夏祭りステルス ①
「ただいま~アダム、アポロ。今日は何の日か知ってる?」
いつものように夕方に帰って来た沙織は、玄関のドアを開けるやいなや、二人に笑顔で問いかける。しかし、沙織の帰りを今か今かと待ちわびていたアポロにとっては、沙織の質問など二の次だと言わんばかりに、いつものように沙織の胸に飛び込んで甘え、ゴロゴロと喉を鳴らしている。
その光景を見ていたアダムが、アポロはしょうがねえなあという態度で沙織の質問に答える。
「女がそう言う時は、誕生日って相場が決まってんだよ。たくっ。これでまたサオリンの下着の価値が下がっちまう。謝れ。下着ドロさんに謝―」
グシャッ。
「今なんか踏んだかな~?ねえアポロ、今日はお祭があるんだよ。一緒に行こっか?」
「行くでしゅ。お祭が何か分からないでしゅけど、サオリンが楽しそうにしてるからきっと楽しいでしゅ」
「おっ俺も行くぜ」
頭を足で踏みつぶされてフラフラなアダムも、沙織に祭への同行を申し出る。
「エエ~、セクハラコーギーに付いてきて欲しくないんですけど~」
「悪かったよサオリン。一緒に連れてってくれよ。頼むよ」
「もう!しょうがないわねえ」
毎度毎度のやり取りが終わり、お祭りの話に華が咲く。アダムとアポロは、沙織から二人が今まで食べたことの無い美味しい物が食べられると聞いて目を輝かす。
アポロは、綿菓子の話を聞いてから、「雲、雲みたいな飴ってどんな味でしゅか~」と、いても立ってもいられないようだし、アダムは、「俺は日本の祭をネットで調べて知ってたが、行くのは初めてだから楽しみだぜ!日本の文化の勉強だな。それとリンゴと言えば俺の故郷のイギリスで嘘か本当か知らねえが、万有引力の発見に一役買った果物だ。それを甘い飴でコーティングしてるだって?こりゃ食べるしかねえだろ!」と、さっきから短い尻尾をブンブンと振っている。
沙織は二人が喜ぶ顔を見て嬉しくなり、自然と笑顔になる。そんな沙織もこの日の為に、用意していたものがある。沙織は立ち上がり、ガサガサと紙袋を漁り、二人にドヤ顔で取り出した物を見せる。
「ジャ~ン!私は食べ物じゃないけど、今日はコレを着ようと朝からウキウキしてたの。どう?カワイイでしょこの浴衣!前にショーウィンドウで見て、一目惚れして買っちゃったんだ~。今日のお祭に間に合うように丈を合わせて貰ってたの!」
その浴衣は、深みのある藍色をベースにしており、その藍色を夜に見立て、色取り取りの大輪の花火が咲いているようにデザインされたもので、上品さと可愛さを兼ね備えた浴衣だった。
「綺麗でしゅ~。花が綺麗に咲いててスゴイでしゅ。サオリンが着たら絶対似合うでしゅ。早く見たいでしゅ」
「これは花火って言うのよアポロ。また一緒に見に行こうね」
「サオリン、良い柄じゃねえか。さあ早く着て見せてくれよ」
沙織は二人の反応にムフフとにやける。
「二人共欲しがるな~。しょうがないわねえ」
そう言って鼻唄をうたいながら、洗面所に着替えに行くサオリン。
「ねえアダム、お祭って何でしゅか?」
「日本のお祭ってのは、その多くが秋の収穫を神様に感謝するものなんだ。だけどお祭りが何かって言うのは、あまり気にしなくていいぜ。殆どの奴が目的を知らずに楽しいから行くみたいだからな。しかし、今の時期のお祭って何を祝うのか少し気になるな」
アダムは少し考えて、それはサオリンに聞けば良いかと思い、それよりアポロに色々な祭を見せてやろうと、パソコンのキーボードを叩く。
「ほら、アポロ見ろよ。これは播州地方の富嶋神社ってとこの祭なんだけどよ。屋台っていうのを大勢の男が持ち上げたり降ろしたりするのをチョーサって言うらしいんだけどよ、一部の村の奴等は無限チョーサって言って、担ぎ手が限界になるまでやるんだってよ」
アポロはパソコンの画面の中で男達が声を張り上げ、熱気がこちらまで伝わってきそうな迫力に驚く。
「スッスゴイでしゅ!でっでも大丈夫でしゅかこの人達?こんな重そうな物持ってるのに傾いたり、手がプルプルしてましゅけど」
「それが面白いとこでもあるからな。観客も持ち上がった時は歓声を上げてんだろ。まあ安全に関してはそのへんは長年の経験で、責任者がどこまでいけるか見極めてるんだろ。日本にはこの他にも色々と変った祭があるから、いつかサオリンに連れて行って貰おうぜ!」
「絶対連れて行ってもらうでしゅ~」
二人が祭の話で盛り上がってると、洗面所のドアが開いた。
「ジャンジャジャ~ン!どう?浴衣を着た私って自分で言うのもなんだけど、中々のモンじゃない?」
沙織は普段しない髪のセットもしている。浴衣を着た沙織に二人は見とれた。
「ねえ、どうしたの?何か言ってよ!もっ文句はダメよ。ただでさえ自画自讃で登場して恥ずかしいのにダメ出しされたらもうお祭に行けない」
沙織は耳まで真っ赤にしてアダムとアポロに訴える。
「サオリン、とっても似合ってるでしゅ~。毎日それ着てて欲しいでしゅ」
アポロは沙織の胸に飛び込む。
「まっ毎日!?それは無理だよアポロ~。でもありがとう。嬉しいよアポロ」
沙織はホッと胸をなで下ろす。
「サオリン、お前はホント空気が読めねえ奴だぜ全く。せっかく『謝れ、浴衣に謝れ!』って言おうと準備してたのによ。こんなに似合ってるんじゃ文句なんて言えねえよ。こりゃ今日サオリンはお持ち帰りされるんじゃねえか?」
アダムからそんなに褒められると思ってなかった沙織は、また耳まで赤くなる。
「ちょっちょっとアダム!私はそんな軽い女じゃないんだからね!でもまあ、一緒に飲み物を飲むくらいならゴニョゴニョ・・・」
沙織は、俯いて両手の人差し指をツンツンしている。沙織の耳はトマトの様に赤い。
「ヘヘッ俺は別にそいつが良い男で、サオリンが幸せなら何も言わねえよ。さあもう六時だぜ。そろそろ行こうぜ」
「そうだね行こう」
三人はそれぞれの想いを胸に抱き、祭に出発する。
「なあサオリン今日は何の祭なんだ?この時期にあるなんて収穫を祝うとかじゃねえんだろ?」
アダムは、久しぶりに履く下駄にまだ慣れず、少しぎこちない歩き方をしている沙織に尋ねる。
「ああ、今日はね菅原道真様って言う神様が祭神のお祭なの。アダムの言う通り収穫を祝うんじゃなくてね、何ていうか簡単に言うと、昔、政治の権力争いで左遷されてね、左遷先でも酷い扱いをされて苦しんで道真様は亡くなったの。その恨みは凄まじくてね、怨霊となって京の都、ここの事ね、で暴れ回ったの。それを恐れた貴族達が怒りを静めて貰うために道真様を祀ったの。祟り神を祀ることで、逆にその力で守って貰うって言うのが日本にはあるの。だから今日は、日頃の感謝と共にこれからも私達を御守下さいって願うお祭なの」
「なんか恐い神様だな」
「まあ普通はそう思うよね。でも道真様が何をされたか知ったら考え変わると思うよ」
そう言って沙織はアダムを肩にのせスマホを見せる。アダムはしばらく静かにスマホを見ていたが、急に額に青筋を立ててブチ切れる。
「誰が祟り神だバカヤロー!こんなの誰でもブチ切れるに決まってんだろ!」
スマホ叩き割ろうとしたアダムの拳を、沙織はスマホをサッと動かす事で回避する。
「ねっ!アダムもそう思うでしょ。自業自得でしょって。だから恐い神様じゃないよ。だからみんなでお参りしようね。道真様は学問の神様だから偉くなるかもしれないよ」
「そうだな。サオリン一杯お賽銭入れてくれよ」
「お参りすれば偉くなれるでしゅか?それじゃあ人魚姫の絵本が分かるようになるんでしゅね?」
アポロが目を輝かせて沙織に問いかける。
「う~ん。それは恋愛の神様にお願いしないとだめかな~?」
沙織は困った顔でアポロに答える。
「アポロ、お前はまだ二の段の掛け算が出来なかったな。だから神様に二の段の掛け算が出来ますようにってお参りすればいいんじゃねえか?」
「さすがアダムでしゅ。アポロはそれをお願いしましゅ」
「じゃあ俺はサオリンが、男を計算して落とせるようにってお願いするぜ」
「ちょっちょっと待ってアダム。私はそんな事しないんだからね!私は一人一人と誠実に向き合っていくだけなんだからね」
「冗談だよ。分かってるよ。サオリンにそんな事が出来ないってことはよ。でも良い男か悪い男の判断については俺の意見も聞けよ。まあ俺は今の生活が出来てるだけで満足だからよ、サオリンに良い男が出来るように神様にお願いしておくよ」
「フフフッやっぱりアダムは良い奴ね。私はアンタとアポロと一緒に一日でも長くいられますようにってお願いするわ」
「また~サオリンは考え方がババアだな。そういうとこだぞ!まだまだ若えんだから、玉の輿に乗れますようにとかあんだろ」
「いいの。これが私の一番のお願いなんだから。さあ二人共夜店が見えてきたよ。お祭を楽しみましょ」