ドランクタイガー ②
「ありがとうでしゅアダム!サオリンも心配掛けましゅた」
沙織はアポロを抱っこしてナデナデしてあげる。アポロは気持ち良くて、喉をゴロゴロ鳴らして甘える。
「本当に無事で良かった」
沙織はそう言ってしばらく抱きしめていたが、畳の上にアポロを座らせて言う。
「アポロ駄目じゃない。なんでも勝手に冷蔵庫の中の物を飲んじゃ。あれは大人しか飲んじゃいけないお酒っていう飲み物なの。だから子供のアポロは飲んじゃいけないの」
「そうだぜアポロ。まあ数百年精霊やってるお前に年齢制限は微妙なんだが、今のお前は酒が飲めない体質だって事が分かったから二度と酒を飲むんじゃねぇよ。それにあの酒はサオリンが飲まなきゃやってられない時に飲む薬みたいなもんなんだからよ」
「余計な事は言わなくていいの。でもアダムの言うとおりアポロは二度とお酒を飲んじゃ駄目よ。本当にアポロが死んじゃうと思ったんだから」
「サオリンの言うとおり酒の種類によっちゃ俺達を浄化してしまうものもあるからな。なんの確認もしないで飲むなんざ自殺行為だぜ。今回は俺からも本気で注意しとくぜ」
アポロは二人から怒られてシュンとしている。沙織から怒られる事は今までも何度かあったが、アダムから怒られるのは初めてだった。本当に大変な事をしてしまったと思った。
「ごめんなさいサオリン、アダム。僕もう二度とお酒を飲まないから許して欲しいでしゅ」
目をうるうるさせながら必死に二人に許しを請う。
「反省してるようだから許してあげる!さぁこれからアポロが壊した壁を直さなきゃいけないんだからしっかり手伝ってね」
沙織はアポロの頭を優しくポンポンする。アダムはアポロを抱き寄せ、
「サオリンも俺もこんな事でお前を嫌いになんかならねえよ。俺なんか酒がらみの失敗なんて腐るほどあるぞ。酒場を爆破したこともあったな。それよりあのモヒカン姿をよしおに見せてやろうぜ。あいつ絶対びっくりするぜクククッ」
と言いアポロの背中をポンポンと叩く。アポロは二人の優しさに触れ目に貯まっていた涙がこぼれ落ちる。アポロはその涙をすぐに拭い笑顔になり、
「よしお君をびっくりさすでしゅよ。エイプリルフールしてあげるでしゅよ~」
と元気に応える。沙織は二人を見て微笑む。
だがエイプリルフールの事は忘れて欲しいと心底思った。
さて、改めて壁を見るとかなり酷い。血糊と引っかき傷で、どう見ても人が猛獣に襲われた殺人現場にしか見えない。
「どうしようこれ」
「血糊は、拭けばなんとかなりそうだが、引っかき傷はどうしようもねぇ。張り替えるしかないんじゃね」
「それしかないかー。でも勝手に壁紙変えたら怒られそうだから大家さんに一言いってくるね」
そう言うと、沙織は少し離れた所に住んでいる大家の家に向かう。沙織は大家の家の前に着くと、髪と服を整え、軽く咳払いをしてからインターホンを押す。
「大家さんこんにちは、アパートに住ませて貰っている西九条です」
「アロ~~ハ~~西九条さん。元気ですか?」
まだ冬の寒さが残る初春だというのにアロハシャツに身を包み、サングラスをかけ、グレーの長髪を後ろで一つにまとめている一見ボディービルダーにしか見えない小麦色の肌をした筋骨隆々の男が、インターホンの呼びかけにも答えずいきなりドアを開けて出てきた。年の頃は四十代と思われるが詳しいことは分からない。
「あっ大家さん、お陰様で元気です。あの、大家さん、本当にごめんなさい。部屋の壁紙を破っちゃったんです。今から自分で直そうと思うんですけど、上手く直せたらですね・・・敷金のほうをですね・・・」
沙織は大家さんに無理な事を言っている自覚があるのか、モジモジして歯切れが悪い。
「ハハーーッ何言ってるか良く分かりませんが、壁紙破ったけど自分で修理するから壁紙の修理代金を敷金から引くのは止めてくれでOK?」
「そっそうです。厚かましいお願いなのは分かっているんですけどお願いします」
沙織は腰を90度に曲げ頼み込んだ。
「オーケーオーケー!西九条さん。壁紙が汚れたり破れたりするなんて良くあることよ。ミーが若い時、彼女と浮気相手がバッティングした時なんかは壁紙が卵やマニキュア、口紅で彩られてまるで現代アートみたいになってたのは良い思い出ね。それにあの賃貸アパ―トは古いからネ。そんなの気にしなくてナッシング。そりゃ殺人現場みたいになってたら次に入る人のために変えなきゃいけないし、敷金から代金頂こうと思うけどネ、ハハハッ流石にそんな状況になってないでしョ?」
一瞬大家の目が鋭くなる。
「ハハッハハッハハハそっそんな状況になってる訳ないじゃないですか大家さん。ちょっと破いちゃっただけですよ本当にハハッ。でも私は来た時よりも美しくって言葉が好きなんで修理したいと思いますハハハッ・・」
沙織は乾いた笑いで精一杯ごまかそうとした。ここが頑張り所だ。ここを乗り切らなければ敷金が帰ってこない。
「オウ!西九条さんは良い子で~す。それじゃおねがいしま~す。グッバイね沙織~」
そういって大家は沙織との会話を終了しドアを閉めた。大家との会話はごく短いものだったが、沙織はどっと疲れた。入居する時も気になっていたが何で片言の日本語何だろう?ワザとやってるような感じがする。でもそんな事より大家の承諾は得られた。至急、壁紙の修理に取りかからなければと沙織は固い決意を胸に抱きながら自宅への歩を早めた。
しかし壁紙なんてどこに売っているんだろう?
「わあーー広いでしゅー。ここがホームセンターでしゅか?」
「そうだよアポロ。ここには家を修理したり掃除したりする道具が一杯売ってるんだよ。部屋の壁紙もきっと売ってるよ」
壁紙の修理のためというあまり良い理由で来たわけではないが、表面上は笑顔のアポロが、いつもの心から喜ぶ顔に変わるのを見て沙織は嬉しくなる。
「面白そうな道具が一杯あるな。スパイ活動がはかどりそうだぜ」
アダムもご機嫌で色々な道具を見て回る。特にドリルやチェーンソーなどに興味を持っているようで角度を変え、目の高さを変え真剣に見ている。
「アダム~。後で一緒に見て回ってあげるから先に壁紙を見に行くよー」
そう言うとアダムは名残惜しそうにしながらも沙織の元に駆け寄って行く。その時ふと誰かの視線を感じた気がしたが、こんなに魅力的な商品が一杯あるんだから、たまたまそいつの目線上に俺がいただけだろうと思いアダムは気に止めなかった。
沙織達は店員に壁紙が置いてある場所を聞き、ホームセンター内をかなり歩いて、やっと壁紙が置いてあるブロックに到着した。そこには三人が思っていたより沢山の壁紙が置いてあった。
これなら部屋の壁紙その物か似ている物を見つけ出すことができるに違いないと喜んだが、同時にこの数の中から選ばないといけないと思うと三人はげんなりした。それでも敷金を減らさないために、一生懸命みんなで相談しながら、部屋の壁紙と同じであろう一つの壁紙を探し出した。
「じゃあ後は壁紙を貼る道具を買わなきゃね」
「そうだな。そっくりな壁紙が見つかって良かったぜ」
「良かったでしゅ。本当に良かったでしゅ。サオリンの悲しい顔を見ずにすんで良かったでしゅー」
「ハハハッアポロ、そんなに心配しなくても大丈夫だったんだぜ。サオリンにはそもそもの原因となった酒っていう強い味方があるからな。パァーッと飲んでアポロみたいに酔っ払ったら敷金の事なんてどうでも良くなってたさ」
「ヘヘーッそうだよアポロ。そんな時のためのお酒だよ。でもその時はアダム、あんたに付き合ってもらうつもりだったけどね」
「それはもったいねぇ事したな。酔える機会を逃しちまうなんて。なぁサオリン、壁紙を貼り終えたらやっぱり乾杯しようぜ!」
「いいね。たまには一緒に飲もうか!楽しみ~」
アポロは一人会話に入れず、二人を羨ましそうに見ている。アポロはもう二度とお酒は飲まないとさっき約束したばかりだし、それにまた二人に迷惑をかけることなんて絶対したくない。アポロはそう思うと無意識に楽しそうな二人の会話を聞かないように耳を倒し、フタをした。
それにアダムが気付き、沙織に耳打ちする。沙織がそれに同意し、アポロに話しかける。
「ア~ポ~ロ、アポロも一緒に乾杯するんだよ!二人だけじゃ寂しいじゃない」
「そうだぜ。俺達は仲間、いや家族じゃねぇか。おまえ一人だけ寂しい思いなんてさすかよ」
「家族でしゅか!嬉しいでしゅアダム。でも僕は飲んだらまた暴れて部屋を傷付けてしまうのが恐いでしゅ。だから寂しいでしゅけど二人で楽しんでくだしゃい・・・」
「家族・・・こんな私を家族って言ってくれるなんて・・・二人ともありがとう。そうだよ~私たちは家族だよ~アポロだけ寂しい思いなんてさせないよ~。アポロはジュースで乾杯しようよ~それなら暴れる心配なんてないでしょ」
「良いんでしゅか?僕も一緒に乾杯しても!」
アポロは目をウルウルさせて沙織とアダムを交互に見る。
「当たり前だろ。お前がいなきゃ酒が美味くねえだろ。それとも何かアポロ、お前は俺に不味い酒を飲ます気でいるのか?もしその気ならちょうどこのホームセンターで面白い道具を見つけたからよ。不味い酒を飲ました埋め合わせに、それをお前で試してやる」
「またアダムは恐い事を言う。ねぇアポロ、あっちにジュースが一杯おいてあったから今から行こっか!壁紙を貼る道具なんて後回しにしてさ。さあ善は急げだよアポロ。このホームセンターで一番美味しいジュースを見つけよう!」
不安そうにしてるアポロにアダムは強引に、沙織は手を引っ張るようにアポロを誘う。アダムは二人に飛びつき2人の顔を舐め回す。
「二人とも大好きでしゅ~!じゃ、じゃあアポロはでしゅね、昼ドラを見ていた時に宣伝してたジュースが良いでしゅ」
「あ~お前昼ドラの合間に流れるジュースのCMで騒いでたことあったけどあれか?なかなか美味そうだったな。よしサオリン俺にもそれ一本買ってくれ」
「もう決めちゃったの!?じゃあ私もそれを買うわ。それで皆で乾杯しよう!アポロはもう一本別のジュースを買ってもいいからね」
三人の頭の中は今、壁紙が破けたことなんて忘れ、楽しいパーティーのことで頭を一杯にしてドリンク売り場に向かっていく。ただ、沙織達は気付かなかった。三人を追う鋭い目線に。