ナイトのピッピ 44
例の沙織の写真をバックにインタビューに答える一人の男
後藤宏一 彼は危険な肉食獣を撮影する第一人者だ。
―後藤さんは今までどんな動物を撮影してきたんですか?
俺は今まで野生の動物を沢山とってきた。ライオン、狼、ヒグマとかな。カナダで冬眠に入る前に川で鮭を取って食べるヒグマを撮影した時は十メートルもない至近距離でシャッターを切ったもんだ。
―東九条家から西九条様の撮影を依頼された時はどう思いましたか?
おかしな依頼だなと思ったさ。報酬も良かったが、俺はストーカーじゃないと断りの電話を入れたんだ。
―ではどうして引き受ける事になったんですか?
断りの電話を入れた次の日、朝っぱらからピンポンピンポンと鳴らすバカがいたんだよ。怒鳴ってやろうとドアを開けたら、そいつは怒鳴る暇さえ与えずにまるで幽霊のように俺をすり抜けてリビングにあるソファに座ったんだ。黒いスーツ姿で身長は高いが、細い奴だった。そして唖然としている俺に向かって言い放った。
「あなたの知っている事など世界の半分でしかない。ライオン?ヒグマ?クックックッ私が素手で仕留めてあげましょうか?」
男は妖しく笑う。
「依頼を受けなさい。あなたの求めるものがそこにある」
そう言うと机の上に金とターゲットの写真、それとスーパーの食品売り場を改造して作った撮影ポイントを示す書類を置いたんだ。要件は済んだとばかりに、また玄関から帰ろうとする野郎に俺は渾身の一撃を込めて殴りかかったんだ。しかし俺の拳はアッサリと止められちまった。
「運が良いですね。私に殴りかかってきた者は、もう刃向かう気が起きないように牙を抜くのですが・・・あなたの手を壊してシャッターを押せなくなったら大変だ♪」
そう言って、微笑みながら両手で俺の手をさすって悠々と玄関から出て行ったんだ。俺は震えが止まらなかった。ヒグマと見つめ合っても震えなかった俺がだぜ。しかし、俺はその後さらに恐怖に震えたよ。そいつ・・・玄関の鍵を閉めていったんだ。
―その者が恐いから依頼を受けた?
それもある。しかし俺がこんな仕事をしているのは生きている実感を得たいためだ。生きている実感を得るのに一番手っ取り早い方法を知ってるか?死に直面することだ。俺に震える程の恐怖を与えたそいつが言うんだから間違いねえ、その女の子を撮影すれば俺は今まで以上に生きている実感を得られると思ったから依頼を受けた。
―撮影はどうだった?
朝四時にスーパーに向かうと店長が待っていて、ポイントに案内してくれて食料と水と携帯トイレ、あと緊急用の無線を用意してくれたよ。出れるのは夜十一時以降だと言われてそこからずっと待ってたよ。
―大変ですね
全然!快適だったさ。蚊やヒルそれに蛇なんかもいないしな。シャッターに指を当てたまま、いつものように何時間も獲物を待っていたよ。カメラマンってのは待つのも仕事だからな。何週間も待った挙句に収穫が無いことも珍しくない。それにアイツの言う事を疑う訳じゃないが、写真を見る限り普通の女の子だ。俺はターゲットを見逃さないよう神経を尖らせたもんさ。だが、その心配は杞憂に終わったがな。
―何故ですか?
俺は驚いたよ。入り口からその女の子が入って来ただけで空気が変わったんだ。汗が噴き出てきて、喉が渇いて仕方がなかった。俺は一旦カメラを置いて水を飲もうとしたんだが、カメラから指が離れなかった。口で指を噛んで強引にカメラから引き剥がしたんだ。
それから水を飲み、指をマッサージして再びカメラを構えた。俺は不思議だった。周りの主婦達は普通に彼女の横で買い物をしてるんだ。俺は自分がおかしくなっちまったのかと思ったよ。
―どうしてそんな事が起こったんでしょうか?
依頼を終えて写真を持って行った時、アイツに聞いたら、
「それは、死の危険について主婦達が鈍感なだけです。あなたは優秀だ。やはりあなたに頼んで正解でしたよ」だってよ。
―そして、死の恐怖に必死に抗いながら取ったのが、この後ろに飾っている写真ですね?
そうだ。あの特売の肉を見る目は、肉食獣のそれだった。ヒグマの時のように近づけばどうなってたか・・・失礼、ゴクッゴクッゴクッあの瞬間を思い出すと今でも喉が渇くんだ。あの時ほどカメラのズーム機能に感謝したことはなかったぜ。
―この写真のタイトル【ラプター】とつけた理由は?
それしかないって思ったからさ。捕食者。絶対的強者と言ってもいい。アイツの言った通り、俺は世界の広さを全然分かっちゃいなかった。
―今日はありがとうございました
おう、またな。