2-4 最初の脅威
「一応一通り第六フロアを見せてもらったが、特に問題はなさそうだな。そしてこれで道中モンスターも問題なさそうだということが分かったし」
第六フロアはゴブリンを基本として基本的にグールやゴースト等、人やそれに近い形の種族のモンスターが多く生成される。
中には中ボスとまではいかないものの、誰もいるはずの無い書斎に潜む人喰いオーガや隠し部屋の噴水に潜むウンディーネなど、これまで幾度となく冒険者を苦しめてきた面々ともエニグマは顔を合わせることができた。
しかしエニグマはまだこの第六フロアにて、アリアスの次に重要な中ボスモンスターと遭遇することができていない。
「しかし主よ。まだリーパーに会っておらぬぞ」
「ああ、あの“殺人人形”のことか」
それまでアリアスが案内した道の中には、中ボスのいる部屋へと続く通路は含まれていない。
アリアスが足を止めて見やる分岐路の先。それこそがこの第六フロアのボスの前の前哨戦――中ボスである“殺人人形”、リーパー=ジ=アイボリーのいる部屋である。
エニグマの手によって荘厳な装飾がなされた扉は、人が出入りするよりもはるかに大きく創られており、力を入れてこじ開けなければ扉は開かれない。
「……いるんだよな?」
「もちろんだとも」
「敵対しないよな?」
「敵対しようものならわらわが斬り捨てる」
「俺もいることを忘れるな、主」
いくら中ボスとはいえ第二フロアと第六フロアの大ボスがいるのであればと、エニグマは意を決して扉に両手をかける。
「……というか、俺が開ける必要ある?」
「…………言われてみればそうだな」
「主は賢いのう」
若干小馬鹿にしているような者が一名いるが、エニグマは扉から手を離して代わりにアルデインに扉を開けさせることに。
「グググ……」
純粋戦闘力の塊であるアルデインでもこの扉は重たかったようであり、開けるのに数秒の時間がかかってしまった。
「情けない。わらわなら片手で開けられるというのに」
「だったら最初から貴様が開けろ!!」
“聖騎士”と設定されていたはずのアルデインから怒声をぶつけられながらも、アリアスは腰元の刀に手を添えつつ先頭に立って部屋へと一歩足を踏み入れる。
するとそこはまさにエニグマが設定下通りの部屋の内装と、エニグマが設定した通りの登場演出でもってリーパー=ジ=アイボリーが目の前に姿を現す。
――薄暗い大広間。中央には長いテーブルが置かれ、両脇にはずらりと椅子が並べられている。
唯一の明かりとして灯されているのは広間の最奥にある暖炉の炎と、テーブルの上に置かれた燭台のか細く揺れ動く炎だけ。しかしそれもすぐに消え去ることになる。
「クスクス……」
少女の笑うような声だけで、音もなく蝋燭は横に斬り捨てられ、炎は静かに消えていく。
少女の笑い声が重ねられる度に蝋燭の炎は消え、最後に残されているのは暖炉の炎一つ。
「クスクスクス、アハハハハハッ……!」
しかしそれも最後には消え去り、遂には静寂だけが残される。そして――
「……アハハハハハッ!!」
最後に長テーブルを真っ二つにして降り立ったのは、メイド服姿の少女であった。
暗い部屋の中一人スポットライトの下にさらされるその姿。金髪の髪をツインテールに結び、病弱なまでに真っ白な肌を衆目に晒し、そして殺人という快楽に溺れたかのような目つきで、新たに現れた玩具を見やる。
「……今度も楽しめそうね……ウフフフフフ、アハハハハハッ!」
そして一番彼女の異常性を如実に表しているのは、全身の関節に繋げられた糸とその手に持たされている巨大な大鎌である。特に糸の方は天井の方へと伸びていくものの、誰が彼女を操っているのかその大元は分からぬまま。
そんな不気味な状況の中で、“殺人人形”リーパー=ジ=アイボリーとの戦いが通常は始められるのだが――
「――って、ご主人様ぁ!?」
「なんだ、そちは主の姿を忘れるほどのポンコツ人形であったか」
それまでの緊張感はどこへやらといった様子で、スポットライトで照らされていた残酷な殺人人形は慌てふためいた様子で大鎌を後ろ手にしまい込む。
「ち、違いますよ!? その……ステージ設定がうす暗い中だからいまいち見え辛くて――」
「ほうほう、つまり貴様はせっかく主が設定してくださったこの場所に不満があると」
「違いますってばぁ! 助けてくださいご主人様ぁ、二人が虐めてきますぅ!」
リーパーは器用に糸を絡ませないように動きながらも、エニグマの影に隠れるかのように回り込んでは背後から抱きついてアリアスとアルデインの様子をうかがい始める。
「……まあこんなステージ設定をした俺も悪いんだし、そんな事――」
「違いますぅ! リーパーはこの部屋がお気に入りなんですよぉ!」
その割にはお気に入りの部屋の家具を斬って登場していたが――と自分が設定したことを棚に上げながらもエニグマは呆れたようなため息を漏らしてしまう。
「……この調子だと、ブランノワールからはなんて言われるのやら」
エニグマはもう一つの薄暗くどころか真っ暗に設定していた設定していたボス部屋にいるフロアボスの事を考えながらも、こうしてある意味初めて相対する戦闘態勢を取っていないリーパーをじろじろと見つめる。
「…………」
「……あ、あのー」
「ん? どうした?」
「そんなに見つめられると、恥ずかしいです……」
憧れていたご主人にこんなにも見つめられるとは思っていなかったリーパーは、恥ずかしさのあまり赤く染まった頬に両手をあてる。その拍子に手に持っていた大鎌が落ちてしまい、エニグマは一瞬ではあるものの足元の刃物にたじろいでしまった。
「……それにしても」
殺人衝動に目覚める前――殺人人形に仕立て上げられる前の少女は、とても純粋で年相応の恥じらいを持った少女であるとの設定であった。それが今こうして設定されている通りの言動や行動をエニグマの前で取っている。
「戦っている時は味方ながらに不気味だと思っていたが、こうしてみると可愛いな……」
「か、可愛いって……!」
「ちょっと待て主よ。それではわらわは可愛くないと?」
このエニグマの言葉に異を唱えたのは、他の誰でもないアリアス=ヴァイオレットだった。彼女もまた吸血鬼だということを除けば刀を持ったゴスロリの少女。しかもリーパーに嫉妬するその姿は、可愛くないと言えば嘘になる。
「わらわは可愛くないと!?」
「アリアスも可愛いに決まっている。というよりも、俺は俺が創り上げたダンジョンにいる全てのものが愛おしいと言っても過言じゃないぞ」
「ッ!? 我が主はここまで慈悲深いお方だったのか……! このアルデイン、感服すると共に改めてここに絶対なる忠誠を誓わせて貰う」
エニグマとしては軽い気持ちで放った言葉が、またしてもその場において絶対的な神の言葉だとでも言わんばかりに針小棒大に取り扱われることに。
「そ、その、ご主人様。もしよければこの後ご一緒に――」
「駄目だリーパー。そちはここで引き続きダンジョンの警備にあたれ。主はわらわと一緒にダンジョンの視察にまわるのだからな」
「えぇー! そんなのずるいです! 職権乱用ですぅ!」
「悔しければそちもフロアボスになればよい。もっとも、わらわやそこの騎士にお主が勝てるかな?」
「その辺にしておけアリアス。リーパー、後でまた会いに来てやるから、この場はしっかりと守ってくれ」
「……っ、はい! 分かりました!!」
何とか後でリーパーの話を聞いてやることでその場を収めたつもりのエニグマであったが、それはつまり他のフロアボスにとっては羨望の対象となってしまうことになる。
「なっ!? ズルいぞそちだけ!! わらわも主と一対一であんなことやこんなことをしたいぞ!」
「貴様はなんと下品な女だ!! 俺ならば、主と共にこのアビスホールをいかにしてより偉大なものとしていくか、侃々諤々《かんかんがくがく》と語りあって――」
「フン、やはり所詮頭の固い騎士のことだ。主は休息を欲しがっておるに決まっておる。つまり、夜伽をすることこそが一番主を想ってのこととなる」
アリアスはふふんと鼻を鳴らしているが、エニグマにとっては夜伽という言葉は生々しく聞こえてしまい、そしてロリータ服の下に隠されたアリアスの幼くも艶めかしい肢体を想像させてしまう事になってしまう。
「……っ! いや駄目だろ普通に考えて。アウトだ」
「何を言うか主よ。わらわはもう百を超える歳ぞ」
何とか煩悩を振り払い、現実へと戻ってくることができたエニグマであったが、もう一人妄想の世界に行ったまま、戻ってこられずにいる少女がいる。
「よ、夜伽って……てことはリーパーと後でお話って、そういうことだったんですね! わわわ、どうしましょう!? 急いで身体を清めてから、それから――」
「ちょっと待て話がおかしな方向に――」
「お取込み中のところ恐れ入ります我が主よ」
地下の風の吹くはずの無い場所に風が吹き、聖書のページがいたるところに散らばっていく。そして散らばる聖書と魔法陣の中心に、かの神父服姿の男が姿を現す。
「主にお伝えしたいことがありまして、今ここにはせ参じた次第であります」
「一体どうしたというんだ? アビゲイル」
主の前に現れた神父は、それまで見せていた余裕のある表情から一変して深刻な物事を抱えているかのような緊張した面持ちでエニグマの方を見つめている。
「一体何が起きたんだ、教えてくれ」
「まずは周囲の状況の報告を。そして……侵入者と思わしきものが現れました」
「ッ! ……どんな種族だ? 人数は? そもそも火口と分かっていて来る者がいるというのか?」
「それが……」
アビゲイルは緊張からかすぐには口を開かず、呼吸を一泊ほどおいてからエニグマへと詳しい内容の報告を始める。
「それが外はというと近くに森があるくらい以外にはひたすらに広がっておりまして、我等がアビスホールは草原にぽっかりと井戸のごとく入り口を開けている状況となっています」
ダンジョンごと移動されるとはどういうことなのかと、エニグマは歯噛みしながらも状況整理に追われる羽目に。
「グロア山脈ではないだと? 面倒なことになってきたな……」
「そして非武装状態の雌のエルフ族二体、しかもいずれも既に半狂乱状態に陥った状況で、ここに向かって逃げて来ております」
「逃げてきた……? 何者からだ? 姿を見たのか?」
外に比べればダンジョンの中はどれほど危険なものか、それこそ作った本人自身にとっては火を見るより明らかである。しかしそれを知ってか知らずか、このダンジョンに逃げた方が安全だと思えるような敵が後から追ってきているとエニグマは考えることができた。
「エルフ族はプレイヤーが操作できる種族ではない……となるとNPCの冒険者の可能性も捨てがたいが、非武装状態とは一体……」
「正確には、肌着一枚でここまで逃げてきたと言った方が正しいかと」
「肌着一枚!?」
一瞬下卑た想像をしてしまったものの、逆に言えば肌着一枚になっても逃げだすような相手が追ってきていると考えてもいいだろう。
ひとまずすべてのフロアに厳戒態勢を敷くと同時に、その逃げてきたエルフの裁断を、エニグマは即座に決めなければならなかった。
「どうしましょうか? エルフ族は運命の間を通さずに直接“饗宴の間”に誘導して始末いたしましょうか?」
「いや、待て」
それほどの脅威に追われているということは、逆に言えばその脅威の情報を先に得ている可能性があるということだと考えられる。
「そのエルフ族の二人はこちらで一旦捕縛する」
「何故です?」
「アビゲイルの言う通り逃げてきているというのであれば、俺達はむしろエルフを追ってきている脅威の方の対処を優先すべきと考えるべきだ」
もし現時点で対処できるならよし、対処できないとなれば即座に中ボスフロアボスを連れ、アイテムを使ってダンジョンを緊急脱出する必要がある。
今まで育ててきた住処を捨てることと等しい行動をとらざるを得なくなる必要が出てくるという、最悪のパターンを考慮して動くべきだとエニグマは考えていた。
「流石は我が主じゃ。適切な判断に長けておる」
「俺は主にとっての忠実な槍であり、盾である。ならば命に従い、動くまで」
「私の平凡な考えをお赦しください、我が主よ。そしてあわよくば汚名を返すチャンスを」
「リーパーも、頑張れることは頑張りますっ」
アビスホールを守るそれぞれのフロアボス及び中ボスからその意思を聞いたエニグマは、改めてダンジョン全体に命を下す。
「最優先はエルフ二体の確保。そしてまだ見ぬ不明の侵入者を相手に、我等アビスホールの住人の底力を見せつけるのだ!」