サヤカのクリスマスウォー ⑳
サヤカは医務室のベッドで目が覚める。
「おお目が覚めたか。まだ動いちゃ駄目だ。今日は安静にしておきなさい」
隣のベッドで点滴の具合を見ていた医者が、サヤカが起きた事に気付き言う。
「アリタン、白百合主任はどうなったッスか?」
医者は口ごもる。
「サヤカ、君は人の事より自分の事を心配しなさい」
サヤカは医者の話を逸らす態度に何か大変なことが起きていると確信し走る。
「コラ、サヤカ、待ちなさい」
医者が止めるのも聞かず、当主の部屋に駆けていく。そしてノックもせずに勢いよくドアを開ける。
「当主、アリタンは大丈夫ッスよね?」
机で書類仕事をしていた当主は、サヤカの来訪に筆を置く。
「・・・・・サヤカ、アリタンに感謝しておけ。お前はアリタンに命を救われたんだ。お前は呪いに体を乗っ取られた。だがお前に蓄積された呪いはアリタンが全て引き受けてくれた」
「アリタンは、アリタンは今どこにいるッスか?教えて下さいッス」
「アリタンは今、引き受けた呪いを藤森や課長クラスの呪術師総出で祓われている最中だ」
「場所は!」
「言わない。お前が行って何になる?また呪いに操られるだけだ」
「でも!」
「伝言を預かっている。『サヤカの馬鹿が起きたら伝えて下さい。お前は天才かもしれない。いやそうだろう。だが西九条家と東九条家が千年近く研鑽を重ねてきた理論や技術はお前が簡単に習得出来るものではない。千年の間にお前程度の才能に恵まれた者がいないと思ってるのか?馬鹿なお前だからそう思ってるかもしれないが、思い上がるな。上には上がいる。沙織さんが良い例だ。お前は術者としては天才ではない。天才としてチヤホヤされたいなら今すぐ事務所を辞めて進学しろ。呪いに関しては気にする必要はない。私はこの呪いに打ち勝ってさらに上のステージに進む。沙織さんの隣に立つのは私が先だ。ざまあみろ』長かったから正確に覚えられなかったけどこんな感じのことを言ってたよ」
「アリタン・・・」
「ホント、アリタンは優しい子よ。今も想像を絶する苦しみに耐えているのにサヤカ、お前の事を気遣っている。そんなアリタンの気持ちを無にする訳にもいかないから居場所は言えない。それでサヤカ、私はお前がアーサー探偵事務所を設立する時に聞いたな。修行をするかしないか。お前は氷狼の移送、アリタンの修行、そしてこの呪詛合戦でもう三度命の危険を感じた訳だがどうする。続けるか、辞めるか、どうする?」
当主は、どっちを選択しても構わないと言いたげな、今までサヤカに向けたことのないぐらい優しい目で問う。それに対するサヤカの答えは、土下座だった。
「当主。すいません。。アリっグスッアリタンを、東九条家にとって大事なアリタンに重症を負わせてすびばせん。さやっエグっサヤカに稽古をつけて下さい」
当主は微笑み、何度も頷く。
「サヤカ、お前の想いは分かった。今日はもう休みなさい。医務室に戻って先生の言う事を聞くように。明日、八時にここに来なさい。一緒に稽古をしようじゃないか」
サヤカは顔を上げる。顔は涙と鼻水でグシャグシャだった。当主がハンカチを手渡す。サヤカはハンカチを手に取り、顔を拭きながら一礼し退室した。
当主はニヤリと嫌な笑みを浮かべる。そして机の棚から古いノートを取り出し、机に広げていた書類を、こんな事をやっている場合ではないと一気に左腕で払いのけ、ノートを開いて思案する。
「サヤカ、お前を最高の陰陽師にしてあげるヨフフフッ。さて山田のトレーニングはスタートが間違ってたネ。これをサヤカに当てはめるにはどうするか・・・。サヤカにとって一番の敵は常識ヨ。これを取っ払うことから始めないといけないヨ。クククッサヤカ、お前はカエルヨ。カエルは熱いお湯に入れると慌てて飛び出して逃げてしまうヨ。でも始めから鍋に入れて温度を徐々に上げていけば、カエルは温度の変化を感じる事が出来ず死んでしまうヨ。でもそれじゃ駄目ヨ、死んでしまったら意味ないネ。だからサヤカ、ミーは、お前を熱湯でクロールするカエルにしてみせるヨ。ハハハーッそのためにはミーも常識を取っ払わなければいけないヨ♪ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ―」
青森支部の山田がこの場にいれば、サヤカを守るため差し違えてでも止めただろう。
練習メニューを考える時、一番必要なのは心だ。彼女ならこのぐらいは耐えられるだろう。これをできるようにならないと彼女の目標に届かない。いやっ彼女の今後を考えると今はこの程度に抑えるべきだ等の成長戦略、それにその子の今日の身体の状態や十代の身体の成長による変化に対応した細やかな練習メニューの変更、それに加え長期的なプランを立ててモチベーションを維持し続ける方法を考えなければならない。しかし当然当主は、こと修行に関しては人間の心など持ち合わせていない。そんな物など不純物だと切り捨てる。当主が見ているのはゴールだけ。自分の理想の陰陽師を作る。それだけだ。まるでゲームの主人公のパラメーターをどのように振り分けて最強キャラにしていくか。それしか興味がないのだ。当然途中で壊れるなんて考えていない。
当主はノートにガリガリと書き込んでいく。その音はサヤカの骨を削る音のようだった。
次の日。
「サヤカ、水の上を歩くのだ」
「はっ?何言ってるッスか。出来る訳ないじゃないッスか。無茶苦茶ッス」
「無茶苦茶?お前は本当にそう思うのか?」
「いや、出来るなら見本を見せて下さいッス」
「サヤカ、それがお前の駄目なところだ。成功とは約束されているものなのか?違うだろ。例えばフェルマーの最終定理という数学の難問は約三百年間、夥しい数の天才数学者達を狂人に、破滅に追いやってきた。しかし彼等は己を信じて、その全てを使ってぶつかってきたのだ。それに比べてお前のその精神力の薄弱たるや見るに耐えん。見本を見せろと言うが、私が出来なかったら出来ないのか?私に出来なくてもサオリンなら出来る事は沢山ある。お前は誰だ?私のコピーなのか?ハハハッそんな訳がないか、私はこんな根性なしではなかったからな」
サヤカはグヌヌと歯を食いしばって悔しがる。
「サヤカよ、お前には優れた頭脳がある。術を見直せ、そして疑え。お前はそいつ等より優秀なはずだ。そして新たな術を構築し、革命を起こせ。歴史年表に菅原サヤカ入門前、入門後と区別される大革命を起こせ。そんな事が出来ずにサオリンの隣に立てると思ってるのか。ハァ~ッこれではアリタンの言った通り、サオリンの隣にはアリタンが相応しいな」
最後の一言にサヤカはキレる。
「やったろうじゃないッスか!当主が出来ない水面歩行をこのサヤカが習得してやるッスよ!それと間違わないで欲しいッス。沙織さんの隣に立つのはこの大陰陽師、サ、ヤ、カ、ッス!」
「ハハハハハッその意気ヨ!あの蛇口からはお湯も出るから、頑張るネ」
当主はスキップしながらその場を去る。
ボチャンッ
当主に啖呵をきったものの、何度やっても出来ない。
「アァァァァァァァァァァァァァァァ~~~~~~ッ全然できないッス~~~~!これもう新しい拷問じゃないッスか~」
サヤカは大きな声で愚痴る。そんな時、池に首まで浸かっているサヤカの頭を、後ろから何者かが踏み、水中に押し込む。
「プァッ誰ッスか?この大陰陽師サヤカの頭を踏むとは無礼ッスよ」
振り向くと、後ろには左手に松葉杖をつきながら、白百合が水面の上に立っていた。
「ほお~、こんな事が出来ないお前が大陰陽師か?それなら私は神陰陽師だな、サヤカよ」
サヤカを見下ろしながらニタァ~と笑みを浮かべる白百合。
「アッアリタ~~~~~ン!!」
大声で叫びながら白百合の右脚に飛びつく。
「ちょっおまっ何して―」
さすがの白百合も池に盛大に落ちる。
サヤカは今もブクブクと沈んで行っているアリタンを踏み台にしながら池から出る。
「ゲボォッハアッハアッこのクズが!松葉杖を使っている怪我人を水中に沈めて、なおかつ踏み台にするとはどういう了見だ!」
白百合は池の縁に身体を預けながらサヤカに怒鳴る。
「ヘヘッアリタンとは、どちらが先に真に沙織さんの隣に立てるか競っているライバルッスからね。脚を引っ張るのは当然ッス」
サヤカは嬉しそうに白百合に笑いかける。
「ハハハハハハッサヤカ。やはりお前はそこらのクズ共とは違う。お前のそういう所は好きだぞ。さあ、お前の持てる全てを持ってかかってこい。修行開始だ!」
サヤカには悶絶していた時の記憶がある。魔境での出来事は現実世界では一瞬。現実に戻った時、身体が千切れそうな痛みの中、自分を褒めて優しく抱いてくれたアリタン。サヤカはそんなアリタンだからこそ、安心して何もかも委ねたのだ。
『サヤカをこんなにも優しく見守ってくれて、今も身体が痛いだろうに無理して安心させるために私の前に現れてくれたアリタン・・・大好きッスよ』
サヤカは笑い、そして同じ道を歩むライバルに、子供が親に甘える様に全力でぶつかって行く。
サヤカのクリスマスウォーを読んで頂きありがとうございました。
この物語を書くのは本当に大変でした。呪いという身近にないものを書くのがこんなに大変だったとは・・・。8/12に久しぶりに開けて見てみると、誤字脱字、意味がわかりにくい所が多く恥ずかしい限りです。少しずつ直していきます。申し訳ありません。