを終えたら下がるぞ、準備を終えた者は申告!」
「いつでも行けるっちゃ」
「アタシもだ!」
「ゴメン、靴だけまだ。・・・よし、行けるよ」
「決して頭は上げず、裏口を目指せ!」
三剣ちゃんを掴んでシャツの中に入れ、匍匐前進というやつで裏口に移動する。
「納屋の向こうに走れ、木立に駆け込むまで止まるんじゃないぞっ!」
三人で走る。
エンジン音、そしてあの銃声。
「クソッ、走れ走れっ!」
木立は近い。
聞き慣れた三十年式歩兵銃の銃声。
重く連続する銃声は束の間だけ止んだが、すぐにまた夏の朝の空気を震わせた。
「1人は殺った。これは本職の機関銃手じゃない、行けるぞ!」
森。
木立の下の方にも、藪のような植物がある。
構わずに、駆け込んだ。
「よし、反撃開始だっ!」
お腹の辺りがくすぐったい。
手を入れて三剣ちゃんを掴んで顔を出させると、そのままシャツの襟を握ってぶら下がるような姿勢になる。
「死ぬかと思ったっちゃ・・・」
「ゴメンよ、三剣ちゃん」
「ううん。助けてくれて、ありがとうだっちゃ。三歩、怨霊は残り1だっちゃね?」
「ああ。レベルが4になってるだろう!」
「おおっ、アタシもレベルが3になってるね。それに、これは・・・」
僕も軍隊手帳を確認したいが、それどころではない。
木に幹に体を隠しつつ、銃声のする方へ三十年式歩兵銃を撃つ。
「盲撃ちじゃダメかっ!」
「焦るな、笠原。ここまで来れば、なんとでもなる」
「時に姐さん、側車付き自動二輪は鹵獲するのかい?」
「鹵獲はムリだ。怨霊を倒せば、本体である自動二輪は自壊する」
「なら問題ないね。司令の言うスキルってのを、さっそく使わせてもらうよ?」
「どんな技だ、飛龍?」
「こんなのさ。【急降下爆撃】!」
爆発。
衝撃波、いや、爆風で僕は飛ばされたのだろうか。
ヨロヨロと立ち上がり、身を隠していた木を盾に向こうを覗くと、地面が大きく抉れているのが見えた。納屋も半壊している。
「みんな、怪我は!?」
「笠原、無事だよ」
「サンケンも、なんとか無事だっちゃ~」
三剣ちゃんが、僕のシャツから顔を出す。
ケホケホと咳き込んでいるが、無事というからには怪我はないのだろう。頭の上のHPバーも、1すら減っていない。
「飛龍、健在。またレベルが来てるね。きっかりレベル5。でも、新しいスキルはないや」
「私と三剣も5だが、スキルとやらは来ていない。レベルを得た時にしか来ないのかもな」