氷狼デリバリー ⑮
「アダムごめん。遅くなった!」
谷から三人を抱え、有り得ないジャンプをし、アダムの前に着地する。
「こっちは終わったぜ。山さんとキッシーと平ちゃんの様子はどうだ?」
「大丈夫だよ。ヒドい怪我だったけど、呼吸しやすいようにマスクを外して、私のオーラを注入したら危険な状況は脱し―アダム!」
沙織はアダムの千切れかけの手に驚き、直ぐにアダムを自分の膝の上にちょこんと置き、治療を開始する。
「おいサオリン。皆が見てる状況でこの体勢はちょっと恥ずかしいんだけど・・・」
「良いじゃない。別に治療なんだから。ほらっお手々動かさない」
「犬じゃないんだからって犬なんだけど、右腕って言ってくれ!それより今も陰陽師達が炎縄で押さえてるんだぜ。術が失敗しちゃったから、術がなくてもあいつが支部に、人間に近づきたくねえと思わす恐怖を与えねえと、すぐに襲いにくる勢いだぜ。俺がボロボロにしてやったのに、それでも殺気を孕んだ目で俺を睨んできやがる。こんなのにどうすればいんだよサオリン?」
沙織はアダムの言葉にキョトンとする。
「えっ?普通に怒ればいいんじゃないの?めっ!て」
「そんな訳ないだろサオリン。ショットガンを顔面にぶち込んでもアレだぜ」
「まあ私がやってみるよ。はい応急処置はとりあえず終わり。まだ激しく動かしたら駄目だよ」
沙織が氷狼に近づくと、それを待っていたかのように氷狼ニヤリと笑い、
耳をつんざくような遠吠えをした。
「何だ何だ?お前仲間でもいんのか?だったら最初から呼ん―」
ドドドドドドドドドドッという地響きを沙織達は感じる。
「なっ雪崩です。皆さん逃げましょう!」
山田が全員に避難するように叫ぶ。
「いや、範囲がデカすぎる、逃げられない。俺が一番前で楯を―」
「動かないで」
矢野の言葉を遮るように、凛として、透き通るような声で沙織が命令する。
その一言で雪崩が迫っているというのに、百戦錬磨の東九条家陰陽師師範格達は動けなくなった。
そうしているうちにもさらに音が大きくなり、雪崩が目の前までせまり轟音が山に木霊する。
こうなってしまっては沙織がどんな目的があって動くなと言ったが分からないが、
沙織に命を託す他ない。
皆の視線は沙織に集中する。
沙織は、術式を唱えつつ、胸の前で目の止まらぬ速さで数十の印を組む。
そして、地面に手をつき術を発動させる。
「その硬い鱗を一枚お借りします 地龍の楯」
沙織が唱えると、三十メートル前に縦横十メートル程の岩の壁がガリガリと音をたてながら隆起する。
雪崩がその壁に勢いよく当たる。
雪崩は大きくは二股に分かれたが、それでも岩を乗り越えてくる雪崩がない訳ではない。
その量は人など一溜まりも無く押し潰してしまうに十分な量だ。
沙織はそんな事などに一ミリも気を取られることなく、さらに術式を唱え、数十の印を組む。
「刃向かう者共を拘束せよ 天龍縛鎖」
沙織が左手を掲げそう唱えると、今にも押し潰そうと迫ってきていた雪崩が空中で静止する。
「王に刃向かう者共を焼き尽くせ 火龍王の咆哮」
今度は右拳を静止している雪崩に向けて突き出す。
家一軒丸ごと入るのではという大きさの炎が一瞬にして雪崩を蒸発させる。
それだけでは飽き足らず山の頂上までの木や土や岩などを燃やし尽くしていく。
「フゥーッ危なかったね♪」
沙織は笑顔で振り返る。
氷狼を含め、沙織以外全員固まる。
「おっおい。まあ、目の前で起こった信じられないことは、ちょっちょっと置いといて、西九条さん、地龍の楯とか天龍縛鎖とか言ってなかったか?」
「おっおう。この術書いた奴は中二病こじらせすぎて、一生童貞とか俺等が馬鹿にしてたやつ・・・」
「それそれ、こいつが俺等と同じ時代にいたら、一から鍛え直したるって言ってたやつ」
「そもそもこれは、神様の力をお借りして何十人でやる大儀式術やぞ。それを人の力で、いやっ最後の方片手でやってなかった?」
「火龍王の咆哮って、代償は術者の命って書いてたけど、メッチャピンピンしてるーーー♪」
「サオリン、お前・・・これで弱体化してるってどういう事だよ・・・」
山田達がコソコソ話していると、沙織は本来の用事を思い出し、氷狼に近づいて行く。
「氷狼君、アーサー探偵事務所の仲間を散々痛め付けてくれたねぇ。ねえ、あの犬の精霊、アダムって言うんだけど、右腕が千切れそうだったよ。ちょうどね・・・君のここら辺。この辺りから千切れそうだったの」
沙織が氷狼の右前脚を優しくなぞる。
「ねえ、右前脚が無くなると困るよね。痛いよね。」
沙織は手刀でトントンと氷狼の右前脚を軽く叩く。
すると氷狼は右前脚の感覚が失われる感覚に襲われ、流れるはずの無い汗が
大量に噴き出すような初めての感覚に襲われる。
「それにアポロもサヤカちゃんも私も凍死しそうになったんだよね~」
沙織は氷狼に不満を漏らしながら、全身をなで回す。沙織が撫でた所から感覚が失われていく。
氷狼は目玉が飛び出るほど目を見開き、歯はカチカチと音を立てていた。
歯がカチカチと鳴る音とその僅かな衝撃だけが、氷狼にとって、
今も自分が消滅していないということの証だった。
氷狼は目から涙を流し、力を振り絞って喉から声を上げた。
その声は自分の口から出たと信じたくないほど、情けなく恐怖に怯えている声だった。
しかしどんな情けない声であろうと、吠えることで自分が死を受け入れることを免れようとしたが、
二度目の吠え声はとうとう出ることはなく、目を恐怖に見開いたまま、泡を吹いて氷狼は気絶した。
「あれっ?アダム~この子どうしたの?同じ精霊なら分かるでしょ?」
沙織は本当に意味がわからないという顔でアダムに質問する。
「そっそいつは大丈夫だ。でもたっ頼むから少しの間こっちに来ないでくれよ」
アダムも氷狼と同じく歯をカチカチと鳴らし、そしてさらに・・・漏らしていた。
アダムと山田達は理解出来た。
氷狼が気絶した訳を。いや気絶だけですんだ氷狼の評価が、
アダムの中で数段アップする。
沙織は自信のオーラによる強烈な存在感により、
氷狼の存在感を打ち消していたのだ。
弱い霊なら、己の存在を認識出来ないようになり消滅してしまうだろう。
ミッチーが、普通の人間は沙織と一緒にいるだけで、
体調が悪くなるって話が理解できた。
弱体化でこれなら回復したらどうなる?
サヤカが危険じゃねえか?
アダムは今後の事が心配になる。
怯えているのは東九条家も同じだった。