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学徒来たりてゲロを吐く




 朝起きて、母親に見送られて玄関を出た。

 そこまでは覚えている。

 九州の田舎に住んでいるので緑の多い環境で暮らしてきたが、ここまで鬱蒼とした森に踏み込んだ事などない。

 いつの間にか通学カバンがなくなっているのに気づき、思わず舌打ちが出る。カバンの中には、水筒と弁当があったはずだ。あれがあれば、数日は救助を待てるはずなのに・・・


「水の確保が最優先か。動かず待てが救助される側の基本でも、この暑さで水がなければ熱中症が怖い・・・」


 恐怖を押し込めるために声を出し、下草を掻き分けながら歩く。

 九州に熊はいないはずだが、野犬の1匹ですら非武装の僕には脅威だ。


「くっそ、カマでもあればな・・・」

「ふむ。なら、銃剣はどうかな?」

「ぜひとも貸して欲しいね。雑草が伸び放題、えっ!」

「動くな。動けば、首を掻っ切る」


 頸動脈に硬い物が当てられている。

 首を掻っ切ると言った女性の声は笑ってはいなかった。

 地元の猟師が、僕を不審者だと判断して拘束しようとでも言うのだろうか。それは、明らかな犯罪行為だ。


「動きませんが、後で警察に行くので不利になりますよ?」

「何を訳のわからぬ事を。どこから来た?」

「K県K市」

「目的は?」

「学校に行こうと家を出たんです。そこからは、記憶がありません。気が付いたら、この山中です。ちなみに、ここはどこなんですか?」


 酷く喉が渇いている。

 普通に話すだけでも辛いが、相手は刃物を持っているらしき猟師だ。声からして若い女の人のようだが、マトモな思考の持ち主である可能性は低い。

 大人しく、女性の答えを待った。


「どう思うか、三剣?」

「ん~。三剣が思うに、彼はこっちの人間じゃないっちゃね~♪」

「なん、だと・・・」


 キンキンした幼女のような声に、女性は何も言葉を返せないようだ。

 こっち、その意味はなんだろうか。

 もしこの女性が犯罪集団やカルト教団の一員で、隠れ家でも守っているのだとしたら僕の身は危うい。

 そんな組織の人間は、人権なんか気にもしないだろう。名前とは思えないサンケンという呼称は、コードネームか何かのつもりだろうか。


「ぼ、僕をどうするつもりですか?」

「・・・素直に話せば、逃げ出したシェルターまで送る。虐待でもされていたというなら、違うシェルターに送ってもいい」

「シェルター?」

「三歩、だから少年はシェルターの人間じゃないっちゃ~」

「バカな。このご時世に、シェルターの外で人間が生きられるものか!」

「声が大きいって。あ~あ、怨霊が来ちゃった・・・」

「チッ。やるぞ、三剣!」

「合点承知の助。歩兵の本領、見せてやるっちゃ!」


 風。

 下草が薙ぎ倒されるほどの風だ。

 両手で目を庇う。

 茶色い服の後ろ姿。両手に、長い棒状の物を持っている。

 落ち着いてゆく風に靡く長い黒髪を見ていると、その肩に人形のような物が乗っているのに気づいた。


「少年は、そこで小さくなっているっちゃよ~♪」

「人形が喋った!?」

「失礼な少年っちゃね~」

「来るぞ、数は2!」


 足音が聞こえる。

 生唾を飲んで音のする方を見ると、髪を振り乱した青白い肌の女性が走って来た。

 その手にあるのは、銃!?


「危ないっ!」


 何も考えずに飛び出した。

 両手を広げ、女性の前に立つ。

 死ぬ。

 思っても、動きは止めなかった。


「何をするか貴様、どけっ!」

「ぐべっ」

「一番槍、いただきだっちゃ!」


 突き倒されて上体を起こしながら、青白い肌の女性を見ていた。

 その顔面に、短刀が突き立つ。

 あまりのグロさに、倒れ込んだ姿勢のまま嘔吐する。乾いた喉を胃液が灼いて、咳き込んでしまう。

 立て。そう思っても、体に力が入らない。

 倒れた青白い肌の女性の向こうから、同じく青白い肌の女性が走り込んで来る。その手には、やはり木製部分の多い銃が握られていた。


「軟弱なっ。それでも皇国の学徒かっ!」


 銃声。

 火薬の臭い。

 額に穴を開けられた青白い肌の女性が、走る勢いのまま倒れて僕の眼の前に転がった。


「おえっ・・・」

「貴様ッ! 恥を知れ。教練で何を教わっていたというのだっ!」

「だ~か~ら~、少年は教練なんて受けていないっちゃよ~」

「教練のないシェルターなどあるものかっ!」


 消化されていない朝食はすっかり吐いてしまったようだ。もう胃液しか出て来ないが、吐き気は収まらない。

 それでも、ふらつきながら立ち上がった。

 ライフルを持つ女性と、短剣の峰で自分の肩を叩いている人形。

 なんだ、この状況は・・・


「しっかり立たんか、軟弱者!」


 学ランの袖が汚れるのも構わずに、乱暴に口の周りを拭う。

 ツバを吐いてから、女性に向き直った。

 睨み合う。


「フン。軟弱者の虚勢が見え見えで、見ているこっちが恥ずかしいな」

「人殺しが、偉そうに言うんじゃないよ。どんな理由があるにしても、殺人は殺人だ。警察に行くよ。抵抗するなら、取り押さえてでも連れて行く・・・」

「三剣、コイツは何を言ってるんだ?」

「階級章のない学ランで察するっちゃ」

「まさか、コミュニストの隠れシェルターが実在するというのかっ!」


 突き付けられた銃口を握る。

 少し熱いが、そんな事は関係ない。


「脅したってムダ。さあ、警察に行くよ」

「貴様、人様の銃を汚れた手で掴むとは何事かっ!」


 殴打。

 不思議と痛みは感じない。

 生まれて18年。喧嘩をした事なんかないので、こんなものなのかなと思った。

 これなら、いくらでも耐えられる。


「離せ、離さんかっ!」

「暴力には屈しない。行くよ」


 銃口は離さない。

 そう決めたのだから、どんなに殴られても右手で握り続けた。


「いい加減にするっちゃ、三歩。上官命令っちゃよ?」

「くっ。目覚めたのが1日早かっただけのくせにっ・・・」

「ふふん。恨むならネボスケな自分を恨むっちゃね。少年、状況を説明するから隠れ家に来て欲しいっちゃ」

「殺人犯の家に、ノコノコ着いて行くとでも?」

「少年の言う警察に、三剣達をどうやって連れて行く気だっちゃ?」

「それは・・・」


 たしかに、僕は現在進行形で遭難中だ。


「・・・だからって、殺人犯を放ってはおけない」

「死体があった場所を見るっちゃよ、少年?」


 足元の死体に目をやる。

 が、死体は跡形もなく消えていた。

 残っているのは青白い肌の女性が着ていた服や靴。それにリュックサックと、バラバラになった銃の残骸だけ。


「そんなバカな!」

「これは怨霊。戦争に使われていた武器の、成れの果てだっちゃ」

「意味がわからない・・・」


 呆然と地面を見る。

 銃口を離してしまったが、そんな事はどうでもいい。


「怨霊・・・」

「やっと離したか。三剣、説明しろ。この軟弱者は、一体何なんだ!?」

「はいはい。説明するから、さっさと隠れ家に行くっちゃ。あ、回収もするっちゃよ~」

「フン、収納。これでいいな。さっさと行くぞ」

「服や銃が、消えた・・・」

「これで、少しは話を聞く気になったっちゃね。さあ、着いて来るっちゃ」


 顔面に突き立った短剣。初めて聞いた銃声と、鼻につく火薬の匂い。そして、消えた死体。

 思考が、頭がグルグルする。

 どこをどう歩いたのかわからない。

 それでも、地面に開いた暗い穴に、僕は足を踏み入れた。


「ここは・・・」

「安全な隠れ家だっちゃ。さ、座るっちゃよ」


 ハシゴを下りて数歩進んだ部屋。棚にちゃぶ台、床にはムシロが敷いてあるようだ。

 言われるまま、ムシロの上に正座する。

 土を掘って作ったらしい隠れ家には、ここ以外にも部屋があるらしい。

 懐中電灯を土の上に置き、女性がマッチでランプに火を灯した。

 影が揺れる。

 3人分の影は浮世離れした幽玄さで、この不思議な体験を僕に信じさせようとしているかのようだ。


「まずは水をあげるっちゃ、三歩」

「さっきの怨霊の水筒でいいな。ほら、ありがたく受け取れ」


 もの凄く恩着せがましいが、恵んでもらうのは事実。

 しっかり頭を下げてから受け取った。


「素直でよろしい。学生は、そうでなくてはな」


 満足気に言う美人さんは、僕をあれほど殴ったのを忘れてしまったのだろうか。

 水が染みるほど殴られたせいで、どんなに美人でも好感度は最低値。いや、すでにマイナスだ。

 本当はうがいをしたかったが、こんな場所にトイレなどないだろう。だが我慢して飲み込んだ水は、これまで飲んだどんな水よりも美味しい。


「生き返るって、こういう事か・・・」

「では、答え合わせを始めるっちゃ」

「答え合わせ?」

「そうだっちゃ。少年が暮らしていた世界の常識、んー。歴史でいいっちゃね。覚えている限り、話してみるっちゃ」


 歴史。

 嫌いな授業ではないので、スラスラと言葉が出て来る。

 縄文時代から話し出したが、2人は口を挟まずに黙って僕の言葉を聞いていた。

 明治維新。日清日露戦争。


「それで、太平洋戦争の敗戦ですよね」

「何だとっ!?」


 美人さんがちゃぶ台を叩く。


「そういえば、あなたの服って兵隊の軍服みたい・・・」

「皇国が敗れるなどある訳がなかろうっ!」

「そう言われても・・・」

「少年、それは何年の出来事だっちゃ?」

「1945年ですけど・・・」


 今更だが、人形のようなこの少女は何なのだろう。

 童女の日本人形のような前髪パッツンの少女が話しているだけでも驚きだが、その表情は豊かでロボットなどだとは思えない。


「皇紀2605年っちゃね」

「なんだと!? 怨霊が発生した年じゃないかっ!」

「怨霊・・・」


 ちゃぶ台の上で正座する人形のような少女が、ゆっくりと瞳を閉じた。


「人類の敵。悪魔の手先。終末の使徒。言い方は数あれど、武器が姿を変えた存在に間違いはないっちゃよ」

「そんなものが・・・」

「少年のいた世界には、いなかったっちゃね?」


 頷く。

 少女は瞳を開き、真っ直ぐに僕を見詰めていた。


「そんな話が、信じられるかっ!」


 ちゃぶ台が叩かれ、正座した少女が跳ねる。

 水筒のフタを湯呑のように持つ少女は、着地して澄まし顔で水を口に運んだ。


「事実を否定するとは、軍人の風上にも置けない女だっちゃね」

「何だとっ!」

「えっと、ここは僕がいた世界ではないと?」

「そうなるっちゃね」


 そんなバカな。

 タイムスリップ、違う。別の世界に迷い込んだ?


「・・・どうすれば、帰れるんでしょうか?」

「神様にでも祈るっちゃね」

「そんな・・・」


 怨霊なんてものが存在する世界で、僕なんかが生きていけるはずがない。


「まずは自己紹介するっちゃ。三十年式銃剣。全長512mmの、ぷりちーな女の子だっちゃ!」

「三十年式歩兵銃だ。しかし、違う世界の人間だとは・・・」


 胡散臭そうに見られても、僕にはどうしようもない。

 込み上がりかけた涙を押し戻すように、眉根をギュッと寄せた。


「笠原涼介、です・・・」



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