10-2 程度の差
“神父”アビゲイルと“外科医”エボニーがエルフ族の村へと踵を返すより少し前――エルフ族の村に一人の侵入者がその姿を現していた。
「あらあらぁ? せっかく魔法を教えて貰ってたのに何もできない訳? つまんなーい」
「魔法が……効かない……!?」
紛いなりとはいえアビゲイルの師事を受けたエルフ族は、この世界においてそこらの冒険者程度では歯が立たない程度には鍛え上げられている筈だった。しかし目の前のたった一人の女性を前にして、逆に歯が立たないといった状況となっている。
プルーティア帝国第一騎士団団員であるベルデールは、まさにそのそこらの冒険者とは次元の違う強さを持っていた。
身に着けている魔法耐性は下級程度の魔法なら全てノーダメージで切り抜けることが可能であり、かつ中級以上の魔法ですらも軽減するという代物。
故にベルデールの持つ別の異名は“魔術師殺し”、相手方の後方支援を壊滅させる暗殺者が彼女の職業であった。
「あの怪しい神父さんの手ほどきを受けてるからどれくらい強いのかと思ったら……下級呪文で舞い上がっちゃってぇ……」
既に何人ものエルフが彼女の腰元の得物によって倒れている状況の最中、残ったエルフ族の怯える表情を見たベルデールはもはや消化試合といわんばかりに大きくため息をついた。
「面白くなーい。ベルちゃんちょっと期待外れかなー? それに――」
ベルデールは瀕死のエルフ族の眉間にナイフを投げて止めを刺すがクスリとも笑うことなく、かといって何かしらの感情がそこにある訳でもない、ひたすらな暇つぶしを片手間に開始する。
「さて……次は貴方にしちゃおうかしらぁ」
「くっ……」
「長老様! お下がりください!!」
「こうして殺しまくっていれば、例の神父がやってくるかもしれないし――」
「隙ありッ!!」
完全な死角――それまでベルデールが全く気にもかけていなかった場所から槍による突撃。その一撃によりベルデールの身体は脇腹から文字通りくの字に曲げられた状態で突き飛ばされ、そのまま地面を削り滑っていく。
「ゼルーダ!?」
「ッ、他にもいたのぉ!?」
「くっ、狙いをしくじったか!?」
本来ならば背骨すらへし折り、そのまま一撃必殺となるはずの暗殺術。この村で一番の実力を誇るゼルーダの持つ中で指折りの必殺技であった。
しかしベルデールはそれをくらってもなおぐにゃりと柔軟な身体を起こすと、多少のダメージはあるものの戦闘継続には支障ないといった様子で乱入者に対して牙をむく。
「あぁんたさぁ……このベルデールちゃんに、なにをしてくれちゃってんのかぁあああああああああああああああ!?」
ベルデールが怒りの大声を挙げた瞬間、彼女の周りに緑色のオーラが纏われ始める。
「……なっ! 馬鹿なっ!?」
「はぁったく……このベルデールちゃんがこんな奴等に【自動回復】使わされるとか、この場にエリオがいなくてよかったわぁ」
ベルデールはそのままナイフ二本を両手に構えた姿勢でもって、今度はゼルーダの方に向かって突進の構えを取る。
「【高速移動】……」
「なっ――」
その先ゼルーダが見た光景は、およそ普通の人型の種族が行なえる運動能力の範囲を超えたものだった。
左右に揺らめきながらの接近、しかしその速度は直進してくるよりもはるかに速い速度でもってゼルーダ自身の目の前にまで近づいてくる。
「じゃ、まずは健でも斬らせてもらおうかしらぁ」
――そのままするりと、まるで鎌鼬が通り過ぎるかのようにゼルーダの足元を通り抜けたベルデールが持つナイフには、赤い血が付いていた。
「がぁっ……!」
足の筋を斬られたゼルーダは力なくその場に倒れ、身動きが取れなくなってしまう。
「く、クソッ……!」
「その表情、ゾクゾクするわぁ。まるで今見たものが信じられないって目をしていて、ダァーイ好き」
ベルデールはナイフに付着したエルフの血を舐めとると、自らが与えた致命傷に恐怖するゼルーダに対して興奮を覚え始める。
「さて、次はどこを斬ってあげようかしらぁ? 腕ごといっちゃう? それともその顔を切り刻んであげてもいいんだけど……まぁ、売り物にあまり傷をつけられないわよねぇ」
「売りもの……だと?」
その言葉を聞いてやはりといった様子であきらめの表情を浮かべる村長と、今までただの風の噂程度にしか思っていなかったゼルーダを含むその他大勢のエルフ族の青ざめた表情を見たベルデールは、まるで絶頂するかのような恍惚とした表情を浮かべて相手の運命を嘲り笑う。
「そうよぉ。今から貴方達は、オークと同等かそれ以上に醜い豚のような貴族に飼われて、その身体を貪り尽くされるの。考えるだけで反吐が出て、考えるだけで興奮してこなぁい?」
プルーティア帝国第一騎士団所属、ベルデール。またの名を、“人攫い”ベルデール。その高速移動術でもってありとあらゆる守衛を翻弄しては敵国の要人を暗殺し、そして裏の稼業である亜人種族を闇の業者に流している張本人である。
「さぁて、今回の売り上げは中々に期待できそうよぉ。なんてったって魔法を覚えたエルフなんて、ちょっとばかり箔がつくじゃない。あの神父もそこだけは――」
「神父ですが、何か用でしょうか?」
「ッ!?」
すぐ背後から聞こえる声に、ベルデールは思わずナイフを振り回す。しかしそこに神父の姿など無く、ただあっけにとられたエルフ族の面々が並ぶばかり。
「ふむ、【高速移動】ですか……しかしこの程度で勝ち誇れるとは、なんとも意識もレベルも低い戦いなのでしょう」
ベルデールが再び振り向くと、そこには倒れるゼルーダに処置をする小柄な医者と、既に聖書を開いて戦闘態勢に入っている“神父”アビゲイル=ブラウの姿があった。
「……では、見せていただきましょうか。その御自慢の【高速移動】とやらを」
神父はニコニコとした表情を浮かべているが、その裏に隙など一切存在していない。ベルデールは未だに何故この神父が自分を翻弄できたのかは分からないものの、ただコケにされている事だけは理解できた。
「どいつもこいつも、ベルちゃんを事を馬鹿にするなぁああああああああ!!」
高速移動による接近。しかしアビゲイルはそれを欠伸が出るといわんばかりに更に上回る速度でもって迎撃を行う。
「さようなら――」
「ごっ!?」
高速で接近をし、ナイフを振り下ろそうとしたベルデールの背後へと神父は瞬間移動する。そして無防備である後頭部に聖書の背の部分を振りおろすと、そのまま一撃のもと気絶させてしまった。
「……【高速移動】程度で、【神速】に打ち勝とうとすること自体がおこがましい」
「神父様、取りあえずどうします?」
「エボニーはこのまま残ってエルフ族の治療をお願いします。私は……」
アビゲイルは気絶しているベルデールを片手でひょいと担ぎ上げると、そのままその場に背を向け去っていく。
「私はこの者を、主への供物として捧げに参ります」
「うへぇ、可哀そうに」
「仕方がありませんよ」
そう言って振り返るアビゲイルの顔は、とても聖職者とは言えない顔つきであり――
「主の領地へと手を出した時点で、私はこの者を許す気など到底ありませんから」
――まるで悪魔のような殺意に満ちた表情を浮かべていた。




