side 鏡堂 広太
バイト終わりの斎藤と飯田、夏木、村尾が一斉に家に来たのは22時過ぎ。空が一人で風呂に入らないように見張るための人員配備だ。
「お腹空いたー!お昼寝してたら晩ご飯食べ損ねちゃった」
夕飯についてこちらから聞こうとしたら、先に夏木が声を上げた。空の腕に絡み付きながら右手で腹部を摩っている。
「この時間だったらヘルシーなものがいいよなぁ。豆腐かサラダか…こんにゃく」
「こんにゃくって、ウケる」
冷蔵庫にあるヘルシー食材を思い浮かべていたら斉藤に笑われた。こんにゃくステーキなんてものもあるんだぞ。
「俺とアコちちゃんは翔也のバイト先でしっかり食べてきた!」
「俺も賄い食った」
「んじゃー食べるの夏木と誰?」
空と優は帰ってからずっと勉強していたから食べるとして。俺と夏木と、四人か。
「空は?なんか食べた?」
空の右腕に絡み付く夏木が上目遣いで聞く。横で見ていた村尾は途端にしゃがみ込んで何かを言っている。
「うん。お腹空いてない」
「嘘つけぇ!お前!食べたの何時だよ!?」
咄嗟に声が出た。激辛炒飯を食べたのが遅くとも16時だとしたらそろそろ腹減るだろ。勉強して脳みそ使ってるんだし。
「食べろって言われたら入るけど空いてない」
「じゃあ食べろ」
一日一食なんて許さない。
「豆腐のアレ作って」
豆腐サラダにしようかと台所でレタスをちぎっているところに優が来た。
「豆腐の種類が違うから前みたいな感動はないかも」
「それでもいい。あと、サラダはポン酢で食べたい。疲れた」
そういえば今日は体育があった。酸っぱいもの日和ってわけだ。
優のは別で作って、他はまとめてサラダに。腹は膨れないだろうけど、時間を考えたらこれくらいで十分。不健康な夏木の食生活もこれでわずかでもマシになれば。
「ってことは、空のテストが終わったら一斉に順位が張り出されるんだ!一位でありますように…一位でありますように…一位…」
「お前はないだろ。一生涯」
「ねえ!?それ悪口だよね!?」
夕飯と空の風呂を終わらせてからみんなで駄弁る。村尾と斎藤の軽快なやりとりを横目に空の様子を伺う。
人に会いたくないと言っていたから無理をさせているかもしれない。ただでさえ俺と優がいる空間で休めているか怪しいのに、彼女とその他が大勢いたら疲労が溜まるかも。って呼んだの俺だけど。
空だけじゃなく、来てくれたみんなもきっとやりたいことを後回しにして来てくれている。斎藤なんかは特に彼女と二人で過ごしたいだろうに、いつも空を優先してくれる。空は俺にはない人望ってやつを持っていて、どんな時でも駆けつけてくれる友達がいる。そのことに気付いて、心にある絶望を見えないところへ投げ捨ててほしい。
「酷くない!?俺だって頑張って勉強してんのにさぁ!」
「留年対策だろ?」
「違うってば!S組返り咲き計画!翔也こそ来年はS組からサヨナラなんだからな」
「んなわけねーじゃーん。俺、天才だから」
「余裕そうなのがムカつく!」
心から笑う空を見てみたい。冗談を言い合って、何の心配も不安も絶望も感じないで、自由に生きてほしい。
「二人とも勉強できちゃうのがなんかなぁ」
「夏木もそこそこにできるじゃん」
「そうじゃなくて〜」
夏木は空の肩にもたれながら自分の成績を嘆いた。俺や村尾と違って勉強に力を入れている印象はないけれど、さすがに進学校に在学しているだけあって悔しさを抱くこともあるらしい。
「あ、電話」
部屋着にしているスウェットの右ポケットで振動する携帯に気付き、画面を見る。表示された"父"の文字に僅かに緊張する。父さんからの連絡は余程の事がない限りメールで簡素に行われる場合が多い。そもそも就寝時間が早い父さんからこの時間に電話がかかってくることなんて、余程な事があったと言われているようなものである。
「もしもし?」
空関連のことかもしれないと思い、席を外した。居間と対照的にしんとした自室で父さんの声だけが聞こえる。
『急な連絡でごめんね。空くんのことでちょっとね』
おっとりした口調の父さんはゆったりと話しながらもどこか厳しさを感じた。
病院で会って以来、空の家族構成や母親の素性を調べてくれていたから、そのことで何か分かった事があるのだろう。
「…え?」
『私も驚いたよ。知人のツテでお父さんの勤め先が分かって、いろいろ話を聞いてね』
「………」
空の母親がクズ中のクズであることは再三の仕打ちでよく分かっていたつもりだった。だけど…。クズの生態を知らない俺は、それ以上のクズを想像したくなかったのかもしれない。
『離婚してから毎月、養育費としてかなりの金額を振り込んでいたけれど、全てギャンブルに注ぎ込んだ上に、金づるとして複数の男と関係を持っていたんだそうだ』
想像したくなかったというより、できなかったと言う方が正しいかもしれない。人として超えてはいけないレベルを遥かに上回っている空の母親の行動なんて、常人には到底想像できないだろう。
『ただ、空くんが日常的に暴行されている事実は知らなかったみたいで、とても驚いていたよ。離婚するより遥か昔はとても可愛がっていたみたいだからね』
言葉を失うっていうのは、言葉通り言葉を失くすという意味なんだと知った。父さんの話に相槌を打ちたいのに、何も出てこない。
『ストーカー対策で定期連絡をしていなかったそうで、二人の関係は銀行口座を介してのみだったから、近況を知る機会がなかったらしい。離婚を切り出した自分に責任があると話していたよ』
「…じゃあっ、」
書面上だけでも保護者になってほしいと思っていたけれど、責任を感じているなら引取り手にもなってくれるんじゃないかと期待が膨らんだ。
空が俺と住みたいと言ってくれるならこのままでいいけど、現状は強引に住まわせているだけで空の気持ちを汲めていない。可能であるなら血縁関係である実父と暮らしてほしい。
『ところがね』
人生、そんな簡単なものじゃないって、現実を突きつけられる思いだった。
「あれ、なんか不機嫌じゃん」
「ほんとだ。顔面だけでキレてる」
父さんとの通話を終えて居間に戻ったはいいものの、何でも顔に出てしまう俺の表情を見て、全員が何かを察したようだった。
"ところがね。お父さんには既に新しい家庭があって、今更17歳の息子を引き取ることは出来ないと言われてしまったよ。今更だそうだ。"
父さんも笑ってしまうくらい可笑しくて。自分で産んで育てると覚悟したはずの子どもの人生を、自分の都合で台無しにした。
どっちもどっちなクソ親事情に愛想を振り撒ける程大人じゃない。顔にも声にも態度にも不機嫌を匂わせて周りに気を遣わせてしまう。子どもだと疎まれてもこれが俺なんだから仕方ない。親の都合で人格を変えられるほど、俺は都合よくできていないから。
"私も全面的に手を貸すから、広太にできることは全部してあげなさい。空くんは何も悪くないよ。責任を持たない親に平穏を奪われた被害者だ。私たちで空くんを笑顔にしてあげよう。美味しいものを食べるでも、なんでもいい。隣にいてあげなさい。"
親に言われたからそうするんじゃない。俺は高校に入ったら空と友達になるって決めていたんだ。友達なら、手助けすることに理由なんて要らない。お節介でも鬱陶しいと思われても、俺がしたいからそうする。俺と一緒にいる限り、『諦める』という言葉を忘れさせる。最悪自己満でもいい。俺のわがままに付き合っていくうちに楽しくなってくるはず。絶望感を抱かずに生きられるはず。法律に触れない程度なら何をやっても構わない。逆に何もしないのも全然いい。生きて側にいてくれるなら、それで十分。死にたいなんて言わせない。楽に死ねる方法なんて教えてやらない。生きたいと思うまで付き纏う。
クソ親のせいでクソみたいな人生送るとかありえねーから。




