訓練と作戦開始
「これで練習?」
「そうだよ。九七式側車付自動二輪車。その本車だ」
「側車、サイドカーを外した状態だね」
「まずは、エンジン始動からいこう。手順は知ってるね?」
「教本は読み込んできたから、大丈夫」
転倒時にいくらかは身を守るからと、僕は飛行服を着せられている。飛行服は裏地に毛皮が使用され、ブーツや革手袋もあるので少しは怪我が減るらしい。
バイクに跨って、キーを回す。
これでキックスターターを踏み込めば、エンジンがかかるはずだ。
「はい失格。降りなよ、司令」
飛龍が冷たく言い放つ。
意味がわからない。そう思っていると、飛龍は手に持った竹刀で小さな部品を指した。
「これはなんだい?」
「ええっと、たしか、燃料コック?」
「そう。この状態じゃ、エンジンに燃料が行かない。どんな乗り物も、乗る前の点検が大事なんだよ。それを疎かにするなら、航空機どころか単車にだって乗せられない」
「いや、もう覚えた。他に点検すべき場所は?」
ブレーキやそのワイヤー、タイヤの空気まで点検項目は及ぶ。
それが終わって、すべての点検を最初からやり直し、やっとバイクに跨る許可が出た。
「大変なんだね、乗り物って」
「当たり前さ。これは司令だけを殺す乗り物じゃない。そうだね、松型駆逐艦の誰かが道に飛び出して、それを司令が轢き殺す可能性だってあるんだ」
「想像するだけで、自分を殺したくなるね・・・」
「そうならないための訓練さ。それにかなり失礼だが、当時のパイロットは日本のエリートだった。司令も高度な教育を受けてるけど、日本を代表するエリートだったって言えるかい?」
「・・・ごめんなさい。中の中でした」
「そんな司令が航空機を動かそうってんだ。厳しくいくよ?」
「お願いしますっ!」
僕の返事を聞き、飛龍が真面目な顔で頷く。
嫌われ役を買って出たのだろうか。
離れて見ている三歩と三剣ちゃん、それにおふくろさんが感心しているようだ。
「では、乗り物をナメてる司令に、エンジンを始動してもらおうか」
ナメてなんかいない。言いかけたが、すぐにそれを飲み込んで返事をする。
バイクに跨って飛龍を見ると、無言で頷かれた。
「シフトをニュートラルに、・・・もうなってるみたいだね。エンジン、始動します」
思い切り、キックスターターを蹴った。
カラカラと音がするだけで、エンジンはかからない。
「くそっ!」
慌ててまたキックスターターを蹴ると、バネのようにキックスターターが戻り、僕の弁慶の泣き所に当たる。
「いだーっ!」
「はぁ、こうも予想通りとはねえ。スネ、見せてみなよ」
「ゔぁい・・・」
「ん、折れてない。教本で、圧縮上死点ってなかったかい?」
「あった。ピストンが上死点まで上がって、混合気が圧縮される・・・」
「そう。ある程度はエンジンを理解しているようだね。それなら、エンジンをかけるのに必要な物は?」
ガソリンだとか空気だとか様々あるけど、飛龍が言いたいのはそんなに多くのものではないと思う。
「えっと、火?」
「そうだね。じゃあ、エンジンの構造で、火が必要になるのはいつだい?」
「・・・吸入、圧縮、燃焼、排気の、燃焼時」
「良く出来ました。なら吸入と圧縮をしないと?」
「エンジンはかからない・・・」
「そういう事」
教本にはエンジンの仕組みやバイクを動かす方法は書いてあったけど、エンジンの始動法はキックスターターと呼ばれるペダルを踏み込むとしか書いていなかった。
「教本には、書いてなかったな」
「言葉で覚える事じゃないからね。エンジンは生き物だ。1つとして同じものはない。だから、体で覚えるのさ。キックスターターを、何度か踏んでみなよ」
言われた通りにすると、3度目でキックスターターが重くなった。
「重い。手応え、じゃなくて足応えが違う・・・」
「踏んでるのに動かなくなるまで行ったかい?」
「うん。ビクともしない」
「そこが圧縮上死点さ。そこからゆっくり、キックスターターに体重をかける」
「はい」
突然、キックスターターがカクンと動いた。
「わっ!」
「そうなったら準備完了。今の圧縮上死点から、少しだけ先に進むんだ。この位置は体で覚えるしかない。今のカクン、で圧縮上死点を過ぎたと思うかい?」
「・・・機械を動かした感じはしなかった」
「へえ。なら、軽く踏んで少し先の位置へ。軽くでいいよ」
「こうかな」
「それで司令の勘が当たっていれば、エンジンは動いてくれる。やってみるといいよ」
「うん・・・」
「キックスターターから足を離して、それからだよ。力の限り、踏み込むんだ」
「はいっ!」
勘なんてものは、多くの経験があってこそ発揮されるものだと思う。
でも僕は、なぜか僕の勘を信じた。
踏み込む。
グズるような音の後に、エンジン音が聞こえた。
それはすぐに、規則正しいリズムを刻む。
「おおっ!」
「やるじゃないか」
エンジンは、しっかりと動いている。
でも、これは何だ・・・
「くろがねの荷台に乗ってる時とは違う。この振動は・・・」
「それは、喜びかもしれないねえ。人が動かすエンジンと自分で動かすエンジンは、まったくの別物だと感じる人間がいる。もしそうなら、司令はエンジンと友人になる素質があるのかもね」
冠ちゃんが、「司令は機械と助け合える」と言っていた。
もしそうなら、僕はどんな乗り物とだって友達になれるのかもしれない。そう思うと、彼女達をしっかり理解して、彼女達の力を借りたいと心から思った。
「エンジンを切って、始動の練習をするといいよ。気を抜いたら怪我をするから、危ないと感じたら休憩するといい」
「了解」
何度も圧縮上死点を探し、その少し先を探る。
それこそ何度も失敗したけれど、その度に経験値を得ていると思えるのは間違いではないはずだ。
夢中で練習していると、飛龍の手が僕の肩を叩く。
「何?」
「昼飯の時間だよ」
「うっそ・・・」
何時間、エンジンの始動だけを練習していたのだろう。
朝食を終えてすぐこの飛行場の端っこに来たのだから、4時間以上は経っている事になる。
「お疲れっちゃ~」
「氷川丸が握り飯を届けてくれたのにも気づかないくらいに集中してたな。後で礼を言っておくんだぞ」
「うん。ああ、お腹すいてたんだなあ僕」
「見事な集中力ですね。これは、いい飛行機乗りになるんじゃないですか、飛龍?」
「おふくろさん、おだてちゃダメですよ。司令はすぐ、その気になりますからね」
「酷いなあ」
「魔法瓶に温かいお茶を詰めて、司令を空に送り出す。そんな日が来るのでしょうか・・・」
「まだまだ先ですって。単車が終われば、4輪も訓練しますから」
塩おむすびとたくあん。僕はこれが大好きだ。
怨霊の発生時に損傷した艦船からは食料を運び出すヒマなどなかったそうで、いくらかは米の備蓄があるらしい。普段は練兵場を畑にして育てている、麦飯ばかりだ。たまに出される白米は、最上のごちそうだった。
「あー、美味しかった。ごちそうさまでした」
「午後はアタシの後ろに乗って、回転数の授業だね」
「よろしくお願いしますっ!」
その後も飛龍の訓練は続き、運転の訓練だけで休日が終わった。
明日は峠島までの飛行を試す日なので、隼達と同じベッドで眠る。
「司令、朝ですよ」
「・・・おはよう、鍾馗。体は大丈夫?」
「おかげさまで。司令が最後ですから、身だしなみを整えて朝食に参りましょう」
「うん。すぐやる・・・」
軍隊の朝は早い。
眠いけれど、僕はもう兵隊だと心に決めている。
「ちょ、先に行っててよ鍾馗」
「いえいえ、お着替えと洗顔のお手伝いをしますわ」
「すんません、その、朝なのでアレがアレでして・・・」
「あら、お手伝いいたしますか?」
「・・・う、ダメダメ。鍾馗はこれから出動なんだからね」
「残念ですわ。では、食堂でお待ちしております」
心の中でボインちゃんと呼んでいる鍾馗の流し目には屈せず、どうにか1人になって着替えを済ませる。
昨日と同じ飛行服上下を手に取ったが、下だけ履いて上着は革のジャケットにした。なんでもオシャレな飛行士官は革ジャンなんかを自費で仕立てて着ていたそうで、僕の部屋のクローゼットにはそれらがかなり入れられている。
食堂では、秋水までが飛行服に身を包んで食事をしていた。
挨拶を交わしながら、テーブルで麦飯大盛りの朝ご飯を掻っ込む。
「ごちそうさまでした。さて、いよいよだね」
「流星と天山は、葛城から上げるで?」
「もちろん。おふくろさん、悪いけど飛行場で指揮を手伝ってね」
「はい。まずは5機で峠島上空を旋回。10分経っても怨霊が現れなければ、似島の偵察でよろしいのですね?」
「うん。ただ対空兵器の怨霊がいたら、すぐに呉まで退避ね。たぶん、戦闘機も来るし」
「はい。では、飛行場へ行きましょうか」
鎮守府の玄関を出ると、何台かのクラッシックカーが停まっていた。
「これは・・・」
「くろがね四起。単車の次はこれで訓練だから、今日は助手席でアタシの運転を見てるといいよ」
「わかった。でも飛龍はずっと眠ってたのに、なんで運転が出来るのさ?」
「本体のエンジンより小さなエンジンの乗り物なら、自在に操れるし知識もあるんだよ。なぜかは知らないけどね」
「・・・羨ましいなあ」
自動車は、バイクに比べるとかなり運転が楽そうだった。
レースともなればまた違うのだろうが、これなら何とかなりそうだ。
「笠原、その飛行服カッコイイっちゃ~♪」
「ありがと。男は僕だけだから、遺品がたくさん部屋にあるんだよ」
「革手袋と飛行帽は、司令?」
「ポッケに入れてある。何事もなく作戦が終われば、そのまま訓練するからね」
満足気に飛龍が頷く。
くろがね四起は、飛行場に入って小さな建物の前に停まった。
「指揮所をこんなに早く使うとはね」
「まだ早かったと思う?」
「いや、この状況なら上がるべきだと思うよ」
指揮所の大きなテーブルに地図を出す。
青い飛行機の形が6つ、地図の上には描かれていた。2つは港だ。
「葛城の烏口と当飛行場の冠スパナ、点検を開始しました」
大淀が言う。十年式信号拳銃は映像まで見られないので、こちらに来てもらったのだ。
おふくろさんがお茶をくれたのでそれを飲みながら、地図上に万年筆で線を引く。
「お、おい笠原。そんな事して大丈夫なのか?」
「作戦が終わったら消えるらしいよ。三歩も書いてみる?」
「バカを言うな。笠原以外の誰かが書いて、スキルの効果がなかったらどうする」
「なるほど。えーっと、隼達を丸で囲んどいた方がいいか。で、秋水の下に迎撃待機。飛行場から峠島まで伸ばした線に丸で囲んだ流星と天山の線を繋いで、そこに合流って書けばいいよね。で、峠島上空6000メートルで10分間の旋回待機、っと」
「おふくろさん、これでどう?」
「わかりやすくていいですね。似島の偵察は、後で書くんですか?」
「うん。拠点に帰投するまでが作戦だから、いくらでも書き足せるみたい」
見落としがないか、何度も確認する。
間違えば、死ぬのは戦乙女。
そう思うと怖くてたまらないが、だからこそ僕は地図を睨み続けた。




