神々の闘い
陽神は大地を思いきり踏みしめ、高く飛び上がりました。風神と雷神の間を瞬く間に通り抜け、空高くへと舞い上がりました。
天空の太陽と重なり、風神と雷神は眩しさで陽神を見失いました。
目を溶かすほどに強く輝く太陽の光を背に、陽神は最後に懇願しました。
「風神、雷神よ。最後の願いじゃ。その者のほんのわずかな米を病気の弟に食わしてやってはくれぬか。強欲の人間はわしも共に成敗しようぞ。ただし、弱きものは人間とて共に守ることはできぬか」
風神と雷神は宙を蹴り、高く陣取った陽神と同じ高さまで飛び上がりました。
「ならぬ。大地は、海は、どれほどの時をかけて人間を許したか。そして、それをどれだけ人間は踏みにじってきたか。情けは無用。我らが生まれた意味は、我らの圧倒的な力は、何を意味するか、考えるが良い」
雷神はそう陽神へ言い放つと同時に陽神へ雷を放ちました。
ジグザグに進み来る雷を躱し、陽神は身体から放たれる熱線を雷神に浴びせようとしました。
が、横からの突風に陽神の熱線はあらぬ方向へ放たれ、陽神の身体はそのまま何里もの距離を飛ばされました。
「残念だ、陽神。われらに一人で敵うと思うか」
風神の風袋はまた陽神に向けて風を集めています。
「初めてじゃな。風神、雷神よ。おぬしらと交えるのは」
飛ばされた身体を持ちこたえ、陽神は両手を天にかざしました。太陽から一筋の光が落ち、陽神の身体に入っていきました。陽神の身体はみるみる赤く染まり、銀色の髪の毛までもが赤く染まっていきます。
「雷神、くるぞ」
「分かっておる」
雷神が迎撃しようと構えたところへ、陽神は雲を大きく蹴って向かってきました。
風神と雷神は目を瞑りました。迫りくる熱のかたまりに耐え切れなくなったのです。
「雷神よ、目を瞑っていては避けれぬぞ」
雷神がかろうじて目を開けたときにはすでに、陽神は目の前で灼熱に滾る腕を構えておりました。陽神は雷神が身を翻すより先に腹に拳を浴びせました。
衝撃と燃え盛るような熱に雷神はたまらず血反吐を吐きました。たったひとつの拳で雷神の腹は皮膚から肉に至るまで溶けました。
それでも、雷神は片膝をつくこともせず、溶けた腹に少量の稲妻をあて、痛みを麻痺させるのでした。
「おのれ、容赦せぬぞ」
歯を軋り、雷神は両手に稲妻を纏いました。
「さすがじゃの、雷神よ。じゃが、おぬしの稲妻、避けられぬほどではないぞ」
陽神が両足に力を込め稲妻に集中したとき、その両足の力がふいに抜けました。力が抜けたと感じたと同時に、目に映る景色が天に地に海に山にとぐるぐる回りました。
「われへの警戒を解くとは。嘗められたものだ」
風神が風袋を陽神へ向けていました。風袋いっぱいの突風で陽神の自由を奪うと、そこへ容赦なく雷神の稲妻が襲います。
実はこの稲妻に撃たれる前、陽神はすでに敗北を悟っていました。
陽神の勝ち目は最初の一撃で雷神を仕留めること、それしかなかったのです。
力の神、雷神。
技の神、風神。
智の神、陽神。
力と技に真っ向から組むことは不可能でした。まだ実力を知らない最初の一撃に陽神は賭けておりました。今までに放ったことのない熱で目をくらまし、雷神の腹を穿つ。
ですが、力の神、雷神の力は陽神の計算を凌ぐものであったのです。
風神が風で陽神の動きを無力化し、雷神はそこに目がけ何度も雷を落としていきました。
空が幾度も光り、その度に陽神の身体はのけ反りながら徐々に焦げついていきました。撃たれる度に反撃のためか真っ赤な熱を発しては、脆くも風神に飛ばされていくのでした。
雷神の雷と風神の風はそれでも止むことはありませんでした。空気さえも焦げる匂いが空を覆っていました。
幾つの時が過ぎたでしょうか。
陽神の身体はもう炭のように黒く、宙に浮くのがやっとでありました。
「雷神よ。もうよかろう」
風神は風袋の口を閉じ、焦げついた陽神の姿を見ていました。
「甘いぞ、風神。もう我らとは違うのだ。とどめを……」
そう雷神が風神に告げると、陽神がよろよろと宙をさまよい、ゆっくりゆっくりと雷神へ近づき始めました。とどめを刺そうとした雷神はあまりに弱々しく近づいてくる陽神に興味を抱き、じっと陽神の様子を見ていました。
陽神はよろめき、手足を痙攣させながら、雷神の目の前にたどり着きました。
「赦しを乞うか、陽神よ」
陽神は応えず、雷神の懐に潜り込み、雷神の両手首を握りしめました。
「何じゃそれは。力比べのつもりか」
雷神は吐き捨てるように笑みを浮かべて陽神の腕を振り払いました。傷を負い過ぎた陽神には雷神のひと振りに耐える力もありません。振り払われた陽神は必死に雷神の足首を掴みました。
「無様な。見損なったぞ、陽神よ」
雷神は足首にすがる陽神を振りほどき、風神のほうへ蹴り飛ばしました。
「雷神よ。こんな陽神は見たくない。もう終わらせよう」
風神は自分の足首に縋りつく陽神の髪の毛を掴み、身体を起こしました。
「陽神よ。残念だ。お主は我らの智であった。それがこんなにも無策に縋りつくだけの最後とは」
髪の毛を掴まれた陽神はおろおろと弱々しく手を宙にさまよわせています。やがて髪の毛を掴む風神の手首を震えながら掴みました。
「力も無残なり。陽神よ。もう仕舞いだ。地に落ちるがよい」
風神が口に風を溜め、最後の一撃を加えようとしたその時でした。
「仕舞いは……おぬしたちのほうじゃ」
風神は目の前にいる潰れたはずの陽神の目に今までにない光を感じ取りました。
咄嗟に陽神を離して距離を取ると、自分の身体の異変にすぐに気づきました。
いつの間にか手首と足首に煌々と輝く輪がつけられています。
「な、なんだ、これは」
「動くでない、風神よ」
雷神が風神に叫びました。
叫ぶ雷神に目を向けると、雷神の手首、足首にも同じものが付けられているではありませんか。
「我にも同じ輪っかがついておる。動くと、溶かされるぞ」
雷神は歯をぎりぎりとさせながら身動きの取れない自分の身体を睨んでいました。
「何をしたか、陽神よ」
風神が陽神へ声をあげると、陽神は黒い肉体を震わせながら、それでも笑みを浮かべました。
「……太陽の輪じゃ。おぬしらの熱を放つ動きにて太陽の輪は熱を帯びる。おぬしらの手と足は熱に溶けようぞ。油断、大敵というやつじゃよ」
陽神を追おうとした雷神の左手は現に失われていました。太陽の輪が放つ熱で溶けたのです。
風神も雷神も身動きを取れません。
風神が試しに腕を動かそうとしましたが、少し動かすだけで手首に嵌められた輪が熱を帯びるのを感じ、すぐに動きを止めました。
「だめであるな。さすがにこの世の源、太陽の神ぞ」
「……ほほ、感心してくれるか、風神よ」
身動きを封じられた風神と雷神は身体を動かさぬまま目を合わせました。その目は敗れた者の沈んだ目ではありませんでした。むしろ、凛と輝かせた目を合わせていました。
輝いた目を見た陽神は一縷の望みを失ったことを悟りました。
太陽の輪で身動きを封ずれば風神と雷神は降参すると踏んでいたようでした。その望みと裏腹に輝きを失わない二人の目を確かめると、肩を落とし残る僅かな力さえも失ったように見えました。
「陽神、これで我らが参ったを申すと思うたか」
雷神は動けぬまま、更にはひとつの腕と腹の肉を失いながら、それでも勝ち誇ったように言いました。
雷神には分かっていました。
多くの雷を浴び、何度も風神の風を浴びた陽神もまた動けぬということを。
風神も先ほど自分の手首に輪を作った陽神がそのまま目の前で動けなくなっているのをじっと確認していました。
「終わりだ、陽神よ」
風神は静かに眼前の陽神に語りました。
「確かに。わしはもう動けぬ。じゃが、おぬしも何もできまいよ」
「陽神よ、最後に問う。もう人間をかばうのは止さぬか」
風神は本心で言いました。
「わしは……弱きものを守る神、陽神なり」
「そうか。……では、さらばだ」
先ほど風神と雷神が目を合わせたとき、二人は勝利を確信していました。
動けずとも風神の風袋が陽神を向いていることを二人は確認していたのです。目一杯の風を浴びせ、地に叩きつければ、陽神の命はもうない。
風神と雷神にはそれが分かっていたのです。
恐ろしいほどに膨れ上がった風袋の口が陽神をとらえています。陽神にはそれでも動く力が残されてはいませんでした。
風袋の口が開くと、けたたましい風が陽神を襲い、陽神は光のごとき速さで飛ばされました。
焼け焦げた陽神の身体から煤が飛び散り、あたりは薄い黒霧に包まれたように暗く沈んでいました。
「残念である」
風神は小さく呟き、空になった風袋の口を閉じました。
風神は目を閉じました。
地に叩きつけられる陽神の姿を見る必要はない。
そう感じていました。
雷神はそのとき、少しの違和感を覚えていました。
確かにもう身動きが取れない状態ではありました。終わりは見えていました。
それにしても、なんと呆気ない最期であるか。死とは結局そんなものであろうか。
雷神は陽神の最期を見届けようと飛ばされゆく陽神を目で追っていました。目で追いながら、小さく、声をあげました。
「まさか」
陽神が飛ばされていくその先には、村が見えました。山の向こうにある村、おなごが米を届けて欲しいと願っていた村が見えていました。
「まさか、ずっとこれを……狙っておったというのか」
雷神の声が聞こえ、風神は目を開けました。茫然とする雷神を見て、その目線を追いながら風神も陽神の意図に気がつきました。
「……なんと。陽神よ、お主はやはり智の神なり」
身体の正面から風神の風を受けた陽神は気を失いながら飛ばされていました。
風神と雷神は動けずとも雲を呼び後を追おうとしましたが、辺りにはひとつの雲もありません。
「ここまで考えて雲を消していたというのか」
風神は稲妻に撃たれながら熱を放っていたのは、辺りの雲を消すためであったことに気がつき、感嘆の念すら覚えました。
「我の雷を浴びながら雲を消していたとはな。……惜しい。陽神よ、お主のその智はまことに惜しい」
雷神も陽神を心で称えました。称えながら、とどめを刺すことは風神とともに諦めました。
二人の神には分かっていました。
あの村へたどり着こうと、もう陽神の命は幾時も無いことを。