おいでやす京都 ②
「まあまあ西九条さん、そんなに熱くならないで。落ち着いて落ち着いて、ささ座ってください」
村田は沙織が倒した椅子を直し、沙織に着席を促す。
「さっきは、薬物を使用したかと聞きましたが、本当はあなたが薬物をやっていると思っていません。私はこの道一筋でね、やってる奴は大体目を見ればピンと来る。でもあなたにはそれがない。しかしですね、麻薬犬が反応した以上、厳しくチェックする必要があります。まさかとは思いますが、あなたが麻薬の運び屋かもしれませんからね」
これが村田の現時点での沙織に対する率直な感想だ。シロだ。しかし、この優しくてほんわかした雰囲気の女の子を利用して、本人が何も知らない内に麻薬の運び屋にさせられた事件を村田は経験したことがある。今後の取り調べの方針はその線を重点的に調査しようと、そう村田は心に決めた。
その時、コンコンッとドアをノックする音が部屋に響く。
「すいません、ムラさんちょっと」
「わかった。申し訳ありませんが少しお待ちください。何かあればこの女性職員に伝えてください」
そう言うと村田は一時部屋から退出する。それと同時に、いつ入って来たのか、机の下からアダムが口に人差し指を当てて出てくる。続いてアポロも出てくる。女性職員には二人が見えていないようなので、二人は机の上によじ登り沙織の目の前までくる。
「サオリンそのまま黙って聞いてくれ。すまねぇ多分俺のせいだ。アポロを探している時に、何人かブチのめした奴等がいただろ? そのなかに薬中の霊がいたかもしれねえ。その匂いをあのシェパードは霊感があるのか、嗅ぎつけたと思うんだよ。だからサオリンは堂々としてればいいぜ。絶対に何も出てこねえからよ。あと俺達がいたらサオリンが変な反応して疑われるかも知れないから外でまってるぜ。じゃあ宜しくな」
「うん、わかったアダム。堂々としてる」
「えっどうしたんですか?アダムって誰ですか?」
沙織は緊張から、うかつにも自分を疑っている職員の前で、ありえない独り言を言ってしまう。アダムは、インドの路上で一人芝居もどきをした沙織の、夢中になると周りが見えなくなるおっちょこちょいな性格を計算していなかった自分の迂闊さに頭を抱える。
だがそもそもアダムは部屋に入るつもりはなかった。沙織は本当に知らないのだから余計な事をせずそのままほっておけば、すぐ釈放されると思ったからだ。しかし椅子が派手に倒れる音を聞き、拷問されているのかと、いてもたっていられなかったのだ。
ただこのままここに残っても、また沙織から助けを求めるような目を向けられ、いや目を向けられるだけならまだいいが、また話しかけられては沙織に不利になると考え、アダム達は部屋を出て行く。
沙織が職員の質問に困っていると、ドアがまた勢いよく開いた。
「おい西九条! おまえやってんな。今さっき空港の監視カメラを見たんだが、お前ブツブツ独り言を言ってたな。持ち物検査でハンズフリー携帯を持っていなかったのにどうしてだ? 今ならまだ情状酌量の余地もあるぞ。言いたいことがあるならさっさと言えよ。全くこの道一筋の俺の目はごまかせねえぜ。一目見たときからピンと来てたぜ」
先程までの紳士的な対応と違い、手の平を返したような乱暴な村田の言い方に沙織は驚き、言葉が出てこなかった。それに女性職員が追い打ちをかける。
「村田さんが先程外に出られている時に、西九条さんが『わかったアダム、堂々としてる』と独り言を言っていました」
村田は目に嫌な光を浮かべて、ニヤリと笑う。
「クククッ西九条、おまえ幻覚でてんな。吐いて楽になれよ。両親が泣いてるぞ」
その言葉に沙織の瞳から急速に光が失われていく。
「……両親はいません。死にました。だから泣いてるかわかりません」
沙織の今までの柔らかく優しい声から、急に周囲を凍り付かせるような低い声に職員達はギョッとし、部屋を沈黙が支配する。村田は気を取り直し、違うアプローチを試みる。
「……西九条さんすまない。知らなかった事とは言え、あなたを傷付けてしまった。しかし私達はあなたが憎いんじゃない。麻薬が憎いんだ。あなたは若いんだから、更正施設に入ってやり直せば数年後には、お洒落なカフェでお茶をしたり、友達とショッピングをしたりすることも出来るし、また海外旅行を楽しめる普通の生活を取り戻せるんだぞ」
「……私の命はあと一年も残っていません」
思いもよらない沙織の余命の告白に、部屋はさらに重い沈黙が支配する。職員達はしばらく言葉を発することが出来なかった。
「……いやっうん、何と言っていいか……でも自暴自棄になってはいけない。もう一度言うが、自白する気はないか? シェパードが反応した以上、検査しなくてはいけない」
「私は無実です」
「そうか……わかった」
沙織の返事を聞き、村田は女性職員に目で合図を送る。それを受け、沙織の身体検査するために別室に連れて行こうとしたその時、またまた勢いよくドアが開いた。
「すいません。ムラさん、ちょっと困った事がおきまして、その人に関してなんですが」
「なんだ騒々しい。西九条さんの件? ちょっとすいません西九条さん、ここで待機してもらえますか」
村田は再び部屋を出て行った。
アダムは沙織のいる部屋を出た後、税関に戻ってきた。
「アダム~戻ってきてどうするでしゅか?」
「簡単だぜアポロ、この事件の張本人に会いに来たのさ。なあシェパード」
アダムはシェパードの前に立つ。シェパードは鼻をヒクヒクさせ、何かがいる気配を感じているようだが、目の前には何もなく、おかしいな? と首を捻っている。
「アダム、やっぱり見えてないみたいでしゅ。サオリンは犯人じゃないでしゅよって説得できないでしゅ」
「アポロ、良い機会だ、勉強しろ。俺達精霊は生者に見えるようにする方法が幾つかある。今からやり方を教えるから覚えるんだぞ。でもあまり使うなよ。命あるものに無理矢理干渉しすぎると、その地を治める神様に睨まれるからな」
そう言ってシェパードに近づくと、
「おい! シェパ公聞こえるか! この無能野郎!」
アダムはシェパードの耳を手で掴み、その耳に向かって大声で怒鳴った。
シェパードはアダムの声が聞こえたのかビクッとする。
「えーーー! 怒鳴るだけでしゅかーー?」
「その通りだハハハッ。ただこれは一番簡単な方法だぜ。通じないことが多い。でもこの犬は俺に付着していた薬中の匂いを嗅いだんだぜ。俺と波長が合っている。今も俺の声に反応しただろ? もう少し待ってみると俺のことが段々と見えてくるはずさ」
そのアダムの言葉通り、シェパードの顔色が変ってくる。
「よう、何度も会ってるが初めまして。俺はアダムだ」
「なっなんだお前達は! 今聞こえたシェパ公とか無能野郎はお前が言ったのか?」
シェパードはいきなり目の前に現れた二足歩行の犬と猫? を交互に見る。
「すごいでしゅ。このワンワン、アポロも見えてるでしゅか!」
「そうみたいだな。アポロは俺と最近一緒にいるから波長が近づいてるのかも知れねぇな。今はそれより、おいシェパ公! そうだ俺がお前を無能野郎って言ったんだよ。お前のせいで俺の友達が大変な目に遭ってんだよ!」
「むっ! この匂い思い出したぞ。お前は気高き麻薬犬の俺を撫でようとした馬鹿女と同じ匂いがするな! 何が無能野郎だ。アヘンの匂いだろうがこれは! 俺は薬中の女が日本に入るのを水際で止めたんだ。俺は日本を守ったんだ。感謝してほしいもんだね。大方あの女はどこかにアヘンを隠してるだろうぜ。全く飼主が薬中ならペットも頭がおかしくなるのかい? ハハハ──」
シェパードは眉間に硬く冷たい物をゴリッと押しつけられる感触に青ざめる。
「もう一度言って見ろシェパ公。サオリンはアヘンなんかやっちゃいねえ。お前はアヘン中毒者の霊の残り香を嗅ぎ取ったんだよ。それを俺だけならまだしもサオリンを薬中だと? お前一回死んでみるか?」
「おっお前それ拳銃じゃねえか! やめろ馬鹿、何でお前がそんな物持ってんだ!」