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陽神  作者: 山城木緑
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 三人の神が雲にまたがり、山々を越えていきます。

 山のずっと向こうに温かそうな煙が昇っているのが見えました。


「村じゃ。あそこに村があるぞ」


 雷神は指をさし、雲の速度を一段上げました。


「人間どもめ、のんびりと飯の支度をしよるのう」


 陽神も雷神に続いて速度を上げました。


 と、風神が声をあげ、二人を止めました。

「待てい、雷神、陽神よ」

 前につんのめるように雷神と陽神が急停止して振り返りました。


「なんじゃ、風神よ」


 陽神が風神を見ると、風神は下を指差しました。

 陽神がその方向へ目を落とします。

 真下には山がありました。人間によって伐採され、ところどころに木々が残る程度の山でした。


「何だと言うのだ。分からぬ。言え、風神よ」


 雷神が風神に近寄り言いました。

 陽神と雷神はもう一度下を覗きましたが、悠々と空に円を描く鳶と、その下に広がる赤土をむき出しにした山しか見えません。


「節穴であるか。よく目を凝らすとよい」


 風神がそう言いながら徐々に高度を下げていきます。雷神も陽神も続きました。鳶は描いていた円を諦めて、遠くへと逃げていきました。


 三人の力が強すぎて山に生えた草花が散れぢれと揺れています。草花たちが怖がっていることを、まだ風神も雷神も陽神も気づくことはできないでいました。


 少し木が残っている一体へ風神が降りていくと、木々は草花たちのように揺れ、生い茂った葉が吹き飛んでいきました。その奥のほうに、雷神と陽神はついに風神が指差したものを見つけました。


「人間じゃ」


 陽神が目を向けた先には、まだ子供であろうか、赤い衣服を纏った人間の女が木にもたれて座っていました。

 両手に何かを抱え、こちらにも気づかず、ただうなだれているようでした。


「あのおなごを見せしめにして、あの村の人間どもに恐怖を植えつけてやろう。牛や豚、鶏に魚たち、皆が畏れていることを少しでも分からせてやろうぞ」


 風神がそう言って、木々をへし折りながらおなごの前に降り立ちました。

 雷神、陽神、と続いて地へと降り立ちます。


 地に降り立つと、三人の神はおなごの姿を見てお互いに顔を見合わせました。

 おなごは衣服を纏っていませんでした。

 赤い服に見えたものは、火傷で覆われたおなごの赤らんだ皮膚でした。

 三人の神はさすがに声を失って立ち尽くしました。



 陽神の脳裏に昨晩見た夢か信か分からぬ光景がまた浮かびました。


「しっかり生きるんだぞぉ」

 海亀の子に優しく微笑む人間の子供が目の前のおなごに重なりました。


 立ち尽くしていた三人の神が放つ気配に気づいたか、おなごがゆっくりと顔を上げました。


 もう、あまり長くない命は明らかでした。


 陽神は胸が締まる思いを初めて感じました。

 おなごの目は光を失っていました。白く、哀しげに焦点を探して動くその目を見るのは陽神には辛いものでした。


「もし……そこに誰かおりますか。わたしは……麓の村で突然の雷に打たれ、ひどい……火傷を負って……しまいました。……目も……見えませぬ。……この……この米を弟が山を越えた村で……待っております。……どうか……どうか。……どうかこの米を弟に。弟は……重い病なの……です。この……山を……越えた村で……ございます。どうか……届けて……やっていただけま……せぬか」


 おなごの声は蚊の哭くより弱く、それでも決死の力が備わった声でありました。

 おなごは麻袋を差し出しました。差し出す手は震え、燃え殻のように黒ずんでおりました。いたるところで転んだのかもしれません。おなごの身体は火傷に混じって全身が傷だらけでした。


 風神と雷神が立ち尽くしている隣を通りすぎ、陽神は麻袋を受け取ろうとしました。

 その腕にびりびりと電気が走りました。雷神が陽神の腕を掴んでいました。


「ならん。陽神よ、ならんぞ」


 雷神はさらに力を込めました。陽神は雷神の手を振りほどこうとしましたが、雷神の手からは稲妻が走り、陽神の腕を麻痺させていきます。


「陽神よ、この者は人間ぞ。忘れてはならん。われらの意味を忘れてはならん」


 風神も陽神の前に立ちふさがりました。


「もし……。……旅のお方……。お願いします。弟は……寛太と言います。……年のころは……四つでございます。……村の人間にたず……尋ねて……いただければ……分かります。……わたしは…………もう」


 おなごには目の前に立つ神々の姿を見てとることはできません。目の前に立つ巨大な神々を自分と同じ人間と思い込み、そう懇願しました。

 残る力で麻袋をより高く上げ、おなごは乞いました。


 陽神は眼前に立つ風神を払いのけ、熱を放ち雷神の手も振りほどきました。一歩近づき麻袋を取ろうと手を伸ばすと、そこに突風が吹き、風神がその麻袋を奪いました。

 丁寧に結ばれた紐をちぎり、風神は麻袋の中を覗きました。たったお茶碗一杯ほどの米がそこにはありました。


「ああ、ありがとうございますありがとうございます。……どうか……寛太へ、それを」


 おなごは受け取ってもらえた嬉しさに白い目から涙を流しました。


 おなごには寛太に食べさせたい米を風神が持っていることは見えません。自分で結った紐が引きちぎられていることを、おなごは見ずに済んで良かったのかもしれません。


 米が入った麻袋を奪われた陽神は立ち尽くしていました。おなごが見えない目から流す涙をじっと見つめていました。

 そこへ、余計な声が上から降ってきました。


「……人間よ。この米を食わせるわけにはいかん。お前たち人間の悪行を我らは許すわけにはいかんのだ」


 空から雷神がおなごに向けて、怒気を含んだ声で言いました。おなごは戸惑うような表情を浮かべ、ひとつ後ずさりしました。


「ど、どなたですか。……あなたがたは……。人間では、ないのですか」


 陽神は空で腕組みをしている雷神を睨みつけました。余計なことを。せめて見えぬまま希望を持たせてあげても良いものを。あまりの無慈悲さに陽神は体の温度を高めていました。


「人間のおなごよ、我らは神ぞ。愚かな人間どもをこらしめるために生まれてきた。この米を人間に食わすわけにはいかんのじゃ」


「……そんな……。神様……。神様であればこそ、どうか、弟の寛太を……。寛太にこの米を……。病気なのです。……どうか」


 おなごが頭を垂れて乞うたその頭上に、突風が吹きました。

 突風とともに風神がおなごの前に姿を現し、今にも風神の拳がおなごに振り落とされようとしていました。


「ならんっ」


 瞬時に陽神の身体に舞い落ちた葉が滾り、燃えました。溶かされるような熱に耐えかね、雷神は逃げるように高度をあげました。背後から近づく灼熱に気付き、風神も咄嗟に宙へ避けました。


 陽神はおなごの前に立ちはだかり、雷神の雷、風神の烈風を浴びせまいと両手を広げて構えました。


「雷神、風神よ。わしらは弱きものを救う神ぞ。弱きもの、このおなごを、この弱きものを殺生するものが、何が神か。この者から米を奪うものが、何が神か」


「狂ったか、陽神よ」


 雷神は空から歯を鳴らしながら陽神を睨みつけました。


「狂ったのは、わしらよ。わしらは弱きものを守る神のはずじゃ」


 陽神は熱で赤く染まった身体を屈め、その反動を足に込めて、空へと飛びあがりました。


 風を切って瞬時に風神の前に立ちはだかり、隙をつかれたように動けない風神から麻袋を奪い取りました。どん、と重い音とともに地面へ降り立ち、慄いた表情のおなごへ陽神は話しかけました。


「おなごよ、わしが必ず寛太へこの米を届けてやる。熱かろう。痛かろう。すまぬ。すまんかった。わしは陽神。弱きものを守る神ぞ。必ず、この米を届けよう」


 おなごの表情が和らぎました。

 口元が緩み、陽神へ何かを伝えようと、開けた口からは声は出ませんでした。それでも、笑みのような柔らかい顔を浮かべたまま、おなごは草むらに倒れました。

 焼けただれた赤い肌をまだ瑞々しい草たちが覆いました。


「陽神、おのれ。裏切るか」


 空から山を切り裂くような怒号が響きました。もう、雷神は身体中に稲妻を纏っています。その後ろに、みるみる膨れていく風神の風袋が見えていました。


「陽神よ、答えによっては許されぬぞ。おぬしは人間どもを味方するか」


 血気だつ雷神を後ろへやり、落ち着いた口調で風神は陽神に問いました。


「風神、雷神よ。先ほど言うた通りじゃ。わしらは弱きものを守る神のはずじゃ。人間にも強き弱きがあろう。目も見えぬ、わしらに肌を焼かれたおなごまで殺生することはなかろう。その者が息絶えながら病気の弟に米を届けるという。その米を焼くが、何が神ぞ」



 宙に立つ風神に一寸のそよ風が吹きました。


 風神は腕を組み、そよ風に揺られ、少し考えました。風袋の口を掴み、悩んでいました。

 弱きものを守る。確かに我らはそのためにある。人間を、獣を、充分に超えるこの力は何のためにあるぞ。


 風神はもう一度陽神とおなごとを見ました。

 おなごの肌は肌色とは程遠く、赤く染まり、黒く焦げ、それでも最後の力で指先を震わせていました。


 我は……何ぞ。

 風神は目を瞑りました。


 と、風神の肩に電気が走りました。

 雷神の掌が稲妻を迸らせて風神の肩に乗っています。


 振り返った風神は初めての恐怖を抱きました。雷神の顔は皺でまみれ、青い血管がところどころに浮き、風神を睨む目玉は今にも飛び出さんとしていました。


「違う。風神よ、違うぞ。我らはずっとずっと生まれる前から見てきたはずじゃ。人間がこの大地を食い荒らし始め、それでも我らは雨をもたらし、風をそよがし、陽を恵ませ、人間が大地とともに暮らし始めることを、我らは我慢して見守ってきたはずじゃ。それがどうじゃ。魚や牛に豚に鶏、みるみる育った緑を食い荒らすだけでは飽き足らず、人間同士で尊い命を奪い合い始めたではないか。もう、人間どもは生かしてはおけん。もう、騙されまいと、我らは神として生まれ変わったはずじゃ」


 雷神はもう一度その言葉で風神の目を覚まさせました。


「うむ……そうじゃ、そうじゃな。……陽神よ。われらで争うのは間違うておる。目を覚ませ。次の村で人間どもを懲らしめようぞ」


 振り払うような声で風神が陽神に問いかけました。


 陽神はともに暮らしてきた二人の神をもう一度見ました。


「そうか。雷神、風神よ。では、わしはここでおぬしたちと戦わねばならん。わしは、弱きものを守る神、陽神なり」

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