豆腐な方は分離しましょう
マシュマロ的なAI搭載の感想システムが出るのって、きっとまだまだ先でしょう。
現段階で、感想にまつわる問題を乗り越えるには、自分の気持ちを切り替えるのが良いんじゃないでしょうか?
注:最後の方で、本論はずれて脅すようなこと言ってます。
わたしは妄想族で、最近は豆腐メンタルな人たちについて妄想を走らせています。
いい方の感想しか予期してなかったんだろうな、とか。
あわよくば書籍化の野心はあれど、あれやこれや言われて落ち込まされるなんて、御免だってことだろうな、とか。
感想欄閉じるのはもったいないと思うけど、エタが防げるなら賢明な対応策。感想削除、ブロックも、ありだよねぇ。
と納得したところで、以前ツイッターで「誤字報告、へこむ」と作家さんたちが愚痴ってたのを思い出しました。そのレベルの人に誤用報告をしたら、おそらく死にいたる。
繊細すぎて気の毒……けど、このていどで何故へこめる?
いぶかしく思いつつ、気づいたことがあります。
自分も打たれ弱い豆腐メンタルでした。それなのに、創作にまつわるネガティヴ事象、ほぼ全部スルーできていた……。
詳しく申し上げますと、
わたしの本拠地はムーンで、更新すれどもすれども、「路傍の石のごとくただそこにあるのみ」って感じです。あまり読まれずブクマも評価もわずか。連載中に滅多に評価がつきませんが、粛々と書き続けます。
とある長編のときも似た状況でした。その序盤、ストーリーに1が入りました。わたしがストーリ評価1を入れるのは「非難」の意味です。その思考を流用し、
「描写か内容が、誰かの心の傷をえぐった?」と反省しつつも、
「そうならそうと言ってくれや。この地点で不可解ポイントが入ったら、やる気が削れる、エタ危機る。想像できんのか? そうか、これは、打ち切れという圧力? ふん、誰が打ち切るものか!」
とアドレナリンを放出し、長編を大長編にして完結。
感想についてはこんなです。
①面白かったに類する褒め言葉は →うれしいだけです。
②あそこが残念だった的ことばは →次作でこの意見を活かせたらいいな、
③つまんないの一言には →抽象的すぎて、つまんない感想だな、
④人格攻撃されたときは →病んでるなぁ、
⑤作品に関係ない語りは →暇つぶし? 話したかったんだな、
で終わり……ません。
③④⑤のコメント主さんの、このアクションに至る半生に思いを巡らせて楽しみます。
病んでる人には気の毒ですけど、妄想族ですから、いただいたお題を使わずにいられるか!
誤字脱字以外の指摘はもらったことないですが、未熟者ですからミスは多いです。恥ずかしいほど明確な誤用、年齢の設定ミス、名前の入れ違い、etc……自力でみつけるごとに床上ローリングです。
まぁ、これも、心拍数があがってカロリーを消費できた! とおやつを食べる口実になる。
こういった思考パターンで感情の波をいなし、指摘を受ける前に見つけられてよかったと、胸をなでおろす。
しかし、意図してでなく、方言と知らずに使った言葉は、読者の物語への没入感を損ねるでしょう。差別用語と知らずに使っている言葉があるかも。作者自身の死角にこそ、構成上の致命的なミスがひそんでいる。
そんな気がして、今日より明日は少しはマシな書き手になりたいわたしとしては、「具体的かつ建設的な感想が増えてほしい」です。
この、わたしのメンタル、ステンレス加工してない鉄程度ってとこでしょうか? 錆びやすいけどほどほど硬いんで。
以前は精神脆弱と胸を張れるほどでしたから不思議なんですが、自分の才能のなさを理解してるからでしょう。自作の出来の悪さもわかってますしね。理由はもう一つあるんです。
「課題の分離」ができている。
アドラー心理学ですね。
でもよく知りません。「嫌われる勇気」すら読んでません。が、承認欲求を抑えることが、意識せずにできていました。
それというのも、書くようになって二年目の、一昨年から今年にかけて出会った反面教師さんたちが、承認欲求の奴隷になる馬鹿馬鹿しさを身をもって示してくれたから。誠にありがたいことです。
お陰で、リアルでも褒められたがることはなく、誰かの期待に答えようと行動しなくなりました。嫉妬心もあまりなく、よそさまの優れた点にはただ感服し、楽しそうな人や頑張っている人を見てるとうれしくなる。感想を書くことで交流できればいい気分になる。
幸せホルモンといわれる、オキシトシンが分泌されるからでしょうね。
そういえば、そもそも執筆の目標は外にない。目指すのは、自分の脳内にあるものを、思うままに書き完成させることです。ポイントも褒め言葉もうれしいけれど、指針になりえない。
こんなふうに確固としてますが、実はぐらつくこともあります。
憧れる作家さんたちは、練り上げたプロットを元に緻密なストーリーを組み上げ、破綻なくみごとに展開させ、描写力を駆使して物語世界を描きだす。空気感すら伝わってきます。読み終えると、ラブレターみたいな感想をお送りし、その余韻にひたると同時に……
へたっぴな自分が書く意味って、ないよね? 読み専でいいじゃん。楽だし。
って考えが頭をよぎるんです。
しかーし、自分の思っている筋立てを誰かに書かせるなんて、できないですからね。
つたなかろうが、書かずにいられるか!
自分の妄想のツケは、自分で払う!
自分が読みたいんだ。絶対、完結させる!
この決意、執筆のはじめから心の奥底に芽生えていたようです。無意識のままに。
なので、抽象的な批判を受けても、So what? としか思えんのでしょう。
さて、元豆腐メンタルの自分に擦り合わせて、現豆腐メンタルさんについて妄想しますと、
おそらく自信があまり持てない人で自己肯定感が低い。そのため承認欲求が適正値より高いのでしょう。わたしも以前はそうでした。
「承認」の対義語は「拒否」、「拒否」の類語は「非難」です。
「非難」の対義語である「賞賛」「同情」への欲求が高いので、それらから外れる感想に過敏になってしまう。誤字の指摘すら重く感じてしまう。
完璧主義でもありそうですね。わたしもそうでした。今はテキトーですけど。
というわけで、豆腐硬度をあげるには承認欲求をおさえるしかないのです! (多分)
そのためにまず、読者の期待(読者の課題)に振りまわされずに、ひたすらに自分の課題をこなしてください。「嫌われる勇気」を持ちましょう。
これじゃ、わかりませんよね。
では、具体的に説明します。
あなたが作品を書き始めたとき、「自分の考えた話を完成させる」という課題をもっているはずですよね。(ということで話を進めます)
読者は、「自分が楽しめる話を読む」という課題をもって読み始めるのでしょう。
読者のなかには、作品の方向性に関わる意見を言ってくる、「自分好みの作品を得る」という課題をもつ者がいたとします。
あなたの予定と噛み合っていれば問題なし。違っていた場合でも、「これからの展開がどうなるか、見守っていてください」などと返して、あなたは「自分の考えた話を完成させる」という課題に集中しましょう。
その読者はあなたに自分の課題を押し付けるのを諦めて、あなたの作品を楽しむようになるか、「自分好みの話を得る」ために去っていくでしょう。
去らずに不愉快な追撃をかけてくるようなら、ブロックすればいい。
(もしも、意見が予定していたものよりよく、破綻なく変更出来る場合は、取り入れればいい。その辺りは臨機応変に)
こうして「自分の考え」に集中して書けば、軸がぶれることが最低限で済み、矛盾の発生も最低限にとどまるはずです。そのため批判的な感想が持たれにくくなる。作品の結末は、不満の少ない=満足度の高いものとなり、作家読者ともにWIN-WIN。多分。
ちなみに、わたしのメル友だった作家さん、わたしの作品のカップリングに対し、なんども否定的な反応をみせました。ですが、考え抜いて出し切ったストーリです。聞き流す以外、わたしになにができましょうか。のちにいろいろあって仲違いし、擦り合わせの努力はしましたが、もの別れとなりました。
残念な気持ちもありましたが、互いに思い違いが多々あっての相容れない同士だったので、こうして離れたことで、彼女も楽になっているでしょう。不幸になっているとしたらお気の毒ですが、それは彼女の課題です。
さて、もうひとつ。
ミスを指摘された場合ですが、あなたの課題が「ミスのない作品」でないかぎり即座に対応する必要はないし、対応しない選択肢もあります。
連載中なら、
「ご指摘多謝、続きを書くことに総力を注ぎたいため、矛盾をはらみつつも疾走する所存。最後までお付き合いいただければ幸甚に存じます」
完結作でも、直す気にならなかったら、
「次回作以降の作品にご指摘を生かしたいです」
といった具合に返し、それでも食いついてくるなら、それは言葉の通じない相手です。ブロック。
返しの文言は、連載前に定型文を作っておけば、防御力アップの呪文になります。
こういった予想をしておくことで、今までなら心がざわついたコメントですら、「で?」となります。
ざわついても、形から入りましょう。「で?」「So what?」と言い続けていると、なんとなーく気が楽になりますよ。
理不尽コメントでしたら、コメント主の半生を想像するのをおすすめします。憐れみを感じてお祈りまで行けば、オキシトシンが出て、いい気分になれますよ。(注:わたしは無宗教です)
こういった対応を続けていけば、自信がつき、さらに動揺しづらくなります。自己肯定感があがり、承認欲求も適正値に戻ることでしょう。完璧主義は自信のなさが根底にあるものですから、そちらも軽減する。(多分)
予想外を超える、とんでもない危険球がいつか来るかもしれません。
怒りに任せて返したくなるでしょうが、それは悪手です。
怒りは冷静な判断力を奪います。どんな状況でも、怒ってことにあたるのは愚策以前です。
なんて偉そうに言ってますが、わたしも怒りに任せ、すべきでない行動をしました。後処理でミスって微妙な事態になってます。これも、始まりの地点で訂正すべき点を放置したのが原因なので、反省点しかない。
いい年なのにまだまだ未熟だ、と落ち込みます。なので尚のこと、おだやかに、理知的に対応出来る人に憧れてしまう。
とある感想欄で、口汚い言葉で作品の削除を要求している人がいました。作品は知性と品の良さを感じさせるもので、削除を求められるいわれはありません。作家さんはその印象にたがわぬスマートな対応をされていて、惚れ惚れしましたよ。
ああいう風にふるまえるよう、精進していきたいです。
決意表明になってしまった(笑)
さて、最後に。
筋トレと質の良い睡眠、これらも脆弱からの脱却の後押しになる。最強コンボです。前向きになれますよ。
運動する暇も早寝も無理。時間がない、と言う方いそうですけど、ネットを使う時間を減らしましょうよ。ちょっとのつもりが、意外と長引いてるものです。
減らせない、って方いらっしゃいますか?
それって、ネット依存症の可能性も。
SNSなら、『いいね』、なろうなら、ブクマやらポイント、各種通知。もらうと嬉しいものです。が、一時的に、手軽に、承認欲求が満たされるこれらって、高い中毒性があるんです。
薬物中毒と同じメカニズムだそうです。
いくつか読んだものによると、脳に変化が起きて、ドーパミンの分泌量やドーパミン受容体が徐々に減ってしまう。その状態で『いいね』が来ても、いい気分になるのは短い時間です。なので、快感を得るため、さらにのめり込んでいき、どんどんいい気持ち持続時間は短くなり、さらにのめり込み……満たされない思いが、問題行動などに現れるようになる。
なにごともほどほど、中庸を心がけるのが良さそうです。
以上が、妄想を駆使したわたしからの提案でした。
わたしもネットの使用時間が長いので、完全離脱する時間を少しずつ増やそうと思ってます。
【おまけ】
80:20の法則ってありまして、2:6:2の法則とも呼ばれます。
働きアリの法則でご存知の方が多いかも。
どんな集団でもおおよそ、2:6:2に分かれるという、自然界の摂理に基づいた法則です。
例えば、働きアリ。全部が働き者ではないそうで、二割の優秀なアリが八割の餌を集め、二割は働かず、残り六割はほどほどだそうです。
これ、優秀アリだけで集団を作っても、働かないアリで集団を作っても、結果的に2:6:2に分かれていくそうです。
こんな感じで、特定の何かについての意見も、2:6:2になる。これを覚えておくと楽になりますよ。
もしも誰かが、
「理由はわからないけど、ともかくあなたの作品が嫌いだ」と言ってきたとしたら、逆もありってことですから、
「理由はわからないけど、ともかくあなたの作品が好きだ」と感じている人がいる。という仮説が成り立つからです。
ネガティヴな意見のお陰で、声なき方が可視化されました。反対意見も悪いものじゃないですね。
その声なき誰かは、世界のどこかで、あなたが物語を紡ぎ出すのを楽しみに待っています。
★ホルモン話も、おまけも、アドラー心理学の解釈も適当です。不正確で笑えるかもしれません。そう思った方は笑い飛ばしてください。わたしはネタのつもりじゃないんですが、笑ってもらえたら幸甚です。