家出ホットケーキ ③
「・・・なんでワシがホットケーキを作らんといかんのじゃ」
「頼むよミッチー。サヤカーンは泣き疲れて寝ちゃったんだからさ。学問の神様なんだから楽勝だろ?」
「楽勝じゃよ。もう袋の裏に書いてある作り方は暗記したし、頭の中ではアレンジを考えているくらいじゃよ。じゃがワシ神様じゃよ?」
「固ぇこというなよ。サオリンのためだぜ?探偵の俺に隠し事は出来ねえよ。ミッチーとサオリンは特別な関係にある。ミッチーがサオリンをそんなに気にかけるのは愛しているからさ。愛してる女のために頼むよ」
アダムはどや顔で自分の推理をミッチーにぶつけた。
「ふん。当たっておらんわ。今すぐ探偵の看板下ろした方が世間様に迷惑をかけんですむぞ。しかし沙織のためであればしょうがないか。いずれお前達に話さねばならぬ時が来るじゃろ。そしてその時はそう遠くはない」
そう言いながら道真はアポロにホットケーキの作り方を教え始めた。
アダムは道真の言葉に底知れぬ不安を覚える。今の楽しい愉快な生活が無くなってしまうそんな不安を。
「こらアポロ、ホットケーキミックスの袋の持ち方が悪い。こうじゃ、こうすればミックスをぶちまけんですむじゃろ」
「あっ本当でしゅ。ミッチースゴイでしゅ」
「うむうむ。お前は本当に良い子じゃな。次は卵を割るぞ。少し難しいが安心しろ。ワシの言うとおりにすればすぐ出来るようになる」
「スゴイでしゅスゴイでしゅ。ミッチー何でも出来ちゃうでしゅ~。尊敬しちゃうでしゅ」
「ハハハッ任せておけ。お前ウチの子になるか?実家ももうここに作ったことだし考えておいてくれ」
始まるまでブツブツと文句を言っていた道真だが、今ではアポロの素直さと心からの賛辞でご機嫌で教えている。
「さすがだなミッチー。じゃあ終わったら教えてくれ」
「こらアダム、お主寝るつもりじゃな。そうはさせん。お主も手伝うのじゃ。アポロがホットケーキの作り方に慣れない内は、お主がサポートして失敗しないようにするのじゃ」
「まあしょうがねぇか。ミッチーもこんなに頑張ってくれてるし、俺もサオリンの悲しい顔なんて見たくねぇからな」
「なかなか良い心がけじゃ。頑張るのじゃぞ」
それから二人はミッチーから教えを受け、
材料をまき散らしたりせずに美味しいホットケーキを作るやり方を教わった。
「ありがとうでしゅミッチー。これでサオリンに美味しいホットケーキ作ってあげられるでしゅ」
「ウンウン、沙織もきっと喜ぶぞ。じゃが何度も言うがホットケーキは火を使うからな、決して一人で作ってはいかんぞ。アダムがいるときにするのじゃぞ」
「了解でしゅ」
「今日は色々と迷惑かけて悪かったなミッチー、助かったよ。アポロが作る時は俺が火事にならないようにちゃんと見張っておくからよ安心してくれ。サヤカーンも色々ありがとな。また俺達をモフってくれよ。それとホットケーキの材料譲ってくれてありがとな」
「サヤカーンありがとうでしゅ。サヤカーンなら今度特別にアポロのお鼻を触らせてあげましゅ」
「えっ!お鼻触って良いの!?やっっったぁぁぁーーーすぐまた来て欲しいッス。段ボールの実家はそのままにしておくッスから!」
「こらサヤカ勝手に・・・まあいいじゃろ。二人とも何かあったらここに相談しにくるんじゃぞ」
「おう、ありがとよ。それじゃまたな」
「バイバイでしゅ~」
二人が手を振ると、サヤカはジャンプをしながら両手を振り、別れを惜しむ。二人共良い奴だなとアダムは思いながら神社を後にする。
二人の本当の実家、沙織の待つアパートの前に二人は立っていた。アポロは沙織と喧嘩して飛び出して来ただけに、ドアを開けるのを躊躇している。ドアノブを触ったと思えば離すという行為を、もう何度も繰り返している。
アダムはというと、それをアポロの後ろで静かに見守っている。飛び出したのはアポロなのだから、戻る時もアポロが自分の意思で戻るべきだと考えているからだ。アダムはアポロがドアを開けるのをただ静かに待つ。
そして時間にして約二十分、ついにアポロが意を決っして、ゆっくりゆっくりとドアを開ける。一気に開けたりなどすれば、巻き起こる風でせっかくかき集めて振り絞った勇気が、空気中に散り散りに溶けていってしまう気がしたからだ。
しかしアポロに不運は重なる。ゆっくり開けたにもかかわらず、ドアを開ける音が部屋の中に響き渡る。小さな音さえも沙織の気分を害するのではと思い、アポロを一層緊張させた。
ドアの隙間から部屋の明かりが漏れる。いつもならこの光は沙織の顔を明るく照らし、たくさんの沙織の笑顔をアポロに見せてくれる友達の様な存在だ。
しかし今は沙織の顔を見るのが恐いアポロにとって、正直今日は帰って欲しいと思っている。沙織が恐い顔をしていたらと思うと、無いはずのアポロの心臓が、キュッと縮むような胸の痛みがアポロを襲う。
アポロはゆっくりと部屋の中に入る。部屋の中は静寂が支配していた。そしてドアを開ける時から下げていた頭を、恐る恐る上げて行く。
まず沙織の靴が目に入る、次に廊下、そしてリビング・・・その中央にこちらに背を向けて体育座りをしている沙織を捉えた。
沙織が今まで見た事が無いほど怒っていると感じ、アポロは心底怯える。サヤカが持たせてくれたホットケーキセットをいれたナイロン袋が、アポロの手の震えと連動し、シャリシャリと音を立てる。その音がまたアポロを不快にし、緊張させた。
『もう!サヤカーンはなんでこんな音の出る袋になんかに入れたでしゅか!アダムもアダムでしゅ、何がサオリンは怒ってないでしゅか!メチャクチャ怒ってるじゃないでしゅか!』
と恐怖と緊張のあまり、良くしてくれた二人を心の中で罵倒してしまう。
しかしアポロにとって沙織はそれほどの存在なのだ。インドで数百年彷徨っていたアポロを、出会った時から優しく接してくれた沙織。その沙織に嫌われることなんて恐ろしくて考えたくない。
アポロは精霊なので唾液など分泌されないはずだが、ゴクリッと唾液を飲みこむ仕草をする。それを合図にアポロは口を開く。
「・・・たっただいま・・でしゅ・・・」