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アダムとアポロとサオリンと ⑧

「よし、サオリン飛びつくぞ!」


アダムが沙織の肩を蹴り、渾身のジャンプをする。しかし、悲しいかなコーギーの短い前脚、いや手は、バイヤーが担ぐ網を目前に空を切り、アダムの体は地面にベチャッと落ちる。沙織はアダムを屈んで拾う。


「もう何してんのよ!アダムのせいでまた離されちゃったじゃない!」


「面目ねえ。次はしっかりやるからよ」


「ねえアダム。私、アダムの言ってた諺を英語の授業で習った時に、もう一つ習ったの思い出したの」


「そんな事は今いいだろサオリン。TIME IS MONEYって言ってるだろ。ゴチャゴチャ喋る暇があったら走る事に集中しろ!」


「KILLING TWO BIRDS WITH ONE STONE」


「何?」


「一石二鳥だよアダム。あのバイヤーをやっつけると同時にチビトラ君を助けられるわ」


「ちょっ! まさか俺が石ってことはねえよなヘヘヘッ……ぎゃっ虐待だ! こっこんな可愛いコーギーを、おっさんにぶつけてやっつけるって頭どうかしてんのか! サオリン、お前がチビトラの代わりに一生檻の中にいた方が良いくらいだぞ! 地獄の沙汰も金次第って言ってたが、万が一そうだとしても、そんな極悪非道なことをしたら、お前はどんなに金を積んでも地獄行きだ!」


「アダムも言ったよね? TIME IS MONEYって。ゴメン迷っている時間はないの、我慢して」


そう言うとアダムの胸ぐらを問答無用で掴んで、左足を地面が陥没するほど踏み込み、上半身を弓のようにしならせ、投げた後の事など一切考えず思いっきりアダムをバイヤー目がけてオーバースローで投げる。


「どりゃあああああ」


「ギャアアアアアアア覚えてろこのアマーーー」


アダムはバイヤー目がけて一直線に矢のように飛んでいき、ゴチンッという鈍い音を通りに轟かして、二人は道に倒れる。


「イテテテテ酷え目にあったぜ。こんな可愛いコーギーをぶん投げるって日本の女の女子力はどうなってんだよ。て言うかコーギーをオーバースローで投げる腕力ってどういうこと?日本の女子はみんなそうなのか?なんか日本に行くのが急に不安になってきたぜ。おっそうだそうだ、大丈夫かチビトラ?今助けてやるからよ」


アダムがヨロヨロと立ち上がりチビトラを救助しようとすると、そうはさせまいと、バイヤーもヨロヨロと起き上がり、アダムにナイフを向ける。


「おっ! 良い呪具持ってんじゃねえか。そのナイフで刺されたらヤベエかもな。まあさっさと掛かってこい。TIME IS MONEYだ」


アダムに取り乱す様子はない。それどころかバイヤーのテンプレのような行動に溜息すらついている。


一方、沙織は一緒にチビトラを探してくれるこの優しい精霊を守ろうと行動を開始する。アダムを投げた後、盛大にこけたが、すぐに立ち上がって走り、今まさにアダムに襲い掛かろうとするバイヤーの前に飛び出した。


「馬鹿! 何やって──」


間に合わないと思ったアダムだが、倒れたのはバイヤーの方だった。ナイフを左手で逸らし、走ってきた勢いそのままにバイヤーの顎に右の掌底を入れたのだ。


「大丈夫アダム?」


「そりゃこっちの台詞だ! なんで飛び出したりしたんだ、死ぬとこだぞ!」


「えっ?だってアダムが危なかったから。せっかく数百年も御主人に会うために頑張ったのに消滅しちゃうって、そんなのあんまりだと思ったら体が勝手に・・・」


「消滅ってサオリンやけに詳しい・・いや、それより助けてくれてありがとよ。お前優しすぎるだろ」


アダムは、沙織を疑っていたことを心から後悔した。マハルの目に間違いは無かったと思うと同時に、マハルの「守ってやれ」とは、単純に理不尽な暴力だけで無く、沙織の優しさにつけ込む奴からも守れということだと気が付いた。


アダムがそんな風に思っていると、沙織に倒された犯人が、なんとか立ち上がって逃げようとする。


すると近くにいたインド人から、

「こんなかわいい子にナイフ向けて何してるんだ! このインドの恥さらしが」

「ヨガのどんなポーズでも出来るように全身の骨砕いてやろうか? あん?」

「口の中がズタズタに切れたお前に、ヨガ行者が裸足で逃げ出す俺の激辛カレーをご馳走してやるからちょっと来い」

そんな罵声を浴びせられながらボコボコにされ、バイヤーは息も絶え絶え逃げていった。


「ビィエェェェェエーーン、お姉しゃん、お姉しゃーーーん」


沙織はチビトラを網から出してあげると、チビトラは沙織の顔に飛びついて泣いた。沙織は顔からチビトラを剥がし、胸の前で抱っこする。


「よしよし恐かったねぇ寂しかったねぇチビトラ君。もう心配したんだぞ! 私のボディガードがいなくなっちゃったから、お姉ちゃん心細かったんだから」


「ごめんなさいでしゅ、ごめんなさいでしゅよお姉しゃーーん!」

チビトラは沙織の胸に顔を押しつけながらワンワンと泣き続ける。


「見つかって良かったぜ。おっとこいつは凄えなトラの精霊かよ」


「ヨシヨシもう大丈夫だからね、泣かないの。ほら、お礼を言いなさい。私と一緒にチビトラ君を探してくれたアダムだよ」


沙織に言われてゴシゴシと涙を拭い、アダムを見る。


「泣き止んでくれたかな? 俺はアダムだ。ヨロシ──」


アダムが挨拶を終える前に、チビトラは沙織の胸を蹴りアダムに飛びつく。アダムは体勢を崩し仰向けに倒れる。チビトラがいわゆるマウントポジションを取り、多くの人が自然の厳しさ、弱肉強食を想記させる体勢になっている。


「ありがとうでしゅ! ありがとうでしゅアダム! 僕恐かったでしゅ~寂しかったでしゅ~」


もちろんチビトラはアダムに危害を加えるはずがなく、アダムの顔を感謝の気持ちを込めて、再び涙を流しながら舐め回す。


「そっそんなに喜んでくれるなら見つけた甲斐があったってもんだぜ。でもよ、俺の本能がよ、トラに乗っかられるのを拒否してるっつーかな。出来れば降りて欲しいんだが」


そう言われてチビトラは急いで飛び退く。


「ごめんでしゅアダム」


「いや良いって事よ。オマエは悪くねえよ。ところで名前はなんて言うんだ?」


「名前?・・・チビトラ?」


「それは名前というかオマエの外見だな」


「……ないでしゅ」


アダムは、少し前の沙織と同じように察する。名前というものを理解する前に、このチビトラは死んでしまったんだと。


「じゃあ質問を変えるぜ。これからおまえはどうしたいんだ?サオリン、お姉ちゃんのことな。サオリンはあと少しで日本へ帰るがその時オマエはどうするんだ?」


チビトラはその時が来るのを想像したのか、また目に涙を溢れさせる。


「僕、サオリンと一緒にいたい!」


アダムは沙織の方に向き直り、今度は沙織に質問する。


「サオリン、こいつはこう言ってるぜ。どうするんだ?」


「駄目!駄目よ。一緒にいたいのは私も同じだけど、また寂しい思いをさせる事になるわ。あなた達精霊のように変わらずにいられないの。人は死んでしまうから・・・その事を考えたら簡単に日本に連れて行くなんて出来ない」


チビトラは沙織をもう困らせてはいけない、わがままを言ってはいけないと、子供ながらも理解し、グスン、グスンと声を殺して泣く。沙織もその姿を見て、どうしていいか分からずグスン、グスンと泣く。


「まあ死んでから二百年近く暴れまくってる俺から言わせれば、死んでからが本番って思うがそれは置いといて、要するにサオリンはコイツを全く知り合いがいない日本に連れて行って孤独にさせたらどうしようって心配してるんだろ? それは心配すんなよ。俺が一緒にいてやるし、俺が成仏する時はコイツも一緒に連れてってやるさ。だからよサオリン、コイツも一緒に日本に連れてってやってくれねえか?」


「いいのアダム?」


「俺は紳士だぜ。レディーに嘘はつかねぇよ。そんな事したらいつまでたっても空にいるご主人に会いに行けねえよ」


アダムの言葉に沙織は顔を輝かせる。そして両手で涙を拭って、チビトラに向き直って言う。


「じゃあチビトラ君! 一緒に日本に帰ろう!」


そう言うとチビトラは今日何度目かの顔ハグを沙織に仕掛ける。沙織も受けて立つ。出会ってからそんなに時間が経ってないが、二人の間にはプロレスラーのように命を預け合う厚い信頼関係が出来上がっているようだ。


「じゃあサオリンもう大丈夫だろ? チビトラが俺の始めの質問に答えられるように名前を付けてやってくれよ」


沙織は情が移るから名前を付けなかったことをアダムが見抜いていた事に感心する。沙織はアダムを抱っこして考える。


「そうだね~。ふふ~ん。初めて見たときから思ってたんだ~。このピンクの鼻、日本で売ってるチョコみたいって!だから今日からチビトラ君はアポロ!」


嬉しさの余り声が出ず、チビトラは涙をポロポロとこぼしている。


「へへっチビトラ、オマエの名前はなんて言うんだ?」


チビトラは笑顔満開で答える。


「アポロ!アポロでしゅ!僕の名前はアポロでしゅよアダム~」


アポロはまたぴょんっとアダムに飛びついて弱肉強食ポジションを取り、顔を舐め回す。


「コッコラ! 止めろアポロ。飛びつくんじゃねえよ。ヘヘッ良かったなアポロ」


二回目にして慣れたのか、アダムは上にのしかかられてもアポロをナデナデしてあげている。そんな二人を見て沙織は嬉しくて声を出して笑ってしまう。


しかし当然周りの人達にはアダムとアポロの姿は見えていない。沙織が一人で悲しみ、泣き、笑っている風に見えているのだ。沙織がふと周りを見渡すと多くのインド人が沙織を取り囲んでいる。


「あの日本人カワイソウネ。インド暑いからネ」

「あの日本人に幸あれ」

「日本大使館はどこだっけ」


と哀れむ声が聞こえ、足下には沢山のお金が投げられている。沙織は顔を真っ赤にし、ソーリーソーリーと言いながら、アダムとアポロを脇に抱えその場からダッシュで立ち去った。

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