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第一話・冬の空

2009年12月20日

午前2時20分




 白煙をあげ甲高い音を発てながらエンジンが始動した。

 むき出しのコックピットには簡易的なイスが縦に2つと簡単な計器しか付いていない。おまけに12月の山は息が凍るほど寒い。

 洋介と高志はその形ばかりのイスに腰掛けた。




 操縦は洋介の担当である。高志はこの作戦ではバックアップを務める事になっていた。

 レシーバーから割れた音で「準備はできたのか? イーグルワン」とメッセージが入る。

「大丈夫だよ父さん、何とか燃料も持ちそうだから」

 洋介は燃料計をコンコンと叩いた。

 無線の向こうから話しかけているのは洋介の父、森山清二(もりやませいじ)だ。来月には58歳となる白髪混じりの中年男性である。




 司令室では清二が腕時計を睨んでいる。

 司令室と言っても洋室のリビングに数台のパソコンと台所から運んできた木のテーブルがあるだけである。しかも、殆どのモニターや照明は消されている。逼迫したエネルギー問題の為だ。


「こちらベースワンだ、時間だ。離陸を許可する」


 洋介は、レシーバーを高志に渡した。

 スロットルレバーを押し込むとエンジンは徐々に回転数を上げ始めた。

 ある程度回転数が上がった事を小さな計器で確認し、ブレーキを離すとと飛行機は勢い良く加速を始めた。

 滑走路はみかん畑に作った簡易的なもので、長さも100メートル有るか無いかだった。

 しかし、ウルトラライトプレーンには十分な長さであった。


 ウルトラライトプレーンとは、簡易的ビニール製の翼に剥き出しの椅子、そして必要最低限の計器を備えた超軽飛行機である。

 滑走路ギリギリで操縦桿を引くとフワッと機体は離陸した。


「おい、もっと高度上げろよ! 地面すれすれだぞ」

 高志が後ろから肩を叩いて洋介を急かした。

「二人も乗ってるんだから焦らすなよ。燃料も少ないんだからさ」

と、速度計が40ノットを指しているのを高志に見せた。飛ぶのにはギリギリのスピードである。


 滑走路は集落の一番奥に位置していた。

 愛媛県の中心都市である松山市。その北に位置する太山寺町は、三方を山に囲まれている小さな集落だ。 その為、陸路での出口は狭い山の間にある"一之門(いちのもん)"だけである。

 ここに暮らす住人が今まで"奴等"から命を守れたのも、この太山寺集落の特異な構造のおかげである。

 離陸から1分程で一之門を通過した。

 下を見ると門を守る青年団達が手を振っているのが見える。

 高志は操縦に専念している洋介の代わりに手を振った。

 一之門は、木造の古い門であったが、鉄の扉と補強で頑丈にされている。

 さあ、ここからは死の世界である。


 太山寺の一歩外は暗闇に包まれていた。灯りひとつ見つからないのだ。

 漆黒の中をライトプレーンは東に向かって進んだ。

「こちらイーグルワンです。これより安城寺(あんじょうじ)方面に向かいます!」

「現在の高度は、えっと……250フィート。速度…70ノット」

 高志が計器を操縦する洋介の隙間から読み上げる。

 無線を聴いた清二はテーブルにある地図に目を向け、現在地までの線を定規で引いた。

「こちらベースワンだ。イーグルワン、目標地点まで約2分。多分、黄色の看板が見える筈だ」

 高志は「了解」とだけ答える。

 真冬の空を椅子だけが宙を飛んでいるような物だ。当然二人は寒さでガタガタ震えていた。

 洋介は腕時計で時間を確かめた。 外側は黒色でコーティングされ、アナログの大きな針が特徴のミリタリーウォッチだ。

「見ろっ、看板だ!」

 看板を先に見つけたのは洋介の方だった。

「こちらイーグルワン、看板を通過。現在目標地点上空です」

 高志は指令本部に震えた手でレシーバーを持ちながら伝えた。

「よし、ガソリンスタンドの様子はどうだい?」と、訪ねる清二。

 高志は洋介の肩を叩き、手を回して旋回の意志を伝える。

 ライトプレーンは目標であるスタンドの上空をゆっくりと旋回した。

「奴らはどうだ?居るか?」

 洋介が心配そうに高志に話しかける。

 高志はライトプレーンから身を乗り出しガソリンスタンドの周りを確認し「居ないみたいだ」と答えた。

「燃料が余り無いよ父さん。始めるなら今しか無い」

 燃料計の針はもうゼロに限りなく近かった。

 高志はうなずき「こちらイーグルワン、奴らは確認出来ない、どうしますか?」と清二に無線連絡した。

2、3秒経った後、レシーバーから「よし、作戦決行だ!トラックを出せ!」と勢いのある声が響いた。




 清二の合図と同時に一之門近くのガレージでは農協のマークが入った中型トラックがエンジンを始動する。

 旋回を続けているとスピーカーから冷静な声が聞こえてきた。

「こちらトラック隊、これからガソリンスタンドに向かいます」

 トラックを運転するのは矢島良介(やじまりょうすけ)。以前は農協で経理を担当していた。頭にはJAのロゴが入った帽子を被っている。

 カーキー色のジャンパーの胸に矢島と刺繍入りだ。

 青年団が一之門の重厚な扉をゆっくりと開ける。

 金属のきしむ音と共に門は開く。門がある程度開いた段階で青年団の数名が外へ出て安全の確認を行った。

 手には手製のおのを持っているだけである。奴らと戦うには、充分とは言えない装備だ。

 トラックはライトを消した状態で走り始めた。 一乃門からは、右へ曲がる道と西に延びる真っ直ぐの道がある。右の道は山道になっており、安城寺方面へは行く事が出来ない。

 トラックは事前の打ち合わせ通り直進した。


「こちらトラック隊、イーグルワン応答願います」

 直ぐに返事が返ってきた。

「こちらイーグルワン。ガソリンスタンドの周りに奴らの気配はありません」

「了解、5分程で到着する予定だ」

「分かりました、待ってます」



 矢島は真っ暗な一本道を目的地めがけ、トラックを走らせ続けた。

 道はやがて緩やかな下り坂になってきた。周りの景色も門を出たばかりの時は草木しか見えなかったが、数分も走ると家がぽつりぽつりと見え始めてきている。

 矢島は急に周囲が明るくなったのを感じた。月が出たのだ。

 月明かりのおかげで目の前に路線バスが停車しているのが分かった。しかし、よく見てみると停車しているのでは無い。民家の壁に前半分がめり込んでいたのだ。

 まるでこの世の終わりである。

 いや、実際もうこの世は終わっているのだから。

 矢島は母の事を思い出した。矢島の母は70歳になったばかりで、いつも笑顔の優しい母親であった。

 だが、矢島の母は壮絶な死を遂げる。なんと矢島自身が殺してしまったのだ。

 正確には"見殺しにした"と言った方が正しい。

 あれは半年前の事だった。未だ人々が普通に生活し、"奴ら"の存在が明るみに出ていなかった時期だ。







 その日、矢島は農協の仕事を終え、いつも通り家に帰った。


 いつもなら「おかえり」と声が聞こえてくる筈だが、その日は違っていた。

 リビングには電気もついていない。

 矢島は不思議に思いながらリビングの電気をつけた。すると壁一面に血のような物が跳ねた後がびっしりと付いていたのだ。

 血の痕を辿り、そのま視線を下ろすと目の前のソファに血だらけになって倒れた母の姿が。

「母さん!」

 駆け寄ろうとした瞬間だ。愛犬のジローが飛びかかってきた。

 遊んでほしいのでは無いようだ。

 明らかに攻撃的なうなり声を上げている。5年も飼育してきたが今までこんな奇怪な鳴き方をした事は無かった。

 よく見ると、目は赤色に変色し、血混じりの唾液を垂らしているようだ。

 矢島は目の前にあったフライパンを取り、間一髪で襲ってくるジローを思いっきり吹っ飛ばした。

 フライパンからは豪快に作りかけのエビピラフが飛び散る。

 ジローが気絶した事を確かめると矢島は直ぐに母親のもとへ駆け寄った。

 しかし、首から血をダラダラ垂らした母親にどうする事も出来ない。

 彼は玄関を飛び出し、震える手でタバコに火をつけ、心を平静に保つ努力をした。そして、携帯を取り出し119をダイヤルした。

 女性の声で「火事ですか?救急ですか?」と電話越しに救急隊員が声をかけてくる。

「あの、救急です」

「どんな状況ですか?」

「母親が犬に噛まれて、血だらけなんです。助けてください」

「分かりました、直ぐに向かいますので住所をお願いします」

 矢島は住所を救急隊員に伝えた。そして玄関に座り込んでしまった。

 しばらくして遠くから救急車の音が近づいてくるのが聞こえた。



 矢島は母と共に救急車に乗り込んだ。

「助かりますか?」

「ひどい出血ですからね」と20代前半くらいの女性隊員が答える。

「お願いします」

 矢島は隊員に深くお辞儀をした。

 救急車には、矢島と矢島の母、女性隊員、男性の隊員、そして運転手の男性隊員で計5人が乗車している。

 運転手の男性隊員がスイッチを押すとサイレンがなり始めた。よく聞くあのサイレンだ。

 救急車は、サイレンを鳴らしながら病院へと向かった。

「うっうっ」

 車が発進してから間もなく、血だらけの母がわずかながら声を上げた。

 隊員二人は顔を見合わせる。

「母さん、大丈夫?」

「矢島さん、恐らくお母様は亡くなっておられます」女性隊員のが残念そうに矢島に話す。

「だけど今…」首を傾げる矢島。

 不思議そうな顔をしている矢島を見て、男性隊員が説明を始めた。

「ここで正式な判断は出来ないのですが、この出血量もそうですし、心肺も停止しています」

 その時、また「うっぅ」と母が声を上げた。

「そんなバカな!」

 女性隊員が急いで脈をはかり、同時に男性隊員の方は胸に耳をあてた。

 信じられない事が起こった。

 なんと、その瞬間、死んでいる筈の母がいきなり動き出したかと思えば、胸に耳をあてていた男性隊員の首に噛みついたのだ。

「たすけてくれ!」

 首を噛まれた男性隊員が叫ぶ。

 男性隊員は首を必死に押さえているが、噛まれた傷からはシャワーの様に血が噴きだしている。 後ろでとんでもない事が起きている。運転手はそう感じたのだろう。



 叫ぶ隊員の声を聞いた運転手が「どうした?」と振り返る。

 だが、振り返ると彼が予想したどんな事よりも酷い惨事がそこにあった。

 血まみれの首をを押さえた隊員と暴れ回る女。 彼には理解が出来なかった。当然である。矢島や後ろに乗って現場を目撃していた女性隊員ですら理解ができていないのだから。


 彼に判るのは自分の仲間である隊員が首から大量の血を吹き出している事と女が暴れている事だけだろう。 しかし、理由が判らない。


 "何故、仲間が血を流しているのか?"

 後ろの惨事に気をとられていた運転手はふと我にかえった。

 そして前を見た。

 だが、彼はまたしても驚く事となる。

 目の前に迫る巨大な塊。

 そう、運転を忘れていた間に車間距離が狭まり、前の車にぶつかりそうになっていたのだ。

「あぶない!」

 彼は、ブレーキと同時に反射的にハンドルを右に切る。

 目の前に何かが迫っている時、基本的には避けようとするが、車の場合そう簡単にはいかない。 ハンドルを切りながブレーキを踏むとグリップが失われ、車は前輪を右に切ったまま真っ直ぐに滑る。 普通の運転ではさほど問題は無いものの彼の場合、思いっきりブレーキを踏みハンドルを切ってしまったのが悪かった。

 動きとしては、雨の日に自転車でマンホール上でブレーキをかけ滑って転ぶのによく似ている。 案の定、救急車はグリップを失い滑りながら右に回転し前方の車に衝突した。

 しかも、追突した衝撃で、救急車は前半分を対向車線に頭を付きだしたような状態になって停車している。

 次の瞬間、そこにタンクローリーが追突。一瞬にして運転席がもぎ取られていった。

 そして、ガソリンを満載したタンクローリーは衝突の衝撃で方向を失い、そのまま八階建ての雑居ビルの柱に突撃した。

 一方、前半分が無くなった救急車はスピンを繰り返した。

 とうとう遠心力に耐えられなくなったのか、救急車は横転しガードレールにぶつかりやがて停止した。

 どれくらいの時間が経ったのだろうか。横転した後ろ半分だけの救急車の中で矢島は目を醒ました。


"なにが起きたんだ"


 横を見ると、首をやられた男性隊員が横たわっているが、どうやら死んでいるらしい。全く動きが無い。

 だが、もう一人は無事のようだ。

「大丈夫ですか?」

女性隊員は手を矢島に差し出した。

「ええ、なんとか」

「早く、ここを出ましょう」


 タンクローリーの衝突により柱が壊されたビルが足場を失い轟音と共に矢島達の方へ覆い被さろうとしているのだ。

「見て!ビルが倒れてくるわ!」

 しかし、矢島は事故の衝撃で足を打撲しており、とても走れるような状態では無かった。

「私に構わず、早く、逃げてください」

「駄目、アナタも一緒に逃げるのよ」


 女性隊員は矢島の腕をつかんで引っ張れるだけ引っ張った。

 間一髪。雑居ビルは瓦礫を撒き散らしながら救急車を一瞬で呑み込んでしまった。

 矢島を掴み引っ張り続ける隊員。

 ビルの周囲に張り巡らされた電線から火花が上がり、潰れたタンクローリーからは液体が噴出している。これほど危険な状態は無い。

「大変よ!伏せてっ!」

 "間違いない、あれは燃料だ"と矢島は確信した。

 矢島に覆い被さる女性隊員。

 火花は溢れ出した燃料を餌にし、タンクローリーの方へと燃え広がり始めた。

 そして、とうとうタンクローリーに引火。


 爆発は相当な物だった。

 タンクローリーは爆発の衝撃で瓦礫を押し上げながら炎と燃料を撒き散らし飛び上がった。

 仮に母と男性隊員が生車内で生きていたとしてもこれでは助かる見込みは無いだろう。

 燃え上がるビルを見て、矢島は再び女性隊員にお礼を言った。

「ありがとう。えっと…」

「良子、堀部良子ほりべりょうこよ」

「助けてくれて、ありがとう堀部さん」

「仕事ですから」と微笑む良子。

 矢島は再び目の前に広がる大惨事を見つめた。



 そう、これが矢島と堀部良子の出会いだった。

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