一人目 愚痴は聞こえない場所で
昼時にも関わらず、ここは喧騒から程遠い。
人通りの多い道から何本か逸れた先にある小さな喫茶店では、アナログ時計の音がはっきりと聞こえていた。
絵に書いたような穏やかな時間が午後の日差しと相まって眠気を誘ってくる……のだが、
「先輩、ちょっと聞いてるんスか!?」
いつもなら気のいい友人感のある後輩がいつにも増してダル絡みしてきている。
時刻は午後二時半。こんな様子の後輩をオフィスにはおいておけないので連れ出したわけだが、さっきからずっとこの調子である。
「だから聞いてるだろ」
「じゃあウチはどうすればよかったんですか!?」
紅茶片手に絡み酒のようなことになっているわけだが、話を聞く限りどうしようもないとしか言いようがなかった。
「うーん……ひとまず話を引き伸ばして落ち着くのを待つとか……」
「それができたら苦労しないんスよ! 決断を迫ってくる相手にどうしろと言うんですか!」
後輩はお茶請けのクッキーを口に放り込み、ボリボリと音をさせながら乱暴に噛み砕いた。肘をついているのが非常によろしくない。
それほどに溜まっているのだろう。
「まあまあ。愚痴ならちゃんと聞くから少し落ち着けって」
「……わかったっス」
その後、しゃべるだけしゃべって少しは落ち着いたのか、後輩は紅茶に口をつけた。いや、もしかしたらまくし立てた結果喉が乾いただけなのかもしれない。
ちょうどいいので自分もコーヒーを一口飲むことにした。
よくわからないのでブレンドを頼んでみたのだが、喫茶店のコーヒーだけあって香りがよい。後輩の愚痴の程度にもよるが、せっかくならもう一杯くらい飲んでもいいかもしれない。
「……少しは気が済んだか?」
「はい……御見苦しいところをお見せしました……」
「気にすんな。仕事してればそんなこともある」
実際、後輩の言う内容とそっくりな場面に何度か遭遇したことがある。
今思えばそんなこともあったな、で済むようなものだが、当時はかなりイライラしたような気がする。面倒くさくなっただけなのかもしれないが。
「やっぱりここのコーヒーはうまいなぁ。おかわりどうしようか……」
「もう少しいましょうよ。午後の予定、ないんスよね?」
「そうだなぁ……じゃあもう一杯だけ」
追加の注文をすると時間を置かずにすぐに物が来た。
会話を聞かれていたのだろうか。二人しかいない店内ではそれも仕方がない気もする。
そろそろおやつ時ではあるが客足は遠いようで、この時間に自分たち以外の姿はない。静かなものだ。
「ティータイムにはちょうどいい時間なのに、俺達以外いないな」
「そうっスね。でも貸し切りみたいでいいじゃないですか」
後輩はお客を呼べるわけじゃないんスから、と続けた。
それもそうか。後輩の言うとおり、一般人の自分たちにはお客を引っ張れるほどの集客性はない。こうやっておかわりの注文をするのがせいぜいだろう。
「それに、この喫茶店、趣味でやってるらしいんで」
「そりゃすごいな」
こういうのを悠々自適と言うのだろうか。
いつもヒイヒイ言いながらタスクを消化するサラリーマンの自分には考えられないことだ。少なくとも今は。
「おかげで美味しいものにありつけるんスからいいじゃないですか」
「それはそうだな」
コーヒーはもちろん、先日のビーフシチューもサンドイッチもとても美味しかった。こうしてリピートしてしまうくらいには。
もっと流行ってもいいのにと思うが、忙しくなれば趣味の範囲を超えてしまうのだろう。お店側のことを考えればこのままでいいのかもしれない。
「さて、気持ちも落ち着いたならこれを最後にして戻るぞ。俺ももう少しだけ仕事があるんだからな」
「少しならいいじゃないっスか。まだウチは午後いっぱいかかりそうなくらいあるんすよ?」
自分はゆったりできそうだからと抜け出してきたが、どうやら後輩はそうでもないらしい。トラブルの影響もあるのだろう。
「手伝ってやるから早めに戻るぞ? ここにいるだけ仕事が後ろにずれ込むんだからな」
「ホントですか!? 助かるっス! 先輩、愛してるっスよ!!」
「……お前の愛、軽くないか?」
目に見えて上機嫌になる後輩。こんなことならわざわざ連れ出さずにこうしておけばよかっただろうか。
他人の仕事を毎回引き受けるわけにもいかないので使える回数は少ないだろうが、今後の参考に覚えておこうと思った。
そうして話している間に、コーヒーも紅茶も空になる。お茶請けもかけらほども残っていない。上機嫌な後輩がペロリと食べきっていた。
「昼のあとなのによく入るな」
「よく言うじゃないっスか。甘いものは別腹っスよ」
たしかによく言う話だが、正午からまだ三時間もたっていない。よくもまあ入るものだ。
「……まあいいか。それじゃ、今日のところは出してやるから行くぞ」
「いや、愚痴を聞いてもらったうえに出してもらうなんて悪いっスよ」
「連れ出したのは俺なんだから気にするな。それよりお前は仕事のこと考えてろ。あんまり多いようなら手伝わないからな」
「えー!? そんなの困るっス!」
声は小さいものの、後輩は目に見えて動揺している。
もともと自分でやらないといけないものなのになぜそんなに驚いているのだろうか。
「お前の仕事なんだから当然だろう。俺だって帰れるもんなら定時で帰りたいんだ」
「さっきの約束と違うじゃないっスか!」
「終わるまで手伝ってやるとは言ってない」
「それはそうっスけどー!」
「だから俺の仕事が片付くまでにちゃんと進めておけ。キリのいいところまでは手伝うから」
このあたりが落としどころだろう。
なんだかんだ言ってもかわいい後輩には変わりない。多少タスクが増えたとしても見放す気にはならなかった。
「……わかりました」
「よろしい。んじゃ行くぞ」
席を立ち上がると伝票片手にレジに向かった。
後輩はトボトボと後ろをついてくる。
「お会計はご一緒ですか?」
「はい。あ、カードでお願いします」
「わかりました。タッチか差し込みをお願いします」
いつもの決済音が鳴る。これだけで会計がすむのだから便利な世の中だとつくづく思う。
その分仕事の密度が跳ね上がっているのも否めないが。
「ごちそうさまです」
「おう。仕事、頑張って終わらせろよ?」
「わかってるっスよ」
後輩のお礼に軽口を返す。
返事は先程までと違い、しっかりとしたものだった、どうやら覚悟を決めたようだ。
「定時で終わったら晩飯行くか?」
「いいんスか!? ごちそうさまです!!」
「奢るとは言ってないだろうが。それにちゃんと定時に終わったらだ。一秒でも過ぎたらナシだからな」
「わかってるっスよぉ……頑張って終わらせますね」
「ま、期待はしないでおくわ」
カラコロとドアベルが鳴る。自分たちとは入れ替わりで別のお客が来たらしい。
店員がそちらの案内を始める。
「さて、会社に戻りますか」
「そうっスね。思ったより時間たっちゃいましたし」
喫茶店を出て空を見上げると、どんよりとした鈍色の空がビルの間に広がっている。
そういえば天気予報には傘のマークがあった気がする。会社に置き傘があるので大丈夫だろう。
「楽しみっスねー、晩ごはん」
「仕事が終わってたら、だからな」
苦笑しながら念の為、後輩にもう一度釘を指す。そうでもしないと仕事終わりに泣きつかれそうな予感がしたからだ。
かわいい後輩ではあるが、そのあたりはきっちりとしておきたい。
「大丈夫っス。絶対終わらせますから」
後輩は呑気にそう言うと、足取り軽く先を歩き始めた。




