後編
スズは瑞樹を河原に連れてきた。座って、ゆっくり話がしたいらしい。
「頼みがある」
河原に着いて開口一番に、スズは言った。頼み、と瑞樹は繰り返すように呟く。
「俺を、探してほしい」
痛い沈黙が流れる。俺って、誰だ。スズのことなら、スズはここにいるわけで、だとすると俺はオレという別の何かで……
むむむ、も難しい顔をしている瑞樹に、スズは呆れたように笑った。
「俺は、人間だ」
またしても、瑞樹はうまく返事ができない。
スズ、が、にんげん。人間。
なぜ人間が、雀なのだ。
「俺がこんな姿になっているのは、呪いのせいだ」
言って大きく肩を、否、羽根をすくめる。瑞樹は自分の頬を引っ張った。
「ちなみに、お前に俺の声が聞こえるのも、呪いだ」
「呪い」
呆気に取られたまま、瑞樹は歌うように口ずさんだ。だって、まったく理解の範疇を超えた、遠い景色のようなのだ。
「俺としては、お前みたいな呪いにかかったやつがいてくれて助かったけどな」
でないと本当にただの雀としての人生、ではなく雀生を生きなければいけなかった、とスズは落ち込んでいる。
「待ってよ」
どういうこと、と瑞樹は小さく呟いた。何が、どうなっているのだ。
スズは人間で、呪いで雀の姿をしていて。瑞樹もまた呪いにかかっていて、だからこそスズという雀の声が聞こえる。
そんなこと、
「信じられない」
というか、あり得ない。そもそも呪いって何。どうしてそんなファンタジーな話が出てくるの。
瑞樹の混乱を見てとったのか、信じられない、と言う瑞樹をスズは責めなかった。
「人間の俺の身体を、この雀に乗っ取られている」
そいつがたぶん鈴音だ、と苦々しくスズは言う。つまり、何か。
「昨日会った鈴音は、スズの身体を乗っ取ってる雀ってことなの」
あれは、雀だったのか。そんな、まさか。
「鈴音の大婆は、昔、人間に舌を切られたそうだ」
まるで舌切り雀ではないか、と瑞樹は思う。
「苦しみや痛み、恨み辛みを聞かせるために、その人間に雀の声が聞こえるよう呪ったんだと」
雀を舐めてちゃ駄目だな、とスズは笑う。いや、舐めたことはない、と瑞樹は反論しかけたが、そんな気力は残っていなかった。
続きを話して、と視線で促す。
「お前は、その呪われた人間の子孫だろうな」
たまたまお前は呪いを受け継いでしまったんだろう、とスズは気の毒そうな顔をする。
「そして俺はとばっちりだ」
スズはきっぱりと言い捨てた。とばっちり、と瑞樹が聞き返すと、大きく頷く。
「恐らく鈴音は、大婆が呪った人間に、復讐したいんだろうな」
人間の身体を乗っ取って、お前に近付いたようだしな、と言った。
一週間前、とスズは改めて話を切り出す。
「俺は、乗っ取られた身体に引っ張られた気がしてな」
しょんぼりと俯いて、言う。
「そんなこと初めてだったから、近くにあるのかと思って、探してみた」
どうやら見つからなかった、ようだ。
「でも、そうか。その間に、瑞樹に接触してきたんだな」
じ、と瑞樹の目を見つめる。不安そうに、心配そうに揺らぐスズの瞳。ふふ、と瑞樹は笑った。
「笑うとこじゃねーだろ」
嫌そうに唸るスズだが、
「だって、こんな真剣な顔をした雀なんて初めてだもの」
瑞樹の隅の方にあるツボにはまったのだ。ぷうと拗ねたスズは顔を背けた。ごめんごめん、と謝ると、瑞樹は再び真剣に考える。
「もう少しで繋がりは切れる」
熱に浮かされたように、ぼんやりと言う瑞樹。スズは、首を傾げた。
「昨日、その鈴音って人が、そんなことを言っていた気がする」
どういうことだろう、と腕を組んだ。
「俺が、元に戻れなくなるってことか」
ひやりと冷たい声。どこか他人事のような響きを含むそれに、瑞樹は初めてスズの怒りに触れた気がした。
「そんなことさせない」
瑞樹は両手を地面につくと、スズに詰め寄った。そんなこと、させてたまるもんですか。
「でもな、戻り方が分からない」
瑞樹にだって分からない。
呪いだというのなら、復讐だというのなら、鈴音は何をすれば満足なのだろう。何をすればスズを戻してくれるのだろう。
もう少しで繋がりは切れる、と言っていた。繋がりが切れてスズが完全に雀になり、そして鈴音が完全に人間になってからが復讐なのだろう。
だとしたら、鈴音には悪いが、復讐をさせてあげるわけにはいかない。
「鈴音を、探そう」
立ち上がった瑞樹の向こうを、凝視するようにスズは目を見開いた。その視線を追って、瑞樹は振り向く。同時に、はっと息を吸い込んだ。
「呼ばれた気がしてね」
昨日の青年、鈴音が二人の目の前にいた。スズは飛び上がると、瑞樹と鈴音の間に割り込んだが、空中では止まれない。仕方なく着地すると、割り込んだ意味はまったくなかった。
それでも瑞樹は、なんとなくそれがうれしい。
「俺の身体を返せ」
犬ならぐるる、と唸り声をあげていただろう。スズはめいいっぱい声を張り上げて鈴音に怒鳴った。
「まだ繋がりが切れてないからね」
やはり、完全にスズの身体を乗っ取るつもりなのだろうか。
「あなたは私に復讐したいんでしょう。スズは関係ないわ、巻き込まないで」
瑞樹はスズを避けて鈴音に詰め寄る。おい、何言ってるんだ、というスズの声は無視だ。肩に乗ってきても、瑞樹は見向きもしない。
鈴音はぱちくりと目を見開き、ふっと優しく微笑んだ。
「ミミズを食べたくちばしとの口付けは嫌だろう」
何の話だ、と聞くより前に、鈴音は数十センチあった距離を一気に詰めた。
ふわり、と瑞樹の唇に何かが触れる。
あれ、今、何が。
肩の上から、叫びにならない音が響き渡る。
「おま、なに、いま」
言いかけて何度も言葉を区切ると、スズは言葉を諦めて鈴音に攻撃し始めた。くちばしで突つくという攻撃だ。しかし顔面にそれをしようとしたところで、対象が自分の身体だということを思い出し、手を突つくに留まった。
ふっと意識を失った瑞樹を支える鈴音を見て、スズは攻撃をやめる。
「何をした、瑞樹は」
焦って尋ねるスズに、鈴音は、
「繋がりを切ったのさ」
さも当然というように答える。
まさか、今の儀式でスズは完全に雀になってしまったのか。
「嫌だ、返せ、俺を返せ」
このままでは、瑞樹まで取られてしまう。返せ、瑞樹を返せ。
必死で訴えるスズの視界も、ぐらり。
「雀の、恩返しだよ」
鈴音の声は、水の膜を通したような歪んだ音でスズに届いた。
河原で二人が目を覚ました時、スズは人間のスズだった。そしてそこに、雀の鈴音はいなかった。
「繋がりって、俺と身体じゃなくて、瑞樹と雀の呪いの繋がりのことだったのか」
人間に戻ったスズと瑞樹は、やっと外ではなく喫茶店の中で話すことができるようになった。
「そうみたいね」
昔、瑞樹の先祖に呪いをかけた雀の子孫である鈴音。その雀の声が聞こえてしまうという瑞樹の体質。
「でも私、スズが話してくるまでは全然気がつかなかった」
そりゃお前が鈍いんだろ、と言ったスズに冷たい視線を向ける。雀だったからスズという名前をつけたが、本名はもちろん違う。しかし何の因果か、苗字が鈴木なので、相変わらず瑞樹はスズと呼ぶ。
「私自身、ほとんど忘れてたんだけど」
瑞樹は飲み終わったキャラメルラテのカップを机の端に寄せると、頬杖をついた。
「小さい頃、怪我をした雀を助けたことがあるの」
それが、鈴音だったらしいのよ、と笑う。舌切り雀の物語を読み聞かせてもらったくらい小さい頃の話だ。自分では何もできないから、ほとんど母に頼んだが、確かに怪我をした雀を放っておけなかったことがある。
「だから、呪いを解こうとしてくれたの」
瑞樹の説明を聞いても、スズはどこか不機嫌だ。確かに、ただ身体を乗っ取られたスズは、いい迷惑だっただろう。
「私が雀と仲良くなって、口付けをすればよかったみたいだけど、さすがにくちばしとはね」
鈴音ってば女心が分かってるわね、と瑞樹は頷きながら言う。ミミズを食べているくちばしに口付けされそうになったら、さすがに引いてしまう。それに、きっとを怪我する。
しばらく話した二人は、そろって喫茶店を出ると、のんびりと太陽の下を歩く。散歩日和だ。
「俺が一番よく分からないのはさ」
唸るように言うスズに瑞樹が向き直ると、スズは言い淀んで顔を背けた。
「何よ」
尋ねるが、スズは瑞樹を避けて歩を進めた。
「器の小さい男だな」
聞こえた声に、スズは顔をしかめる。瑞樹はさっと顔を上げると、瞳を輝かせた。
「鈴音」
やっぱりいたのね、とぴょんぴょん跳ねて木に近付く。
「これだよ、これ」
不機嫌な声でスズは言って、瑞樹の隣に並んだ。首を傾げる瑞樹と鈴音に、スズは深くため息をつく。
「呪いを解いてもらったのに、どうして瑞樹は鈴音の声が聞こえるんだ」
それから、ともう一歩鈴音に近付くと、
「どうして俺までお前の声が聞こえるんだ」
そこまで一気に言うと、スズは腕を組んだ。
「呪いを解かれる時に、呪いは私の代を最後にしてって頼んだのよ」
つまり、私だけはこの力を残してもらったの、と瑞樹は胸を張って言う。だって、なかなか悪くない。
「それにお前は、俺の分身みたいなものだろう」
と鈴音は笑った。スズは再びため息をつくと、本当に仕方がないよな、と言いながらも満更ではないらしい。困ったように目尻を下げて笑う。
「まあ、瑞樹のファーストキスはもらったけどな」
わざとに違いないが、鈴音が言う。
「言っておくが、あれは俺の身体だった」
苦し紛れにスズが言った。
「どうしてあれがファーストキスだって分かるのよ」
失礼だわ、と瑞樹が割って入る。
高らかに笑うように、ちゅんと鳴くと、鈴音は枝を離れる。二人の頭上をしばらく旋回し、やがてそこを飛び立った。