2-1
油断のならない仲介人であるマクディーアから呼び出しを受け、アシュレイ・リンドナーはとある料理屋の奥まった個室で仕事の依頼人と引き合わされることになった。
部屋の入り口で依頼人を観察する。分厚い胸板。角ばった顔。節くれだった指。堅気には見えない。
「思っていたよりもずっと若いな」
「そうか」
アシュレイは短く答えて席についた。しばらく無言で向き合い、相手の出方を窺っていると、好きなものを頼めと言われた。遠慮なく高いものから順に五つを注文する。
運ばれてきた料理を何ら気兼ねすることなく口に運ぶ。依頼人はそれを渋い顔をして眺めながら、あらぬ方向を指さした。
その先、格子と観葉植物の葉の隙間からは店の入り口が見える。そこには今しがた店に入ってきたと思わしき若い男が立っており、隣の女に対してにこやかに声をかけているところだった。
年のころは二十台の前半、下がった目じりと浮かべた笑顔から、やや頼りないが優しげな印象を受ける。女たらしの類だろうとアシュレイは推察した。
依頼人がテーブルに身を乗り出し、小声で告げた。
「奴の行動を確認しろ。誰と会い、何を話したか。あるいは何をやりとりしたか。可能な限り見聞きして俺に伝えろ」
「期間は?」
「ひとまずは半月。報告は三日おきにしてもらおう」
「欲しい情報について教えてもらえると仕事がやりやすいが」
「余計な詮索は無用だ。知りえた何もかもを報告しろ」
譲る気配のない声音。「分かった。報酬は?」
「一日につき銀貨二枚」
そっぽを向いて少し考えてみせると、依頼人は溜息をついた。「報告を聞くついでに、また何か奢ってやる」
アシュレイは頷き、魚料理をきれいに骨だけにしてから立ち上がった。
何気ない足取りで件の男のそばを通り過ぎる。その際、臭いと声を記憶した。連れの女がボダン、と呼び掛けていたのもそこに付記する。
店を出たアシュレイは早速仕事にとりかかった。間違っても相手の視界に入らないように、まずは距離をとる。家屋三軒分。人がいない路地を選んで佇み、神気の残量を確認する。ここ暫くは消費を控えていたはずだったが、その量は心持ち増加しているといった程度でしかなかった。
信徒を経由して収集された星髄を原料とし、神の御業によって神気は生成される。少し前までは僅かずつではあっても供給されていたが、今は完全に停止していた。
つまり神はいま、困窮しているのだ。もしかすると身銭を切っているのかもしれない。アシュレイは愉快な気分になり、思わずほくそ笑んだ。声を上げて笑おうかとさえ思った。
仕事の途中であったことを思い出す。気を取り直し、ほんの僅かな量──平静を保てる範囲内で神気を消費した。
奇跡を起こす。聴覚の鋭敏化。
周囲から様々な音が流れ込んでくる。通りの雑踏の喧噪。民家の中から響く赤ん坊の鳴き声。それらの中から目的のものを探した。ドブの中に落とした貴重品をすくい上げるような作業。それほど騒がしい店でないのが幸いし、ボダンが女にささやきかける声を拾うことに成功する。
他愛のない世間話。
店への当たり障りのない感想と、相手の身なりへの賛辞。とりとめのない話に辛抱強く耳を傾けてからの柔らかい同意。初めの印象は間違っていなかったようで、女は同僚のやらかしたへまや自分の失敗談を面白おかしく話すボダンの語り口にすっかり聞き入っていた。
食事と歓談が終わり、会計を済ませて二人が外へ出る。依頼人は裏口からとっくに店を去っていた。アシュレイは足音と体臭を頼りに目標を追跡する。
人の流れから外れて辿り着いたのは瀟洒な造りの一軒家だった。女が鍵を開けてボダンを招き入れたことにより、彼女の持ち家であることが分かった。わずかなやり取りのあと、間もなく房事が始まる。
翌朝、ボダンは女の家から直接、仕事場へと向かった。
そこは大きな商会の支部だった。リカード商会。近隣の元締めのような存在だ。監視を続けていると、先日の依頼人の姿もあることに気付く。
状況が理解できてきた。内部の監査の一環。あるいは醜聞により同僚の足を引っ張ろうと画策している。先日の依頼人の臭いからは、そのどちらであるかは判断がつかなかった。
ボダンはその夜も先日と同じような行動をとった。ただし、別の女と。
交友範囲は広く、通常の業務を終えたあと、自宅に真っ直ぐ帰ったことは一度たりともなかった。だが職場の人間とつるんでいるということもない。女の家、仮の借家と思わしきいくつもの住宅、会員制の遊技場、様々な場所を使って人と会っていた。
アシュレイはそれを遠巻きに観察した。いずれも足を踏み入れる必要すらない。周囲を歩き回りながら会話を聞き、近くに喫茶店でもあれば一服しながらそれを行う。いつ、どこで寝起きし、誰と何を話し、どんなやり取りを行ったのか、見聞きした情報を包み隠すことなく報告した。監視期間延長の申し出があり、それを受諾する。
彼には何人もの女がいたが、そのくせ一番多かったのは二回りほど年が離れていると思われるハワードという強面の男との密会だった。男色の気もあるというわけではない。ハワードと会うとき、監視対象は常に怯えていた。
密会場所に辿り着くまでの足取りは明らかに他のそれとは違い、人目のつかない路地、店の裏口を利用することが多かった。
やれ、という声。できません、という声。やれ、という声と、何かを強く叩く音。物が壊れる音。すすり泣く声。
聞こえてくる会話の内容から事のなりゆきを推察する。低品質、または要求された数を満たしていない商品を納入し、正規の値段で販売する。浮いた差額は両者で分配。加えて商会の倉庫や販売経路を利用して禁制品をさばいている。
報告書に記載する。
もう許してください。人の女に手を出しておいてそれで済むと思っているのか。感づかれています。今さら抜けられるわけがないだろう。殴る音。倒れる音。うめき声。泣き声。
アシュレイはこれといった感想を抱かず、全ての会話を書き写した。商いの機微など知ったことではないため、全てをありのままに。過大な成果を仄めかしもしない。監視対象を脅して余禄にあずかろうとも思わない。
「もう調査は結構だ」
その晩、食事をしながら報告書を眺めていた依頼人が言った。
「お役御免か」
「十分に働いてくれた。最後に特別な支払いをしたい。明日、日が高いうちに商会に出向いてくれ」
どこの、とまでは言わなかった。




