魔法陣と関数
魔法陣は光の粒になり、空へ溶けていく。
魔法なんて、この世界では当たり前のことだ。
ティアだって、昨日は何でもない顔で〈イグナイト〉を出していた。
暖炉に火をつけたり、料理の火を起こしたり──
そんな、ちょっとした便利な技。
でも、僕にはそれが“普通”じゃなくなっていた。
(前世を思い出してから……なにかがおかしい)
母さんの魔法陣を思い出す。
f(x)=x
x=20
f(20)=20
まるで魔法が“答えのある問題”みたいに。
(……魔法って、数学で説明ができる?)
「フェル、どうしたの? 難しい顔して」
「――! ね、ねぇ母さん、魔法陣にその……数字とか見えたり……する?」
「数字? いいえ、魔法陣に描かかれるのは神代の古代文字よ」
母さんは当然のように答えた。
(そっか……やっぱり僕だけなんだ)
この世界では魔法が当たり前に使われていて、
魔法陣には古代文字が描かれる──それが常識。
つまり、僕にだけ“何か別のもの”が見えている。
「さぁフェル。あなたもやってみましょう」
母さんは、膝をついて僕の背中に触れた。
「魔法っていうのは、もともと身体の中を流れている“魔力”を外へ引き出して、形にする力よ。
まずは詠唱。
詠唱はね、自分に暗示をかける言葉よ。
たとえば〈イグナイト〉は“火になれ”って魔力に命じてるの」
そこまで言うと、母さんの声が少し低くなった。
「そして……魔力を手のひらに集めるの。
火は熱いでしょ?
だから“ここに熱が集まれ”って想像する」
ここまで説明を終えると、母さんは僕にやってみてと言った。
——手を前にかざす
体内の魔力を感じ取る。
「魔力を手のひらに……『火よ灯れ——』」
手のひらに得体のしれない感覚。
これが魔力なのだろうか。
光の線が空中に走り、
弧を描き、輪を作り、
渦の中心に式が生まれた。
f(x)=x
(……やっぱり、見える)
「こんな、簡単に……?
フェルあなた……本当に初めて……?」
すこし震えた母さんの声が聞こえる。
x=13
f(13)=13
代入された値は、母さんより少ない数だ。
「――〈イグナイト〉!」
ぽっ。
火が咲いた。
母さんよりは小さく、ティアよりは大きな火だった。
簡単に魔法が使えた事に、僕自身が一番驚いていた。
ティアも「いっぱい練習した」と言っていたのに。
「ねぇ母さん……たまたま出来ただけ……なのかな?」
「いいえ、たまたま魔法なんて出来るはずないわ、
それに発動までも短い…… きっと魔力の使い方が本能的に分かっているのかしら」
腕を組み、あごに手を添えて、ひとり言のように母さんは考えていた。
僕も考えた、たぶん自分にしか見えていない関数について。
(あの代入値はなんなんだろう……母さんが20で僕が13……普通に考えると
――魔力値?)
そう考え出すともう一度確かめたくなった。
この値が固定された定数なのか、または変数なのか。
僕はもう一度手を前にかざした。
そのまま魔法陣が展開するイメージができる。
なぜかは分からないけど『f(x)=x』という関数を思い浮かべるだけで
不思議と虚空に青い線が引かれるような気がする。
とはいえ詠唱は基本だと母さんが言っていたから。
とりあえずは唱えておいた。
x=13
さっきと変わらない値だ。
ならやっぱり魔力量が数値化したってことなのかな。
そうやって、魔法陣を見ていつまでも考え込んでいたら、
後ろから元気な声で僕を呼ぶ声がする。
「フェルー!! 魔法の練習はどう!? できたー!?」
どうやらティアが見に来たらしい。
僕は魔法陣をそのままに、ティアに手を振ろうとして――
「え……?」
数字がゆっくりと揺れた。
x=20
x=35
x=50
数字がくるくると回転しながら増えていく。
次の瞬間。
「――っ! うわぁぁぁッ!」
魔法陣から、ものすごい爆炎が吹きあがった。
「……あっ……あっ……! フェルっ!?」
「はっ――! いけない、フェル!」
鼻の奥がツーンとする。
なにかが込み上げてくるのを感じる。
鉄の味……
そこで僕の意識は途絶えた。
どれだけ意識がなかったのかは分からないけど、
母さんが僕を抱きかかえ、冷静にティアに「大丈夫よ」と
安心させる声なんかは感じることができた。
――ふわりと、意識が浮上した。
「フェル——」
今にも消え入りそうなのに、
心の奥を震わせるような声で名前を呼ばれた。
ティアは震える腕で、そっと僕に身を寄せてくる。
小さな身体なのに、不思議と安心できた。
「ごめんねティア…… 昨日と今日で、二回も泣かせちゃった」
「……グスっ……三回目だょぅ……」
確かに、今朝の仲直りだって泣かせてしまった。
それなのに、ティアは僕の服をぎゅっと掴みながら、
震えた声で、小さく言った。
「……でも、おおきな怪我じゃなくてよかった……」
そんな僕らを母さんは、優しく見守ってくれていた。
「無理をしたのよ、フェル。
あなた、魔力を使い切っただけじゃない。
足りない分を、生命力で補ってしまったの」
母さんはそう言って、僕の胸にそっと手を当てた。
「これは“魔力欠乏”。
魔力切れとは違うわ。
魔力が空になっても、無理に魔法を続けるとね……身体が、代わりに命の力を差し出してしまうの」
喉が少し渇いて、声が出なかった。
「冒険者でも、若い魔法使いでも……誰にでも起こりうる事故よ。
母さんも昔、一度だけやったことがあるわ」
そう言って、困ったように笑う。
「だから、怖がらなくていい。
でも……二度と同じことをしてはいけない。
魔法は便利だけど、命より重いものじゃない。
ティアちゃんも覚えておいてね?」
母さんは最後に、強くそう言った。
僕らはゆっくりとかみ締めるように頷いた。
「うん、二人とも分かってくれて嬉しいわ。
それにしてもフェル、あなたどうやら魔法の才能があるわ。
覚える速さが並じゃないもの。もし師に恵まれたら、
すごい魔法使いになるかもね」
母さんは昔、父さんと同じパーティーで冒険者をしていた。
僕と産んで引退をしたと聞かされた。
そんな母に才能を認められたのが少し気恥ずかしいけど、
嬉しかった。
ティアも「フェルすごーい!」って言ってくれた。
でもやっぱり疑問がある。
それは魔法陣に描かれた数式と、その値が増えていったこと。
僕は思い切って母さんに聞いた。
「母さんあのね…… 魔法陣に数字が見えるんだけど……」
「さっきもそんな事を聞いてきたわよね。でも、それは無いわ。
きっと古代文字が数字の様に見えただけじゃないかしら」
あっけらかんと母さんは答えた。
そんなはずは無い。
前世の記憶がはっきりと告げる。
魔法陣には完璧な数字と数式が描いてあった。
僕が黙っていると、母さんが少し強張った表情で言った。
「いい、よく聞きなさい。
この世界で魔法は、神様から“許し”を得て使うものなの。
だから魔法陣に刻まれるのは、神代の古代文字。
人が理解できる数字なんて、存在しない」
母さんは僕の肩を、ぎゅっと掴んだ。
「もし……万が一、本当に数字が見えたとして、
そんなことが知られたら、聖堂協会が黙っていない」
声が、わずかに震えている。
「それは“異端”よ。
下手をすれば、裁かれる」
母さんは、目を伏せて言った。
「だから……お願い。
このことは、絶対に口に出さないこと。
誰にも言ってはならいわよ?」
その言葉の重さに、僕はただ黙ってうなずくことしかできなかった。




