地球最後の日、高架下にて。
ちょうど今日と明日の境目に、地球は滅びの時を迎えるらしい。
その原因については、憶測も含めて色々と囁かれてきた。やれどこかの小惑星が爆発するだとか、飛来してきた物体が衝突するだとか。世間の混乱からさまざまな説が飛び交い、当初は嘘か真かも測れなかったほどだ。
けれど日が経つにつれ、人々は少しずつ危機感を覚えるようになった。
ようやくひとつの説が定着するようになってきた頃には、もはや手遅れだったが。
「……ふあ、あぁああぁ……」
リモコンを弄るのにも飽きてきた俺は、腹をボリボリと掻きむしりながら愛しき四畳半へと寝転がった。
「見るモンねぇなあ……」
どのチャンネルを回しても、まったく同じ宇宙の映像が垂れ流されているばかりだ。
違いといえばスタジオのセットと、そこに並ぶ顔ぶれぐらいか。局によっては三日も前からぶっ続けで特集が組まれていて、色んな専門家と繋いでは、合間にアナウンサーが同じ文言を繰り返していた。いわく、
『地球最後の日です。どうか悔いのないよう、ご家族やご友人など、大切な人のそばに』――だそうだ。
だったら局の人間を、全員帰してやれと言いたい。
「ったく、世間様は葬式みたいに自粛ムードだしよ。クソつまんねぇ」
最後に画面の左上をちらりと見てから、俺はテレビを消した。リモコンを適当に放り投げ、湿った匂いのする畳へと身を預ける。
まぶたを閉じて静寂を求めてみても、耳の内側からは容赦なくブーンという音が苛んでくる。学生の頃からイヤホンやテレビなどの音量に気を使っていなかったせいか、それともストレスからか。いつからか聞こえだした慢性的な耳鳴りが、今日という日に限っては特にうるさい。
耳を塞いでも聞こえてくるその音は、外界にいる人々との温度差を感じている俺の心情をよけいに波立たせた。
覚悟をしろと言われても、正直なところ周りほどは焦りを感じられない。何か特別なことをしようとも思わないし、誰かと会おうという気概も起きない。そもそも、会いたい人すらいなかった。
年々畳の隙間から生えてくるキノコの方が、俺にとってはよっぽど馴染みがある。
とはいえ、謎の白いキノコとともに心中するのはあまりにも虚しい。
胞子を四畳半にまき散らし、俺よりも精一杯に生きているであろうそいつをブチリと引き抜く。
「――よし。出かけるか」
当然、目的などはない。
ただ思ってしまったのだ。番組が切り替わっても表示され続けている左上のカウンターを見て。
惰性で生きている俺のような人間にも、必死に今を生きる奴にも、等しくタイムリミットはやってくる。
だったら人並みに、最期を過ごしてみてもいいのではないだろうか――、と。
ぶっちゃけた話、人恋しくなっただけなのだ。
ボロアパートの一人暮らし、おまけにフリーター。実家とは疎遠になっているような状態だ。
親の制止を振り切って上京してみたはいいものの、現実は食いつないでいくのに精一杯。とてもじゃないが、夢なんて見ていられない。
当時の無鉄砲な自分を呪ってみても、当たり前だが現状が変わることなどなかった。夢が叶うわけもないし、彼女だってできない。頭上からは隕石が降ってくる。
挙げ句に一人寂しく死ぬぐらいだったら、外に出て何かしらのイベントを期待したほうがよっぽどマシだ。
そんな陳腐な理由で、俺は百均で買った青色の安っぽいサンダルをペタペタと鳴らしながらアパートの外を歩いていた。
けれど店はどこもシャッターが下りていて、『これまでのご愛顧、誠にありがとうございました』という貼り紙がしてあるばかり。ベンチではカップルが空を見あげながらイチャつき、路上では若者の集団が缶ビールやチューハイを手に宴会を始めていた。彼らの額にある揃いのハチマキには、『地球滅亡を見届ける会』と書かれている。騒ぎ具合からして、その前に酔いつぶれると思うんだが。
「クソったれ」
何かしらのイベントどころか、これじゃあ参加できずにただ眺め回ってるだけじゃねえか。
周囲の喧騒と耳鳴りが、内と外から責め立てるように響く。なんだか無性に苛ついてきて、近くの飲食店の前にあったゴミ箱をガンと蹴ってみた。思いのほか衝撃は強く、突っ込まれていた弁当箱やら飲みかけのペットボトルなんかが路上にまき散らされる。拾う気なんてさらさらない。
どうせ数時間後には、世界ごと焼却処分されるんだから。
「こらこら。ヤケになるのは分かるが、公道を汚すんじゃない」
「あ?」
横から声を掛けられ、見てみるとそこにいたのは――赤いスーツを身にまとった戦隊ヒーローだった。
一瞬そこらで特撮モノのイベントでもやっているのかと思ったが、今日は地球最後の日だ、いくら何でもそんなわけはないだろう。でも、じゃあこいつは一体?
「器物破損は立派な犯罪だぞ。壊れてはいないようだが、だからといって蹴っていいわけじゃないからな」
やたらと偉そうに説教をしてきたそいつは、しゃがんで散らばったゴミを拾い始めた。
もともと容量オーバーで出かかっていた分なので、ゴミ箱には戻さずにスーツのどこかから引っ張り出した袋へと入れていく。近付いたことで分かったが、赤いヒーロースーツはとても複数のスポンサーや有名企業がバックに付いているとは思えないほどちゃちなものだった。おそらく、個人で活動しているのだろう。
予想外な人物の登場に、ほんの少しだけ面白くなってしまった俺は、悪役さながらに胸を張って言った。
「ヒーロー様が何の用だよ? ってかヒーローなんだったら、今すぐに宇宙に行って隕石止めてこいよ。止められたら、泣きながらゴミ拾いでも何でもしてやるからよ」
「爆散するの前提か」
ヒーローはよく通る声で突っ込んだ。
「そりゃあ止められるものなら止めたいが、オレはしょせんご当地ヒーローだ。ゴミ拾いをしたり、交通安全のために歩行者を見守ったり、イベントにお呼ばれするぐらいしかできない。宇宙の危機は、他の誰かに任せよう」
「ヒーローの風上にも置けねえな」
鼻で笑って、彼の顔を覆うものに目をやる。
どう見てもそこら辺の店で売っているような、安っぽいバイクのヘルメットを改造した代物だ。赤く塗られているうえ、なにやらパーツがゴチャゴチャと付いている。遠目からは誤魔化せるだろうが、近くで見ると手作り感満載だった。
この際だから剥ぎ取ってやろうかとも思ったが、無理やり脱がしたところで中から覗くのは普通のおっさんだろう。俺となんら変わらない。違いがあるとすれば、俺は悪役側であり、注意をしたコイツはたしかに正義の味方であるということぐらいだ。
「憧れでなったのか知らねえけどよ。ご当地ヒーローとか言って、ボランティアとたいして変わりねえじゃねえか」
適当に放っておけばいいというのに、どうしてか口は止まらなかった。
気分がそうさせるのか、それとも彼の言ったとおりに世界ごと消滅する未来にヤケになっているのか。ふだん人を煽るようなタイプでもないくせに、今日に限っては絶好調だ。
「イベントとか言っちゃってるしよ。しょせん色物だろ」
そう言われ、彼の握りこぶしがピクリと動く。
……さすがに怒ったか。わずかに口の端を持ち上げながら、いつその拳が襲ってきてもいいように身構える。
ここで殴り合いのケンカに発展しても、俺はそれで構わなかった。それほどまでに人との触れ合いに飢えていたんだ。
誰でもいい。何か、熱いものをかわしてみたかった。
愛だの恋だのじゃなくていい。
たがいに涙する友情なんて無くてもいい。
隕石を破壊する奇跡なんて起きないのならば――せめて自分の中に溜まった鬱屈とした気持ちを、消し飛ばしてくれるほどの衝撃を。
「尖っているな。きみは」
しかし期待に反し、ヒーローは掲げた人差し指でちょいちょいと右側を示してみせた。
一体なんだと視線をやると、高架下にぽつんとラーメン屋の屋台があった。数時間後には世界ごと消え失せてしまうというのに、その店は当たり前にそこに存在している。
「腹は減っているか? 奢ろう」
「バッ、」
馬鹿にしているのか?
言いかけたセリフは、彼の行動によって遮られた。ゆったりとした歩みでもって、それでいて真っすぐに屋台へと向かっていく。
「ここの醤油ラーメンは絶品なんだ。この店のを食べてしまえば、他のなんて食べようとも思わなくなる。下手に教えて客が増えると困るから、あんまり教えたくはないんだが……どうせ人類は滅亡するんだ。だったら一人くらいには、布教しておこう」
「……ほんと、ヒーローの風上にも置けないな」
なんてやつだ。
こんなスーツを身につけておきながら、俺のような奴をラーメン屋に誘うだなんて。
「まあ、ちょうど腹も減ってるし。ご馳走させてもらう」
たぶん、気まぐれだったんだろう。
でなきゃまず、素顔さえ知れないやつと隣り合わせになってラーメンを啜ろうとなんて思わない。ましてやメンマと味付け卵を追加注文し、酒をかわそうだなんて。
「……漫画家にさ。なりたかったんだ」
アルコールのせいでゆるんだ口が、勝手に過去をこぼしていく。
聞き入るのは赤い戦隊スーツのヒーローと、屋台のおじさんだけだ。そして悪事をおこなった経緯を独白するのは、黒い鎧を身にまとったヴィランなんかじゃない。
よれよれのティーシャツにチノパン姿、薄汚れたサンダルを履いただけの、ただの夢に破れた男。
そんな変な取り合わせが、気分をどうかさせてしまったに違いない。
俺はいつしか、口からだけでなく目からもボロボロとこぼしていた。
「書きたい話があったんだ。小学生の頃からずっとノートに溜め続けていた、何人ものヒーローが地球の危機を救ってくれる話。何冊も設定を書いてさ。何べんも構想を練り直して、原稿を書いて…………何回も、落とされた」
箸の先でつまんだ煮卵のかけらを、合間に口へと運ぶ。
醤油とダシの効いた味がじんわりと口内へと広がっていき、酒を飲む手を止まらなくさせる。
「もちろん違う話も書いてみたよ。人気になりそうな題材や、お色気ラブコメにだって挑戦した。でも、箸にも棒にも掛からなくて。才能、ないんだろうなって」
黄身のついた箸をちょいちょいと動かしながら、俺は自嘲してみせる。
「だから諦めて、ぜーんぶまとめて川に捨ててやった」
付けペン、インク、原稿用紙、何冊もの構想ノート、こだわり、思い描いた夢も。溜めてきたアイディアさえ、俺は淀んで底が見えない水の中へと落として沈めた。
だいぶ酔っていたから、あの時のことはあんまり思い出せない。思い出したくないというのが大きいが、けれど投げ入れた瞬間のゴボゴボという音と、藻が浮かぶ水面に涙が滴った光景だけは今でも鮮明に記憶に残っている。
「不法投棄も犯罪だぞ」
ヒーローはまたしても独特のツッコミを入れてから、厚切りチャーシューを噛み切った。
手作りヘルメットを脱いだヒーローは、やはりその辺のおっさんだった。
とくべつ顔が良いわけでも、印象に残るほどの不細工でもない。本当にどこにでもいるような、けれども、やさぐれた人間にラーメンを奢ってくれる。そんな気さくな人だ。
「あんたを主人公にしたら、良い作品が書けそうだったのにな」
ちらりと手元の腕時計を確認する。
地球滅亡まであと一時間もない。せいぜい紙とペンを用意して、アイディアを書き出すぐらいの余裕しかないだろう。その途中で死んだら、きっと楽しさよりも悔いが残るに違いない。あれだけ持て余していた時間が急に恋しくなってきた。
デジタル時計に表示された数字をみて、ヒーローもまた酒をあおる。
「君の作品に貢献するためだ。少し、語っておこうか」
そうして彼は、ヒーローになった経緯を話し始めた。
戦隊ヒーローのレッドに憧れていた幼い頃からはじまり、委員長や風紀委員などに積極的に立候補していた学生時代。
社会人になり、俺と同じように夢を忘れていた時期もあったそうだ。やがて忙殺される日々に心を壊してしまった彼は、ある日曜日の朝、テレビの向こう側にいるヒーローに救われた。
「涙が止まらなかったよ。ずっと、ずっと否定され続けていたのに……幼い頃の憧れだけは、肯定してくれていたんだ。オレは、オレのままでいいんだって。……弱くても、誰かを支えられるような人間になっていいんだって」
ちょうど世間ではゆるキャラと同時に、ご当地ヒーローなるもの――ローカルヒーローともいうらしい――が流行っている時期で、ならばと無い金をはたいてヒーロースーツを作った。
それがいまの彼に繋がっているというわけだ。
「初期はメンバーを募って、戦隊ものとして本格的にやろうとしていたんだけどな。うまく集まらなくて、結局ひとりでやっているんだ」
「だから戦隊ものっぽいデザインなのに、レッドだけなんだな」
なにか事情があって解散したのかと思っていたが、最初から一人だったのか。
まあこのクオリティーのスーツであれば頷ける。
「そこら辺は君の想像力で補ってくれ。うまい設定を付けてくれると助かる」
コップの底に残った酒をぐびりと飲んで、彼は赤らんだ顔をこちらに向けた。
「恰好良く書いてくれよ?」
「……って、あと数分もないのに言われてもな。ここにはペンもないし、書くための時間すら無いぞ」
「それじゃあ、奇跡を待つしかないな」
にっと笑って、ヒーローは自身の腕に巻かれた時計を外して俺へと手渡した。
「あのなぁ、この期に及んで奇跡なんて起きるわけがないだろ。スーパーヒーローでも召喚するつもりか?」
言い返しながら渡された物を見てみる。
黒いベルトに赤の基盤、銀の丸枠。透明のドームに覆われた細かな機器。
「これって……」
独自の変身アイテムかと思っていたが、よくよく見ればそれは、昔にやっていた戦隊ヒーローのグッズだった。小学校低学年ぐらいの頃だったか、当時は俺もハマって持っていたから覚えがある。
お前のじゃないのかよ。少し苦笑いまじりに見返すと、彼はおもむろに立ち上がって、高架下で人差し指を突き上げてみせた。
「奇跡を否定するのならば、残るのは偶然か必然だ。どちらに身を委ねるのかは、君自身に任せよう」
たしか最終話のあたりで、作中のレッドが口にしたセリフだったか。時代のせいか、子供向けでありながら妙に現実的な設定や展開が多かったっけ。
降ってくる隕石をぶち壊してくれるヒーローなんて存在しない。たまたま隕石の軌道が逸れてくれるのを眺めて待つか、それとも、確信を持って逸れると信じ続けるのか。その二択だけ。
「終わりを決めるのは、君だ」
頭上から、地響きと共に何かが迫ってくる音が聞こえる。肌を燻す熱が高まる。
いつしか空は黒いものに覆われ、耳鳴りが鼓膜を突くような甲高い音へと変わり、何かが焦げる不快な匂いがした。
口内に残ったラーメンの味が、もう一度と急き立てる。
手にある変身アイテムを、皮膚に食い込むほど握りしめて。
「――――おれは――――……」
ずっと聞こえていた耳鳴りが、時を刻むように少しずつ。
ピッ、ピッと、リズムを刻みはじめた気がした。
END.