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war game  作者: ウンコマン
GlitchMan
29/30

9-6

 火の粉が舞っている。生木が音を立てて燃え盛り、もうもうと白い煙を上げて視界を塞いでいる。突如現れた猛火は全てを赤く塗り潰す勢いで広がり続けている。

 その光景に、イリアがこの夜はじめて焦りを表面に出した。背を向け、火の手から逃れるように走る。なりふり構わずといったその足取りに、今まで見せていた余裕など微塵も感じられなかった。

 

 アシュレイが追う。走りながら矢を番え、衣服がぼろぼろになって剥き出しになった手足に射掛ける。もはや防ぐことすらできないのか、その全てが命中した。しかし貫けない。皮膚を突き破ったところで硬質の音を立てて弾かれる。

 

 逃がすつもりなどなかった。山林を突っ切って先回りし、迫りくる炎と自分自身とでイリアを挟み込んだ。

 一瞬の対峙。背後に物音と気配を感じたアシュレイは素早く前に出た。後ろから襲いかかろうと草陰から生え出ていた獅子の前足を上着の端に掠らせながらイリアの懐に飛び込む。

 横薙ぎに振るわれるイリアの腕を屈んで避けながら、逆手に持ち替えていた短剣を通り過ぎざま脇腹に滑らせる。これも皮膚だけしか傷が入らない。接触箇所から広がろうとした氷も、傷口から滲み出てきた黒い何かに食いつぶされた。

 

 イリアが逃げる。炎から遠ざかる。アシュレイは即座に反転し、一足飛びでその背中に肉薄した。その流れる栗色の髪に腕を伸ばして地面に引きずり倒す。髪を引っ張り、相手の動きを封じて首に一撃──腕を交差して防がれた。

 つまりはここが急所。

 続けざまに突き入れる。二撃目。三撃目。四撃目が腕の脇を抜けて首筋を抉った。狼がアシュレイの口角を吊り上げる。

 そのせいで回避が遅れた。抉った傷口から吹き出た黒い泥のようなものがムカデを模って逆にアシュレイの首へと伸びていた。

 

 腕を盾にする。

 ムカデの顎は上着に仕込んでいた帷子を砕き、骨ごと腕を切り裂いた。イリアの髪から手を離して仰け反っていたこともあり、完全な切断は免れる。アシュレイは後ろに倒れ、しかし表情を変えずにすぐさま立ち上がった。動かなくなった腕から血が流れ、弓が落ちる。苦痛は無い。闘争心と怒りが痛みを完全に忘却の彼方へと追いやっていた。

 

 イリアも既に背中を向けて走り出している。首のムカデは炎に照らされて既に崩れ去っていたが、傷口を覆った泥はそのまま残り、ぼこぼこと泡立っていた。

 

 片腕をだらりと下げ、アシュレイは再生を待たずに追う。

 再度の接敵。唐突にイリアが振り返り、引き倒された際に手に握りこんでいたものをアシュレイ目掛けて投げつける。

 砂の混じった土──目潰しをやり返される。咄嗟には避けきれず、片目の視界を潰されてアシュレイはたたらを踏んだ。

 

 逃げても追いつかれると悟ったイリアが、ひるんで足を止めたアシュレイに襲い掛かった。喉首を掴み、握り締める。イリアの首の泥から今度は大蛇が生え、無事な方の眼球を抉りにかかった。

 アシュレイは大きく開いた蛇の口に短剣を差し込んで上半分を切り飛ばした。喉を締め上げる手を逆に掴み返し、引き込むように後ろへ倒れ、下になった状態から両足を揃えての蹴りを腹部に見舞う。

 

 飛び退って距離をとり、目を擦って次の攻撃に備える。そして、アシュレイは眉をひそめた。

 イリアが膝立ちのまま呆然と遠くを見ている。その瞳にはゆらゆらと揺れて輝く朱色が映っていた。はっとなって辺りを見回す。いつの間にか周囲を炎に取り囲まれていた。

 炎の壁はごうごうと音を立てて勢いを増している。アシュレイはあちこちに視線を走らせて抜けられそうな箇所を探したが、隙間などどこにも見当たらなかった。

 

 あのぼんくら──。

 

 思わず口から出かけた罵声を飲み込んだ。火炙りになりながら走る抜ける覚悟を決めていると、不意に胴体を巨大な手で鷲掴みされたような感覚に襲われた。アシュレイは困惑から思わず自分の体を見下ろし、体を触って異常を確認する。

 イリアの仕業かと思い、咄嗟にそちらの方へ目を向けた。だが、呆けたように揺れる炎を眺めるばかりで、何かした様子には見えない。夜色のドレスはすでにあちこちが崩れ落ち、もうほとんど何も身に着けていないような状態だった。

 

 「そのまま身を任せろ」

 

 頭上から声が降ってきた。あの白い女の声。じきにアシュレイの体が吊り上げられるように浮かび上がる。

 

 唐突にイリアが我に返り、立ち上がって走り出した。ゆっくりと垂直に浮き上がるアシュレイを目掛けて。その足を掴むべく前に手を伸ばす。

 

 アシュレイは素早く短剣を投擲した。イリアに対してではなく、二人の間にある地面に向けて。大地に突き立った短剣が瞬時にその周辺を凍らせた。そこに踏み込んだイリアの素足が氷に張り付き、足を取られて膝をつく。

 空を見上げるイリアと視線がぶつかる。その姿が小さくなる。赤く塗りつぶされる。

 

 アシュレイは眼下の光景を見下ろして冷や汗をかいた。上から見たそれは壁などではなかった。炎は辺り一面を覆いつくし、集落の何もかもを、周囲の山林ごとまとめて焼き尽くす勢いだった。

 

 じりじりと範囲を狭めて圧縮されていく炎の中で、ただひとり取り残された人影が喉元を押さえてのたうち回る。出口を探してさまよう。しかし炎は収縮して密度を増しながら半球状の形を取り、イリアを中心にして動き回った。まるで移動する檻のように中の獲物を捕らえて離さない。そのえげつなさに思わず不快感が沸いた。

 

 炎は人間大に、こぶし大になり、やがては灰を残して全てが消え去った。

 

 アシュレイの体が支えを失って落下を始める。体勢を整えて両足を揃え、着地の衝撃を転がって緩和した。

 立ち上る白煙と熱気に顔をしかめながら、少し前まで自分が立っていた場所を探した。煙に視界だけでなく鼻も潰されているせいで目当てのものを見つけだすのに随分と時間がかかってしまった。

 

 柄の部分は全て燃え尽きていたが、あの炎に舐められてなお、地面に突き立った刀身は白く輝いていた。曲がりなりにも神──狼の執念はびくともしない。

 それを摘まんで鞘に入れ、革帯の小物入れから包帯を取り出した。再生が追いつかずにまだ動かない片腕の代わりに端を口に咥え、鞘をぐるぐる巻きにして蓋をする。弓の方はついぞ見つからなかった。出来もよく手に馴染んだものだったが、所詮は何の加護もないただの木と獣骨の塊でしかない。

 

 「やあ、無事かね」

 

 風で煙を吹き飛ばし、白い女が淡紫の髪をたなびかせながらやってきた。

 

 「一応は、礼を言っておこう」

 「それはこちらもだ。相身互いというやつさ。どれ、そいつの処置をしよう」

 

 そう言ってアシュレイの腕の怪我を指差す。

 

 「先に色々聞かせてもらおうか。まずはあんたの素性だ」

 「エシオン・ユーリィという。以後お見知りおきを」

 

 女が胸に手を当て頭を垂れる。世情に疎いアシュレイにさえ、その名前には覚えがあった。

 

 「ユーリィ氏族?」

 「いかにも、アシュレイ・リンドナーくん。いや、さん、の方がよかったか? 驚いたね、報告では少年とのことだったが、会ってみれば綺麗な顔をした女性ではないか。いくら男の格好をしているとはいえこれに気付かないとは、世の男どもの見る目が心配になってくるな」

 

 鬱陶しい世辞をアシュレイは無事な方の手を振って遮った。

 

 「好きに呼べばいい。それで、奴は死んだのか?」

 「では親愛を込めてアシュレイと呼ばせてもらおうか。ウルの使徒、女の方なら、その通り。やつは都度名前を変えて長年各国を渡り歩いていてね、行く先々で死体を作っては姿を消すという厄介な人物だった。札付きで、かつ折り紙つき、というやつだ。それゆえ与しやすい相手ではなかっただろうに、お見事だ」

 

 送られた拍手をアシュレイは無視した。「どうやら事情に詳しいようだが──そもそも、なぜ僕の名前を知っている?」

 「そういうのを生業にしているからだな。正面から戦争を仕掛けてくるならともかく、ああいう所在が不明で規模も定かでない勢力が人知れず浸透してくるのは思いのほか厄介なもので、だから諜報機関なんぞが必要になるし、そういったわけで色々と網を張っているということだ」

 「例えば、マクディーアという仲介人?」

 

 エシオンの口元が好意的に歪められる。

 

 「ここへは何をしに来た? その生業とやらで、あの女を追ってきたのか?」

 「いや、それに関してはまったくの偶然だ。ああ、そう睨むな。個人的な思惑が大半、残りが別件の仕事だ。つまりは、まあ、あれの様子を窺いに来たというわけで」

 「あれ、ね」

 

 エシオンが視線を投げた先には、好き勝手やった挙句に気絶して倒れたゲインの姿がある。切断されていたはずの腕はいつの間にか元通りになっていた。

 

 「さっきのあれは何だ。不具合だったか? いくら何でもあれが少しおかしいことくらいは僕にでも分かるぞ」

 「うちの神様は何かと意欲的でね。新しい戦争のやり方を色々と模索しているんだが、試行錯誤の最中にできた試作品といったところだな。恐らく君が考えている通りだろうが、詳しく知りたければ本人に聞くといい。だが、あまり他言はしてほしくないな」

 「それは警告か? それとも忠告か?」

 「いや、言葉通りの要請だよ。頼むこの通りと頭を下げているのだ」

 

 エシオンは指を半ばまで隠す袖の裏で口を綺麗に吊り上げる。こういう手合いは反応してやると余計に戯言を繰り返す──アシュレイは取り合わずに話を進める。

 

 「頼まれているのであれば、見返りが欲しいところだな」

 「なるほど、道理だな。私にできることであればいいが」エシオンがにんまりと笑う。

 「スライフという神を知っているな?」

 「もちろん」

 

 些細な変化も見逃さないつもりでアシュレイは注視していたが、相手の態度は明快だった。ごまかそうという素振りさえなかった。

 

 「そこから転向した者達がいる。そいつらの情報を集めて僕に渡せ。あんたが本当にユーリィ氏族ならば訳はないはずだ」

 「目的を聞いてもいいかね?」

 「見つけて殺す」

 

 アシュレイが端的に答えると、ほう、と楽しげな声が上がった。

 

 「もしもの話だが──もし、彼らが正規の手続きに則ってサルタナへの転向を済ませていた場合、現在の帰属先の国民という扱いになる。それを法的な根拠もなく殺すというのは、当該国家では当然ながら犯罪行為になるわけだが、そこのところは理解しているかね?」

 「もちろんだ。それがもし露見すれば大事になることくらいは承知している」

 

 エシオンは声を上げて笑った。「請け合おう。追って連絡を寄越す。ちなみにこちらからも要求があるのだが、いいかね?」

 「今ので貸し借りは相殺されたはずだが、僕がそれを聞いてやる義理はあるのか?」

 「有益であることは間違いない。この状況をよく見てみたまえ」

 

 刮目しろと言わんばかりに両手を広げる。煤になった家屋の残骸。とばっちりで未だ燃え続ける山林。それと恐らくは焼け残った死体。それらが目に入った。アシュレイが苦々しい顔をして腰に手を当てた。

 

 「さて、この状況下で君たちだけが街に戻った場合、いったい周囲からどう見られるのだろうね? あらぬ疑いをかけられないよう弁明してくれる者が必要ではないかな? しかもその人物に社会的地位があればなおのこと好都合だと愚考する次第だが」

 「さっさと本題に入れ」

 エシオンがにんまりと笑う。「なあに、そう大したことではない。暫くゲインのやつに付いていてやってはもらえないか? どうにも面倒に巻き込まれる性質のようで、今後もこういったことが起きないとも限らない。私もこれでいて多忙な身ではあるので、常に張り付いているわけにもいかんのだ。別にお守りをしろと言っているわけではない。鬱陶しく塞ぎこんでいたら尻を蹴り飛ばすくらいでいいのだ。私と違って君はそういうのが得意そうだ」

 「あまり期待はするなよ」

 

 アシュレイは怪我をした腕を差し出した。エシオンがそっと手を当てる。すぐに痛みがひいていくのを感じた。

 

 「しかし、随分と気にかけているようだな」

 

 アシュレイはうつ伏せで倒れたままのゲインに目を向けた。夢見が悪いのか、ときおり苦しそうに痙攣している。

 

 「まあね。なにせ奴はゲームの主導権が信徒側に移ろうとしている、これ以上ないほど分かりやすい兆しなのだからな。なんだか手が届きそうな気がしてくるじゃないか、ええ? しかし皮肉な話だ、生存競争であるため仕方のない部分はあるのだろうが、退くに退けなくなって過当競争をやったせいで逆に苦境に陥るというのは」

 「お喋りな女だな。あんたは誰にでもそうやって訳の分からないことを捲くし立てているのか?」

 「おっと、すまないね。なにせうまが合いそうな人物に出くわすのも久しぶりなもので、ついはしゃいでしまった」

 

 治療の手が離れる。骨は繋がり、皮膚の裂傷も跡形も無く消えていた。恐る恐る腕を回し、ゆっくりと手を開閉する。痛みもなく、動かすことに支障はなかった。

 

 「とても気が合うとは思えないが」

 「そうかい? お互い、頭を押さえつけられて難儀しているわけだろう? 共通の話題には事欠かないと思うがね」

 

 口を開きかけたアシュレイをよそに、エシオンはさっと踵を返して手を振った。

 

 「それでは失礼するよ。あとはこちらでうまいことやっておくから、ゆっくり戻ってくるといい」

 

 白い後ろ姿がまるで空気に溶け込むように消える。アシュレイは溜息をつき、気絶したゲインを引きずって休めそうな場所を探した。集落──だったもの──の外れまで歩く。火の手が届かなかったのか、その辺りの木はどれも無事だった。その中の一本に背中を預け、ずるずると地面に座り込む。

 

 遠くではまだ残り火が揺れていた。眺めていると、段々と意識が朦朧としてきた。腕を枕にして横になる。

 ここ最近の出来事に思いを馳せる。様々なことが起こった。前進したような気もするし、目的が遥か先に遠のいたようにも思える。疲れのせいか、少なくとも惨めな気分ではなかった。

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