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war game  作者: ウンコマン
GlitchMan
5/30

2-2

 翌日、正午きっかりにリカード商会に出向くと、受付がアシュレイの人相を確認して商会建物内の執務室まで案内してくれた。


 「報告内容についての精査が終わりました」


 室内は一見簡素で、調度品の数も少ない。しかし素人目にも質のよいものが揃えられているのが分かる。部屋の主の性質の表れ。アシュレイはそれを無機質に眺めていた。

 つやのある美しい木目の机。そこに、シュルツと名乗った商会幹部が座っている。痩せぎすの神経質そうな中年男。声は僅かに枯れており、精神的、肉体的な疲労が聞き取れた。

 その隣と部屋の入り口付近、アシュレイを挟みこむように大柄な男達がひとりずつ控えている。どちらも打擲用と思われる棒状の革袋を腰に下げていた。殺すためのものではなく、痛めつけるためのもの。入口に陣取っている方は先日までの依頼人だったが、今日初めて会ったような顔をして立っている。


 「実に詳細に記されておりました。なかなかに信じがたい内容でしたが、出てくる単語や人名から真実であると判断いたしました。決定的な成果であると言えるでしょう」

 「そうですか」


 アシュレイは平坦な声で答えた。目の前の相手の鼓動が早くなり、表面には浮き出ていないが汗の臭いがうっすらとしていることに気付いていた。この男の内心が音と臭いで伝わってくる。原因については心当たりがあった。求められた以上の仕事をしたせいに違いない。


 「報酬をお受け取りください」


 その台詞を合図にして、側仕えが威圧するように前に出る。アシュレイの手に小物入れが手渡された。

 意外なほどの重さ。即座に中を検める。全てが金貨だった。視線でその意味を問いかけると、シュルツはうなずいて言った。


 「お察しの通り、条件があります。ひとつ、誓約を結んでいただきたいのです。内容は単純、今回の件を決して口外しないこと、そして何かの形で残さないこと。それだけで結構です。いかがでしょう?」


 シュルツは立ち上がり、アシュレイに向かって机越しに手を伸ばす。そこには僅かながら神気がまとわりついていた。

 誓約の奇跡。


 「承諾していただけるのであれば、この手をとり、私の口にする誓詞に心の中で頷いていただくだけで結構です。もちろん、誓約が有効となるのはこの件に関してのみですので、ご心配には及びません」


 取るに足らない条件だ。アシュレイはこれ以上深入りするつもりはなかった。また、シュルツの言葉に嘘や偽りがないことも分かっている。前のめりではあるものの、相手を欺こうとする人間に特有の焦燥が見られない。

 手を握り返すと、シュルツが満足げに頷き、目を瞑って念じた。


 そして悲鳴を上げた。


 シュルツが慌てて手を離し、飛び退って背中を壁にぶつける。アシュレイの手と触れ合っていた部分を恐る恐る確認する。そこだけ、赤くかじかんでいた。


 面倒な誤解を招く前にアシュレイは説明する。


 「言っておきますが、僕が何かしたわけではありません。僕の神が狭量なのです」

 背神者を根絶やしにしろとの託宣をよこすくらいには。


 シュルツがしもやけのあとをさすって痛みに顔を歪める。

 「事情は分かりました。それとなく。しかしそうなると、追加の報酬をお渡しするわけにはいきませんが」

 「もちろん、貰うつもりはありません」


 受け取った小物入れをつき返し、さっさと退散するために机の上の弓と矢筒、短剣に手を伸ばす。部屋に入る際に預けたものだ。

 護衛の片割れがそこに割って入った。


 「何か?」

 護衛の代わりにシュルツが答える。

 「不可抗力だというのは理解しました。しかし、こちらとしても懸念材料を残すわけにはいかないのです」


 アシュレイは目を細めて注意深く観察する。

 彼は意識的に呼吸を整えようとしていた。攻撃の前兆。弓を引き絞り、放つことができる瞬間を見計らっている。前後の屈強な護衛達がその矢だった。彼らは戦意に満ちていた。同時に、見た目は線の細い少年でしかないアシュレイの姿を見ての侮りを隠せないでもいた。


 「好ましい結果にはならない」


 忠告は無視された。シュルツが手を掲げて指示を出す。直後、アシュレイの耳は後ろから護衛の一人が素早く寄って来ているのを足音の位置から感知する。

 アシュレイは身を屈め、背後を振り返ることなく男の手を躱して足を蹴りつけた。

 金切り声が上がる。

 明らかに舐めきっていたもう一人が血相を変える。微かながらその巨躯に神気の高まりを感じた。腰の革棒を抜き、振り上げ、アシュレイの痩躯目がけて遠慮なしに叩きつける。


 アシュレイも応じる。残量のことは頭から追い出し、神気を全身に行き渡らせた。神の法でもって体を変質させる。


 棍棒を握る手を事も無く掴み返すと、力づくで引き寄せ、逆に護衛の脇腹を殴りつけた。大男は打たれた箇所を押さえて一瞬動きを止めたが、睨み上げてくる目にはまだ戦意があった。もう一度腹を殴って体を折らせ、顎を叩き、ふらついたところで後頭部を掴んで本棚に頭から突っ込ませる。

 本棚が倒れた。花瓶が割れた。巻き添えで他の家具も倒れた。下敷きになった男が痙攣を始めた。


 アシュレイは驚愕の表情を浮かべるシュルツに詰め寄って胸倉に手を伸ばした。細身とはいえ大人の男を机越しに腕一本で吊り上げる。


 「下らない真似をさせるなよ」

 「方法を誤ったことについては謝罪します」シュルツが息を詰まらせながら窮状を訴える。「我々としても、何もしないわけにはいかなかったのです」

 「そちらの不安は理解できる。しかし、悪いがあんた方で勝手に折り合いをつけてくれ。要求された仕事は果たした。約束された報酬は貰った。これ以上は何もない」

 「取引をしませんか。貴方と良き関係を結びたい」


 買収にしくじったと見るや脅迫し、次は恥も外聞もなく哀願と懐柔。感心す《不遜を贖わせろ》ら覚えるほどの節操の無さだ。


 頭の中で不意に狼が吠えた。


 脳天に血が上る。怒りで抑えがきかなくなり、体はほとんど勝手に動いていた。


 シュルツをさらに引き寄せて頬をはる。二度。三度。鼻と口元から血が流れ落ちた。何か言おうとする前に腹を殴る。ごぼごぼと、まるで溺れたような音が血と唾液に混じって口から漏れた。

 獰猛で傲慢な怒りが頭の中で反響し続けている。この男の卑屈な面構えも、豹変した態度も、何もかもが癇に障った。神気にまとわりつく至尊の感情がアシュレイの自我を押し流そうとしていた。

 自分を好きにされるのは寒気がするほど不快だった。それが度し難いほどの間抜けの手によってとなれば尚更に。


 《血を撒き散らせ》


 このままいたぶり続けたところで得るものなどありはしないというのに狼は吼え続ける。

 アシュレイは固く握りしめた拳をシュルツではなく別の適当なものに向けた。机を殴る。何度も何度も殴りつける。黒檀にひびが入って木片が飛び散り、皮膚が破れて血が噴き出した。その痛みのおかげでようやく主導権を取り戻し、シュルツを拘束した手から力を抜くことに成功する。


 解放され、よろめいて倒れた痩せ男の目には困惑と恐怖があった。気がふれた相手を見る目。


 「取引とは、なんだ?」

 アシュレイが手をさすりながら言った。


 シュルツが苦しそうに咳き込んだ。乱れた服と息を整え、血と汗を拭って弱々しく口を開く。

「貴方が得た情報に相応しいものをお支払いしたい。我々が貴方にとって有用であることを証明する機会を与えていただきたい」

 「あの金貨を受け取ればあんたは安心できるのか?」

 シュルツが体を震わせる。

 「十倍でも足りません。あれが知れ渡れば──少なくとも責任を負う立場である私は破滅します。なんとしても抑えこまなくてはならない。何か、要求をしてください。金銭が必要ないのであれば、それ以外でも構いません」


 望んでいるものはある。解放と自由。この男がそれを与えることができるとは思えない。


 「第六中隊の第三小隊という言葉に聞き覚えはあるか? モース。フリッツ。ロドニー。リーチ。ロベール。ミラー。エルツ。これらの名前には?」


 シュルツは暫く考え込んだ。救いを求めるように護衛たちに視線を向けたが、そちらはまだ倒れたままだった。


 「その、もう少し詳しい話を伺ってもよろしいでしょうか」

 「サルタナ軍の部隊名と、そこに所属していた人員の名前だ。ここ──カルマムルではない。行方を追っている」

 やはりシュルツは首を横に振る。

 「申し訳ありませんが……」

 「そうか」


 アシュレイの素っ気無い態度──もとから期待などしていなかったためだが──を落胆と取ったシュルツが慌てて取り繕う。


 「何か分かれば必ず伝えます。いま、どちらにご宿泊なされているのでしょうか」

 「僕を紹介した者に伝えれば届く」


 自分の居場所を教えるような愚をおかすつもりはなかった。狩人としては半人前以下の行為だ。仲介人とのやり取りにしても間接的な連絡手段を設けている。


 「すぐに調べ上げてお伝えします」

 「待っている。それともうひとつ。これからサルタナに向かおうと思っている。なにか行きがけに稼げるような、都合のよい仕事を用意してもらえるか」

 「それでしたら、すぐにでも」

 「もういいな?」


 アシュレイは相手の反応を待たずに自分の得物を引っつかんだ。手早く腰に戻しながら部屋を後にする。

 外には騒ぎを聞きつけた人でごったがえしていた。その中にはボダンの顔もある。彼の行く末は想像に難くない。


 「やめろ! 手を出すな!」


 シュルツが叫び、苦しそうにあえぐ。人垣が二つに割れた。通る際に引っかけようと伸ばされた誰ぞの足を蹴って二つに折る。叫び声。「やめろ! やめろ!」シュルツの悲鳴のような制止の声。


 商会支部は騒然となっていた。外に出て少し離れた位置を歩いていてもそれが聞こえてくる。奇跡を使うまでもなかった。「人を呼べ、本棚をどかせ」「骨が見えてる」「畜生、殺してやる」「落ち着け、まずは医者だ」


 アシュレイは知覚の可能な範囲を広げたまま移動を続けた。あてもなく街中を歩いていると、目の前に丁度よい立地の店が現れたので、足を踏み入れた。


 刃物を専門に扱う店のようだった。棚に陳列された品々は玉石混合だ。

 店主の視線や舌打ちに気付かぬふりをしながら、狭い店内をぐるぐると回る。一刻ほど商品を眺め続けた。入り口から店内に向けられる視線、周囲の音を観察し、尾行や監視の類が派遣されていないことを確信する。最も安い品のうち、一番頑丈そうなものを選んで迷惑料の代わりに購入した。

 また歩く。次は本屋に入った。

 紙の匂いに心地よさを覚えながら店内の二本の通路を行き来する。何冊か試し読みした。やはり、万引きを警戒する店主の視線以外には何も感じない。ひとまずの安全は確保できたと考えてもいいだろう。手に取った中から、なんとなく選んだ一冊を購入して店を出る。


 大きな街だった。アシュレイの持つ古い安物の地図にさえ大きく名前が記されているほどだ。周辺からは安寧と商機を求めて人が集まってくるらしく、どこへ行こうが人の気配、臭い、生活音があり、眩暈がするほど様々な物で溢れ返っていた。

 しかし、離反者は見つからない。

 今回の依頼を受けた理由にしてみても、調査という行為が渡りに船だったからに過ぎなかった。仕事のかたわら、またその過程で目標が見つかることを僅かながら期待していた。結局、空振りに終わる。いつものことだった。


 《不遜の罪を疾く贖わせよ》

 狼のうなり声。


 「喧しい」


 苛立ちのあまり声が出ていた。通行人が振り返る。怪訝そうにアシュレイに目を向ける者もいたが、素知らぬ振りをしてそれをやり過ごした。足を速めて人の間を縫い、何度も不要な右左折を繰り返して仮のねぐらに戻った。

 年月で薄汚れた、淡い黄色の漆喰壁の質素な建物。これといって目立つ部分のない外観をした宿だが、ひとつだけ特徴があるとすれば、それは利用者が極少数という点だ。アシュレイはそれを理由にここの一室を借りていた。


 逃げ込むように自室に戻ると、靴を脱ぎ捨て、短剣を手の届く位置に置き、寝台の上で丸くなった。薄い毛布を引き寄せて頭から被る。

 不意にこれまでの旅路が思い起こされた。故郷を出て、声に急き立てられるままにふらふらとさまよい、その日暮らしを繰り返して気付けば知らぬ国の見知らぬ土地にいる。放浪するのは構わなかった。帰る場所などない。だが、首輪と縄をつけられ、鼻面を引き回されるのは我慢がならなかった。


 神の声は探せとのたまう。理性は馬鹿馬鹿しいと言っている。身体は心臓を掻き毟りたいほどの焦燥に苛まれている。


 自分の有様を皮肉って嗤えるほどアシュレイの人格は年齢を重ねていなかった。惨めな気分から顔を背けるために目を瞑り、故郷のことを思い出した。消えた父。死んだ母。足を滑らせた間抜けな兄。やがて体から力が抜け、すぐに眠りはやってきた。

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