5話「廊下に逃避」
いよいよ主人公の本領発揮。
彼が彼たる由縁。
麻桐が生徒会に出し物と舞台使用の申請をしに行った後も、教室はざわめいていた。
「一時はどうなるかと思ったけど、西条さんのおかげで何とかなりそうだよな」
「ああ。
あのまま何も決まらなかったら寒い文化祭になるところだったぜ」
男子が口々に西条さんの功績を讃えていた。
彼らの会話には西条さんの名前しか挙がることはなく、僕の名前は一言も出ない。
ほっとした。
賞賛が欲しかったわけではない。僕のせいで話がこじれたと言われたらと不安だったのだ。
でも杞憂だったようだ。僕は根本的に空気として扱われているのだから。
「意外だったよ。天色君が参加するなんて」
……。
安心した矢先に話題に上ってしまった!
やっぱり目立つ行動はするべきじゃなかった。案なんて無いって言えばよかったんだ。いや、そもそもの話、教室になんて来なければよかった。
「いつもは屋上で寝ているか、保健室で寝ているか、図書館で寝ているかなのに」
そこまで知られていたなんて。
案外僕ってば有名人?
そんなわけないか。
「そんなに寝てばかりいて、夜更かしさんなのかな?」
さっきから一人だけが僕の話をしているようだ。
そんなに話題に困窮しているのか。わざわざ僕を選ぶなんて奇特としか言いようがない。
あるいは僕のファンという線もある。
「ねぇ、どうしてなのかな?」
ま、僕のファンになる人間が居るわけもなく。今回たまたま話題に上った僕をいじって、この話題にも飽きたら違う話題で盛り上がる。一時の暇つぶしのネタにされる身にもなってほしい。
「ねぇ、天色君ってば」
「え……?」
名前を呼ばれ、思わず顔を上げてしまった。
「あ、ようやく反応してくれた」
「わっ!」
目の前に顔があったため大きくのけぞってしまった。
どうやらこの子は僕に話しかけていたらしい。しかも席が僕の前だ。
端から見たら、僕がずっと無視していた形になっていたのだろう。
「反応してくれるのはいいけれど、そこまで大げさなのはお願いしてないよ」
言いながら、その子は首を傾げ、眼鏡のずれを直した。
どこか演技掛かった所作である。
造り物めいたと言うほどではないが、動き方がどこかわざとらしい。
「……」
「んふふ、どうかしたのかな?
そんなに私に…ううん、誰かに話しかけられるのが意外だった?」
「えっ、と……」
口ごもる僕。その間にその子は僕がのけぞった分、体を乗り出してきた。
「え、ちょ」
「儚居ハカナ」
「え?」
「私の名前だよ。
人の夢の居所は儚いってね」
何を言っているのかわからなかった。
「なんでこんなことを言うかって思ってるね」
僕の表情から読みとったのだろう。儚居さんは人差し指を自分の口元に当て、
「だって、天色君て私が誰かわからないでしょ?」
その通りだった。
儚居さんだけじゃない。僕はこのクラスの人間で麻桐以外の人間を覚えていない。
西条さんのことだってついさっきまで忘れていたくらいだ。
「ごめん……」
「別に責めているわけじゃないよ。ただ単純に確認しただけだから」
「……」
「それに、大切な人間だけ覚えておければ十分なわけだしね。
彪ちゃんとか、彪ちゃんとか、あと彪ちゃんとか」
「……いや、別に麻桐が大切だから覚えているわけじゃないけど」
あいつは毎日毎日しつこく話しかけてくるから嫌でも覚えてしまっただけだ。
「んふふー。
またまたー、そうやってとぼけて。もう、照れ屋さんだね」
「違う。
勘違いしないでよ」
「あれ、違うの?
てっきり二人が同時に居なくなるのはエッチなことしに行ってるからだと思ってたけど」
「その勘違いは訴訟物だ!」
何をいきなり言い出しているんだこいつは。まさか他の奴らも同じような想像をしているんじゃないだろうな。
「そっかそっか、残念。
彪ちゃんも天色と仲良くなったら幸せになると思ってたのになー」
何か引っかかる言い方だった。
いや、それよりも。
「僕と麻桐は別になんでもないよ。
あいつは真面目なクラスの委員長で、僕はただの不真面目な野郎。
何かあるわけがない」
そもそも僕みたいな奴と何かあるなんて思われたら麻桐に対しても失礼だろうし、色々と迷惑がかかる。
「天色君てさぁ、他人に気を使いすぎてるよね」
儚居さんはまだ僕なんかと話をしたいらしい。よほど暇なのだろうか。
「しかも違う方向に気を使っちゃう。被害妄想というよりは加害妄想ってやつだね」
先ほどから僕を見透かした様な言い方をする。それに、ただのクラスメイト相手にそこまでずけずけと言える精神がわからない。いや、別に腹を立てたわけではないのだけれど。
「被害妄想も加害妄想も関係ないよ。事実として僕はこのクラスの邪魔者だから」
あまりこういうことを他人に言ったことはない。改めて言うことではなかったし、面と向かって肯定されても傷つくから。
少し当てつけがましい僕の言い方にも、儚居さんは気分を害した感じはしなかった。
ただし、僕のことだ、本当は儚居さんは怒り心頭状態で今にも僕のことをはり倒そうとしているけどわかっていない可能性もある。
「それが加害妄想なんだよ。
今だって私に対して気を使ってる」
「……」
何も言い返せなかった。
「確かに、天色君はクラスにとって居ても居なくてもあまり変わらない存在ではあるよ」
「……」
「でもね、邪魔者なんかじゃないんだから。もっと堂々と教室に居ていいんだよ」
儚居さんの言うことは難しかった。
……言っている意味がわからないとかだったら僕はアホキャラとして大成できるのだろうけど、あいにくとそこまで面白い設定は付与されていない。
僕の言う難しいとは、儚居さんの言う様に堂々とするということに対してである。。
言うは簡単でも、僕にとっては難しいことこの上ない。
「気を使ってくれるのはありがたいけど、やっぱりそこまで厚顔無恥に生きることはできないよ」
儚居さんは優しい。麻桐のことを彪ちゃんと呼ぶくらいだから、きっと友達なのだろう。つまり麻桐同様、他人の面倒を見るタイプで、僕みたいなはぐれ者にも声を掛けてくれる人格者というわけだ。
儚居さんの言葉は優しい嘘だ。だから僕にはそれを鵜呑みにすることはできない。
彼女の優しさだけを真摯に受け止めることにした。
まったく、類は友を呼ぶと言うが、僕の周りには善人が多くて困る。こういう人間の近くに居ると、なんだか僕という存在がひどくちっぽけに感じられてしまう。もっと助けを必要としている人が居るはずだ。僕ではなくそういう人に幸せを与えるべきだ。
「また自虐的なこと言っちゃってるね」
「自虐じゃないよ。
ただ儚居さんは良い人すぎるから僕にはもったいないって話」
「もったいない?」
「付き合うにはってこと」
「……大胆発言をされつつ私ってば振られちゃった?」
「いや、そっち系じゃなくて。
純粋に人付き合いという意味で、儚居さんは僕と関わるべきじゃないよ」
麻桐は僕に構うせいで委員長の仕事に支障を来しているみたいだし、その友人である儚居さんまで巻き込んでは申し訳ない。
ここは犠牲者を出さないためにも拒絶しておくべきだ。
「……天色君てさ」
「うん?」
「他の人にも今みたいなこと言ってたりする?」
「他の人?
う~ん、会話自体そもそもしないからそんなにはないけど。
たまに儚居さんみたいにこっそり話しかけてくれる人は居たから。僕と関わりがあるとバレたら悪いし、そういう時は似たようなことは言ってたと思う」
だいたい放課後や昼休みの時間に話しかけてくることが多い。
決まって僕が一人の時にやって来る。そして人気のない場所に移動して、そこで会話がはじまるのだ。
誰もが似たような内容のことを言うのでいつからかテンプレ化してしまった拒絶の言葉を告げると、やはり決まって泣かれてしまうのだった。
いくら僕でも泣かれるほど同情されたら逆に傷つくのだけれど。まあ、他人の善意を蔑ろにした罰として甘んじて受け入れている。
「その人達に言ったこと、彪ちゃんにも言ったの?」
「え? 麻桐に?」
「答えて欲しいな」
ちょっと儚居さんの声のトーンが変わった気がする。
上目遣いで僕の目をのぞき込む。まるで問いつめるかのように。
「いや、そう言えば麻桐には言ったことなかな。
言っても聞かなそうだし、そもそもあいつに気を使うのも面倒だ」
僕は麻桐に気を使ったことはない。理由は何となくで納得してほしいところだ。
こう言うとひどく失礼に聞こえるのでもう少し説明すると、麻桐に対しては僕はナチュラルで居られるのだった。だから厄介と感じつつも、拒絶して距離を開けようとは思わない。
本当ならば麻桐にも言っておかなければならないはずなのに、だ。でも、なぜか今まで言えずに来てしまった。
「ふぅん……そっかそっか、よかった」
「え? よかった?」
てっきり怒られるかと思っていた。麻桐にだけ忠告をしないとは何事か、と。
「うん。よかった。
もし、天色君が彪ちゃんに他の人に言ったようなこと言ってたら……私は天色君を軽蔑してただろうから」
「……」
「天色君のこと嫌いにならずに済んでよかった。
他の人達はご愁傷様って感じかな?」
ううむ、やっぱり儚居さんが言うことは難しかった。
今度は意味がわからないという意味で。
僕はアホの子なのかも知れない。
「天色君が彪ちゃんを大事にしてくれていて安心安心」
「別に大事にしてるわけじゃないけど。どうしてそう繋がるかな」
「だって、天色君は彪ちゃんが困っている時に助けてくれたでしょ。
私は表舞台に立てないからああいう場面で助けられる天色君が羨ましいよ」
助けた?
いつ? 誰が?
「……」
「自覚がないのかな?
無いなら無いでナチュラルにできてるってことだし、凄いことだよ」
「……」
なんだか儚居さんが僕を褒めているように聞こえる。
いやいや、そんなわけないか。ここで、こいつ実は僕を褒めているんじゃね? とか、そういう勘違いはイタいやつがすることだ。
だいたい他人に褒められるとか、ゲームやアニメじゃあるまいし。現実に起こり得るわけがないじゃないか。
ここは冷静に言葉の裏を読むべきである。
儚居さんは何か僕に注意したのだ。
それが何かはわからないけれど。
「……えっと、つまり僕はどうすればいいのかな?」
わからないので訊いてみた。
「天色君は天色君のやりたいようにやればいいってことかな」
儚居さんはそう言って、また眼鏡を直すのだった。
僕のやりたいようにやる。それはつまり、今まで通りということだ。
ということは、儚居さんは僕に、今まで通り目立たずに居るように言ったのか。
ようやく得心がいった。
僕が身の程知らずにも学級会で発言したことを儚居さんは注意してくれたのだ。
やはりあれはいけないことだったんだな。それを責めることなく、それとなく注意だけしてくれるなんて、儚居さんは本当に良い人だ。
きちんとお礼を言わないといけない。わざわざお礼を言って煙たがられる可能性もあるけれど、礼節を弁えて損はないはずだ。
「儚居さんは良い人だ。ありがとう」
「ううん。お礼なんていいよ」
お礼を言うと、儚居さんはそんな風に言ってくれた。よかった、嫌われてはいなかったみたいだ。
「これからは儚居さんの言う通り出しゃばらず静かに教室に居ることにするよ」
「……」
儚居さんが黙り込む。
「……儚居さん?」
「天色君は、私が伝えたかったことを1%も理解していなかったんだね……ううん、1%どころかマイナス400%って感じ」
「え……?」
僕は何か大きな勘違いをしているらしい。
なんだろう、何を間違えたんだ。
「天色君は出しゃばらずに静かにしているって言ったけど、私が言いたかったのはそういうことじゃないんだよ。
静かにしているだけじゃだめなんだよ」
「え、だめ? だめ、なの?」
衝撃の事実だった。
静かにしているだけでは足りなかった。
「私が天色君に伝えたかったこと、もう一度よく考えてみて」
儚居さんは僕に考えろと言うけれど、静かにしているというのだって精一杯の努力なんだ。
これ以上どうしろって言うんだろう。
「静かにするとか、出しゃばるとかじゃなくてね、もっと天色君にはやってほしいことがあるんだよ」
僕にやってほしいこと。「静かに出しゃばらず教室に居る」という言葉の中で、静かにと出しゃばらずが関係ないとなると。
「あ……」
「よく考えた?」
気づいた。
もう一度考えたら簡単に答えが出てしまった。
儚居さんが僕に伝えたかったことを理解した。
つまり、教室に居るということがそもそも間違いだったんだ!
「……」
気づいてしまえば実に簡単な答えだった。こんな当たり前なことに今まで気づかなかったなんて、どれだけ僕は馬鹿なんだ。
ずっと儚居さんは教えてくれていた。なのに僕は愚かにも明後日の方向に理解していしまった。
恥ずかしい。自信満々に見当違いな答えを言った。儚居さんにはさぞや滑稽に映ったことだろう。
「儚居さーん、ちょっとお願いがあるんだけど、来てくれない?」
居たたまれなくなり、僕が立ち上がろうとすると、クラスの女子が儚居さんを呼んだ。
「はいはーい」
席を立つ儚居さん。
と言うかずっと顔を突き合わせっぱなしだった……。
「じゃ、天色君。
私が言ったこと、ちゃんと考えておいてね。それから彪ちゃんのことよろしくね」
それだけ言い残し、儚居さんは行ってしまった。
「……」
一人取り残される僕。
でもこれがいつも通りだ。
居たたまれなくなって席を立つ。
そうか、これ以上ここに居ちゃいけないんだ。今までは、空気として存在すれば許されると思っていたけれど、それではまだ足りなかったんだ。
儚居さんには嫌な役をさせてしまった。きっとクラスの総意を僕に伝えてくれたのだろうけど、嫌な奴相手にでもこういうことを告げるのは大変だっただろう。
あーあ、どうして学級会になんて参加してしまったのだろう。どうして意見など言ってしまったのだろう。
悔やんでも悔やみきれない。
致命傷だ。
すぐに廊下へと向かう。
「あれ、天色君どこか行くの?」
と、そこで西条さんに呼び止められた。