一人目 言い訳を考えて
その日は久しぶりの曇りだった。予定より早く前線がやってきたようで、これからしばらくは雨が続くらしい。
朝の通勤時間はどうにか雨を回避できたものの、いつ本格的に降ってくるかわからない。遠くでは雷がなっていることもあり、外に出るのもあまり安全とは言えないだろう。おかげで外の用事は軒並み順延。今日はパソコンに向かうだけの日になりそうだった。
(うわ……面倒くさ……)
日課のメールチェックをしていると、【至急】と書かれた一通が目に入る。送信時刻はつい先程のようだ。おそらく気づいたのはまだ自分と数人だけだろう。
"【至急】会議のお知らせ"
ただでさえ社内にいることが確定してしまった日に厄介事になりそうなタイトルが目に飛び込んでくる。
(なになに? "本日十四時よりオンライン会議を行います。メールを受信した対象者は同時刻から開催される部長の講話への参加をお願いします。なお、その際にウェブカメラは切っていて大丈夫です。講話参加後、下記のフォームへ回答をお願いします")
どうやら厄介事というよりは面倒事のようだ。
一度メールを開いてしまったため、忙しくて見ていなかったという言い訳も使えそうにない。
今は朝一の確認と一通りメールの処理が終わって十一時を過ぎたところ。タイムリミットは一時間後だとしてどうにか逃れられないかと色々と考えてみる。しかし、外回りがなくなってしまった今日の予定はほぼ完全な空白。すぐに良案は浮かばない。
「せんぱーい。メール見たっスか?」
頭の中で必死に該当の時間を潰せる方法を考えていると後輩の声が聞こえた。声もそこまで大きくないしわざわざ指定して呼んでいるあたり、本人はコッソリのつもりかもしれない。とはいえパーティション越しに聞こえている時点で周りにも聞こえてしまっているだろう。
「なんの話だ? それよりも声を落とせ。周りの迷惑になる」
せめてもの抵抗とばかりにメールを知らないふりをする。後輩もまだなんのメールか言及していない。
「あ、申し訳ないっス。えーっとこれなんすけど」
後輩が指差す先を見ると、今の今まで見ていたものと全く同じ文字が並んでいるのが見えた。どうやら後輩にも届いていたようだ。
(そりゃそうか。仕事教えてるんだもんな……)
手がかからないため非常に優秀な後輩だが、どうも素直すぎるところがある。長所だと思うがこのときばかりは勘弁してほしかった。
「この時間、外回りなんスよね。先方から指定されちゃって」
「それじゃ参加しないのか」
恐らく先方も時間があまりないのだろう。ここなら、とずらせない予定になってしまうのはよくあることだった。
そのことに不満はないが、会議を回避できる羨ましさからどこか棘があるような声色になってしまったのはしょうがないと思いたい。気にしていないといいが。
「そうっスね。流石に先方優先です。ところで先輩、相談いいっスか?」
「? まぁ、少しだけならいいぞ」
「ありがとうございます。実はもう一人くらい話のわかりそうな人を連れてこいって言われてるんスよ」
「あー……なに? また面倒くさそうな話?」
「……多分?」
後輩曰く、互いの進捗確認と今後の予定を伝え合う場らしい。そのくらいならオンラインでもメールでも良さそうなものだが、たまには顔を突き合わせて話し合う必要もあるのだろう。
面倒が勝ってしまいそうではあるが、理解はできた。
「俺を連れて行くって言うのはまあいいけど、決済権なんてないぞ?」
話のわかりそうな人、というのは建前で、話を通してその場である程度回答できそうな人、だった場合どうしようもない。
もっとも、その言い方で決済権持ちを呼び出されるほうが甚だ遺憾ではあるが。
「そのへんは大丈夫じゃないっスか? 多分、本当に話を聞いてほしいだけだと思うんスよ。向こうは担当だけらしいので」
後輩は今日も作業服なのだから本当に気構えは必要ないのだろう。
面倒な話さえ飛び出してこないなら退屈な会議よりも幾分もマシだ。
「それならまぁいいか……とりあえず現状とか聞かせてもらうぞ?」
「もちろんっスよ。ちょっと早いですけど、昼食がてら外で話しましょうよ」
「……今日は奢らないぞ?」
「あー……バレました? まぁ今日は自分から誘いましたし、割り勘でいきましょう」
「それが普通なんだがな……」
まるで妥協しましたと言わんばかりだが、それには流石に異を唱えたい。
お互い社会人なのだから自分のものは自分で出してほしいものだ。
後輩と二人、音をたてないようにして立ち上がると机の間をかき分けて入口に向かう。
「おっと……篠崎さん、外いくの?」
「そうですよ。午後から外回りがあるんでちょっと早めにランチです。高森さんは戻ったところっスか?」
入口を出たところで入れ替わりになった後輩が捕まった。
手に持っているので内容まではわからないが、資料を持って帰ってきたところのようだ。
「そう。やっと資料見つかったよ。俺もそろそろ腹減ってきたなぁ……まだやることがあるんだけど」
「頑張ってください。その間で美味しいもの食べとくんで」
「やめてくれよ。余計に腹が減る……まぁいいか。どこかいいところ見つけたら教えてくれよ?」
「高森さん、ラーメンばっかりじゃないっスか」
「まぁな。そんじゃいってらっしゃい」
高森は苦笑を浮かべると話は終わりとばかりに自分の机に歩いていった。
若干肩を落としているようにも見える。今の会話が相当空腹に拍車をかけたようだ。
「同期にしてはあっさりしてるな」
「そんなもんじゃないっスか? それに高森さんが気に入りそうなところは知らないんスよ。好みが違うんで。それよりもどこにしましょうかね」
「あー……この前のところはどうだ? 他のメニューも試してみたいし」
「おや? 先輩も気に入ったんスか?」
後輩の言葉が弾む。小さい声ではあったが、それがはっきりとわかった。
「うまかったからな、ビーフシチュー。それなら他のも試してみたくなるのが人情だろ」
店主のこだわりなのか、よく煮込まれたビーフシチューは小洒落たレストランでもそうそうお目にかかれないだろうものだった。
それを考えれば少々財布に痛くても通いたくなっても仕方ないだろう。
「いいっスね。あそこは日替わりもやってるんで」
どうやら後輩は日替わりの気分らしい。自分は何にしようか。
エレベーターの前まで来た。ボタンを押すとランプがゆっくりとカウントアップし始める。
「この前はロースカツサンドだったっけ? あれも気になったんだよなぁ」
前回は二人してビーフシチューを頼んだので、日替わりメニューが実際にどんなものなのかは見ていなかった。ただ、喫茶店のサンドイッチが美味くないはずがない。
「サンドイッチも絶品っスよー。たまごサンドだったときは夜まで幸せになれたっス」
「俺はBLT食べたいな」
「絶対に美味しいっスよ」
そんな話をしていると空のエレベーターが到着した。二人で乗り込んで一階を押す。
「エレベーターのふわっとするやつってなかなか慣れないっスねー」
「あー、ジャンプするのとも違う感覚だもんな」
ものにもよるとは思うが、このエレベーターはあの独特の浮遊感がひどい。
先輩であるはずの自分でさえ気持ち悪いと思うのだから後輩が愚痴るのも無理はなかった。
程なくして一階にたどり着く。
昼まであまり時間がないこの時間、一階のフロアには人影がほとんどなかった。
「さて、店はどのあたりだったかな」
「こっちっスよ」
ビルの外にはどんよりとした空が広がっていた。いつ雨が降るかわからない。こんなことなら折りたたみ傘くらい持ってくるべきだっただろうか。
そんな心配をよそに後輩は迷いなく歩きだした。仕方ないので慌ててついていく。
前回も迷いなく案内してくれたからそうだとは思っていたが、この様子だと結構通っているようだ。
「先輩、道覚えるの苦手っスか?」
「この前はお前についていっただけだったからな。それほど気にしていなかったんだよ」
まさか自分からまた行きたいと口にするとは思っても見なかった。思ったよりリーズナブルだったことも大きいだろう。
誰かに話したりするつもりはないが、気分転換や自分へのご褒美にするのもいいかもしれない。
「にひひひ。なら自分の勝ちっスね。奢ってくれてもいいんスよ」
「だから今日は奢らないっての」
後輩がニンマリとした笑みを浮かべる。勝負をしていた事実はないはずだが、こうも勝ち誇った顔をされればそれはそれとして悔しい。
あまり良くないとは思いつつも頭をワシワシと乱暴に撫でることにした。
「新しく見つけた店が美味かったら奢ってやるよ。だからまたいい場所教えてくれ」
「ぎゃあー!? なにするんスか先輩! 髪が乱れるー!?」
こういう時にちゃんと冗談で済む反応をするあたりよくできた後輩だ。
だからこそ可愛がられるのだろう。
「……まったく。かわいいやつだよ、お前は」
「えっ!? な、なんスか。突然……やめてくださいよ」
「別にいいだろ? 素直な感想なんだから」
「だからやめてくださいって言ってるんスよ。恥ずかしいじゃないっスか」
後輩の歩くスピードが若干速くなる。振りきろうとまではしていないが、横に並ぶには小走りでもキツイ。
「おいおい、もう少しゆっくり進んでくれよ。店は逃げないんだから」
「い、いいじゃないっスか。早く食べたいんスよ」
「照れ隠しかー? どっちにしろこのあと同じテーブルで飯食うんだからさぁ」
「わかってるっスよ!」
そんな応酬をしている間に後輩が細い道に入り込んだ。
そういえばこんな感じの道を通ったような気がする。ということは店ももうすぐだろう。
奥の方を見れば軒下に白チョークの文字が書かれた看板が見えた。
「今日の日替わりはホットサンドみたいっスね」
「中身は何だろうな。チーズとか?」
「んーと……具材はチーズとハムでセットはサラダとコーヒーか紅茶、と」
先を行く後輩が教えてくれた。とは言ってもそろそろ自分でもはっきりと見える距離だ。
「美味そうだな。それにするか。俺はコーヒー」
「紅茶かなー?」
店の中を覗き込んで見るが、まだ席は空いているようだった。
前回来たときもそうだが昼前にも関わらず店の中はとても静かだった。
カラコロとドアベルがなる。後輩に続いてドアをくぐった。
「いらっしゃいませー。お二人様ですか?」
「二人です。テーブル席があればお願いします」
「お好きな席へどうぞ。お水をお持ちしますね」
「ありがとうございます。先輩、行くっスよ」
「ああ、わかった」
後輩が丁寧に会話する。
ちゃんとした言葉遣いもできるんだな、と思いながら後ろ手にドアを閉じた。
――カラン――コロン
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