2-1 現状把握
「――起きよ、我が主よ」
「……んあ?」
「起きよと言っておるのだ、我が主。そちはいつまでわらわを退屈させればよいのだ。あの心躍る戦いの後、余韻を残す間も無く勝手に眠りおってからに」
聞き覚えのある声色だが、聞きなれない台詞。いくらメイズにのめり込んでいたとはいえど、それまでに聞いたことのない台詞パターンなど加賀には存在しない。
それが自分のダンジョン内で使役しているモンスターであるなら、尚更のこと。
「……あれ?」
「ん? どうしたのだ我が主よ。敵がいつ来るともわからぬのに、呆けた姿で大丈夫か?」
少なくとも加賀はまだ夢の中にいると思っていた。
しかし体を起こせば薄暗い部屋の中、そして目の前に立っているのは真っ赤なゴシック服に身を包み、身の丈に余る長刀を肩に担ぐ黒髪の吸血鬼。その宝石のような碧い目が、加賀との視線を合致させている。
どう考えても普通ではない。夢にしてはリアリティがありすぎる。
「い、いやそれはおかしい」
「何が可笑しいのだ、主よ。わらわの顔に何かついておるか?」
「いや、何もついてないけど……あっ!」
「ん? どうした?」
加賀が次に気が付いたのは、自分の服装がヨレヨレだった洋服から貧相なローブへと――「MAZE」におけるダンジョンマスターの初期衣装へと変わっているということ。
「……おいおい、冗談だろ?」
加賀の信条として、ダンジョンの最深部へとたどり着きさえしなければダンジョンマスターがいくら貧相な装備であろうと関係ないというものがある。
だが自分の身を守るとなれば、話は別になる。念の為に加賀は、目の前に立つ吸血鬼の名を読んで確認をした。
「……お前、アリアスだよな?」
「……まさかわらわの名を忘れたのか? 哀しいな、我が主よ」
「いや、忘れるはずがないさ」
「フン、ならばよいが」
アリアスは主が目覚めたことを確認して安心した様子を見せると、元の持ち場へと戻ろうとその場に背を向けようとした。しかし――
「待ってくれ!」
「ん? どうしたというのだ主よ」
「ちょっと俺のぽっぺたを引っ張ってみてくれないか?」
「……主はたまに可笑しな命令を出すことがあるが、これは殊更に可笑しな命令だな」
アリアスは不思議に思いながらも、加賀の左頬に右手を添える。この時の加賀には確かに、彼女に触られたという感覚がある。
そして――
「痛い痛い痛い!!」
「むぅ、すまん主よ」
ダンジョンマスターとしてまともな育成などしていなかった加賀にとって、高難易度ダンジョンの、しかも下層のボスから頬をつねられるのは相当なダメージとなっただろう。
「し、死ぬかと思った」
「いくら主がぜい弱とはいえ、この程度で死にはしまい」
アリアスは冗談を交えながら「カカカッ」と笑うが、それでもこの苦痛は確かに加賀に大ダメージを与えると共に、冗談とはほど遠い一つの事実を伝えている。
――この「MAZE」に酷似した世界こそが、今の自分にとっての現実なのだと。
「サプライズにしては出来過ぎたものだ。だが……」
加賀は現状を更に把握するために、アリアスに一つの命令を下す。
「……今このダンジョンにいる全てのフロアボスに、招集をかける。動ける奴は全員この玉座の間に集合だと」
「一体何のつもりだというのだ、我が主よ? 我等は持ち場を預けられている筈――」
「いいから全員集めてくれ。これは……ダンジョンマスターとしてのお願いだ」
今までにない深刻さを感じ取ったのか、アリアスはそれ以上は何も質問もすることなく主たる加賀の言葉を受け入れる。
「……お願いと言われずとも、命じて貰えればわらわは動く」
まだ疑問が残っているかのように首を傾げてはいるが、アリアスは言われたとおりにその場を急いで走り去っていく。
一人取り残された加賀は、アリアスが全てのフロアボスに招集をかけている間の時間で状況の整理を始めた。
「一体どういう事だ。まさかゲームの続き……? いや、このゲームに仮想空間要素なんて実装されていないはず。それにこのゲームは、そもそもサービスを……終了したはずだ……」
ならば今目の前に広がっている光景への説明はどうなる。あの定形文でしか台詞が無かったはずのアリアスが、AIとは違う、まるで自分の意思を持っているかのように自由に言葉を並べて喋っているのは一体どういうことなのか。
「……そもそもこれがゲームの続きなのだとすれば、かなりヤバい事になるぞ」
ゲームのルールに従うとすれば、ダンジョンマスター側は捕まってダンジョンの外に出されて冒険者ギルドに引き取られるか、その場で殺されてしまえば敗北。つまりゲームオーバーとなってしまう。
そして今のアリアスの口ぶりからすれば、このダンジョンのダンジョンマスターは加賀自身があてはめられることになる。つまり――
「ゲームが現実と入れ替わった……?」
口走っている言葉の意味が、バカげているのは百も承知。しかし現状を説明するには、このひと言が一番加賀を納得させていた――