side 鏡堂 広太
『鏡堂』
『あ?何』
帰りのHR後、担任に呼び止められ悪態を吐く。教師なんか信用できねえ。
『丹羽のこと、話せるだけ話してくれないか』
『は?聞いたんだろ』
『あぁ、親子の仲が悪いから頻繁に喧嘩しているとだけ』
『はぁ?全然ちげーんだけど』
どうせ大人数の前で馬鹿でかい声で言ってしまったからこいつに伝わるのも時間の問題。だったら変に尾鰭が付く前に話すのもアリか。
事の顛末を簡潔にまとめ話すと、担任は顔を青白くさせた。
「だから帰したくなかった。帰すべきではなかった。明日戻って来なかったら迎えに来てと言われたが、今から行く。空の親は俺には手を出せないから俺が戦いに行く」
「待て。下校時刻から一時間以上経っているからもしかすると…」
腕時計を確認して分かりきったことを言う。
「あぁ、だから早く行くんだよ。止めんなタコ」
「出来ることなら写真を撮って来てほしい」
「写真?空の?」
「それもそうだが、一番は暴行の後が分かるような写真を。出血があるなら床に飛び散っていないか、探してきてほしい」
「…何のために?」
変な趣味がある訳ではないと分かっているが、まだ信用できないからな。確認しておかないと。
「今後、同じようなことがあったら証拠として示せるだろう。校長先生や、警察、裁判所にだって」
「……ふーん」
「万が一暴行された後だったら、学校に連絡してほしい。警察は、その後で…」
緊急事態でも一旦は保身か。本当、クソばっかだな。
「救急車は許可なく呼ぶぞ」
「あぁ…その方が、証拠としては強くなる…」
バツが悪そうに若干俯いたがこればっかりはどうしようもない。学校としてはなるべく大事にしたくないのだろうからこの反応も仕方ないのかもしれない。
「すっごい嫌な予感してる」
「うん」
「俺、冷静でいられるか分かんないから、優が写真撮って」
「…うん」
「救急車も」
「うん」
今日に限ってS組は授業時間が少し長かった。授業なんて放って帰ればよかったのに、気付いたのは終わってからだった。
「場合によっては親たち殺すかも」
「広太の馬鹿力には勝てないから頑張って抑えて」
「…頑張る」
タクシーを拾って空の家まで最短時間で向かう。
らしくもなく、体が震えている。
頼む、やり返してくれ。せめて、自分を守ってくれ。
「すぅー…」
マンションに着き、部屋の前で深呼吸をする。
暴行らしき物音は聞こえない。
「はぁ、まじでこえぇ」
「うん」
「もしも…もし…」
「考える前に開けて。最悪の想定はいくらでも出来るから」
「……」
幼馴染の勘で鍵が開いていることを感じ取ったのか、この日はインターホンを鳴らさずにドアを開けたんだ。
予想通り鍵は開いていて、血まみれの空と、なぜか妹が横たわっていた。
案の定、俺は冷静さを欠き、空の姿を見た後の記憶がない。
救急車の対応や写真は約束通り優が撮ってくれたらしいが、優も所々の記憶が曖昧だと話していた。
一度見たり聞いたりしたものは何でも覚えるコンピューターでさえ記憶が飛んだ。
もう二度と、こんな思いはしたくない。
家っていうのはみんなが安心して寛げる空間のはずだ。帰る度に大怪我させるような家族は、家族なんかじゃない。
空の状態があまりにも酷く混乱してしまい、学校への連絡を忘れてしまった。平常心を取り戻すまでに数時間経過してしまったから、既に学校には誰もいないだろう。
眠っていたであろう父さん、母さんに連絡を取り、大至急病院に来てもらうことになった。
頭部を縫う程の重傷を負って集中治療室に入れられているということ、住所変更についての相談、空の親たちを刑務所にぶち込みたいこと。
上手く伝えられたかは分からない。まさか自分の周りで起きた出来事だとは思えなくて。
「親子の暴力問題について聞いてみたんだけど」
「あ、誰に?」
ベンチで隣に座る優がずっとスマホを触っていると思っていたが、誰かと連絡を取り合っていたとは思わなかった。俺以外の連絡先入ってんの?
「兄」
「うわまじか。苦手じゃなかった?」
「そんなこと言ってられないでしょ」
「ん、まぁ」
確か、二人兄貴がいるうちの片方は法学部の大学院生とかだった。実力で行ったと思っていないから当てにすらしていなかった。
「親からの暴力だったら逮捕に持って行くのは難しいんだって。乳幼児の死亡事件ならまだしも高校生の男子が、母親からの暴力でって言うには説得力が足りない」
空の担任みたいな事を言う。
「仮に、被害者の母親と婚姻関係にない第三者、つまり親以外から暴行を受けているなら、暴行罪・傷害罪が成立する。って」
優の兄と言うからもっと冷たい人なのかと思っていた。意外と話聞いてくれるもんだな。
「親を逮捕させようと思ったら、裁判したり児童相談所の介入が必要で、もし逮捕できたとしても家庭裁判所からの指示で広太と空が一緒に住めなくなる可能性も出てくるらしいよ。18歳までの話だけど」
随分と現実的な話をしてくれるじゃないか。だてに法学部名乗ってる訳じゃねぇのか。
「やっぱり、空の場合は正当防衛とか、反撃できるのに「しない」って見られてしまうらしいね。民事裁判では心理的印象も強く影響するんだって」
やり返せと言ったところで何も変わらない。自己防衛しないのは全てを諦めているから。
無抵抗の人間を殴る奴が正当化されるのはおかしな話だが、内情を知らない人からすると「なぜ?」と思われるのも仕方のない事なのかもしれない。
「空は確かに、反撃できないんじゃなくて、反撃しないと言う方が正しい。ここだけ見れば、転んだときに手を付かないから怪我をするってくらい当たり前の結果が生まれる。けどあいつがやり返さないのは、大嫌いな家族と同じ事をしたくないって思いが強いからだ。狂った親の元に生まれてしまった自分だから、ネジがぶっ飛んで殺してしまうかもしれない、もしそうなったとき、悪いのは全て空になる。過剰防衛と決め付けて、あいつらが正当化されるから、そうなる気がしているなら、反撃しない。こういう背景があるんだって、大人は知ろうともしないだろ。だから俺が助けるしかないじゃんか…」
心の声を全部出し切るようにひたすら聞いてもらう。
「空が自分の人生を諦めないようになるまでさ…」
言いながら自信を無くしてしまいそうだった。今までどうにかいい方向に繋がるようにしてきたものが、一瞬で振り出し、いや、どん底に突き落とされて、これ以上何を頑張ればいいのか分からない。
「そうだね、広太。他人事では済まされなくなってしまったね」
途方に暮れる俺たちに、父さんはピシャリと言い放った。




