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アメ降るホシの黎い空  作者: ペーはぁど
13/13

一人目 アメの空に吐露して

 今日も雨を肴にグラスを傾けていた。アルコールが喉を温め、胃がボッと熱を帯びる。チェイサーさえあれば完璧だろうが、あいにくと今日は手元にない。氷だけはあったのでガリガリとかじることで誤魔化していた。


 頭にぼんやりと綿のような何かが覆いかぶさる感覚。ふわふわと漂うような夢心地はとても気分がいい。



「またお酒を飲んでるの? 許したからって飲み過ぎじゃないかしら?」


「飲みすぎってほどじゃないと思うんだけどなぁ……」



 持ってきた瓶は一升瓶なので確かに小さいサイズとは言えないが、まだ半分も飲んでいない。

 ちびちびと飲むのが好きだから当然といえば当然なのだが、それでもそんなに飲んだくれているように見えるのだろうか。



「そんなに飲んでるように見えるか?」


「酔っ払った姿は見たことないけれど、状況に酔っているようには見えるわ。それとも、それはお酒のせいなのかしら」


「ああ……それは多分、酒のせいだよ」



 カラカラと笑って返すがそんな訳はない。そんな風になるほど酔っ払っちゃいない。それは自分が一番わかっている。

 ただ、酒のときくらいは許してほしい。そう思っているだけだ。



「大人っていいわね。何でもお酒のせいにできて」


「……そうでもないさ。酒のせいでも結局は自分がやったことだよ」


「あら、そうなの? 余程のことじゃなければ、お互い様って許してもらえるものだと思ってたわ」


「あー……間違っちゃいないな」



 余程のことじゃなければ許してくれる人は多いだろう。問題はそれすら許してくれない人もまれにいることくらいだろうか。


 そういう人に限って酒を勧めてくるのだからたちが悪い。

 それともこれは偏見だろうか。



「それでも失敗できないっていうだけだよ」


「面倒ね。そこまでしてお酒なんて飲みたいの?」



 鋭い質問だ。俺もそう思っていた時期がある。それは勿論二十歳になる前の話だが、あの頃の自分に言い聞かせるならなんと言うだろうか。



「仕事の席で飲むこともあるんだ。打ち上げとか慰労会とか名目は何でもいい。ただ、それこそ余程の理由が無ければ最初の一杯は飲むんだよ。同じ釜の飯食う仲ってことだろうな」


「飲むことが仕事になるの? おかしな話ね」


「ははっ……そうだな。変な話だな」



 飲み会も仕事のうち、なんて学生の頃はその意味が全くわからなかったし、わかりたくもなかった。

 正直に言えば今でもわかっている気がしない。ノミニケーションなんて言葉が囁かれるが、馬鹿馬鹿しいとしか思えない。



「それなのに飲むのね」


「面倒だと思うよ。だけどそれも仕事なんだ。身を粉にして一生懸命働いてるだけだよ」



 大人だからね。

 気取ってそんなことを嘯く。

 果たして自分はそんな頑張っている大人になれているのだろうか。



「そうやって働くといいことがあるの?」


「うまく行けば気に入ってもらえて、新しい仕事がもらえる。それでやっとお給料がもらえるんだよ」



 社会の道理なんて自分でもどうでもいい。ただ、そうすることでようやく社会にいられるのも事実だった。



「変な事を言うのね。一生懸命働くのはいいけれど、私には粉にした身をお金でつなぎとめているようにしか聞こえないわ」


「……そうだな。そうなのかもしれない」


(……痛いところをつくもんだ)



 脳裏に部屋に積み上げられた空き瓶や空き缶の山が頭をよぎる。

 食事の時間がないからとサプリメントを買った。確かに風邪を引きにくくなったような気がするけど、その代わり空腹感が増した。

 落ちていく体力を誤魔化すために栄養ドリンクを飲んだ。いつしかないとやってられなくなった。飲み忘れれば、昼過ぎに疲れがどっと押し寄せる。


 部屋に戻ればそんな残骸に埋もれるのだろう。その姿が容易に想像できた。



「……それも大人だよ」



 声は震えなかったと思う。雨音に紛れた声はただでさえ聞き取りにくい。自分にそう聞こえたのだから、彼女にもそう聞こえたはずだ。



「大人って面倒ね。身を削ってお金を稼いで、稼いだお金で削った身体を無理矢理繋ぎ止めて。子供のほうが気楽でいいわ」


「そう言うなよ。大人にならないと生きていけないんだから」


「……やめたいの?」


「……辞められないんだよ」



 社会の歯車になったとまで言いたくはないが、その歯車をギシギシと軋ませながら回しているだけで精一杯なのだ。そのうち、手放せなくなるほど一つになってしまったとしても。


 酔って騒ぐ大人が目について仕方がないのは子供の頃だけだった。今となっては横目に通り過ぎるだけだ。


 ああ、彼らも疲れているんだろうな、と。


 世界的に日本の接客が素晴らしいと話題らしい。それを否定するつもりはないが、自分にはただ日本人が臆病だからに過ぎないとしか思えなかった。


 つまりきっと……



「怖いの?」


「ああ……怖いね」



 それは偽らざる本音だ。

 子供であるうちは良かった。無謀でも無鉄砲でも。それが子供の役目だ。そして羨ましかった。大人が。


 そうだったはずなのに……



「大人でも怖いことってあるのね」


「そりゃ怖いさ。怖くないことなんてないよ」


「何でもできると思ってたけど」



 自分でもそう思っていた。何でもできるのが大人なんだと。何をしてもいいのが大人なんだと。

 だけど、何でもできるなんてのは幻想だった。



「買いかぶりすぎだ。まあ、手の届く範囲ならね」


「なんか残念ね」


「そうだな……きっと残念じゃない大人もいるだろうけど、俺は残念なんだろうな」



 雨を眺めながらグラスを傾けた。また喉をじんわりと温めながら胃に落ちていく。

 それだけのことが羨ましかったのはもはや昔。こうしている今になってなんであんなにも羨ましく見えたのかがわからなくなっていた。


 夜ふかししているのが羨ましかった。もっと遊べると思っていた。

 お酒を飲めるのが羨ましかった。もっと楽しいものだと思っていた。

 お金を持っているのが羨ましかった。もっと遊んでいるのだと思っていた。 



「そうじゃないわ。ただ、そうね……それでも納得してるものだと思っていたわ」


「…………」



 返す言葉もない。

 納得できてきていればよかったのにな。


 いつからだろうか。夜ふかしがやりたくないことで、無駄なあがきで、それでもしないといけなくなったのは。



「もしかして、お酒もそういうものなのかしら?」


「……そうだな。きっとそうなんだろうな」



 これだけでわかってくれるならどれだけいいだろう。

 もう思い出せない。飲まないとやってられない、が現実になってしまったのは、酔わないと本音をさらけ出せなくなったのは、いったいいつからだろうか。



「ねぇ、あなたは生きているの?」


「……生きてるさ。生きてるに、決まってるだろ」



 休日は寝て過ごすようになった。寝て、起きて。寝て、起きて。合間に洗濯機を回して、また寝て。

 お金は生きているだけで消えていった。食べ物に。服に。住居に。そして、生きているのを確かめるために。


 お金は確かに手元に増えていった。そんなことをしているうちに溜まっていった。

 だけど、いつかそれすらも出来なくなってしまったとき、それは生きていると言えるのだろうか。



「ならこれだけは教えて?」


「? 何を?」


「あなたが生きている証。ちゃんと生き抜いているって証拠」


「……なんだよそれ」



 必死になって一日を過ごす。それだけで十分生きているだろう。

 だから、わざわざそんなものは探す必要はない。

 今日が終わっても明日を生きなければならないのだから。



「あなたは一応生きているわけだけれど、胸を張って生きているって言えるのかしら?」


「一応、か……そのとおりかもな」


「生き抜くってとても大変なことよ? いろんな人に話を聞いたけど、自信をもって『生きた』って言える人はとても少ない」


「そんなの、最期の瞬間までわからないだろうが……」


「そうね。一般的には大往生と言える人でも心残りが山ほどあったり、若い人でもやれることはやったと満足していたりと様々」



 でもね、と彼女は続ける。

 穴のあいた傘の向こうでキラリと何かが光ったような気がした。



「わからないってことは、あなたはきっと人生に満足していない」



 違うかしら?

 彼女は声音を変えることなく淡々と話す。そこには怒りも侮りも貶すような感情も含まれていない。ただし、思いやりも。



「……なぜそう言える?」


「ふふっ……わかりやすく顔に書いてあるから」



 彼女の声が楽しそうに弾んだ。

 雨の中でも向こうからこちらの顔はしっかり見えているようだ。

 そういえば彼女の顔をはっきりとは見たことがなかった気がする。



「……ズルいな」


「このくらい、いいでしょう?」



 何がズルいのか、きっと彼女はわかっているのだろう。

 雨音に紛れてくすくすと楽しそうに笑う声が聞こえてくるような気がした。



「それで、私の予想は当たってる?」


「……正解」



 彼女以外は誰もいないここで意地を張っても仕方がない。だから正直に答えることにした。



「仕事が終わって家に帰って『ああ、疲れた』。それだけだよ。生きてるって思うことはない、かな」



 グラスに残った液体を一気に煽った。頭が一気に熱を帯びる。

 ああ、こりゃ酔うな。そう思わせる熱だった。

 だけど今はそれでいい。横においてある瓶から追加でグラスに注いだ。



「それでもお酒を飲むのね」


「だから酒を飲むんだよ」



 グラスの氷が溶けてカラリと転がる。中を覗き込むとじわりと溶け出した水が酒の中に広がっていく様子が見えた。


 ストレスも疲れもこれだけ簡単に消えてくれればいいのに。



「でもそうだな……今日はこれで終わりにするよ」



 グラスを少し持ち上げてそう言った。中身は先程足したばかりだからたっぷりと残っている。

 だから気持ちが落ち着くまでゆっくりできるはずだ。



「……今日はいつもより飲むのね」


「……酔ってないとできない話もあるんだよ」



 今日は話しすぎた。そう思わずにはいられない。


 頭はやめとけというのに思わず口をついた言葉たち。多分、同じことを言うことはないだろうと思いながらグラスに口をつけた。



「そうね。割と面白い話だったわ」


「……楽しんでもらえたなら良かったよ」



 所詮は酔っ払いの戯言。それでも時間つぶし以上の何かがあったなら、それで十分だった。



「今日は早いけれどこれで失礼するわ」


「珍しいな。そっちから言い出すなんて」


「たまには一人で飲みたいでしょう?」


「……そうだな。今日は一人で飲もうか」



 もともと彼女はそこに立って話をしているだけ。彼女にその気がないのなら引き止めるのは野暮だろう。



「……風邪をひかないようにね。おやすみなさい」


「ああ、おやすみ」



 雨の向こうに彼女の姿が消えていく。あとには雨音と片手にぶら下がるグラスだけ。

 つい今まであったはずの人の気配に寂しさを覚える。



(余計な気を使わせたかな……?)



 だがその疑問に答えてくれる彼女はすでに立ち去ったあと。

 できることは雨音を聞きながら酒を飲むことだけ。


 ため息を一つ、ゆっくり大きく吐くとアルコールの匂いが雨のカーテンに遮られて自分の周りに充満する。

 グラスに視線を落とすと水面に映った顔が苦笑していた。どうやら思ったよりずっと酔っているらしい。



(こんな日もあるよな……)



 明日残らないといいなと思いながらまたグラスに口をつける。


 こんな日でもいい日だったと言えますように。

 そう願わずにはいられなかった。


お読みいただきありがとうございます

3月最後の投稿になります

お楽しみいただけましたら幸いです

ここからは不定期になりますが投稿した際にはお読みいただけると嬉しいです

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