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憎い仇(魔王)が過保護に世話を焼いてくるけど、復讐の花嫁は今日も魔法をぶっ放す

作者: ゆちば

「いつか遠いところで暮らそう。二人で」


 魔王城、四天王の間。

 気絶している勇者を必死に揺り起こそうとしていた私に、盗賊の青年バゼルは言った。


「だから、オレがちょっくら平和な世界、創ってくるよ」


 勇者の近くに落ちていた聖剣をスッと拾い上げると、彼は「オレが盗んだの、アレスには内緒な」とおどけた表情を浮かべ、そして私に背を向けた。


「バゼル! 待って! 行かないで!」


 私は聖剣の神々しい輝きに目を細め、涙をこぼしながら叫ぶ。

 けれど、バゼルが振り返ることはなかった――。



 ◆◆◆


 嘘つき――。


 純白のドレスに身を包む私、マーニャ・タルトルの心は暗く沈んでいた。


 荘厳で美しい神殿で執り行われている勇者と聖女の結婚式は、すべての王国民が注目するところだ。

 ただでさえ、王位継承権が一位になった第三王子アレスと、名門公爵家の令嬢である私の高貴な婚姻。次期が来れば、国王と王妃になるという私たち二人に「【異形の魔王】を倒した」という功績が加われば、皆が揃えて祝福の言葉を口にし、千切れんばかりに手を叩いて喜んだ。


「あの残虐で醜い魔王を倒したアレス様だ。さすがは聖剣に選ばれし勇者。王国の未来は安泰だ」

「マーニャ様ほどお美しい聖女様ならば、アレス様とお似合いですわね。きっと魔王討伐の旅では、仲睦まじく互いに支え合っていらしたのでしょう」


 嘘。嘘。嘘。

 私たちの魔王討伐の旅は、始めから最後まで嘘で塗り固められている。


 聖剣に選ばれ、魔王にトドメを刺したと言う勇者アレス。

 アレスに救われ、共に旅をしたと語るかつての仲間たち。

 アレスを無敵の英雄であると称える王族や貴族たち。

 神父にアレスへの永久の愛を問われ、誓うと心を感情なく答えた私。

 そして、「いつか遠いところで暮らそう」と言ってくれたあの人も――。


(みんな、みんな、嘘つきだ……)


 私の藍色の髪をアレスの傷一つない美しい手が撫で、その手が頬に降りて来る。愛のない手慣れた触れ方だ。

 そして、いよいよ誓いの口付けをしようという時だった。


「――花嫁ヲ…、聖女マーニャをさらいにきタ」


 乱暴に扉を開け放って入ってきたのは、禍々しい漆黒の甲冑に身を包んだ騎士――いや、単なる騎士ではなかった。鋼のような鱗で包まれた長い尾が垂れ、紅蓮色のマントの先は魔法の炎がゴウゴウと燃え盛っている。兜で顔を見ることはできないが、左目が煌々と紅く輝いているのが分かる。


 その姿には、見覚えがあった。


「【異形の魔王】……! なぜ貴様が生きている!」


 アレスがガタガタと体を震わせながら叫ぶ。


(嘘よ。そんなはずは――)


 否定したい。けれど、違うと断言するには証拠が足りないことも理解していた。


 私たちは魔王の亡骸を見ていない。一年前の今日、主を失い、魔力の供給が経たれた魔王城は崩れ落ち、私たちは命からがら脱出したのだ。

 アレスはそれを魔王の死と結論付け、国民に勝利と平和を宣言した。


「くそっ! あいつが仕損じたんだ。どこまでも僕の足を引っ張る役立たずめ……」


 隣にいる私にしか聞こえない大きさで舌打ちをするアレスを、私は打ち震えながら睨みつけた。

 心が波立ったのは久々で、この許し難い怒りの矛を収める気には到底至らない。


「アレス!」


 声を荒げるが、【異形の魔王】の出現に動揺しているアレスには、お飾りの結婚相手の声など届いてはいなかった。

 アレスは恐怖と焦りで顔を引きつらせ、衛兵を指差して大声で叫ぶ。


「騎士団長! すぐに衛兵を指揮して魔王を追い出せ! マーニャと共に城の外で奴を殺して来い!」

「え……っ。アレスは……?」


 聞き損ねたのかと耳を疑い、私はアレスの腕を掴んだ。すると、彼の視線がようやく私の方を向き、何を抜かすと言わんばかりに乱暴に手を振り払われた。


「僕は先の戦いで聖剣を失ったんだぞ! そこらのナマクラで斬りかかれと言うのか?! それにマーニャ。ヤツはお前を寄越せと言っているのだ。自分でケリをつけるべきところを衛兵を貸してやる僕の優しさに涙してもらいたいくらいだ。さぁ、すぐにあの醜いバケモノを殺してこい! お前の神聖術はそのためにあるのだろう!」


 もうだめだ。もう耐えられない。


「……私が前線に立ち、民の盾になり、矛になることはいいのです。今だって、皆を守るために術を振るうことに厭いはありません。けれど、あの人はずっとただの鋼の剣で戦っていた! あなたがナマクラと馬鹿にし続けた剣を磨いて、毎日必死に……。聖剣なんてなくても、私はあの人こそが……バゼルこそが勇者であると断言します!」


「死んだ雑魚の話をするなぁっ‼」


 死んだ仲間――盗賊の青年バゼルの話は、アレスにとって触れてはならない地雷だった。だが、それは私も同じ。


「さようなら。アレス」

「なっ⁉ マーニャ……⁉」


 私はアレスが伸ばして来た手をするりとかわすと、ウエディングヴェールを捨て去りながら、【異形の魔王】の腕の中に飛び込んだ。

 アレスがわなわなと震え、会場の王族や貴族からは悲鳴が上がるが、もうそんなことはどうでもよかった。


「先ほどの誓いの言葉はなかったことにしてくださいませ」

「ふざけるな! 僕は善意でお前のような傷モノをもらってやるんだぞ! 今すぐ地に頭をこすりつけて詫びれば許してやる! だから――」

「こんな偽りにまみれて生きていくくらいなら、死んだ方がいい……!【異形の魔王】……、私をさらって……!」

「いいダろウ……」


 兜で隠れた魔王の紅い瞳が笑ったかのように見え、私はハッと息を呑む。

 そして漆黒の鎧をまとった腕が軋みながら私の体を軽々と抱き上げ、腰の剣をすらりと抜き放つと、及び腰で喚き散らしていたアレスがチェスの駒のように軽々と吹き飛んだ。


 無様に転倒し、衛兵たちに助け起こされているアレスの姿を見ると、私は少し胸が空く思いがした。


「ありがとう……。後はあなたの好きにして……」

「ウム。では、行ク」


 魔法の炎で燃えるマントが大きく広がり、私と魔王を包み込んでいく。

 叶うならば、偽りのない世界――バゼルのいる死後の世界に行きたいと、心の底で切に願う。


「バゼル……」


 転移の炎魔法を見つめながら、私は彼の名を呟いた。


 ◆◆◆

 転移先は、王国の果ての森の奥深くにひっそりと佇む、二階建ての家だった。

 こじんまりとしているが見た目の可愛い木造建築で、周りには美しい花々が咲いており、木でできたテーブルと椅子がテラス席のように設けられていた。


 私はその穏やかすぎて現実離れした景色を見て、言葉を失っていた。てっきり、かつて乗り込んだ魔王城のような不気味な城か、魔物の巣窟のような場所に連れて行かれるものと思い込んでいたのだ。


「オ茶でも飲むカ?」


【異形の魔王】が屋外の椅子の埃をサッサッと手で払い除けると、私の方を見て座るようにと手で促してくる。

 違和感しかないその行動に、私は思わず拍子抜けしてしまう。


「け、けっこうです! 私はあなたに殺されに来たのですから。このマーニャ・タルトルは、命乞いなど致しません。さぁ、煮るなり焼くなりお好きにどうぞ」


 私が胸をむんと張って強気に睨みつけると、【異形の魔王】は首と共に兜をがしゃがしゃと不快な音を立てて横に振った。両手を顔の横の高さまで上げ、殺意がないことを必死に伝えようとしているようだった。


「魔王相手でも怯えなイんだナ。それハ分かっていたんだガ、睨まれルト怖イからやめてクレ」

「魔王のくせに腑抜けた演技ですか! ではなぜ私をさらったのですか? まぁ、結局最後は私からさらってほしいと頼みましたが……」

「アイツの遺言ダ」


 黒い鱗に覆われた尾が、寂しそうにざりざりと地面を撫でる。


 私はすぐに「アイツ」が誰を指すのか理解した。

 やはりバゼルは一年前の戦いで、魔王に殺されていた。遺体をこの目で見るまでは信じまいとしていたが、魔王がこうして生きているのに彼はここにいないのだ。


「彼は聖女だけでも見逃してくれと言ったのですか? だからあなたは私を人里離れた安全な場所に連れて来た。アレスたちはこれから倒しに行く予定。そうでしょう⁉」

「いや、違ウ。アノ盗賊は――」


 喋りかけた魔王の心臓めがけて、聖なる光が迸る。

 私は血が出るほどに強く唇を噛み締めながら、魔王に神聖術を放っていた。大切な人を殺されていたことが分かり、仇が目の前にいるという状況で冷静でいられるほど、私は穏やかな性格はしていないのだ。


「つい先ほどまでは死にたくてたまらなかった。バゼルがいない苦しみから逃げ出したいとずっと思っていた。けれど今、生きる目的ができました」


 もう一撃、光が瞬くと、私はふらりとよろけて尻餅をついてしまった。

 しかし、私が力の限り術を放ったところで、【異形の魔王】は簡単に傷など負わない。それは以前の戦いでも、身を持って知っていた。


 魔王は禍々しい籠手で覆われた左手で神聖術を軽々と払い除けると、鎧を軋ませため息を吐き出した。


「そんナ痩せた体デ、オレに復讐ヲ……? 笑わせテくれル」


 久しぶりに全力を出したせいで、すぐに立ち上がることもできない。この一年、バゼルがいない悲しみから、食事も外出もロクにして来なかった結果、私は健康な体と魔力の大半を失ってしまっていたのだ。それでも、だ。


「神に誓って、必ずバゼルの仇を討つ! 私を生かしたことを後悔させてみせます!」


 私の決意を魔王はさらりと流すようにして笑い、森の中へと去って行く。


「家ノ食べ物に、毒は入レテいなイ。自由に食べロ」


 と言い残して。



 ◆◆◆

 そして、人里離れた森での生活が始まった。

 魔王が連れて来た家だというのに、中には小さいながらもきちんとした調理場があり、真新しい調理器具や、外には石窯まである。そして二階には一人用のベッドと女性ものの衣類がいくつか置かれており、こちらもまっさらだった。


(ひとつひとつ、すべてが新しい……。魔王が私のために用意した物だというの……?)


 いやいや、何かの間違いだ。魔物を率い、虐殺を繰り返していた【異形の魔王】が、そんな人間じみた真似をするわけがない。きっと新築で新生活を始めようとしていた人を殺め、家を奪ったに決まっている。


 私のせいでごめんなさい……と、私は聖女らしく清らかな祈りを捧げた。

 家の主の分まで、私は強く生きる。なんといっても、あの魔王に復讐しなければならないのだから。


 私はずるずると引きずっていたウェディングドレスを脱ぎ捨てると、身軽なエプロンの付いたワンピースに着替えた。そしてウェディングドレスは刻んで雑巾にでもしようと考えながら、調理場へと下りる。


 強力な神聖術を放つには、まずは食事で体力をつけるべきだろう。


(料理……、久しぶりだわ。わくわくする……)


 貴族令嬢の私は、料理なんてしたことがなかったし、聖なる力に目覚めてからは、聖女の修行ばかりの毎日だったのだ。

 当時、聖剣に選ばれた王子との旅は快適なものだと思い込んでいた私は、そこで大きなショックを受けたことを覚えている。


 第三王子アレスは、王位欲しさに勇者に立候補した野心家であり、

 聖剣を金で買い取ったため、重くて振るうことすらできないこと。

 魔法学園時代から優等生だった私を嫉妬し、嫌っていたこと。

 父王に秘密で屈強な仲間を雇い、見栄を張って救って仲間にしたと偽ったこと。

 戦いは私と仲間たちに任せきりだということ。

 女傭兵とねんごろになり、有り金を持ち逃げされてしまったこと。


 そして、貧乏勇者御一行様は日銭を稼ぎ、わずかな食材で料理をしなければ生きていけないことを私は知った。


 アレスは「未来の王は料理なんてしない。マーニャ。女のお前が作れ」と私に料理を命じたのだが、箱入り娘の私の頭にはなんのレシピも入ってはいなかった。雇われた仲間たちもアレスから手出しを止められていたのだろう。調理場から少し離れた野営地から、皆、チラチラとこちらを見るだけで、手伝ってくれる者は一人もいなかった。おそらくアレスは、私が泣きついてくるのを待っていたに違いない。


 悔しいので野菜を丸ごと皿に乗せて食べさせてあげようかしらと思っていると、そんな私に声を掛けてくれた青年が一人だけいた。


 その人こそがバゼル。小麦色の髪に綺麗な翠眼を持った、私と同じ歳――18歳の青年だ。


 彼はアレスが雇った者ではなく、山賊に襲われていた村を救った私に恩返しをしたいと言い、ついて来てくれた盗賊だった。不意打ちで相手の急所を突く戦い方を得意とするため、大型の魔物や多対人戦は苦手だが、盗賊というだけあって、彼の宝の鑑定眼や鍵開けの技術はとても役に立った。


 けれど底意地の悪いアレスはバゼルの功績をなかなか認めようとせず、「薄汚い卑怯者」と度々罵っていたが、私は彼を気に入っていた。

 彼は、空っぽだった私にたくさんのものを与えてくれたのだ。


「なぁ、マーニャお嬢。どうせなら上手いメシで王子様をびっくりさせてやろうぜ!」


 明るく笑いながら、バゼルは私に料理を教えてくれた。

 初日は散々なものだったが、毎日毎日根気強く包丁の持ち方、野菜の皮の剥き方に切り方、香草の使い方、パンの捏ね方に肉の焼き加減……。旅が終わってしまったので、肉の捌き方までは教わることができなかったし、どれも粗末な品ばかりだったが、私は彼のおかげで料理をする楽しさを知ることができたのだ。


(スープを作ろう……。バゼルが初めに教えてくれた、ひよこ豆のスープを)


 バゼルとの思い出に浸りながら調理場を散策していると、水瓶に入ったひよこ豆を見つけた。私はそれを使ってスープを作り始めた。


 ひよこ豆を鍋で茹で、味付けは塩と胡椒とシナモン、そしてオリーブオイル。

 家の周りには花だけでなく、たくさんのハーブが生えており、使えそうなものを摘み取り、みじん切りにして鍋に入れた。


(パセリとバジル、チャービルも使えるわ。このハーブ、誰かが世話をしていたのかしら……?)


 バゼルが丁寧に教えてくれたことを思い出しながら、鍋でコトコトとひよこ豆のスープを煮込んでいく。

 しばらくするとハーブの香りが立ってきて、調理場に食欲をそそる良い香りが広がっていった。


(空腹を感じたのは、いつぶりかしら……。バゼルがいなくなってからは、ずっと食欲がなかったものね……)


 スープだけでは力は出ないと思った私は、そこから簡単なパンを焼こうと小麦粉を捏ね始めたのだが、これが思いの外時間がかかっててしまった。


 バゼルと二人でパン作りをした時は、もっとスムーズだったのだ。けれど力の衰えた私一人では、なかなかパン生地が捏ね上がらず。


 パンが焼けた頃にはすっかり夜が更けてしまっており、私はヘトヘトに疲れ果てていた。早朝から結婚式の支度、式で魔王にさらわれて、それからずっと料理をしていたのだ。疲労を感じないわけがなかった。


(だめ……。食べる元気がない……)


 ダイニングテーブルにぐったりと突っ伏していると、コンコンッとドアを誰かが叩く音がして、私は恐る恐る外を覗いた。警戒して辺りを見回すも、ドアのそばには誰もおらず、あるのは金色の液体の入った小さな瓶だけだった。


「これは……?」


 怖々と瓶の蓋を開け、くんくんと匂いを嗅いでみると、よく知った甘い香りがした。警戒しながら小指で少しだけぺろりと舐めてみると。


(蜂蜜だわ……)


 私はパンに蜂蜜をかけて食べるのが大好きだった。公爵家にこもっていた頃は、そんな食べ方をした事はなかったのだが、バゼルが「蜂蜜を塗りたくったパンは絶品だ」と言い、私にもその味を教えてくれたのだ。


(そうよね。絶品だもの)


 疲れた体を癒すため、そして何よりバゼルの仇を討つために、私は食事に臨むことにした。


「スープもパンも美味いよ、マーニャお嬢。ちょっとしょっぱいけど」


 バゼルならきっとそう言って全部食べてくれるだろうなと思いながら、私はぐすんっと鼻をすすったのだった。



 ◆◆◆

 次の日から、私は毎日魔王に挑んだ。

 というのも、魔王がこの家の庭を拠点にしていることが分かったからだ。


 昼間は一日一回程度、転移魔法で現れる。そして家の周りをぐるぐると回り、森の奥へと歩いて消えるか、再び転移魔法で姿を消す。


 夜はだいたい、家の壁にもたれるようにして地面に座っている。時々尻尾が動いたり、マントの炎が大きくなったり小さくなったりするので、おそらく眠ってはいないと思う。

 気になったので一度奇襲を仕掛けてみたが、死角からの神聖術を指一本で消し去ったので、やはり起きていたのだろう。


 きっと私を監視しているに違いない。アレスと連絡を取ろうとしたら殺そうだとか、そんなことを考えているのだろう。

 けれどこの監視を利用しない手はないと、私は魔王の姿を見つける度に神聖術をぶっ放した。


「バゼルの仇……!」

「まだまだダナ。瞬発性が足リなイ」

「きぃぃぃっ!」


 その日も庭に現れた魔王にシッシと軽くあしらわれてしまい、私は悔しくて地面をごろごろと転がった。まるで駄々をこねる子どものようだが、私と魔王しかいない場所で恥ずかしがる理由は何もない。


「だんだん現役時代の魔力量に近づいてきてるのに……。あなたが私に一向に剣を抜かないことも腹立たしいわ」


 私はむくりと起き上がり、魔王の腰の大剣を指差したのだが、その時ふと、かつての旅で魔王と何度か邂逅した時、彼は大剣を携えていたことを思い出した。たしか先がギザギザした葉のような形をしていた。アレに抉られたら痛いでは済まないだろうと、アレスがぶるぶると震えていたのを覚えている。


「今は片手剣なのね。大剣はどうしたの?」

「……魔王城で落としタ」


 なんと間抜けな嘘だろう。兜で顔が見えなくとも、不自然な間で丸わかりだ。

 私はその理由を推測し、すぐにピンときて大きく頷く。


「バゼルに折られたのね。悔しいから、私にそんな嘘をつくんだわ。そうでしょう?」


 私はバゼルの奮戦をずっと心に思い描いていたのだ。

 旅の中で、いや、きっとバゼルが生きて来た中で、その強さを認めようとした者はいなかった。

 孤児だった彼は生まれた村でも「どぶネズミ」と蔑まれ、雇い主には何度も報酬を踏み倒され、アレスには聖剣や荷物を持って運ぶ係を押し付けられていた。


 けれど、私だけはちゃんと見ていた。


「彼の戦い方は、一朝一夕で得られるものじゃない。あのしなやかで軽やかな身のこなしは、彼が人生を通して手に入れた宝よ。それに非力に見えるけれど、力だってあるんだから! 一撃で敵を仕留めるところだって何度も見たもの! それにね、聖剣が光っていたのよ? アレスは鞘から抜くことすらできなかったのに、彼が軽々と抜いた剣はとても眩かったの……っ」


 バゼルは強い。

 バゼルは何度も私を助け、守ってくれた。

 仲間を守るため、国を救うため、一人で【異形の魔王】に立ち向かう勇気と優しさもある。


 私は彼が傷だらけになりながら戦う姿を思い出し、涙をぽろぽろと零した。泣くのは久しぶりだった。一年間、心を殺して生きて来たから。


「本物の勇者は……バゼルなのよ……! 王や……民が認めなくても……、うっ……。バゼルは……誰よりも、勇者だった……!」


 誰に何度そう訴えても、信じてもらえなかった。そんな言葉を憎き魔王にぶつけるように吐き出す。

 すると、信じられないことが起こった。


「泣くナ」


 兜の下の紅眼がじわりと滲むように揺れたかと思うと、魔王は左手で私の頬を伝う涙を拭おうとしたのだ。


「え……」


 唖然として動けなかった私の頬を魔王の指が撫で――……。


「◎×△●●◇~~ッ‼」


 スパッと頬が切れ、真っ赤な血が噴き出したものだから、私は言葉にならない特大の悲鳴を上げた。まるで地面から抜かれたマンドラゴラのようだったと思う。

 魔王の左手には鋭利で長い獣の如き爪があり、それが私の頬を斬り裂いたのだ。


「こ……っ、この卑怯者! 私が大事な話をしてる隙を突いてくるなんて!」

「ゴ、ごめん! そんナつもりハ……! す、スグに薬草を取ってくル!」


 おろおろと狼狽える魔王を私は許さなかった。そもそも憎い相手なので一秒たりとも許してはいなかったが。


「えぇい! 食らいなさいッ!」


 本日二発目の上級神聖術を発動させたが、謝りながら森の中へと逃げ去って行く魔王には掠りもしなかった。


(くぅ……っ! 瞬発性を鍛えてやる……!)


 その後、魔王が持ってきた薬草は生傷によく効いた。

 そしてその日から、私は神聖術の特訓だけでなく、筋トレも始めたのだった。



 ◆◆◆

 私は、三食の健康的な食事と運動を心がけた。

 健全な魔力は健全な肉体に宿る――。

 死にたがっていた令嬢の体を聖女全盛期まで戻し、魔王と対峙するために、特に私は毎日料理をし、しっかりと食べた。


 煤だらけになりながらパンを焼き、肉を塩漬けにして干し肉に、野菜はピクルスにしてみたり、生卵を割るのは苦手なので茹で卵にしたりして食べた。

 すべて、バゼルが旅の中で教えてくれたことばかりだ。


(彼は屋敷の中しか知らなかった私の価値観を変えてくれた。自分で何かを作ることはとても楽しくて、不便なことだってやりがいになる。人生はいくらでも面白くなる……)


「あなたが生きていたら」


 藍色の長い髪をするすると梳かし、結い上げながらそう呟いた時、ドアの向こうからギシギシと金属が軋む音が聞こえた。

 私は髪を結うのを中断し、今日こそはと意気込んで調理場の窓を勢いよく開き、外を覗いた。


「ついに現場を押さえたわ!」


 私が大声で叫ぶと、ドアの前にいた【異形の魔王】がびくっと震え上がったのが見えた。


「ウワッ! 急に大きイ声を出すナ!」

「魔王のくせにこそこそするのが悪いのよ!」


 私は窓から元気よく飛び出すと、魔王の足元にあった籠に被せられていた布を取り去った。中には捌かれた状態の兎肉と調味料が入っている。そして籠の外には新しい洋服と香油の瓶がそっと置かれていた。


 今日だけではない。この家に住み始めてから毎日、気が付くと家の前に食糧や衣服、薬草なんかが少しずつプレゼントのように贈られていたのだ。


「食べ物だけじゃなく、香油まで。まるで意中の女性へのアプローチね」

「エッ! いや、オレは……ッ」

「冗談よ」


 兜で隠れた顔は見えないが、私の意地悪な発言に魔王は戸惑っているかのように感じられた。少し意外である。


「どうして私の世話をするの? これもバゼルの遺言?」


 私が詰問のように尋ねると、魔王はおそらく居住まいを整えるために鎧をギシギシと軋ませ、「……そうダ」と答えた。


「盗賊は聖女ガ笑顔でいらレルようにト、オレに願っタ。盗賊ヲ失い、アレスと無理矢理婚約ヲ結ばさレ、自由ヲ失くしたオマエは笑ワなくなっタだろウ? だからオレは、オマエが盗賊との過去ヤ、王国のシガラミから自由になったらいいト思っていル」

「殺したくせに、バゼルを代弁するような真似はやめて!」


 私は思わず声を荒げた。

 魔王が私の空っぽの一年間を見て来たかのような口ぶりで、しかもそれが当たっていたことが癪だったのだ。


 旅が終われば何もかもを捨て、バゼルと二人でどこか遠くへ行くつもりだった私は、彼を失ってから自暴自棄になり、親や国王、アレスの言われるがままに生きてきた。


 けれど、彼と生きる夢が叶わなくなった絶望は私だけのものであり、魔王なんかに語られたくなない。ましてや、バゼルのことを忘れて生きろなどという発言を許してたまるものか。


「私は一生バゼルを覚えている。愛した人を簡単に忘れるなんてできないわ」


 きっぱりと言い放つと、私と魔王の間に数秒の沈黙が流れた。遠くの小鳥がピピピとさえずる声がよく聞こえ、その間に私の頬は分かりやすく真っ赤に染まり上がってしまっていた。


「い、今のは聞かなかったことにっ!」

「言わなイ! 誰にも言わなイ!」


 愛だ恋だなんて話を誰にもしたことがなかった私は、急激に恥ずかしくなってしまい、慌てに慌てた。なぜ憎き仇にこんなことを話してしまったのだろう。そしてなぜ、魔王まで照れた様子で慌てているのだろう。


「さ……さてはあなた、ウブなのね! 魔王は侵略で忙しくて、色恋どころじゃなかったんでしょう⁉ ふふ、意外な弱点発見ね!」


 照れ隠しのために早口でまくし立てた私だったが、その時にはすでに魔王の姿は跡形もなく消えていた。どうやら転移魔法を使ったらしい。


(これは……。魔王は本当にウブってことでいいのかしら?)



 ◆◆◆

 その日を境に、魔王は堂々と私の世話を焼くようになった。


 毎朝薪を作り、水汲みを手伝ってくれた。

 庭の花やハーブの世話の仕方を教えてくれた。

 畑作りのために地面を耕そうとしていると、黙って鍬を持って現れた。

 森にキノコ狩りをしに来た私の先回りをし、毒キノコを先に借り狩り尽くしていた。

 動物を捕えるための罠作りを手伝い、肉を捌いてくれた。


 私は「余計なお世話よ」と何度も魔王を跳ね除けようとしたが、あまりにもままならない私を放っておくことができなかったのだろう。

 魔王は、私が復讐のために襲いかかってくる合間に、過保護な親のようにたくさん私を助けてくれた。


 そしてある夜、複数の魔物の遠吠えが森に響き渡った。

 群れで行動し、人間を狩る狡猾な性格のグレイウルフという魔物で、私はその遠吠えを耳にしただけでガタガタと震えが止まらなくなってしまった。


 魔王討伐の旅で、最初に戦ったのがグレイウルフだった。

 まだアレスのポンコツ具合を知らなかった私はその戦いで重症を負い、それ以来犬の遠吠えを耳にするのも恐ろしくなっていたのだ。


(怖い……っ。震えが止まらない……っ!)


 カーテンを閉め、ベッドに潜り込むが、こんな事無意味であると分かっていた。

 グレイウルフは鼻が利き、屋内にいる人間の匂いも嗅ぎ分ける。しかも岩までも砕く力を持っているので、建物の中に隠れたところで無駄なのだ。


(神聖術で追い払えばいい……。それは、分かっているけれど……)


 私は背中の幻覚痛に襲われ、その痛みに涙を滲ませた。


 私の背には、グレイウルフの爪痕が醜く残っている。

 当時、自身に回復魔法を使うことができない私を治療してくれる者などおらず、泣きながら必死に止血をしたことを覚えている。けれどアレスは自分が負った擦り傷を先に治せと喚き散らし、私は満身創痍で彼に術を施した。


 しかも翌朝から数日間、私は高熱に魘され、アレスには足でまといだと罵られ、挙句「醜い傷だ。貰い手はいなくなったな」と笑い飛ばされた。

 けれど、勇者を支えることが聖女の使命だという教育を受けて来た私には、アレスに逆らうという発想すら存在しなかったのだ。


(嫌なことばかり思い出してしまう……。今の私はかつての私とは違うのに……)


 その話をバゼルにした時、彼は何と言ったのだったか。

 恐怖を鎮めるために愛しい人を思い出す私の瞼の裏に、バゼルがぐすぐすと鼻をすすり、目を真っ赤にして涙を堪えていた姿が浮かぶ。


「一人で怖かったよな? 痛かったよな? ごめんな、お嬢……」


 私が「どうしてあなたが謝るのよ」と驚きながら問うと、バゼルは悔しそうに拳を握りしめ、小刻みに震えていた。私の背中に触れようとしたらしく、一度手のひらを開きかけたが、臆した様子でため息をつき、手を引っ込めてしまう。


「だってさ……、お嬢がつらい時、そばにいたいじゃんか。あ……、いや、オレみたいな盗賊に何ができんだって話だけど……。一緒にいたら、怖い気持ちとか悲しい気持ちとか、半分くらいはもらってあげれるかな……なんて……」

「……じゃあ、半分こ。いつかお願いね」


 私が嬉しそうに微笑むと、バゼルは急にもじもじとして、「お嬢は醜くなんてないよ」と照れた表情で私を慰めてくれた。その後もまだ何か言いたそうにしていたが、結局話はそこで終わった。


 背中の傷も痛みも消えない。けれど心はスッと軽くなり、私は自然と笑顔になったのだ。


(半分、もらってくれなくていい。それでもいいから、そばにいてほしかったのに……)


 早くグレイウルフを掃討しなければ、どんどん仲間が集まってきてしまうと、私は幻覚痛を堪えてベッドから這い出て、窓から外を見下ろした。

 すると、「うぉぉぉんっ」という獣の悲鳴が耳に飛び込んできた。


 見ると、家の前に魔王が剣を逆手に構えて立っており、集まって来たグレイウルフたちと対峙しているではないか。


(うそ……。【異形の魔王】と魔物は仲間なんじゃ……)


 魔王は巨体に似合わない身のこなしでグレイウルフの猛攻をかわすと、左手で握った剣を旋回させるように振り切り、一撃で複数の敵の喉笛を切り裂く。尻尾に噛みつかれ、痛そうな呻き声を上げるが、強引に敵を振り払い、一瞬で距離を詰めてぐさりと剣でとどめを刺した。

 けれど、次々に襲い掛かってくるグレイウルフを次第に捌けなくなってきた魔王は、たくさんの個体に腕や足に噛みつかれ、みるみるうちに動きが鈍くなっていく。


 左手に構えた剣で、一撃で命を奪うことは得意だが、乱戦が苦手。戦闘魔法が使えず、防御もろくにしようとしない。そんなハラハラする戦い方を私は近くで何度も見たことがあった。


「こんなの、魔王の戦い方じゃないわよ……!」


 私はネグリジェのまま半泣きで階段を駆け下りると、急いで家の外に飛び出した。


「気張りなさいよ!」


 魔王に向け回復と攻防力上昇の魔法を放つと、淡く青い光が視界いっぱいに広がった。

 聖なる光が似合わなすぎて、思わずクスリと笑ってしまう。

 もう、怖くはなかった。


「ここは危なイ! 家に戻レ!」

「嫌よ! 私、半分こしに来たんだから!」

「…………ッ!」


 兜のせいで表情は見えないが、魔王はギシッと籠手を動かし、手を握りしめた。彼が何を思い、何を言わんとしているのがなんとなく分かってしまった私は、


「一人は怖くて痛いけど、二人なら平気なんだから」


 と言葉を続けた。


「デモ……」

「舐めないでくれる? 最近の私、誰かさんのお陰で絶好調なんだから!」


 私は胸をむんと張り、強気に笑ってみせる。

 魔王は私を戦場から遠ざけたそうにしているが、こちらにそのつもりはまったくない。健康的な食事と運動、そして一日複数回の復讐が、私を気力溢れる好戦的な聖女に変えていたのだから。


「敵に捕まらないように撹乱して! できるわよね?!」


 私が両手を胸の前に突き出し、魔力を溜め出す動作を見た魔王は、一瞬ためらうように黙り込んだが、その後すぐに「分かっタ」と低い声で答えた。


「ウぉぉおォォッ!!」


 魔王は雄叫びを上げ、四肢に噛み付いていたグレイウルフを力ずくで振り払う。きゃんっ! と悲鳴を上げて吹き飛ばされたグレイウルフだが、今度は入れ替わるようにして大きい個体が魔王に襲い掛かった。

 しかし、そこにはすでに魔王の姿はなく。巨体と重装備からは想像がつかない速さで背後に回り込んでいた魔王の剣が、大型グレイウルフの急所を剣で一突きしていた。

 そして魔王は剣を引き抜くと、まだまだ残っているグレイウルフの群れにひょいと飛び込み、剣を逆手に構えたまま、姿勢を低くしてその間を縫うように駆ける。

 グレイウルフの足の肉を切り裂く耳障りな音と共に獣の悲鳴が響き、活発だった敵の動きは急激に鈍くなった。グレイウルフたちは魔王の姿を捜しているようだが、疾風のように戦場を駆ける彼を捉えることなど不可能なのである。


「いけるカ⁉」

「えぇ! 時間稼ぎありがとう!」


 離脱すべきと判断したらしい魔王は、グレイウルフの群れの真ん中から飛び上がるようにして空中に現れたかと思うと、一瞬で私の背後に移動した。

 やっぱりよく分かっている。そう思うと自然と笑みがこぼれてしまう私は、両手に溜まった聖なる魔力を弓矢の形に凝縮させると、夜空に向かって弓をキリキリと引き絞った。


「食らいなさい! 【ジャッジメント・アロー】!!」


 私が手を放すと矢は空中で無数に分裂し、キラキラと美しい流星のようにしてグレイウルフたちに降り注ぎ、鋭く射抜いた。耳が痛くなる程のキラキラ音に私は顔をしかめるが、その騒音の中、一際巨大な一体が矢の雨を潜り抜け、こちらに迫っているのが見えた。


(しまった! 防御、間に合わな――)


 私は両腕で顔と胸を庇い、ぎゅっと目をつぶる。しかし、私がグレイウルフに噛みつかれることはなく、耳に届いたのは剣が肉を裂く音と、魔獣が絶命する声だった。


「怪我は無イカ? マーニャお嬢」


 目を開くと、魔王が鎧兜を軋ませながら、こちらを振り返っていた。足元の個体だけでなく、辺り一帯のグレイウルフが黒煙を上げて塵になっていく様を見る限り、戦いは無事に終わったらしい。


 私は思わずホッとして力が抜けてしまい、ぺたんとその場に座り込んでしまった。


「よかった……。生きてた……」

「あァ。数ガ多くテ焦ったが、掃討できタ。助太刀、感謝スル」


 魔王は頷きながら剣を鞘にしまっている。

 しかし私は「違うわよ!」と叫ぶと、素早く、そして乱暴に魔王の剣を奪い取った。


 魔王が「あッ!」と声を上げたのは、彼の手から離れた剣がその姿を変えたからである。

 禍々しい闇の色をしていた剣は、美しい白い刀に金色の柄の剣へと姿を変え――、いや、姿が戻ったのだ。魔王の正体は、聖剣だった。


「あッ……、アノ……、コレは盗品で……」


 あせあせとした様子の魔王を見て、私は笑いを堪えるのに必死になってしまった。

 なぜ今まで気が付かなかったのだろうと、自分が滑稽で仕方がない。


「そりゃ盗品よね。あなたがアレスから盗んだんだもの」


 剣を取り戻そうとして屈んできた魔王の隙を突き、私は魔王の兜を両手でよいしょと持ち上げた。ガシャ……という重たい金属音がして、青年の狼狽えた顔が露わになった。


 そこにあったのは異形に蝕まれた青年の顔だった。髪は老人のように真っ白でゴワゴワしているが、毛先だけが魔法の炎で赤く燃えている。肌は褐色で、所々に魚の鱗のようなものが浮き出ている。大きく釣り上がった紅色の右眼は別の生き物のようにぎょろりとこちらを見ていおり、歯は獣のもののように鋭く長い。人間の瞳である左眼の下の肌には藍色の古代模様が刻まれていた。


「見ないデくレ……! オレはバケモノだかラ……!」


 青年は片手で顔を隠しながら、兜を取り返そうと手を伸ばしてくる。後ろの黒い尾がしゅんと悲しそうに垂れており、目の前の青年は異形のバケモノとしか形容しようがない。


 だが私は兜を放り出し、涙を流しながら彼に抱き着いた。


「あなたはバケモノでも魔王でもない! バゼルよ! 生きていて、本当によかった……!」

「ウゥぅゥ……」


 青年――バゼルの左目から、ぽろぽろと涙が溢れ出て来た。

 彼に残された翡翠色の片瞳は、かつて私が愛した人のもので間違いなかった。いつも私を見つめてくれていた美しい瞳だ。


「マーニャお嬢、オレが怖クないのカ? コンなに醜クイ姿なんだゾ」

「バゼルは醜くなんてないわ。魂の一片からその髪の先まで、すべて気高く美しいもの!」

「うゥ……。オレも前、そういうノ言いたかっタのに……」


 私がきょとんと首を傾げると、バゼルは「いいんダ」と泣きながら笑った。そして、爪で傷つけないようにそっと私を優しく抱きしめてくれた。



 ◆◆

 彼によると、一年前、バゼルは間違いなく【異形の魔王】を倒したらしい。

 けれど魔王の正体は、かつて魔王に敗れたとされていた先代の勇者だった。魔王の闇の力は、とどめを刺した者に引き継がれる呪いであり、バゼルの体も異形へと変えてしまったという。


 臆病なバゼルは強力な魔の力に溺れることはなかったが、人間ではなくなった。「地獄みたいだっタ」とバゼルは言った。


 バゼルは半年間、まともに体を操ることができず、魔王城の瓦礫の下で痛みと孤独に耐えた。

 ようやく四肢を動かせるようになり、光の下に這い出た時には変わり果てた自身の姿に絶望し、悲鳴を上げた。その醜い声が自分のものだと気が付いて、こんな恐ろしい姿では愛する人に会いに行けないと、声が枯れるまで泣き続けた。


 けれどどうしても私のことが気になったバゼルは、厚い外套に身を包み、王都を訪れた。

 国民たちは【異形の魔王】を倒した勇者アレスを神のように崇め称えており、彼と聖女マーニャの婚約を祝っていた。

 帰り道、魔物が紛れ込んでいると騒ぎになり、バゼルは命からがら王都から逃げ出した。


 それからバゼルは人の寄り付かない森に身を隠し、何度も自害しようとした。

 しかし、異形の体は頑丈だった。剣で体を貫くこともできず、炎や水の中でも息の根は止まらない。もちろん、食事や睡眠を抜いたところで衰弱することもない。


 終わることのない孤独から逃げ出したくて、バゼルは魔王城の瓦礫に埋もれていた聖剣を探しに行った。

 この剣があれば、死ぬことができるのではないか。そう考えたバゼルだったが、土埃を被ってもなお神々しく輝いていた聖剣は、彼が触れた途端に禍々しい姿へと変わってしまった。結局、異形の呪いを帯びた魔剣では、自害は叶わなかった。


 この聖剣を誰かに託せば、自分は【異形の魔王】としてであっても、死ぬことができる。例えば、愛しい人を奪ったアレスに聖剣を――。

 一瞬ふと頭をよぎったアレスへの復讐心に、バゼルはますます死にたくなった。


 次の日バゼルは、マーニャが無事に生きていて、幸せならそれでいいじゃないかと自分を納得させるため、再び王都へ向かった。

 けれどバゼルの目に映ったのは、アレスの後ろを奴隷のように惨めに歩く私の姿だった。やせ細り、足取りは力なくふらふらとしていて、口汚く罵られても頷き返すだけ。

 私が望まぬ婚姻を受け入れざるを得ない状況にいると理解したバゼルは、その日から死にたいと思うことをやめた。


 異形の体を自由に操れるよう、訓練を始めた。

 獣のような手では、人間の盗賊だった時のように細かい作業は習得できなかった。けれど、利き腕である左手は比較的滑らかに動かせるようになり、剣を振るえるようになった。

 尻尾が邪魔で走りにくいが、異形の脚力を合わせると、以前よりも素早く動けるようになった。

 攻撃や防御の魔法はからっきしだったが、これだけは必ず覚えたかったという、転移魔法はなんとか使えるようになった。

 忌々しい体だが、使えるものは全て使ってやるのだと、バゼルは訓練を続けた。


 そして勇者と聖女の結婚式の日――。


 バゼルは鎧に身を包み、【異形の魔王】のフリをして、私をさらったのだ。



「マーニャお嬢ニ拒まれたラ、マタ死にたくなる。でも死んだラ、お嬢ヲ守れなくナルから、正体ヲ偽っタ……。それに、復讐ノためでも、お嬢ガ生きようとしテくれた方ガいいと思ったんダ」

「馬鹿ね」


 私はバゼルの首に抱き着き、すりすりと頬を寄せた。

 バゼルは「危ないからやめロ、お嬢!」と言って慌てたが、私にそのつもりは毛頭なかった。鱗で頬が少し抉れるくらい、どうってことない。


「私ね、あなたとしたいことがたくさんあるの。二人でゆっくり起きて、散歩して、料理して、畑をいじって、魚釣りなんかもしてみたい。夜は綺麗な星を見て……。あぁ、もう今見てるわね。……ほら。あなたが異形ぶろうが魔王ぶろうが、やろうと思ったらなんでもできるのよ。だって、バゼルはバゼルのままだもの」


 月明りに照らされるバゼルは、私を見つめながら涙目で笑った。何も変わらない。バゼルは今でも人懐っこい顔で笑う、涙もろい青年だ。


「あなたが創ってくれた平和な世界で、ずっと二人で暮らしたい。愛しているわ、バゼル……」


「オレもだよ、マーニャ。誰よりモ愛してル」


 バゼルはガラス細工に触れるかのようにそっと私の頬に手を添えて、優しい口づけを贈ってくれた。


 誰も知らなくていい。

 偽りだらけの世界の中で、私だけが知っている真実。

 心優しい盗賊が魔王を倒し、呪いを抱え込んだこと。

 復讐によって生きる希望を得た聖女がいたこと。

 そして、聖女が盗賊の花嫁になったこと。


 誰も知らない歴史の裏。

 世界の遠いところで、私たちは真実の愛に生きていく。


読了ありがとうございました!

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これ絶対みんな泣けるやつ!!
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