1話「屋上で日焼け」
この作品はフィクションであり、実在する、人物・地名・団体とは一切関係ありません。
そしてボーイズラブもありません。
僕が自分のことを僕と意識し出した時、最初に目に映った物は四角い青空だった。
意識を持った時に空を見たのではなく、それまでずっと僕は空を見ていたのだ。
何故かそのことを知っていた。
僕が僕になる前の僕は空が好きだったのだろうか。
それともこの透き通るような空の色に心惹かれていたのだろうか。今となっては分からない。
分からないけれど、分からないままに僕は空を眺めるのが好きになった。
いや、好きになったと言うのは少し違うのだろう。
僕は──そう、この青空を求めるようになった。
◇◆◇
空は何故青いのだろう。
現代人に訊けば、「太陽光が大気圏内に入る時の角度の差から」とか言うんだろうけどね。
昔の人は何と答えるのだろうか。
そんな心底どうでもいいことを、僕、天色遊は考えていた。
「アヅぃ……」
真夏の昼下がりに校舎の屋上でそんなことを言う僕はきっとアホなのだろう。
今日の気温は39度。湿度は66%。完全に真夏日だ。そんな中直射日光を浴びることを厭わず僕はこんな所に居るのだった。
「誰だ、今日は曇りになるって言った奴は」
昨夜の天気予報では涼しくなると言っていたんだけどな。
それを信じて昼寝をしようとした僕の計画は完全に失敗していた。
それでも僕がこうして屋上に居続けるのは、僕が真性のマゾだからでも日焼けがしたいからでもない。
単なる意地だった。
「これは自然と僕の一騎討ちだ」
誰が居るわけでもないのに、自己満足にそう呟くと、僕は目を閉じた。
視覚情報を殺すことで他の感覚が鋭くなると言うけど、なるほど、確かに今まで気にも留めずにいた情報が入り込んでくる。
学園中が騒がしい。今僕の寝ている屋上は学園の中心に位置するとあって、敷地内のいたる所から声や音が聞こえる。
「もうすぐ学園祭か」
楽しかった夏休みが終わって早数日、また退屈なだけの学園生活が戻って来たため生徒達のテンションも下がる……前に、今度は学園祭という遊ぶ行事がやって来たとあって生徒達のテンションはまた上がっていた。
夏休みボケした生徒達を早く学業に復帰させるためとは学園側の言であるが、生徒にとっては夏休みが延びたという感じでしかない。
そんな中でも僕は重症の様で、学園祭の準備にすら参加していなかった。
別に馴れ合いが嫌いだとか、かったるいだとか、そんなどこかのクールor怠惰キャラを気取っているわけじゃない。
ただ、単に面倒なだけ。
十分終わっているとは思うけど、こればっかりは仕方がない。「どうせ僕が居なくたって」というやつだ
「ダメだ、熱い──いや暑い。
コンクリは熱い!」
意図的に暑さから意識を外して自然の脅威に勝とうとした僕の作戦は大失敗に終わった。これっぽっちも勝てる気がしない。自然は偉大だ。人間はちっぽけだ。
だがここで屈するわけにはいかなかった。ここで逃げたら僕は……。
「あー、無理。これは無理。
大自然相手に人間は為す術がないんだよね」
ヘタレの謗りを受けようが構うものか。このままでは命に関わる。
何か飲んで水分補給でもしよう。
そうと決まればジリジリと今この瞬間にもメラニン色素を破壊し続ける日差しとおさらばしよう。寝転がっていたコンクリートの地面から上半身を持ち上げる。
キ──バタンッ!
そんな僕の考えを見越したようなタイミングで屋上の扉が開いた。
この時間に屋上に来る人間は少ない。
そもそも屋上は立ち入り禁止なので良い子ちゃん揃いのここの生徒が来ることはない。
僕は例外だ。品行方正な生徒というカテゴリからはかけ離れている。
そして、僕以外にここに来た奴もまた例外だった。
扉を潜り金髪ショートの少女が現れる。
僕が屋上に居るのを見ると、その少女は不機嫌そうに眉を寄せて、
「やはりここに居たのか」
表情同様に不機嫌な声で言った。
「やはり」──そう言ったということは、少なくとも少女は僕がここに居ると見越して屋上へとやって来たわけだ。
さすが麻桐彪。僕の行き先などお見通しというというわけだ。
「学級委員が授業をサボっていいのか?
それとも今から不良デビューって言うならお勧めはしない」
高校一年で不良になる。何とも遅い高校デビューだ。
まあ、麻桐髪を金髪にしているが不良ではない。そもそもあの髪は地毛である。
よく見ると瞳も真っ青だ。カラーコンタクトでは出せない天然の青色。
麻桐は日本人とどこかの国のハーフなのだそうだ。
「不良になるつもりはない」
僕の軽口に大真面目な顔をして麻桐は答えた。
あまりに真顔なので少し笑ってしまった。
「なんだ? 何がおかしい」
「いや、ただの思い出し笑いだよ」
演技なのか天然なのか。麻桐は時折間抜けな発言をする。
「で、不良になるつもりがないのなら何しに来たんだ?
ここは一般生徒の立ち入りは禁止だぞ」
僕が言うと、麻桐はまたも不機嫌そうに眉を寄せた。こいつは感情が顔に出やすい。唯一家族以外の相手の感情を表情から読み取れるのも麻桐だけだ。
「そんなことはわかっている。私はお前を連れ戻しに来た」
「連れ戻しに? どこへ?」
「教室に決まっているだろう。今はまだ終業時間じゃない」
なるほど、さすが学級委員。授業をサボった僕を連れ戻しに来たというわけか。
ケータイをポケットから出して時刻を確認する。
午後一時十五分ちょっと。今更授業に戻っても遅刻どころか欠席扱いになる時間だ。
溜め息を吐いて扉の前から動こうとしない麻桐へと手を振った。
「悪いけどパス。今から行っても欠席扱いだ」
そう言って僕はまたアスファルトの上へと寝転がった。
飲み物を買いに屋内へ入ればそのまま教室へと連行されそうだったからだ。
役割だから呼びに来た麻桐も僕がこうして動く気配がなければ諦めて帰るだろう。そして教師に「呼んだが来る気配がなかった」と言って任務終了だ。
麻桐は役目を果たす。
僕は日焼けをする。
何か引っかかるがそれで良いはずだ。僕が決めたのだからそれでいいはずだ。
「そうはいかない」
しかし、麻桐はそれで納得できなかったらしい。
その証拠に、麻桐はそれまで願として動こうとしなかった扉の前から移動し、まっすぐに僕の所へとやってくるとその横へと腰を下ろした。
まさか手を振ったのをこちらへ呼んだと勘違いしたのだろうか?
色白のくせにこんな日差しの強い場所に来たら後で痛いんじゃないか?
そんな疑問を頭に浮かべつつ、隣に座ることで視界に大きく映った彼女の存在を意識し、つい視線を明後日の方向へと逸らす。
凝視するつもりはないが、麻桐と言えど僕に見られてら良い思いはしないだろうからね。
だがそんな僕の配慮も次の麻桐の言葉で消し飛んだ。
「お前が来なければ困る。
私にはお前が必要だ」
「……何だって?」
思わず麻桐の顔へと視線を向ける。何か凄い告白を受けたきがするのは聞き間違いかとの思いを込めて。
予想通りその先には麻桐のいつもの表情。つまり不機嫌顔があるだけだった。
やはり勘違いだったようだ。自分の耳の悪さに辟易しつつ、勘違いだったことに安心する。
それにしても、困る? 何が困ると言うのだろうか。
僕が居ようが居まいがどうでもいいはずだ。
疑問を視線に込めて麻桐を見た。
真っ直ぐに見返され少したじろぐ。
臆することなく相手の目を見られるというのは凄いことだ。お国柄だろうか?
「今日が何の日か知っているか?」
「お前の誕生日だったっけ。
プレゼントは無いが言葉だけ送るよ。おめでとう」
麻桐の視線に動揺したことがバレたくなかった僕はそんな風におどけて見せた。
「ありがとう。
言ったつもりはなかったが、よく知っていたな」
……どうやら本当に誕生日だったらしい。
しかもお礼まで言われてしまった。
と言うか、連れ戻しに来たのは誕生日パーティーに出席させるためだったのか。
クラスメイトが紙でできた三角帽子を被り歌っているところを想像して身震いする。
そんな和気藹々としたところに連れて行かれたら僕は発狂するだろう。
だが麻桐の言葉には続きがあった。
「だが今日はその話ではない。
今日は近いうちに開かれる学園祭の出し物を生徒会に提出する締切日。その前日だ」
「それこそ一般生徒である僕が知る由はないわな」
そんなもの把握しているのは学級委員である麻桐か学園祭に熱心な奴だけだ。
「事前に教室の掲示板に掲示していたし、昨日は連絡網が回ったはずだ」
「まったく知らないぞ。昨日の電話は痴漢からパンツ何色か訊かれたくらいだ」
ハァハァと荒い息遣いでそんなことを言われたらものだから慌てて切った。
それ以外に電話がかかってきた記憶は無い。
「男の下着の色を聞いてどうしたいのだそいつは」
「知らないよ。
……どうせ妹と僕を間違えたんだろ」
僕には二つ下の妹が居る。
だから痴漢は僕を妹と間違えて下着の色を訊いたに違いない。
いくら僕の声が高めだからといって気色悪いことをしてくれる。
「まあ、それはともかく。
連絡網は来ていなかったぞ。掲示板は……悪いが見ないことにしている」
「そうか。
連絡が行き届かなかったのは私の不手際だ。すまない」
麻桐に落ち度はないはずなのに。なのにこいつは僕なんかに謝るのだ。
それが凄く申し訳なくて……。
酷く惨めだった。
「今度からは掲示板見ることにするよ」
自分を惨めに感じたと悟られたくなかった僕はついそんなことを言うのだった。
すると、
「そうか、偉いぞ」
嫌み一つ無い笑顔で麻桐は僕を褒めるのだった。
出会った当初から、こいつは真っ向から僕の相手をして来る。拒絶するのも馬鹿らしいほどに純粋に裏表なく。
どうしてこいつが僕に構うのかは正直よくわからない。学級委員の仕事と言ってしまえばそれまでだけど。
ああ、そんなことよりもいつの間にか僕が教室に戻る空気になっているぞ。そこは訂正しておかねば。
「てかさ、マジで僕なんか居なくても出し物くらい決まるだろ?
僕の意見なんて誰も聞かないだろうし。
僕が居る方が纏まる物も纏まらないんじゃないのか?」
サボる口実とかではなく、実際にそういう考えがあった。
別に輪を乱すってわけじゃないけど、何となく自分はクラスに必要とされていないのではないか。そんな風に思う事があった。
クラス(何人居るかも知らない)でも特に目立つわけでもなく、ただ居るだけの僕が何かの役に立つとは到底思えない。
むしろ居るだけで迷惑をかける確率の方が高いのではないだろうか。
「何故そのような卑屈な態度をとる?
お前はクラスに受け入れられている。お前を待つ者が居る」
「それはまた、誇大妄想も甚だしいぞ、麻桐。
いったいどこのどいつが僕を待っているって言うんだ。
僕を受け入れる? 冗談も過ぎれば悪口だぞ」
麻桐の言葉に反射的に否定する。
事実、僕に話しかける酔狂な奴は現在皆無と言えよう。
妹達以外で僕に関わろうとする人間は存在しない。唯一構ってくるのが麻桐だが、その麻桐だってクラス委員だからという言わば義務感から僕に構っているに過ぎない。
つまりそこに麻桐の心は存在しない。
「いいか、麻桐。
この世には三通りの人間が居る。
どうでもよくない奴と、どうでもいい奴と、邪魔な奴だ。
皆にとって僕はどうでもいい奴か邪魔な奴の二通りしか当てはめることができないキャラってわけなんだよ。
わかるか? そういう奴が教室に居るってことがどれだけ皆の迷惑になるか」
それに、本来ならば今は学級会をしている時間である。それなのにクラス委員の麻桐が欠席していては現在進行形でクラスに迷惑が掛かっていることだろう。
それが僕の所為だとなれば誰に恨まれないとも限らない。
0に限り無く近い値になった好感度がマイナス値に突入しかねない事態だ。今更他人の好感度を気にする僕でもないけどさ。
そう思うとこんなクソ暑いコンクリートジャングルの中、色素の薄い麻桐がわざわざ僕に付き合うのも非生産的な話しと言えよう。
昨今廃れてしまったレディファーストの精神も本場モノホンの麻桐相手にはギリギリ適用可能な概念だ。
まあ、僕が女性を優遇するかどうかは別の話しだが。
それでも一般常識としてこのままここに居続けても麻桐が将来シミに悩んだ際、その原因を僕に求めて数十年越しの恨みを晴らすために刺されても困るわけで……。
「……本気で言っているのか?」
と、かなり思考を脱線させた僕の意識を麻桐の押し殺したような声が引き戻す。
これまで不機嫌ながらも冷静に僕の話しを聞いていた麻桐に睨みつけられ一瞬息をのむ。
僕の言った言葉の何かが。もしくはその全てが彼女の怒りを買ったのだろう。
正直いつもの僕ならばすぐにでも『ごめんなさい』をしていたことだろう。そうせざるを得ない空気がこの場を支配している。
しかし、こればかりは僕の本心で根幹に関わる事柄だ。譲るわけにはいかない。
だから真っ直ぐに麻桐を見詰め言うのだった。
「本気も何も、事実だろ」
「っ……お前は!」
その言葉に麻桐は怒りを露わにして立ち上がる。
これは殴られるかも知れない。
「お前は……」
だが麻桐は何かに耐える様に震えるだけで何もしてこない。両の拳が色の変わる程キツく握り締められている。
あーあ、ただでさえ色白なのだから、あんなことしたら跡がしばらく残るんじゃないか?
と、僕はこんな時でもどこか冷めた目で麻桐を眺めるのだった。
「……お前は……嫌な奴だ」
「……」
結局、麻桐はそれだけを呟いた。
僕はそれに対し何も応えない。
それに応える言葉を僕は持ち合わせていないから。
◇◆◇
「……戻る」
やがて、落ち着きを取り戻したのか、いつもの不機嫌顔に戻った麻桐はそれだけ言うと僕に背を向けて屋上から出て行ってしまった。
いや、屋内に入るのだから入って行ってしまったが正しいか。
「嫌な奴、ね」
麻桐に言われた言葉。
それは麻桐が本来言いたかった言葉の何分の一の気持ちが込められた台詞なのだろうか。
どれだけ削られ、どれだけオブラートに包まれて、もはや原型すらわからなくなった想いなのだろうか。
僕はそれが判らない。
僕はそれを解れないから。
でもひとつだけ確かなことがある。
麻桐の言葉を額面通り、それこそ何の裏も無く受け取ったとしよう。
その場合にのみ、僕は彼女に応える言葉を持っていた。
「知ってるよ」
ここまでお読み下さりありがとございました。
拙い文章ではありますが、この先勉強して読みやすい物にしていく所存です。