第三話・お告げ
太山寺の町長となった清二も始めはごく普通の男だった。
発端は2年前に遡る。
2007年1月
当時、清二は地元の信用金庫に務める一般的なサラリーマンだった。
この年は彼にとって転機になる。何故なら、彼は55歳。銀行員の定年に当たる年であったからだ。
支店長だったので退職金も普通のサラリーマンより一桁多く、彼は第二の人生を満喫しようと気分上々であった。
清二は定年退職後、母の実家である愛媛県松山市、太山寺町に毎週のように通っていた。
既には母親は無くなっている為、家の保守と庭の手入れの為だ。
太山寺町は森山一家の住むマンションから車で30分と近いが、市内では比較的田舎にあたる所だ。 そう、ここが後に世界を変える町である。
実家は一の門から延びる道を真っ直ぐ進み、木造の旧集会所を右に曲がった先にある。集落の中では、一番奥にあたる場所だ。もともと三方が山に囲まれていて、おまけに愛媛県であるから三方の山は全てみかん畑である。
愛媛といえばみかん。
だが、大山寺の農家が作っているのは殆ど伊予柑である。
何故なら、同じ手間をかけて収穫するが、伊予柑は一個数百円、みかんは数十円と伊予柑の単価の方が圧倒的に良いからだ。
だから愛媛の人は和歌山にみかんの生産量が負けた事に対してあまり何とも思っていないのである。
当然清二の実家も伊予柑山を持っていた。
しかし、清二は伊予柑を作るのを辞めてしまっていた。
母が無くなり山の手入れが行き届かなくなった為だ。
清二の母は、多恵子と言ったが、洋介が中学を卒業する一週間前に癌で無くなっているのだ。
定年後、残された大きな家と庭、そして山は清二にとって良い暇潰しであった。
ある時、日曜大工気分で京都で見た日本庭園を作ろうと計画した。
ちょうど竹は裏山に沢山生えているので嵐山のような風情に仕上げようと意気込んでいた。
だが、2007年8月20日の夜の事だ。清二は不思議な夢を観る。
そして、その日を境に日本庭園計画を止め、変な戯言を言いながら"準備"を始めたのであった。
清二が観た夢について、息子の洋介も何度か訪ねた事がある。しかし、詳しくは話してくれ無い日々が続いた。
農家の納屋には何でもある。
大小様々なノコギリ。溶接機材にチェーンソー。ロープですら10種類は有った。
清二は、退職金で缶詰めやら保存食やらを大量に購入し、全部納屋にしまい込んでしまった。
「父さん、そんなに缶詰め集めてどうすんのさ」
大学が夏休みで大阪から帰っていた洋介が不思議そうに訪ねた。
「もうじき必要になる」
「それに、パソコンなんかも高いの買っちゃってさ」
清二は頭を掻きながら「それは、後で必要になるんだ。色々設計したり保存したりね」と答えた。
洋介には何がなんだか、その時は分からなかった。年寄りのうわ言なのか、もうろくしたとでも思ったのだろう。
夏休みも終わりに近づき洋介が大阪へと変える時がきた。
「明後日、大阪に帰るからバスのチケットとるよ」
洋介はリビングのノートパソコンで検索を始めた。
「お兄ちゃんもう帰るの?」
妹の桃香がハッピーターンを食べながら後ろから画面をのぞき込んできた。
「冬に帰ってくるよ」と桃香の手にあったハッピータンを自分の口にほおりこんだ。
「バスは予約しなくて大丈夫だぞ」
清二がビール片手に居間にやってきた。
「え?何で?」と振り向く洋介。
ビールをグビッと飲み清二は「おいらも大阪にいくからさ」と自信満々に答えた。
「ど、どう言う事?」
眉毛をまげながら「松山には良い無線機とか売ってないないんだよ」と清二が呟く。
「む、むせんき?」
「大阪なら日本橋とか行けば色々あるんだろ?」
「まあ…あるよ」
「新車も転がしたいしね」
一瞬どうなっているのか洋介には判らなかった。
「新車?聞いてないよ」
嬉しそうに腕時計を自慢げに見せる清二。
それをまじまじと見つめる洋介。
「それ、どうしたの?」
「車の鍵に決まってるだろ?」
どうやら時計に鍵の機能があると洋介は理解した。だが、洋介に分かるのは車がトヨタである事だけだ。
何故なら重厚なアナログ時計の真ん中にトヨタのマークが彫ってあるのが見えたからだ。
数日後、洋介が大阪に帰る日がやって来た。
夜、洋介が玄関の前で待っていると黒い巨体がギラギラとライトを照射しながら近づいてきた。
真っ黒でドデカいボディ。ヘッドライトは二段になっている厳つい顔付き。
洋介は心の中で「ああ知ってるよこの車、ヴェルファイアだ」と思った。
なんて買い物を、しかも家族に内緒で。と内心思いながらも助手席に乗り込む洋介。
洋介の母、由美子がそそくさとマンションの玄関から出てきた。
「ようちゃん、きおつけて行ってらっしゃいね」
「大丈夫だよ母さん。冬には帰るから。直ぐ帰ってくるよ」
「じゃあお父さん、洋介を頼みますよ」
「ああ、じゃあ行くぞ」
洋介は心の中で"車についてのコメントは無しかよ"と母にあきれた。
洋介を乗せた車は松山インターから高速に乗り、高松方面へ進路をとった。
もう4時間は走りっぱなしだ。車はちょうど徳島と淡路島を結ぶ鳴門海峡へと差し掛かった所である。
その厳ついボディには似合わず流れているのはラジオ深夜便だ。男同士の会話はいつも断片的な単語の投げ合いになりがちである。
「ねえ、父さん」
前方を見ながら、少しだけ首を助手席に振る清二。
「つかれたのか?」
「まあね」
「そろそろ休憩するかな」
「そうだね、明石海峡大橋の手前の所で」
「観覧車あるとこか」
「そう、眺めもいいしね」
会話は単調だが、清二と洋介は比較的良好な関係であった。父親としては良い意味で甘い方なのかもしれない。 洋介が大学を決める時も、県外の好きな所を受けさせたし、高校の時も私立の音楽科を選ばせた。勿論、洋介の希望通りである。
淡路島を半分程通過した辺りで清二が真剣な顔つきで話を始めた。
「あのな、父さんは今、おまえ達を守る為に頑張ってるんだ」
洋介はきょとんとした顔をして「ど、どう言う事?」と返した。
「もうすぐ、日本が大変な事になるんだよ」
「マヤ歴とか、そう言うの信じてるの?知らなかった」
「その時が来たら分かるさ」
「よく分かんないや」
「そん時が来たら、父さんが迎えに行くからな、必ず」
洋介は嬉しいのか気持ち悪いのか良く分からない感情に襲われた。
「もし、洋介が、その時が来たと思ったら、家に居なさい」
「大阪の?」
「そうだ、家に居れば迎えにいけるから」
清二は、再び運転に集中をし始めた。洋介も、それ以上に話を突っ込む事もしなかった。なぜなら、やはり洋介にはたわごとにしか聞こえなかったからだ。
冬には帰ると約束した洋介だが、急遽合宿が入ってしまい松山に帰る事が出来なかった。
それからズルズルと時間は経過してしまい、1年が経過した。病院で不可解な医療ミスが起き始めたのもこの頃からである。そう、洋介の知らない所でゆっくりと確実に驚異が成長を始めていた。