一人目 雨空を肴に
無骨なグラスの中でわずかに色のついた液体がゆらゆらと揺れている。
口をつければ日本酒独特の香りが鼻に抜け、じんわりと頭を痺れさせてくる。酔っ払う程グビグビと飲むつもりは全くないが、こうして雨空の下で飲むのもまたオツだった。
軒から滴り落ちる大粒の雨水がリズムを奏でる。その向こうで降りしきる雨のホワイトノイズと相まって非常に心地が良かった。
「機嫌いいみたいじゃない」
「そうか?」
「ええ。頬が緩んでるわよ?」
だとすればきっと酒のせいだろう。旨い酒を選んでよかった。
グラスをひと回しするとまた一口含んだ。
「そんなに美味しいものなの?」
「どうだろうな。人によるところもあるから」
ビール然りウイスキー然り。ハマる人はとことんハマるが、合わなければ見向きもしない。
嗜好品なのだから当然ともいえるが、昨今のハラスメント事情も相まって触れたがらないというのが大きいとも思えた。
「私もいつか飲むようになるのかしら?」
「飲むか飲まないかはさておき、飲めるか飲めないかは知っておいたほうがいいと思うよ」
歓迎会と称して飲ませるような文化はもはや絶滅危惧種だが、それでも限界があることはわかっておいたほうがいい。
あとは、どんな酔い方をするかだろう。
「まるで年寄りの説教みたいね」
「年寄りかぁ。そう見られても仕方ないのか……?」
よく言われていることだしアドバイスくらいのつもりだったんだけどなぁ、と思わず嘆息する。
そんなに年寄り臭い行動だっただろうか。
「私は別にいいけれど、そう思う人もいるでしょう?」
「そうか……気をつけるよ」
少しばかり不貞腐れていることを理解しながらグラスを傾けた。雨とは違った色をした液体がゆらゆらとグラスの中で揺れる。
液面に映る自分の顔が、今日はどこか疲れているように見える気がした。
「……元気ないじゃない?」
「そんなことないんだけどな」
どういうわけかここ数日、仕事があまり忙しくなかった。以前と比べると暇と言って差し支えないほどだ。
だからいつも取れていない疲れはともかくとして、元気がない、なんてことはないはずだ。
「……本人がそう言うならいいけれど」
彼女のつぶやきは雨音に溶けて消えた。俺はグラスを眺めながら聞こえなかったことにした。
どこか納得がいっていないような声も聞こえなければただの独り言だ。
だから今はあれだけ嫌いに思っていた雨に感謝した。
今日はこのくらいにしておこうと思いながらグラスに半分ほど日本酒を追加する。
トクトクと音を立てて独特の香りをさせる酒が頭をジーンと痺れさせる。
それもまた心地よかった。
「雨が肴っていうのもいいもんだな」
「気に入ってもらえて嬉しいけれど、いつまで飲むつもりなのかしら」
「うーん……今日はこれで終わりにするよ」
ストレートで飲んでいるので結構な酔いが回ってきている。明日に残さないためにもそろそろやめるべきなのだろう。
「……結構グラスにあるけれど?」
「このくらいいいだろ? 入れちゃったし」
「呆れるわね……酔って変な絡み方しないでね」
「……気をつけるよ」
まだ頭はモヤこそかかっているがはっきりしている、と思う。
それにもともと一人酒なのだから話しかけられない限り飲んだくれているだけだ。
それがいいとはあまり思わないが。
言葉が途切れたところを狙ってグラスに口をつける。先程までに比べて少なめを含んだ。
今日はこれで終わりにすると決めたのだから、少しでも長く味わっていたい。
彼女は興味を失ったかのようにこちらにそっぽを向けた。
あとはもう雨音が満ちただけの空間。
(……こういう酒もいいな)
会社の飲み会では絶対にないであろう穏やかさがここにはあった。
静かで落ち着いた酒を飲むなんて少し前まで考えられなかった。
ここに来られてよかったかもしれない。
初めてそんなことを思いながらまたグラスを傾けた。
――ああ、今日はいい夜だ。
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