五歳の僕と前世の記憶
初めまして、
三波乃ゆゆと申します。
本作は、派手な出来事よりも、
少しずつ世界や人の見え方が変わっていく物語です。
合えば、ゆっくり読んでいただけると嬉しいです。
夕方の村は、風がとても気持ちいい。
僕と幼なじみのティアは、村を一望できる丘で遊んでいた。
「ねぇフェル、見ててね。ママに教えてもらったんだ!」
えっへんと胸を張るティアが、手を前に突き出す。
(どんな魔法だろ……母さんみたいにすごいのかな)
青い光の線が円を描き、その中に古代文字がふわりと浮かぶ。
その光景だけで、胸が少し高鳴った。
「いくよ? 赤き炎よ、ちょっとだけ灯れ──〈イグナイト〉!」
ボワッ。
ティアの掌に、小さな火の玉が生まれた。
すぐに消えてしまったけど、ティアは目を輝かせて僕を見る。
「やった!出たよ!見た?フェル!」
……でも、僕は返事ができなかった。
その炎を見た瞬間、首の後ろがじわりと熱くなる。
耳の奥で、誰かが、確かに叫んでいた。
──先生、助けてぇぇッ!
──待ってなさい……すぐに行くから……絶対に……!
黒い煙。
焦げた匂い。
泣き叫ぶ女子生徒。
崩れる天井。
そして僕は、その子を庇って──
(……これ……僕……?)
思い出した。
なぜ忘れていたのかさえ、分からないほど鮮烈に。
僕は、火事になった学校で、生徒を助けて死んだんだ。
息が詰まる。
心臓が早鐘を打つ。
なのに、身体は氷みたいに冷えていた。
ティアは何も知らず、無邪気に笑っている。
「ねぇフェル!火がちゃんと──」
その顔が一瞬だけ“炎に包まれた彼女”と重なった。
(やだ……やだ……やだ……ティアが……燃える……)
気がつけば、僕はティアの肩を掴んでいた。
「ティア!! 子どもが火なんて使っちゃダメだ!! 危ないんだよッ!!」
「いっ、いたいよ……フェル……っ! なんなの……?」
大きな瞳に涙が溜まる。
僕の手が震えていることにも、僕自身が驚いていた。
ふと我に返って、とっさに誤ったけど、
「――もういい! フェルのバカ!」
「ちょっとまって、僕はティアを心配して……!」
もう取り返しがつかなかった。
――その夜
もうベッドもすっかり温まったけど、
全然眠れそうにない。
僕は天井を見つめながら、浮かんできた記憶を整理する。
「あの光景……そっか僕は教師で、生徒を助けて死んだんだ……
じゃあ本当にこれは”前世の記憶”なんだ……」
口に出すと、少しだけ現実味が増した気がした。
それでも、どこか他人事のようでもあった。
この世界に産まれて、もう五年。
――僕は僕だ。
積み重ねてきた日々が確かに告げている。
思い出したのは、ほんの断片。
他の記憶を探っても、
深い霧の中に手を入れているみたいで、何も掴めない。
そうだ、誰にだって前世はあるのかもしれない。
だから僕は明日からも――
”フェルディア・パスカル”として生きていけばいい。
そう結論づけた瞬間、
霧が晴れて、見通しが良くなったみたいに心が軽くなる。
そろそろ眠気もやってきそうだ。
僕はまぶたを閉じるその直前、何の気なしに天井の角へ視線を向けた。
直線が四角をつくり、鋭い直角が交わる。
ふと頭の中で比率を測る。
「……図らないと分からないかな。でもこのバランスは……1:√2」
白銀比――
「……え?なんで……? 僕、こんな……知らないのに」
その瞬間だった。
数字が。
図形が。
グラフが。
まるで光の粒子となって降り注いだ。
どれもがとても綺麗で、均衡と調和の上に成り立つ数列だった。
――そうか、思い出した。
僕は前世で、数学教師をしていたんだ。
その記憶を追おうしたけれど、まぶたがゆっくりと落ちていく。
そうしているうちに、いつの間にか眠っていた。
翌朝――
カーテンが開かれると
朝日がいっぱいに差し込んだ。
僕はその光を避けるように、閉じた目をさらにぎゅっと瞑る。
「フェル、もう起きる時間よ」
世界一安心する声が耳をそよぐ。
母さんの声だ。
「うーん…… おはよう母さん」
ベッドに腰掛けた母さんが、僕の髪をそっと撫でる。
その温かさで、ようやく昨日の出来事のざわつきが少し収まった。
「ふふっおはようフェル。さぁ起きて、今日から魔法の練習よ」
魔法──
その言葉で、ティアの泣き顔が胸の奥に浮かんだ。
(……謝らなきゃ)
胸のあたりがチクリと痛む。
「どうしたの? フェル」
母さんが心配そうに顔を覗き込んでくる。
僕は昨日のことを全部話した。
ティアの魔法を見て怖くなって、大きな声を出して……泣かせてしまったこと。
母さんは静かに頷き、僕の肩に手を置いた。
「フェルは優しい子よ。怖かったんだね。でも、大丈夫。ちゃんと謝ればきっと伝わるわ」
――村の朝はいつも静かで、鳥の声がよく響く。
でも今日は、その音が胸の奥でちょっとだけ重かった。
(……ティア、まだ怒ってるかな)
玄関の扉をあけると、
朝露に濡れた土の匂いがふわっと広がる。
母さんに「行ってきます」と伝えて、
僕はティアの家へ向かった。
ティアの家は、うちから歩いてすぐ。
青い屋根と、白い壁が目印だ。
扉の前に立つと、心臓がどくんと跳ねる。
(……よし)
軽く息を吸って、扉をノックした。
少しして扉が開く。
出てきたのはティアの母さん。
優しいけど、怒ったら怖いことで有名な人だ。
「まぁ、フェルくん。どうしたの?」
「……あの、ティアに……昨日のこと、謝りたくて……」
僕がうつむきながら言うと、
ティアの母さんは一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに柔らかく笑った。
「ティアなら奥よ。入っておいで」
招かれて中に入ると、
ティアは椅子に座って足をぶらぶらさせながら本を読んでいた。
僕を見ると、肩がピクリと動いた。
「……フェル」
声が少し震えている。
僕は近づき、深く頭を下げた。
「昨日は、ごめん……!
ティアが火で、やけどしちゃうんじゃないかって……
怖くて……すごく怖くて……
だから、大きい声を出しちゃった」
ティアは本を閉じ、
しばらく黙っていた。
僕の心臓が、また早くなる。
やがて、ティアはぽつりとつぶやいた。
「……怖かったのは、フェルの方だったんだね」
顔を上げると、ティアは泣きそうな笑顔をしていた。
「うん…… フェルだもん。いいよ、許す……」
涙を手の甲でぬぐいながら、
ティアはとても優しい声で言ってくれた。
胸がじんわりと温かくなる。
「ありがとう、ティア!」
ティアも小さく笑う。
「フェル、今日も遊ぶ?」
「今日は母さんに、魔法を教えてもらう日なんだ」
「そっか、じゃああとで見に行くね!」
手を振ってくれるティアに、僕も元気よく振り返した。
――家に戻ると、
母さんはもう庭に出て準備をしていた。
木陰の下で、魔力の流れを視るための
小さな石板や魔法陣の教材が並べられている。
「ティアちゃんとは仲直りできた?」
「うん!ちゃんと謝ったよ!」
母さんは嬉しそうに笑って、僕の頭をぽんと撫でた。
「それはよかったわね。じゃあ、始めましょうか」
母さんが手を前にかざし、
静かに息を整える。
「いい?まずは詠唱。これは自己暗示、つまり思いこみみたいなものよ。
よく見てて。火よ灯れ――」
母さんの手の先で、青い光が走る。
空中に光の線が伸び、円を描き、記号が並ぶ。
(昨日とも……違う)
線が増えるたびに、
僕の視界には数字が浮かび上がっていく。
f(x)=x …?
「な、なんで……どうして……? だって、これって」
関数だ。
浮かび上がる魔法陣には、数式が描かれていた。
母さんは確かな声で詠唱を締める。
「――〈イグナイト〉!」
ぽっ、と小さな炎が灯った。
でも僕の視界は、
炎ではなく――
x = 20
f(20) = 20
かつて黒板に何度も書いた方程式に、少しだけ胸が高鳴った。
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