第一章「はじめては、桜舞う月夜に」
------さあっ、と、夜風が桜の木々を揺らす。
「----------。」
それに合わせて、私は暗闇の中に煌々と、しかし優しく光り輝く月を受け止めようとするかのように、大きく両手を広げた。それに合わせて、右手に握った神楽鈴が、早く声を上げたい、と言わんばかりに、ちりん、ちりん、と音を鳴らす。それに応えるように一思いに神楽鈴を振り下ろすと、この瞬間を待ち望んでいた、とでも言うかのように、鈴の音色がこの場所…私の今いるお社の境内に響き渡った。
「----------」
それを皮切りに、私の体が動く。再び鈴が鳴る。髪や装束が風を捉えてふわふわと舞い踊る。
この神社に伝わる神楽。
神様へと捧げる舞。そして、神様に一時的に体を貸し与え、この葦原中国へとおいでいただくための儀式。
…もちろん、本当に神様が私の体に乗り移ることはない。私自身、神様とお話をしたことなどなければ、本当の姿すら見たことがない。
------しかし、この間だけは。
こうして、月の光に照らされながら舞っている間だけは、いるかどうかもわからない神様という存在が、本当に私の体に乗り移ったような気がする。私がいなければ自分は下りて来られない、だからありがとう、と言ってくれているような気がする。自分という存在がこの世界にいてもいいのだ、と感じることができる。
だから、私はこの時間が大好きなのだ。
「----------っ…はぁ…はぁ…。」
そんなことを思っていても、元々体力が心許ない私の体は正直だ。神様はどうやら、私にいつまでも舞うための力を貸し与えてくださるわけではないらしい。息をつきながら、私は社殿の柱に背中をあずける。
「----------あ。」
私は気づく。
私の視線の先。鳥居の向こうに誰かいる。私の目は生まれつきぼんやりしている上に、今は夜。月明かりがあるとはいえ、遠目からではそれが誰なのかわからない。
…しかし。
「……っ!!」
危機感を感じた私は咄嗟に、鍵が開いている社殿の中へと隠れていた。
「…あ、あの、待って!」
引き戸を閉めた瞬間、外から男の子のような声が聞こえてくる。おそらく、先ほど鳥居の前にいた人影のものだろう。
…震えが止まらない。
彼に声をかけられたからではない。
私が恐れているのは、『彼が私の姿を見たのであろうこと』。
(…見られちゃった…誰かに見られちゃった…どうしよう…。)
私は後ろを振り返る。
そこにあったのは鏡。神社と言えども、さすがに昔ながらの銅製の物ではない。
…しかし、その鏡には、隙間から差し込むかすかな月光に照らされた、巫女装束姿の私が映り込んでいた。
白い髪。
青白い肌。
そして、血を落としたような赤い目。
それを見て、動悸が激しくなっていくのがわかる。
…苦しい。
そう思っていた私の耳に、
「もし、お参りにいらした方でしょうか?」
聞き慣れた優しい男性の声…この神社の宮司さんであり、私の育ての親でもあるお父さんの声が聞こえてきた。
「あ…こんな遅くに、申し訳ありません。」
先ほどの男の子の声が、また聞こえてくる。どうやら、お父さんとお話ししているようだ。
「いえいえ、お気になさらず。お社は神様のいらっしゃるところであり、境内はそのお膝元。せっかく訪れてくださったのです、きっと、それも神様の思し召しでしょう。どうか、ゆっくりしていってください。」
「ありがとうございます。…実は、僕がここに来たのは、神楽鈴の音が聞こえたからなんです。眠れなくて外を歩いていたら、神楽鈴の音がこちらから聞こえてきて、気になって見に来たら、巫女装束の女の子がいて…それで、僕の姿に気がついたみたいで、お社の中に入っていっちゃって、邪魔してしまったみたいで申し訳ないような気がして…もしかして、この神社の娘さんでしょうか…?」
「あ…あの…!!」
堪えきれず、私は壁越しに大きな声を出していた。
「…ここで見たこと…誰にも言わないで…全部、見なかったことにしてください…。私の姿…不気味だったでしょう…?だから…お願い…します…誰にも…言わないで…。」
「そうですか…咲姫を…。」
お父さんの声が聞こえてくる。
不安そうなお父さんの声。
私が境内で神楽を舞わなければ、お父さんにそんな声を出させることはなかったかもしれない。困った顔をさせずに済んだかもしれない。
そんな後悔が浮かんでは消え、私の心を黒く染めていく。
「…わかりました。今日見たことは、誰にも言いません。約束します。ただ---」
「…っ…!」
…彼の言葉を聞いて、私は固まってしまう。
ただ…その言葉の後、彼は何を言うつもりなのだろう。
…怖い。
「…あの、また、来てもいいですか?この神社に…さっきの神楽…また見に来てもいいですか…?」
「…えっ…?」
そんな彼の言葉に、私は思わず変な声を出してしまっていた。
彼の言葉は続く。
「ええと…もちろん、無理なら無理で、仕方ないと諦めます。…きっと、それには何か理由があるんでしょうし、僕は彼女に対して、無理を通すようなことはできませんし、したくありません。…きっとそれは、彼女が嫌がることで、しちゃいけないことだと思うから。
…ただ、僕はこの町には引っ越してきたばかりで、友達もこの町にはいません。そんな時に、僕はここに来て、彼女と出逢って…僕と同じくらいの綺麗な女の子が、あんなに綺麗な神楽を舞っていて…それで、思ってしまったんです。彼女と友達になりたい、僕を友達と思ってくれるかな、って…。…あぁ、すみません、自分のことばかり…。」
「…綺麗…私が…?お友達になりたい…私と…。」
彼の言葉を聞いた瞬間---どうしてなのか、私は、社殿の引き戸に手をかけていた。
戸が開いた瞬間に、隙間から入ってくるだけだった月明かりが私を照らす。まるで、彼に私のすべてを見よと言うように。
「私の姿…怖くないんですか…?みんな白くて、目だけ赤くて…そんな姿なのに---」
私の口から、言葉がどんどん漏れていく。
…白色個体としての遺伝子を持った人間…俗に言う「アルビノ」として誕生した私が、生まれたばかりの時、父親と母親…育ての親ではない、本当のお父さんとお母さんにすら、化け物呼ばわりされて殺されかけたらしいこと。
たまたま、親戚であった今のお父さんがその場に居合わせたことで未遂に終わり、今のお父さんとお母さんに引き取られて育ててもらったのだということ。
義務教育の期間だけは学校に通ったが、夏でも肌の露出を避けなければならず、その異様な姿から学校中から気味悪がられたこと。
…そして、一人のお友達もできずに義務教育を終え、夜以外には外に出なくなり、それからもう二年…17歳になるのだということ。
「咲姫…無理はしなくていい。お前だって辛いだろう…?それに、彼だって混乱してしまうかもしれない…。」
お父さんが心配そうな声を出している。しかし…。
「お父さん…ありがとうございます。でも…いいんです。私…彼に知ってほしいから。」
それは、私の本心だった。
なぜなら…私がひとしきり話し終えるまで、目の前の彼が黙ってお話を聞いてくれているのを、私は確かに見ていたから。
…そして、彼が一言目に発した言葉。
「17歳…僕と同じ学年だ。…あの、僕、高原 祈 。それで…もし君がよかったら、僕が一番最初の友達になっても、いい…かな?」
それだけで充分だった。
彼は、私のことを怖がっていない。はじめて、自分から私に近づこうとしてくれている。
ぽろり、と、目尻から頬にかけて、涙が一筋伝う。
「あ…ご、ごめん、もしかして、やっぱり迷惑だった…?」
…いけない。彼を混乱させてしまっている。しかし、どうにか堪えようとしても、一旦流れ出した涙は止まることを知らない。後から後から溢れ出てくるそれは、今まで私が溜め込んだものをすべて吐き出すように、どんどん大きなうねりとなって、私を襲う。
だが、それは悲しさではない。それだけは伝えなければならない。
私は彼に近づき、その手を取って、小さな声で…しかししっかりと聞こえるように言った。
「ありがとう…嬉しいです。私と…お友達に…なってください。…私、廻神 咲姫…です。」
はじめてのお友達ができた、その夜。
春の月明かりに照らされた桜の花が、またさあっ、と風に煽られ、私と彼の間を吹き抜けていった---
------祈くんと約束をした日から一週間弱が過ぎた、土曜日の夜。
「こんばんは、咲姫。」
彼は、約束通り、またやってきた。
「あ…こんばんは、祈くん。」
私は、あの時と同じデザインの巫女装束で彼を出迎える。
夜なので、日中ほど服装に気を使う必要はないし、他の私服も、日中になかなか外に出られないならば出られないなりに私が好きなものを選べるように、と、お父さんとお母さんがいろいろな方法を考えてくれて、着てみたいと思ったものを買ってもらって持っていたりはするので、日中はその服を着ていたりはするのだが、巫女装束に慣れてしまった上に、神楽を舞うならばこちらの方が気が引き締まっていいということもあって、この服装はほとんど私の普段着のようなものと化しているのだった。
「さっそく見ますか?神楽。」
私は、祈くんに聞いてみる。
「うん、咲姫の神楽、見たい。」
笑顔で答えてくれる祈くん。それを見て、私は少し緊張しながらもいつもの構えを取り、タイミングを伺う。
「……。」
とくん、とくん、と、いつもよりも大きく、心臓の鼓動が聞こえるような気がする。
しかし、不安はない。
緊張はするけれど…でも、今日は、私と神様だけの時間じゃない。見てくれるお友達がいる。
神楽鈴が音を鳴らす。
その瞬間…今までとは何かが違うことに気づく。
体が動く。今まで以上に動く。いつも通りのはずなのに、いつも以上の力が、私の奥底から沸きだしてくる。
お友達が…祈くんが見てくれていることが、これほどまでに私の力になるなんて。
祈くんとは、出逢ったばかりなのに。
「…そういえば、咲姫はこの神楽、いつ頃からやってるの?」
私の動きが止まったのを見計らって、祈くんがそんなことを言う。
「あ…ええと、小さい頃から、お父さんやお母さんの神楽は見ていて、真似して舞ってみたりしていたんです。それで動きを覚えて、細かいところはお父さんとお母さんに教えてもらったりして…なので、神楽をやっている期間自体はかなり長いです。」
「そっか…咲姫はすごいな。」
「…すごい?」
そんなことを言われるとは思わなかった私は、思わず首を傾げてしまう。
「うん。だって、見ただけで覚えるなんてこと、普通の人じゃできないし------」
そう言ったと思うと、祈くんはしまった、という顔をして、
「…ごめん、咲姫が普通の人じゃないって言ってるわけじゃなくて…ただ…少なくとも僕は、そんなことできっこないな、って思っただけなんだ。…まあ、僕の場合、今までそんなにまで打ち込みたいって思ったこともなかった、っていうのが正直なところなんだけど。」
…祈くんの言っていることが、今の私にはすんなりと理解できた。
彼は、以前私が言ったこと…私がアルビノであるために実の両親から捨てられ、周りから孤立したことを知ってなお、お友達になりたいと言ってくれた。…私を特別扱いせずに、対等の立場に立とうとしてくれた。
だからこそ、彼は今、自分の考えていたことを、私にもわかる形で、私が誤解しないように説明し直してくれたのだろう。
…はじめてのお友達が、こんなにも誠実な人なんて。
そんなことを私が思っていると。
「…咲姫?」
祈くんが呼びかけてきたことに気づき、私は彼に向き直る。
「…祈くん、ありがとうございます。」
私のそんな言葉を聞いて、祈くんは少し間を置いて、こう言った。
「…咲姫は、笑顔が似合うんだね。」
「え…。」
再び予想だにしなかった言葉が出てきて、また私は首を傾げてしまった。それを見た祈くんが続ける。
「咲姫の笑顔。今見せてくれたでしょ?もしかしたら気づいてなかったかもしれないけど…さっき僕が謝った後から、少し表情が変わってたような気がしたから。それで、何だろう、やっぱり迷惑だったのかな、って思って声をかけたら…嬉しそうな顔で、『ありがとう』って言ってくれて…。」
「…私、笑っていたんですか…?」
私が問うと、祈くんはゆっくりと、お返しとばかりに浮かべた笑顔を向けて首を縦に振る。
…まったく気がつかなかった。私がそんな顔をしていたなんて。
…彼は、私の知らない、私が見ることのできない私を見てくれる。それを声に出して、私に教えてくれる。
------それが、たまらなく心地よい。
「祈くん。」
私は、声を出していた。
「今度は、私が知りたいです…祈くんのこと。…せっかくお友達になったんですから、これから、祈くんのことも、私に教えてくれますか?」
私のそんな変な言葉に、彼は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑顔を戻し、
「もちろんだよ。僕が話せることだけにはなっちゃうだろうけど…できる限り、咲姫の知りたい僕のこと、教えたい。」
…よかった。
「…ありがとうございます。ええと…じゃあ、さっそくなんですけど…祈くん、学校は天桜学園…ですか?この辺の学校だと、もしかして、って思ったんですけど…。」
「うん、そう。今年から編入することになって、今は寮で一人暮らしをしてるんだ。この街に親戚のご家族がいらっしゃって、そっちの家から通ってもいいよ、って言ってくださってはいたんだけど、さすがに少し申し訳ないような気がして。」
…義務教育までしか学校に行っていないために、上の学校のことをそれほど知らない私ではあるが、天桜学園のことは知っている。この町…天桜市にある公立の学園でありながら県内でも有数の進学校であり、相当にお勉強ができなければ入学できないようなところだったはずだ。
「すごい…お勉強、得意なんですね。」
私がそう言うと、祈くんは少し困ったような顔をして、
「ううん、そんなことないよ。僕なんて井の中の蛙だから。学園にはもっと勉強できる学生は多いだろうし。」
…そんなところに編入が可能な時点で、祈くんはとてつもない頭脳の持ち主だと思うのだけれど。編入となれば当然、編入試験だってあるはずだ。入試が難しいというのに、編入試験の難易度が簡単であることはあり得ないだろう。少なくとも、学園のお勉強についていけるだけの学力は要求されるに違いない。
「…何か、なりたいものがあって編入したとか、そんな感じですか?」
「うーん…なりたいものがある…とかではないかな。さっきも話した通り、したいこととか、そういうのって思いつかなくて。それに…なんていうか、ちょっと事情があってね。」
少し言いにくそうに言う祈くん。…どうしよう、聞いてはいけないことを聞いてしまったのかもしれない。そんな私の雰囲気を察したのか、祈くんが口を開く。
「…そういえば、咲姫は今は学校に通ってない、って言ってたけど…将来の夢とか、何か勉強してみたいこととかってあるの?小さいころとかのことでもいいんだけど。」
「あ…ええと…。私も、今まであまり考えたことはなかったです。お父さんとお母さんの後を継いで、おうちの神社を守ることになるのかな、とは思っていましたけど…。」
…実際のところ、それだって不安はある。氏子さんたちの多くは私のことを知っていてくださる人たちなので、ある程度は何とかなる部分は多いけれど…そもそも、私は日中にまともに出歩くことが難しい。夜にしか出歩けない以上、理解のある氏子さんたちにも、いろいろと無理を強いてしまうことは多いはずだ。
それに、神職というのは決して安定した職業ではない。神主さんをしているお父さんは、普段は他のところでお仕事をしている。今の世の中、冠婚葬祭を神社で行うことも少なくなってきているし、地鎮祭や定礎式なども頻繁にあるわけではないからだ。氏子さんからの寄付や奉納、初詣や各種ご祈祷などもあるために、まったく収入がないわけではないものの、生活とこの神社の維持管理を両立させるには、他にお仕事をもう一つ持つということは必要なことなのだろう。…果たして、私にお父さんと同じことができるのだろうか。ただでさえいろいろな制限がかかっている私なのに。
「…そっか…。偉いよね、咲姫は。」
「…偉い…ですか?」
いきなりそんなことを言われて、私は少し首をかしげてしまう。
「うん。…だって、いろいろ考えてる、ってことだよね?自分のことだけじゃなく、家や家族のことも。そんな風に悩むって、誰でもできることじゃないと思うから。…僕と同い年なら、なおさらね。」
…そんな風に言って、祈くんが私の頭に手を乗せてくる。
「あ…。」
少しびっくりして縮こまってしまう私。
「…あ、ごめん、嫌だった…?…うーん、兄さんみたいに自然にできればいいんだけど…。」
「…お兄さん?」
私が聞くと、祈くんは首を縦に振って言った。
「うん…実はね、僕が頑張ったときとか、泣いてるときとか…そういう時に、兄さんが決まって頭を撫でてくれたんだ。兄さんにそうしてもらえると、僕も嬉しくて、誰かが頑張ってたら、僕もしてあげたい、って思っちゃったりして…って、僕の感覚でものを語っちゃいけないよね…。」
ぽりぽりと頬を掻く祈くん。
「ううん…そんなことないです。仲良しなんですね、祈くんとお兄さん。」
「うん…そうだね。」
祈くんはそう言って、少し寂しそうな顔をする。…どうしたんだろう、と私が心配になっていると。
「…そうだ。咲姫、咲姫のおうちの神社って、どんな神様を祀ってるの?」
再びこちらに顔を向けた祈くんは、先ほどの寂しそうな顔から一転、柔らかく安心させられるような顔を浮かべて、私に問いかけてくれていた。
「木花之佐久夜毘売様です。知っていますか?」
私が言うと、祈くんは少し首をかしげながら、
「木花之佐久夜毘売…聞いたことがあるようなないような…。」
どうやら、お勉強に明るいであろう祈くんも、さすがに日本の神話や言い伝えというものはあまりよく知らないらしい。…かくいう私も、お父さんとお母さんにお話を聞かなければ知り得なかったことではあるけれど。
「ええと…どこからお話ししたらいいのかな…。天照大御神様のお孫さんに、邇邇芸命様っていう神様がいるんですけど…その邇邇芸命様が葦原中国へといらっしゃったとき、彼に見初められて結婚をなさった、とても綺麗で美しい姿をした女神様なんです。鹿葦津毘売様って呼ばれたりもするんですけど、そっちの方は知らない人が多いかもしれないですね。でも、佐久夜毘売様自体はいろんなところでお名前が出てくるので、多分、聞き覚えがあったのはそれがあるんだと思います。」
「へぇ…。」
感心した様子で、深い息を漏らす祈くん。
「…そっか、そんな綺麗な神様に捧げる神楽を、咲姫が舞っているんだね…。」
「…はい。でも、私は佐久夜毘売様みたいに綺麗じゃないから、私が舞っていいのかな、って思うこともあるんですけど。」
「え…?」
祈くんが、少し驚いた顔をしてこちらを見る。
「あ…ごめんなさい、こんなこと言っちゃ駄目かもしれないですけど…私、見た目的には佐久夜毘売様よりも、むしろ石長毘売様に近いと思うので…。」
「…石長毘売…?」
祈くんが聞き返してきたのを待って、私は少しずつ、言葉を紡いでいく。
「…佐久夜毘売様には、お姉さんがいらっしゃるんです。それが石長毘売様…お父さんである大山祇命様が、佐久夜毘売様を見初めた邇邇芸命様に、お姉さんである石長毘売様も一緒にもらってほしい、と言って送られるんですけど、美しい容姿をしていなかったので、一人だけお父さんの元に帰されてしまった…っていう女神様なんです。そのせいで、邇邇芸命様は、佐久夜毘売様をお嫁にいただくことで、現代の皇族の方々まで続く、永遠と言っていい子孫繁栄を手に入れた代わりに、石長毘売様をお嫁にすることで自分や子孫が得ることのできるはずだった永遠の寿命を失い、百年すらも生きることが難しい、ただの人間として生きることになってしまった…神話では、そう語られているんです。」
「そんなことが…。」
祈くんが驚きの表情を浮かべるが、私の言葉は、止まることなく次から次へと飛び出してくる。
「…私、思うんです。私が、おうちを継げるのかな、って。お父さんとお母さんのように、この神社を守れるのかな、って。…ひょっとしたら、さっきのお話みたいに、私がいるせいで、私の見た目がこんな見た目であるばっかりに、この神社をつぶしてしまうかもしれない、って…。」
「咲姫。」
祈くんが、私の方をじっと見て、ふわっと笑顔を浮かべて言う。
「そんなに自分のことを追い詰めないで。アルビノとして生まれたことだって、咲姫にも、咲姫を育ててくれた今のお父さんやお母さんもそうだし、もちろん咲姫の本当のお父さんとお母さんにもどうすることもできなかったことなんだから。それに、そんな気持ちがもしもあったとしても、本当にそうなっていくとは限らないじゃないか。
…そりゃ、僕の言うことはそもそも素人考えだし、きっと咲姫の方が、僕なんかよりももっともっと先のことを見て、その上でそういう考えに至ってるんだろうから、僕がどうこう言える問題じゃないかもしれないけど…でも、やっぱり僕は、さっきみたいに笑顔の咲姫を見ていたい。編入先の学校のある町で咲姫と出逢えて、最初の友達として仲良くなれて、笑顔が似合うって知れたんだもの。」
…祈くんの声と表情には、やっぱり、私に対する魔法のような、そんなものがある気がする。
いつものように考え込んでしまっていた私の心に、すっ、と、一筋の光が差し込んだように感じた時、祈くんがまた口を開いた。
「…ちょっと恥ずかしいことを言っちゃうかもしれないけど…一週間前にはじめてここに来て、神楽を舞う咲姫を見た時、僕、本当に思ったんだ。綺麗な子だな、本当の神様を見てるのかな、って。…それってさ、僕には、君は石長毘売じゃなくて、木花之佐久夜毘売として映った…って言えるんじゃないかな。」
「…私が、佐久夜毘売様に…?」
そんなことを言われると思わなかった私は、咄嗟にどう返していいのかがわからない。そんな私を見て、祈くんが言った。
「…困らせちゃってごめん、ただ…伝えなきゃいけない、って思ったんだ。僕の本音…せっかく心からそう思ったのに、それをなかったことにはしたくない…そう思うんだ。…なかったことにされることの辛さは、僕が一番よくわかっているつもりだから。」
…私は、彼の最後の言葉を聞いて、彼の気持ちを察する。
…なかったことにされることの辛さ。
もしかして、祈くんも----------
「…祈くん。」
気がついたときには、私は彼に声をかけていた。
「…ごめんなさい、これを聞くのは出過ぎたことかもしれないけれど…もしかして、祈くんも、誰かからいなかったことにされてしまったんですか…?その…さっき、『事情があって転入した』って言っていたので…。」
それを聞いて、祈くんの表情が強張る。その表情のまま、彼が言った。
「…まあね、そんなところ。…咲姫、出会った日に僕に話してくれたよね、咲姫の生い立ち…本当のご両親に命を奪われかかったこと、辛かった日々、今に至る考えの変化のこと…それで、もしよければ、僕の生い立ちも聞いてくれるかな…?もちろん、咲姫がよければ、なんだけど。」
そう言って遠い目をする祈くんの、おそらくこう思っているであろう心情というのが、私にはなんとなく理解できてしまう。
あの表情は、以前、鏡で見た私と同じ…声に出したいことを出すことができない、許されないかもしれない、出すことが怖い…そんな表情だ。
…私は、彼の目を見て、はっきりと伝えた。
「…祈くん、教えてください。
祈くんにあったこと…祈くんが苦しんでいること。
…私、聞きたいです。祈くんは、私の話を聞いてくれたから。こんな不気味な姿を見ても、怖がったり、気味悪がったりしなかったから。…綺麗だった、って言ってくれたから。
だから祈くん、教えてください。私にも、祈くんの苦しい気持ちを分けてください。…せっかく、私たちはお友達になったんですから。」
…彼は、そんな私に対して、「…ありがとう、咲姫。」と小さく言って、ぽつりぽつりと話し始めた。
「------咲姫は、もしかしたら、僕の家のこと、知ってるかもしれない。…高原財閥、っていう名前、聞いたことあるかな?…まあ、僕の生まれた家は分家だけどね。」
「え…?高原財閥…って…。」
…外部との接触を長い間絶ってきた私ですら知っている名前が飛び出してきて、私は驚きを隠せない。
高原財閥といえば、日本の中でも相当な名家…特に金融関係において絶大な影響力を持つ家であったはず。…分家とはいえ、まさか、祈くんがそんなおうちの出身であったなんて。
私の表情で、私が彼のおうちの名前を知っていることがわかったのだろう。彼は続ける。
「…さっき、僕には兄さんがいる、って話したと思うんだけど…実はね、優しかった兄さんは…もういない。…僕を庇って、家の門の前で車に跳ねられて亡くなったから。」
「え…。」
祈くんの言葉、その重さというものが、私にずしりと重くのしかかってきているのを感じた。祈くんは、私がそんな重さを感じているのを知ってか知らずか、小さな声で続ける。
「…その時の犯人は、まだわからない。車はそのままどこかに行ってしまったし、どこにいるのか、何をしてるのかもわからない。兄さんが亡くなったのに、その人は生きて、まだどこかで暮らしてるのかな、って思う。
…それ以来、僕は自分の名前で呼ばれなくなった。僕は高原の分家…つまり自分の家の中で、僕…高原 祈本人じゃなく、兄さん…高原 耀として扱われることになったんだ。…父さんや母さんだけでなく、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん、執事さんや家政婦さんに至るまで、僕を高原 祈と呼んでくれる人達は、家の中のどこを見ても、存在しなくなっていった。
後から叔父さん…本家の人に聞いた話だけど、父さんや母さんは、完全に僕を兄さんだと思い込んでるらしい。父さんや母さんからしても、まさか兄さんが僕を庇って亡くなるなんて思わなかったんだろうね。兄さんは、高原の分家の跡継ぎとして、父さんも母さんも、ものすごく可愛がってたから。多分、その姿を見て、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん、周りの執事さんや家政婦さんたちも、それに合わせるようになっていったんだと思う。
…でも、僕はどうしてそんなことになったのかが理解できなかった…父さんも母さんも、周りの人たちもみんな…僕とその中のだれかが二人きりの時にも、僕の名前を出すことすら、いつの間にか駄目なことになっていて…みんながみんな、僕を僕だって思わなくなっちゃったことが、どうしても納得できなかったんだ。それで、僕は僕のことを知っている本家に連絡を取って、家から離れて、何か困ったことがあったら、叔母さん…本家の叔父さんの奥さんのご実家を頼れるように、っていうことで、天桜市に来ることにしたんだよ。」
…私は、彼の口から紡がれていく言葉が、一瞬、どういうことなのかわからなかった。
彼の言ったことというのは、下手をすれば私が実の両親や周りの人たちから受けたもの以上の苦痛を味わいかねないものだ。そこに存在しているのにも関わらず、手をかけられるでもなく、実のご両親からも、周りの人たちからも、はじめからいなかったように扱われた、ということ。…彼は、まったく何も悪くないにもかかわらず。
彼の言葉は続く。
「叔父さんや叔母さんから聞いた話だと、僕の実家からの電話が全然鳴りやまないみたい。うちの跡継ぎを返せとか、そんなことばっかり言ってる、って。
…もしかしたら、僕は親不孝なのかもね。本家まで使って家から逃げ出して、両親を心配させてるんだから。
…でも、さすがに家族すらも名前を呼んでくれなくなったのは本当に辛かった、それは確かだったんだ。そこから、僕はいろいろ考えるようになった。父さんと母さんは兄さんのことばかり見ていたから、二人からすれば、兄さんよりも出来の悪い僕なんて、育てるだけ育てればいいと思って、最初から眼中にすらなかったのかもしれない、だから生き残っちゃった僕を僕として扱ってくれないのかもしれない…そう思ったら、あの家に1秒でも多くいたくない、っていう気持ちを止めることができなくなっちゃって。」
…そこまで言って、祈くんは悲しそうな…しかし何か達観していそうな顔をして夜空を見上げ、柔らかく優しい光を放つ月へと目を向ける。
------そして、再びこちらを向いた彼。
その表情は、今のこの月明かりと同じ…そう思えるほどに、綺麗で、純粋で…優しさに満ち溢れたものだった。
彼が、私に笑顔で言う。
「…でも、ここに来てよかったって、今では思ってる。
だって、咲姫に逢えたから。綺麗で、優しくて、一生懸命で、重いハンデがあっても、何かができないかってたくさん考えて…そんな咲姫が、ずっと一人だと思ってた僕の、天桜市でのはじめての友達になってくれた…それだけで、僕は幸せ者だなって…そう思うんだ。」
------とくん。
…私の心が、強く脈打つ。
出逢ったばかりの私たち。しかし、彼の言葉は、私のことを純粋な目で見てくれている、そう思うことができる、とてもあたたかなもの。
私は、心からそう思うことができた。
「------祈くん、話してくれて、ありがとうございます。
私も…祈くんが最初のお友達で…とても、幸せ…です。」
…私が心からそう言ってもなお、胸のどきどきは収まらない。
(この気持ちは…何なんだろう…?)
この、今まで感じたことのない気持ち。彼に包みこまれたい、彼のことを包みこんであげたいという、そんな、煮え滾る熱さにも似たこの気持ちは。
------それが何なのか、私にはわからない。
そんな気持ちを抱きながらも、私は祈くんに精一杯の気持ちを込めて笑顔を返す。…彼が似合うと言ってくれた、私自身の純粋な気持ちを乗せた笑顔を。
「------本当に、咲姫の笑顔は素敵だね。」
「祈くんの笑顔も------好きです…私。」
桜の花びらが舞い、月明かりが照らす境内。
その空間の中で、私と祈くんの春の夜は、そうして更けていくのだった------