13-4 始末
「……見つけたッ!!」
洗脳の時に受けた魔法の残滓が原因であろうか、幸か不幸かベアトリスは己が嗅覚で探し当てるかのごとく、魔術師の魔法の跡を感知して追跡することが出来ていた。
「どうやら、ここまでかな?」
袋小路に追い詰められたにもかかわらず余裕の表情を浮かべる呪術師に対して、追い込み追いつめている筈の復讐者の表情は、それまでにないほどに切迫していた。
「遂に追い詰めたわ……絶対に、殺してやる……!」
――黒く塗りつぶされた殺意。今の彼女を表すとすれば、それ以外の何物でもない。自分の運命を狂わせた者を殺す。幸せな虚構を植え付け、残酷な現実を隠した人間を殺す。国を、家族を、アルナを地獄に追いやった者に、本物の地獄を見せつけた上で殺す。
ベアトリス=エーカーの感情は――殺意に満ち溢れていた。
「いや、参ったねどうも」
呪術師はなんの悪びれる様子もなく、ただ自分の計画に支障が生じた事だけに冷や汗を流している。目の前で自分を殺そうとしている存在などははなから眼中にないかの如く振る舞うルークを前にして、ベアトリスは躊躇することなく腰に挿げていた剣の柄に手を添える。
「蛇腹剣……」
「ちょっと待った。こういう時の為に保険をかけておいてよかったよ」
ルークがそう言って目の前に突き出したのは従姉妹にあたるアルナであった。しかしそれがどうしたといわんばかりに、ベアトリスは腰元の得物を引き抜こうとしたが――
「――【停戦協定】」
「ッ!?」
ベアトリスの全身から、力が抜ける。それと同時に魔法を唱えた者――アルナの胸元が光りだし、魔法陣を浮かび上がらせる。
「いやー、やはり魔法というものは非常に便利だよ。本人が唱えられなかったとしても、魔力があるならば無理やりにでも唱えさせる方法があるってことがさ」
張りのある肌に身体に刻み込まれた魔法陣。それが何よりの証拠だった。魔法が使えなくとも、その身に刻み込めばいい。後は本人が魔法を発動するための言の葉を口に出すだけでいい。全ては魔法陣が導いてくれる。それをルークはやってのけていたのである。
「君に付呪の才能があるように、この子には生まれつきずば抜けた魔力が備わっていた。それこそ、このように高度な魔法を唱えることもできるくらいにね」
いくら高度な魔法の術式や魔法陣を知っていたとしても、それを使いこなせるだけの燃料、つまり魔力が無ければ意味がない。そしてそれはこの世界においては生まれ持った才能でしかなく、後々に伸ばせるものではないとされている。
「だからある意味本当に良かったと思っているよ。君があの時――十年前にケンカをして、僕のテリトリーに使用人の忠告を振り切ってわざわざ入って来てくれたことに」
「くっ、殺してやる、殺してやるぅ!!」
いくら吼えようが、枷をつけられた猛犬に怯える者など要るはずもない。それと同様に、特殊魔法【停戦協定】によって先制攻撃が出来ない者に怯える者がいるであろうか。先に攻撃を受けるまでは一切手も足も出せないという制約を課した者を相手に、怖気づく者など要るであろうか。
「あっはは! そうやってもがく姿はかわいいよね、ほんと」
ルークはそうして一切手を出すことが出来ない者を相手に、一歩一歩とゆっくりと近づき、右手でベアトリスの顔を間近に寄せていつもの弟子に対する笑顔を浮かべる。
「これだけ周りに酷いことをしておいて、そして君の最も親しい仲のアルナには魔法陣を刻みつけておいて、僕がどうして君に対して何も手をつけなかったと思う?」
言われてみれば変な話である。ひたすらに持ち上げ続け、第二騎士団という高い地位においておくことの意味があったであろうか。ただ単に操るだけであるならば、普通の姫として皇帝共々傀儡として置いておいたとしても何もおかしな話は無い。
しかしルークは、その程度ではつまらないとあっさりと嗤ってこう言った。
「それはね、このクソみたいな国で立派になったつもりの哀れな君を、身体目的で欲しがる貴族に高値で売るのも、君の叔父に対する一つの復讐の手立てかなって思ってとっておいただけ」
「――ッ! ……あぁああああああああああああ!! ああぁあぁぁぁあああああああああああああああああぁぁぁぁ!!」
ひたすらに言葉にならない怒りを叩きつけるが、手も足も出すことができない。それを知っての上で、ルークはベアトリスの目の前に杖をかざす。
「でも安心してよ。上品ぶった時も良かったけど、僕は今の君も結構好きだよ? だから次は洗脳した後、今度はその意識を保たせたままで服従の魔法を、二度と解除されないように身体に刻み込んであげる。そしてその後は僕の妻として、いつでも好きな時に虐められる奴隷として――一生を過ごさせてあげる」
「いや、そんなの、いやぁ……いやぁ!!」
その悲痛の叫びは十年前と同じ、幼子の叫びであった。そしてそれはルークにとって、とても甘美な悲鳴でしかない。
「ははっ! じゃあ、先手として洗脳させて貰うね」
杖は妖しく光り、そして輝き始める。目じりに涙をためた少女の顔を照らし、そしてあくどい笑顔を浮かべる詐欺師の姿をより鮮明に照らしだす。
「次に目覚める時は純白のドレスで目覚めることになるから。それまでは、さようなら――」
――しかし次の瞬間、杖の光すらもかき消すようなまばゆい光を携えて、聖なる矢がルークの腕を撃ち抜いていた。
「ッ!? ぐぁああああああ!」
伸ばした腕が消し飛び、代わりに血しぶきがその場に散らばる。数瞬遅れて襲い掛かる激痛を前に、ルークは存在する筈のない腕を押さえてその場にうずくまった。
「全く、何をするかと思ったら魔法陣の刻み込みなどとは、低レベルな」
あまりの恐怖を前に動けなくなっていたベアトリスの背後から、コツコツと足早な音を立てて近づいて来る者がいる。開いた聖書を片手に、次なる呪文を唱えようとしている者がいる。憐れな復讐者を再び救った者が、本来の計画を邪魔されたことに苛立ちを隠せずにいる。
「貴方ですか。下らないことで場を引っ掻き回す豚屑は」
「だ、誰だお前は!? ベアトリス! お前にそんな仲間などいなかったはずだ!」
突然の乱入者に狼狽するルークと、絶対なる主の計画の邪魔立てをする羽虫を掃いに来たアビゲイル。ここで初めて、互いに相対する。
「この小娘を洗脳した上で我が主の根城に送り込んだ不届き者は貴方ですか」
「根城……? ダンジョンのモンスターが這い出てきただと!? ぐあっ!?」
何の呪文を唱える事無くアビゲイルが右腕を振るえば、そよ風に乗って光の粒子が舞う。そしてそれが対象へと接触した途端、まるでそれまで溜めていた衝撃を開放するかのような強烈な力が襲いかかる。
「がはぁっ! ぐあぁあ……」
「おやおや、このような下級魔法一撃でボロ雑巾とは、情けないですねぇ」
それまで突っ立ったままの傀儡のところまで吹き飛ばされたルークは、これ幸いにとアルナを盾にして脅迫をする。
「いいのかい!? それ以上近づいたらこの子がどうなるのか――」
「どうなろうと私には関係ありません。虫ケラが虫ケラの命をどうしようが、私にはどうでもいい話です。むしろ勝手に殺し合ってもらって非常にありがたいとでも言いましょうか」
脅迫など最初からなかったかのように堂々と足を進めるアビゲイルに対して、ルークは半ば助けを求めるような視線を送る。しかしベアトリスもまた、覚悟を決めた目でにらみ返し、そしてアビゲイルに対してこう懇願した。
「お願い。あの子も楽にしてあげて」
「……まあ、いいでしょう」
どうでもいい依頼を前にアビゲイルはため息をつきながらも足を進め、そして懺悔を促すかのように聖書のページを開き始める。
「さて、どのように殺して差し上げましょうか……おや?」
突然と振り堕ちる雫。それが暗黒砲による天候変化による影響だとすぐに気が付いたのは、アビゲイルただ一人であった。
――そしてその場で起きようとしている異常事態に気が付いたのも、アビゲイル一人だけであった。
「ッ! 仕方がありませんねぇ……!」
「えっ、きゃあ!」
異変に気がついたアビゲイルは即座にベアトリスの足元に転移魔法陣を展開すると、襲撃当初に決めていた集合場所へとベアトリスを強制転移させてその場を離脱させる。
「おや? 何をするつもりかな?」
「いえ、ここから先は子どもには刺激が強すぎるかと思いましてねぇ」
アビゲイルはそう言うと聖書をぱたりと閉じて不敵に笑うだけで、一切の手出しをする様子もなくルークとアルナを静観する。
「……ははっ! 手出しをするつもりがないならいいや! だったらさっさとこの場所を去ればいいからね!」
ルークは自信満々にそれまでアルナに着せていたドレスを引き裂くと、その全身に刻み込まれている魔法陣をアビゲイルに見せつける。
「この子凄いでしょ! 魔力だけはあるから、こうしてさっき君がやったような転移魔法も身体に刻んでおけば――」
「あー、確か我が主も昔、そのような人間を作っていましたねぇ。とっくに用済みだったので廃棄しましたが」
ダンジョン内で捕らえた冒険者に対して、ただ単に殺すだけではもったいないと、目の前のアルナのように魔力が尽きるまで魔法を強制使用させるような仕組みを作っていたことを、アビゲイルは懐かしむかのようにしみじみと口にする。しかしそれよりももっと興味深い現象が、目の前で起きようとしていた。
「あ……あぅ……」
「えっ!? し、喋った……?」
「ほぅ……面白いですねぇ」
――エルドルウの幼生。それは水を通してのみ体内に取り込まれる。数ミクロンにも満たない小さな卵一つが孵化し、通常であれば単なる寄生虫として宿主からわずかな栄養を吸い取るのみ。
しかしそれも、あくまで司令塔であるエルドルウから何の指令も下されいない場合である。指令をひとたび受ければ最後、寄生先を脊髄そして脳へと移住し、最終的には脳を喰らい尽くして空いた頭蓋骨に蛹となって最終指令を待つという凶悪ぶりである。
無論「MAZE」における虫下しなどは一切効かず、そして本人も気が付かないうちに本人の意思から幼生の意思へとすり替わった事など分からない。自分の思考か、それとも寄生体の思考か。それが判明するのは、親であるエルドルウが愛するエニグマを憲兵へと通報しようとしたところで、それが思い通りにいかないことでようやく判明する。
そうして知らぬうちに自分の動かしていた冒険者がエルドルウの幼生に犯されていた事を知った冒険者が次々と引退をしたことが、「MAZE」のサービス終了を早めたという一説もあり、一時期は掲示板に殺害予告までされたこともある。
そういった経緯もあってか、エニグマは以降エルドルウを使った街の占領を行っていない。しかしここは異世界であり別世界。何の遠慮もいらない。
「あっ、あっ、あっ――」
首が百八十度後ろに向く。この時点で通常の人間ならば絶命していてもおかしくはないであろう。しかし動かしているのが人間ではなく、たった一匹の寄生虫だったとしたら――
「――おま゛えを、ごろず……」
その言葉はアルナ自身の言葉であったのか、はたまた流れる水によって興奮した寄生虫による殺害本能であろうか。寄生体によって操られたアルナは、尋常とは思えない筋力でもって、細身の魔術師をいとも簡単に組み伏せてしまう。
「がはっ、どういう事、だ!?」
「おやおや、どうやら幼生を飲み込んでいたようですねぇ」
下水道を通して流していた、エルドルウの卵。それが今、雨をきっかけにして街の至る所で覚醒を始める。
「や、やめろ、死ぬ……っ!」
「キャハ、キャハハハハハッ!!」
アルナが口を大きく開けば、喉の奥に潜む寄生体が覗き出る。蛭のような深緑の生物が姿をのぞかせ、そして次の瞬間――
「もがっ、が―――」
ずるりと這い出たエルドルウの幼生が、まるで次の宿主へと引っ越すかのように、その巨大な体躯を無理矢理ルークの喉へと捻じりこませていく。
異様なまでに喉が膨らみつつも幼生は次なる宿主へと移動を完了させると、抜け殻となったアルナはそのままフッ、と最後に笑ってそのまま絶命した。
そして起き上がった新たなる宿主はというと、その場で空の雨を全身に浴びるようにして、興奮し笑い続ける。
「アハッ、アハハハッ! アッハハハハハハッ!!」
「……本当に復讐を遂げたかったのは……ベアトリス、貴方の同胞だったかもしれませんねぇ」
最後にアビゲイルはアルナの死体を光で浄化すると、狂った魔術師をそのままにして、その場に背を向け立ち去って行った。




