espoir
起きたら父はいなかった。昨晩喧嘩していたことは知ってる。でも翌朝に服や靴を全部持って出かけたことなんて今までなかったよね。もう会えないんだと無意識に感じていた。
毎朝起きたら今日の授業内容を予習する。エリート商社マンの息子たるものエリートに成長しなければいけないのだ。お父さんは優しくてかっこよくて憧れる。今は会えなくても、いつか社会に出た時に恥ずかしくないように。
そんな明るい未来を想像して勉強していたある日、俺の日常が壊れた。…いや。壊された。
母の手によって。
いつものように酔った母は知らない男を連れて帰ってきた。全然知らない人。エリート集団の人でもなければ頭が良さそうな感じでもない。誰、あの人。
毎日違う男を連れてくる母はいつも酔っ払って変なことを言っていた。おかしくなっちゃったのかと心配して、昔お父さんから貰ったお小遣いで母の好きなゼリーを買った。
喜んでくれるといいなって心を弾ませて。
「ぁはっ。なにこれ。あたしに貢いでくれるの?いい子ねーえ。でもね空。あたしこんなのより現金が欲しい。いくら持ってるの?あの人からたくさん貰ってたでしょ?お母さんが管理してあげる」
お母さんの目が怖くて持っていたお金を全部渡した。一円も残さず、全部だ。だから馬鹿だと言われる。公式に当てはめるしか能がない考えることのできないアリンコ。
渡したゼリーは知らない男が食べた。差し出した金はギャンブルに消えた。
「お兄ちゃん。お腹すいた」
土曜日の昼、母が厚化粧でどこかへ行った。お金を持っていない俺たちは買い出しに行けるわけもなく、家にある食べ散らかされたツマミや賞味期限切れの卵を食べるしかなかった。
この日も賞味期限がとっくに過ぎたハムを焼こうとガスを捻った。でもおかしい。何度やり直しても火が出ない。電池切れ…?
お米もなければパンもない。生で食べられるものと言ったら…。
「これ、食べれる?」
「やめとこう。お腹痛くなるかも」
傷みかけのキャベツ。半分くらいブヨブヨだけど半分はまだ大丈夫。味見して食べられそうなところを妹にあげた。
「お兄ちゃんは何食べる?」
「うーん。お腹空いてないからお水飲む」
「入れてきてあげる!」
「ありがとう」
お兄ちゃんだから、我慢する。そんなの当たり前だった。お父さんがそうだったから。妹を守るんだぞっていつも言われてた。だから大丈夫。俺は大丈夫。お腹空いてない。
「うっわ何これあんたが食べたの?やっばぁ」
夕方帰宅した母の手には缶チューハイが握られていた。お金…ほしい。家にいなくていいからせめてご飯代だけでも。料理するから。後片付けするから。お願い。
ゴミ箱に捨てられたブヨブヨキャベツを見て顔をしかめるならお金ちょうだい。
「違うよ!サキにくれたの!」
サキの、サキなりのフォローだった。母はサキには何も言わないから。でもこれが今後の状況に大きく関わる一言だったなんて。
「は?空。あんた腐ったキャベツをサキに食べさせたの?どういうつもり?」
目の色を変えてジリジリと迫ってくる母を前に後退る。違う。違うよ、お母さん。食べられそうなところだけ千切ったんだよ。
「サキが死んだらどうするの?あんた責任取れんの?あんたが代わりに死んでくれるの!!?」
「お母さん違うよ!サキ死なないよ!お腹痛くないもん!」
「サキ、可哀想な子。洗脳されたのね。あんな男に似た汚らわしい物体A。二度とサキに近付かないで!!」
なんで。なんでそうなるの。何も悪いことしてない。お母さんがいないから、火が使えなかったから。悪いことしてない。