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 気付いた時、私の頭の上には『10』という数字が浮かんでいた。ただ自然な摂理のことのようにその文字は浮いていた。

 この記憶を呼び起こすごとに私は私の可笑しさに吐き気をもよおすほど気持ちが悪くなる。乗り物に乗ってもいないのに三半規管が揺れ動き、私の気持ちも揺れ動く。しかし後悔はしておらず、むしろ感謝を言いたいとさへ思っている。これは私に対する遠慮というよりも実際その通りなのだから修整する必要もない。ただの人間讃歌であり、生存本能であるのだから。


 私はその数字を見たときまずフォント文字がゴシック体を少し崩したもので有ることに気づいた。丁度私が仕事で使ってるやつだからその数字の不気味さよりも先にフォントのほうが頭に入った。ここでよく頭をつかってみるとどうも可笑しい。自らの頭の上などどうやって見ることができるのであろうか。最近はトイレに行くことさへサボりと愚痴づけられるこの会社じゃ鏡を見ることもできづ、私はパーソナルコンピューター(以後パソコン)なるものの電源を隣にばれないようこっそりと消し、漆黒に染まったガラスの反射で顔の調子を窺い知るというなんとも間抜けなことをしながら化粧をしていたのだ。もっとも三十連勤務をしているわたしに化粧など必要なく誰か好みの者に見せる予定もないが嫌いな者に見せる予定のみはあった。上の者に「女の武器は顔と体」といわれ苛立ちよりもさきにそれが真理であると納得してしまっている私はやはりこの会社に毒されているのであり、それを流されることはあれど逆らおうとはしないことに私の責任でもあるのだろう。兎に角そのような自己嫌悪に追跡されている私にとってその数字はただの幻覚と思へてならなかったのである。実際頭の上に右腕を持っていき、左手でタイピングをしているものの何ら感触はない。私の五感が壊れている可能性も考慮すべきなのだろうがそれ以前に私は壊れていた。

パソコンの電源をつけても薄っすらと反射し写しあがるその数字のゴシック体は逆ではあるが仕事のゴシック体に紛れたためにそこまで気に留めることもない。終われせるべき仕事があるためまずはそちらに取り掛かることが先決だろう。蓄積された右の資料が十五時までに十まで減らない限り今日も残業が決まるのだから。


その右の日、私にとって一ヶ月ぶりと成る帰宅の出来る時間がやって来た。元来、上の者たちにとって感謝されるべきであり、私にとっては歓迎すべきこのご厚意に私はなんら意味を見出す事が出来ずにいた。というのも時計の針が両方とも真上に上がったくらいにようやく家に入り、針が真上と真下に来たぐらいで家を出なければならないことが義務付けられていたのだ。ただし、私の家はもう一つの家と近しい距離にあったがため電車をつかわず二十三時には帰宅することができた。舎宅の無いこの会社では、他の者にとってこの距離は羨ましいこと限りないと敢えて取り繕った眼差しで見てくるかもしれないがこれは決して幸福ではない。ただただここに希望を見出すことが彼らにとって「自らがかわいそうに」と思える行為なのであって、私は彼らとなんら変わりはない。いや、寧ろこの希望がある意味での絶望で有ることを知っている私がかわいそうと思って欲しいくらいなのだ。

 それでも私は久しぶりの家を見つけて心踊った。とうとう帰ってきたのだという思いは私にとって想像を上回る計り知れないものだったのだ。ドアノブに触れ、キーボードのプラスチックでは感じられない久しぶりの冷たさを感じつつ私は捻った。鍵はかけていない。盗られて困る物など無いし、寧ろそういう奇っ怪な出来事が私の目を冷ましてくれることを私自身内奥ではあるが気付いていた。玄関に入ってはまず靴を天井スレスレのところまで放り投げ、私は手も洗わずに風呂の湯が溜まっている事を確認して迷わず入り込んだ。仕方ないだろう、風呂に入るのなどここ三十日していなかったのだから。子供の頃の着衣水泳の懐かしさを感じつつ流石に不味いと思い風呂に入りながら服を脱いでいく。冷たい水が私の体をゆっくりと包み込んでいき母体にいた頃を思い出すかのように肩まで浸かっていく。

「寒いな……」

季節は冬にまで進み、あの会社に勤めてもう一年であることを実感していく。左の年の丁度この時もこうして風呂に入っていたのだろうか。まだ穢れのないあの時に抱いていた希望なるものは何処へと消えてしまったのか。抹消された記憶から復元作業を行っているうちにあることを思い出した。

「スマートフォン!!!」(以下スマホ)

急いでずぶ濡れになったズボンのポケットからスマホを取り出し安否確認をした。もっとも最近のスマホは防水性能がついていると右の耳に入ったことはあったがそのような小洒落た機能を使わない私はそのまま左の耳から吐き出しており特段記憶してはいなかったためかなりの焦りを感じていた。

そしてそのままスマホが光で満たされたことに安堵しつつ30日もの間会社で使わなかつたスマホに一通たりとも通知が来ていないのは些か悲しみを覚えた。ここは明確にしなければならないが、私は別に友人が少ないわけではなく自ら進んで作ろうとは思わなかったのだ。距離が近すぎると私と会社のようになってしまうのだから。だから唯一の友達で有るYでさへ私から連絡をすることはなかった。しかし一ヶ月通知なしは流石に距離が遠すぎだ。カレンダーに空きができたらこちらから通知を鳴らしてやろう。もっともできないだろうが。

 


だからこれは希望ではなく絶望なのだ。慢心という頭の片隅に追いやっていた感情が目を逸らしているうちにどうにもならないほど大きくなっていたらしい。時刻は午前五時五十七分。遅刻、間に合わないな。いやそれどころか風邪を引いてしまったらしい。喉に摂氏七十を越える石が詰まったかのように痛みが熱に感ぜられ私はその石ころをどうにか体外に排出しようと咳をし続けた。私の記憶しているところでは風邪をひいたのはあとにも先にも此処が初めてであったであろう。体を動かすことに一定の慣れはないがそこそこ体は丈夫なものだつたので劣悪な環境下でも回避できた。ゆえに風邪薬というものを買ったことがなく同時にストックもしていない。これはこまったな、という想いが無意識に言葉に出るほど困った。どうしたものか。とりあへず会社に報連相をしてまた叱責を喰らうことだけは避けられないだろう。だがせずわけにもいかない。苦しみながらもスマホを持ち上げ電話をしようと思ったその時、自らも気づかないほど微弱な電気信号が脳を流れ故意にカメラアプリを起動してしまった。いつだったのか内カメにしたままに置いておいたことよりもまず頭に入つてきたのはスマホに写った私の頭の上にある『8』という数字であった。そこで初めて私は会社以上に心配すべき事柄を思い出した。

頭の上にあった『10』という数字はすでに二つも減っていたのだ。二つ減ったから何だと思うがこの異常の状況が私に焦りを感ぜさせていた。目を擦ってもこの幻覚は取れないものの触ることはできない。その異常なる光景は私の気を狂わせるに十分な材料である。と言いたいところであるがなにぶん三十八℃の熱を出している以上、これ以上は頭が爆発してしまうため私の生存本能は案外にも冷静に私に眠りにつかせるよう言った。そしてこれが夢であることを祈って。

無論目覚めることが出来てもその幻覚は残っていた。私自身薄々勘づいてはいたもののこれは現実であり非現実的なのだ。時刻は十二時を廻り、携帯で怒りを伴った通知が湧き上がるようにスマホから流れ出ていた。そういえば報連相をしていないことに気付き従来ならば誠意の籠もった謝罪を、そうでなくとも何らかの返事はするべきなのだろうが風邪という大義名分を盾に私は携帯の通知をオフにした。そこには何の感情も無く只々私に繋がる五月蝿い糸を蝿を殺すように切ったのには後になり私自身十分驚いた。だがそんな感情よりもやるべきことが先にある。それはこの数字だ。まずこれが何なのかを知らないと私は咲きに進めないように感じたのである。とりあえずスマホを枕横から引っ張り出して検索して見ようと心掛けるが何と打てばよいのかでそもそも分からない。とりあえず「頭 上 数字」と打ってはみたものの、enterのボタンを押す勇気は湧かなかった。精神病や病院案内のページが出た時点で私は何とも言えない気持ちでこの症状の治療を諦めようとするだろう。というのも今まで病院に殆ど行ったことが無いしこの先も行く予定の無かったものであるから、病院にゆくことは即ち負けであるように思へてならなかったのである。今引いている風邪自体病院に行かずとも、また薬を飲まずとも明日になれば解決できる問題であると私は本能的に悟っていた。しかしこの幻覚の場合はそうにはいかない。とりあえず検索をしてみないとわかるものでもないため私はenterを力強く押した。

しかし私の良い意味での想像と悪い意味での想像を具現した結果はどちらとも出てこなかった。そしてこれは私にまだ幻覚が治らないという事実を深々と突きつけた。検索文字を色々と変へてみる一方でやはり事実は変わらない。某大手検索エンジンが解決法を引き出せないのであるならば諦めるしかないのだろうがどうにも私には諦める気がしなかった。私はやはり私自身で解決するしかないのであろう。まずは自らの身を思い出していく。


この数字のフォントはゴシック体であり私の頭の上に浮いている。(デ○ノートの死神の目で見た感じ)

この数字はどこかのタイミングで減っている。

内カメで写真を撮ったものの撮るまでは数字が映っているが写真には写っていない。

触ることのできない幻覚。

故に相手が見ることは出来ないし実際会社で不審がるような人はこの二日間いなかった。


……ん?…二日間………??

というトントン拍子で案外にも早く数字の法則が見えてきた。それは一日経つごとに数字が一つ減るというなんとも分かりやすいものだった。自らが探偵になったように推理できたことに快楽を覚えつつそれは同時にこの数字が『0』になることによって引き起こされる事象に疑問を抱くことと相違なかった。

単純に考えればその日に何かが起こるということだが其処に私は何ら意味を見出すことはできない。誕生日くらいしか当てはまるような記念日はないがそれも右に六つは離れている。なんとも気味の悪い事象には極力考えを巡らせず、なるべく明るいことが起こると信じていたが、取り敢えずここにある種の希望を抱いていたことは唯一の事実だった。そうだ、私はただ退屈だったのだ。

0で起こる怪奇現象に思いを馳せているうちに私の風邪は徐々に悪化の一途を辿っていた。取り敢えず私は私でやるべきことはもうやったのだから今日は休もうという思いを胸に私はもう一度眠りについた。

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