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過ぎる日々と授業

次の日の朝、目を覚ました瞬間、

ここがオーデマ村じゃないことを思い出した。


やけに高い天井の下、指定された服に着替える。

正装すぎて落ち着かない。

これが普段着になるのだろうか。


廊下から規則正しい足音が聞こえ、乾いたノックの音がする。


「は、はい!」


「失礼します。フェル様、朝食の準備が出来ております。

こちらへどうぞ――」


メイドさんに案内された先は、大きな食堂だった。

長いテーブルが置かれていて、僕は扉から一番近くの椅子に案内された。


なるべく身体を小さくして座った。

朝食の味は、よく分からなかった。


ふとテーブルの奥を見ると、ひとりの女の子が朝食を食べていた。

歳は僕と同じくらいだろうか。

カトラリーの使い方がとても上品だ。

まるで完璧な数式を見ているみたいに、

この部屋に当たり前のように、馴染んでいた。


――ふと目が合った。

彼女はナプキンで口を拭うと、僕に話しかけてきた。


「おはようございます。

……あなたが、フェルディアさんね?」


「え、あ……はい! フェルディア・パスカル……です」


不意を突かれた僕に、彼女はフッと笑う。


「叔父から聞いています。

三角形、垂直、水平。

これを完璧に計ってしまったと。

凄いわね。

コンスタンティン家を代表して、

お礼を言いたいくらいだわ」


反応できない僕を置いて、言葉は続く。


「今日から、一緒に学ぶことになるわ。

きっとあなたからも……沢山学ぶことがあると思います。

どうかよろしく」


彼女は軽い会釈をする。


「それと、オーデマ村の方なら、

ソースの味付けが少し違うわよね。

けれど、慣れるとここの料理も美味しいですから」


僕の皿の上に残された食材を見る。

サーっと血の気が引き、必死で弁明の言葉を探したが、

ふわりとした笑顔を残して、彼女はそのまま、部屋を後にした。


朝食を終えると、間もなく授業の時間になる。


案内された授業部屋の扉を開けると、

重厚な机と椅子が整然と並んでいた。

木の色合いも、配置も、

どこか――きちんとしている。


僕は、ほんの一瞬だけ、

言葉にできない懐かしさを覚える。


そして、壁に目を向けて、

それはあった。


黒く塗られた、大きな板。


「……黒板だ」


口をついて出た言葉に、

自分でも少し驚く。


初めて見るはずなのに、

それが何なのか、どう使うものなのかを、

前世の記憶がはっきりと告げていた。


――書いて、消して、

考えるための道具。


その瞬間、

胸の奥で、何かが静かに噛み合った気がした。


遅れて入ってくる声。


「フェルディアさん、授業は初めてかしら?」


振り返ると、少し離れたところに、

さっき会った女の子がたっていた。

その子は「あっ」と聞き取れないほどの声を出しながら続ける。


「そういえば、わたしの自己紹介がまだでしたね。

失礼しました。

わたしは、シルキィ・コンスタンティンです。

領主のガーデナント・コンスタンティンは

叔父にあたる人よ

……改めて、よろしくお願いします」


昨日、領主さまから聞いていた姪が、

目の前のシルキィという女の子だった。

覚悟はしていたが、やっぱり放つ雰囲気は

感じたことがないものだった。


僕は深く頭を下げた。


僕たちは並び合った席に座ると、

程なくして、今度は初老の男性が入ってきた。


男性は、黒板の前に立つ。


「うむ……君がフェルディアだな。

私は、ヴェルネールだ。

以後、よろしく」


それだけ言うと、黒板にチョークを走らせ、

授業が開始されてしまった。


――授業がはじまると、

それまで抱えてきた思考や不安は、

どこかに置いてきてしまった。

僕が、今まで触れてこなかったものがあったからだ。


「……で、この国『ガウスリード王国』は、

この戦争に勝利し――」


それは学ぶ、ということだった。


ヴェルネール先生の言葉は、

僕の頭の深くまで響き、

黒板に書かれる歴史や勢力図は、

目の奥に焼き付いた。


(まだ一時間もたっていないのに、

こんなに多くのことを教えられた。

この場所で学べること自体が、

すごいことなんじゃ……)


休憩や、昼食をはさみ授業は続く。

そしていつの間にか日は傾いていた。


――最初の数日は、目まぐるしく過ぎていった。

七歳の誕生日が過ぎた事に気づくには、ずいぶん時間がかかった。

そして何度目かの夜

僕は窓際に置かれた椅子に座り、

オーデマ村がある方角の空を、じっと見つめていた。


授業がある昼間は、学べる楽しさがある。

でも夜になると、穴が開いて空っぽになった胸に、

流れ込む感情がある。


「父さん、母さん…… イリス」


無意識にこぼれた言葉に、僕は上を向き、

ぼやけていく視界を必死に、こらえようとした。


「ティア…… 君ならなんて声をかけてくれるんだろう。

きっと僕より、僕の今の気持ちを正確に分かっていて……

欲しい言葉をくれるのかな」


柔らかく、甘い匂いを思い出す。

オーデマ村の空気に、自然に溶け込んでしまうような存在。

思い出には、いつも彼女がいる。


「帰りたいな……」


――その日の授業は算術だった。


日が経つにつれ、

ヴェルネール先生の授業にも慣れ、

シルキィとも、

ただ同じ時間を学ぶ関係になっていった。


先生はゆっくりと机の上に、白い小石を三つ置いた。


「数とはな、便利な道具だ。

ただし、世界を理解するためのものではない」


そう前置いてから、一本の指で小石を弾く。


「ここに、三つある。

これを三人で分けるとどうなる?」


「一人一つです」


シルキィが即座に答える。


先生は頷いた。


「そうだ。正しい。

では四つなら?」


少し考えてから、彼女は言う。


「……一人一つで、余ります」


「そう、余りだ。

無いわけではない。

ただ、今は使い道がないだけだ」


先生はそう言って、余った小石を脇に退けた。

僕は何も言えず、その小石を見ていた。


今度は黒板に、線を引く。


「ここに、長方形がある。

縦が二、横が三だ」


先生は数字を口で言うだけで、式は書かない。


「面積はいくつだ?」


「六です」


今度は僕が答えた。


「そう。

二と三を掛ければいい。

なぜ掛けるかは考えなくていい」


その言葉は、戒めのように落ちた。


「世の中には、

考えなくていいことがある」


先生は僕を見る。


「理由を探し始めると、

計算は遅くなる。

遅い算術は、役に立たない」


次に、先生は三角形を描いた。


「ではこれはどうだ。

底辺が三、高さが二」


少し間を置いてから言う。


「面積は?」


シルキィが口を開く。


「……三、です」


「正解だ」


先生は頷く。


「底辺に高さを掛けて、二で割る。

覚えておきなさい。

これは昔からそう決まっている」


「……なぜ、二で割るのですか?」


シルキィの問いは、素直だった。


先生は、ほんの一瞬だけ目を細めた。


「それを考える必要はない」


その声は、優しいが、硬かった。


「覚えるべきは“答え”だ。

理由ではない」


僕は、三角形の線を見つめたまま、言った。


「……四角を、半分にした形だからですか」


空気が、止まる。


先生はすぐには否定しなかった。

しかし、首を振る。


「……考えすぎだ」


「形を崩して考える癖は、

いずれ身を滅ぼす」


先生は最後に、静かに締めくくる。


「算術は、

世界を正しく保つための道具だ。

世界を疑うためのものではない。

賢い者ほど、

その一線を越えてはならない」


――授業が一段落し、休憩の時間になった時、

隣のシルキィが話しかけてきた。


「フェルディアさん、さっきの半分にした形って、

どういうことですか?」


エメラルドグリーンの瞳が向けられる。


「はい……えっと」


僕は黒板に移動し、

迷いなくチョークを走らせた。


線は途中で歪むこともなく、

角も、辺も、自然に揃っていく。


「ヴェルネール先生より、きれいな四角」


シルキィが、独り言のようにつぶやいた。


僕は、聞こえないふりをして、説明をした。

でもこの行為が、

この世界では決して許されない種類のものだと、

まだ理解できていなかった。


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