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war game  作者: ウンコマン
GlitchMan
23/30

8-2

 「さて、どうする? 具体的には行くか行かないか、という話だが」

 

 アシュレイがいった。ゲインが渋面をつくって顎をさする。

 

 「そっちはいいだろうが、俺はあんなもの避けられないぞ」

 「間近で見た限りだが、あの妙な黒い生き物、のようなものは、影からしか出てこなかった。光に弱いようで、日光を浴びるとすぐに塵になっていたよ。寧ろあんたと相性が良さそうだがな。得意だろう、ギラギラ光らせるのは」

 「人を金物か何かみたいに言うなよ。しかし、影ねえ。とりあえずは慎重にいきたいところだが──」

 

 言いかけて、ゲインが眉根を寄せる。アシュレイには、よりはっきり見えていた。接近してきた正体不明の存在に気付き、攻撃を加えたような人物が次に何を考えるか。しかもそれが脛に傷を持っていることを自覚しているとなれば、当然の行動でもあった。

 油で光る不潔な蓬髪に薄汚れた衣服をまとった男が、肩にぼろを着せられた裸同然の女を担いで歩いていた。民家のうちの一軒からドアを蹴り開けて現れるなり、周囲の山林へ向かってのろのろと進んでいる。

 逃亡。姿をくらまそうとしている。こちらの選択肢としては、追うしかない。

 

 「先に行く」

 

 アシュレイはそれだけ言い残して走り出した。盆地の端を迂回したりはせずに、姿を晒して突き進んだ。

 幸いにも敵の足取りは重く、十分に補足は可能だった。この期に及んで女を連れいるせいだ。強い侮蔑の念が沸き起こる。

 

 進路をまっすぐには取らない。影から距離を取るため民家を大きく回り、不規則に蛇行して狙いを定められないように動く。まるで見当違いの方向に突き出た黒く尖った何かを尻目に、アシュレイの足は更に加速した。種が割れていればあしらうことは不可能ではなかった。

 距離がつまる。女に矢が当たる可能性を懸念し、短剣を抜いた。あとどれほども必要ない。もう少しで刃を突き立てることができる距離だった。

 しかしそこでようやく、何故男が外に出たか、その本当の理由を知ることになった。急に陽の光が遮られ、辺り一帯が影で塗りつぶされていた。


 風に流された足の速い雲によって、太陽が覆い隠されていた。


 誘い出されたことを理解したときには既に遅く、無数の小石を投げ入れられた水面のように、地面の上の影のそこらじゅうに波紋が広がっていた。

 それが悪手であると分かっていながらアシュレイは反射的に上へ跳んだ。その高さは大の大人の頭の高さをゆうに超えており、地面から飛び出した無数の魚の群れはその足を掠めることも出来なかった。だが、すぐに跳躍の頂点を過ぎて落下が始まり、それを狙って次の波紋が広がる。


 空いた手で背負った短弓を掴み取り、短剣と交差させるようにして前に構えた。できるだけ体を丸めて的を小さくし、致命傷を防ごうとする。

 男の下卑た笑み、黄ばんだ歯が目に映った。手足、いや、片手片足さえ無事ならば次の瞬間には殺せるはずだと焦燥を静かに怒りに変える。


 覚悟していたものはこなかった。雲は未だに頭上を漂っていたが、アシュレイのすぐ上で、無数の光の球が眩く輝いていた。たっぷりと光を浴びせながら、網目状に交差して高速で飛び去っていく。影が薄れ、今にも飛び出ようと頭を見せていた黒い何かはいずれも塵になって消えていた。

 アシュレイは胸中で賞賛を送る。

 

 《威を示せ》

 

 一足飛びに間合いを詰め、伸ばされた腕をかいくぐって鎧の隙間から男のわき腹に短剣を刺し入れた。顔を引きつらせ、か細い悲鳴を漏らしてよろける男を見て、狼がアシュレイの口元を笑みの形に捻じ曲げる。

 

 巻き添えで凍りつく前に女を奪い取り、無造作に地面へ横たえた。男の体は既に刺した箇所から霜が広がり始めている。

 短剣を引き抜き、腕を切りつけ、顔面ごと目を縦に割り、切っ先を膝に突き立てる。恐慌状態に陥った男が悲鳴を上げるために喉を震わせようとするが、既にいたるところが凍り付いており、それすらかなわなかった。

 

 男が地面に倒れる。その衝撃であちこちにひびが入った。アシュレイはゆっくりと近づき、冷や汗をかかされた憂さを晴らすように頭を、胴を、腕を、足を、それぞれ念入りに踏み砕いて塵にした。

 

 獣性の発散を終えると、無様な行いを恥じ入るように深呼吸を繰り返した。頭が冷えてきたところで女の安否を確認する。

 息はある。だが、その姿は見るも無残なものだった。服はところどころ引きちぎられ、露出した部分にはひどい痣がつけられている。よく見れば人の手形をしていることが分かる赤黒のそれは、彼女がどれほど乱雑に扱われたかを示していた。栗色の髪に艶はなく、頬はこけ、体のあちこちに乾いた男のものがこびりついていた。元の器量が良いことが見て取れるだけに余計に痛ましく見える。

 

 「無事か?」

 それはどちらに向けられた言葉だったのか、小走りでゲインが現れた。

 

 「見ての通りだ。首尾は上々、と言えるかどうかは難しいところだが」

 

 何か着せるものはないかと口を開きかけ、ゲインの様子がおかしいことに気付いた。女の姿を見るなり、口を半開きにして硬直していた。鼓動と呼吸が乱れている。

 

 「どうした? 不幸な女の姿がそんなに珍しいか?」

 「いや……なんでもない」

 

 とてもそうは思えない台詞をはいて、ゲインは首筋の汗を拭った。それきり口をつぐむ。

 まあいいと不可解な態度に対する疑問を頭から追いやった。踏み込まれたくない領域など誰にでもあって当然だ。

 

 「さっきは助かった」

 

 礼を言うと、ゲインは視線をさまよわせ、「そうかい」とだけいって頭を掻き毟った。

 野営用の毛布は集落に置いてきている。アシュレイは上着を脱ぎ、女に着せた。帷子が仕込んであるため重いかもしれなかったが、肌をさらしておくよりはましだろうと考えた。

 

 「そっちの身動きが取れたほうがいいだろう」ゲインが女を背負う。

 「そうだな」

 

 念のため他に生き残りがいないかを確かめたが、腐りかけている元の住民と思わしき死体しか見つからなかった。祈りを捧げた後、帰路につく。

 

 

 ***

 

 

 「随分と心配しているようだな」

 

 日が傾きかけ、ようやく集落が見えるか見えないかのところまで戻ってきたとき、後ろでぜいぜいと息を荒げるゲインに向けてアシュレイがいった。

 よほど気になるのか、道中、何度も何度も背負った女に視線を向けていた。

 

 「おかしいか? この有様だ、気にもなるさ」

 「そう深刻そうな顔をするほどのことでもないと思うがな」

 「言い切るねえ」

 

 多少むっとした様子だったが、発言の根拠については興味をそそられたようだった。足元に絡みつく草を鬱陶しそうに踏み潰しながら目を向けてくる。

 

 「つまらない不幸自慢だ」

 「別に構わんよ。ちょうど暇だからな」

 

 アシュレイは背負われている娘を眺めた。ここまでの道のりでもなすがままの状態だった。足取りに合わせて揺られるばかりで、視線はいまだにうつろ、口は微かに開いたまま動かない。

 

 「僕の故郷はあの集落と似たような状況だった。色々と努力はしたが、前の冬を越えることができたのは僕以外にいなかったよ」

 

 裕福とは程遠く、痩せている上に険しい土地柄のため農耕では十分な食料を得ることができない山中の寒村。地理上の問題から街と街との中継地点としても成立しない。代々、狩猟や山の植物の採取、そして出稼ぎによってそこでの生活は成り立っていた。収入は安定しているとは言いがたいもので、決められた税を納めるだけで精一杯といった有様だった。

 しかし、それを不幸だと感じたことも無かった。それが当たり前だったのもあるが、いま思い返しても必要なものは全てそこに揃っていた。とりあえずの安全、飢えに苦しまない程度の食料。特に手厚かったのは教育で、読み書きや計算に加え、獲物の見つけ方、追跡のこつ、逃走において注意すべき点、罠の仕組み、世の習俗、物心ついた時から両親には様々なものを教え込まれた。


 その平穏がぎりぎりの均衡の上に成り立っているものだと気付かされたのは、戦争が始まってからだった。戦況が悪化したという理由で普段徴兵に送り出している以上に村の男手が取られることになった。

 後を頼むと言い残し、父は戦争へ行った。

 アシュレイは奮起したが、しかしあっさりと生活は傾いた。自身の未熟もあったが、働き手の数自体がまったく足りておらず、残った人数では村人全員を食わせることはできなかった。

 父を含む、戦場へ行った男たちからの手紙が送られてきた。近況と、誰それが戦死したとの報告。返事で窮状を訴えたが、それが聞き届けられることはなかった。やり取りの間隔は段々と長くなっていった。

 

 無理をした数少ない大人が山で滑落してからは更に状況が悪くなった。まずは満足に体を動かすことができない老人が、次に自ら獲物をとれない子供が、それから生まれつき体の弱い人間が、順に死んでいった。

 病床の母の顔色は悪く、寝台に横たわる身体は枯れ木のようにやつれ、呼吸によりほんの僅かに胸が上下していなければ死体と見紛うほどだった。しかし、母はその状態においてもなお他者への思いやりを優先するような、優しく厳しいひとであった。野鳥を捕って帰ってきたアシュレイに向けて、隣の家の子供たちにわけておあげなさい、そう、ほとんど聞き取れないような声で呟いたほどだ。隣の一家は既に全員が死んでいた。

 

 村人たちがひとり、またひとりと減っていく。男達からの連絡は途絶えて久しい。

 

 教育により正しく知性を獲得していたアシュレイは、もはや彼らが戻ってくることはないと直感していた。怒りは無い。彼らが取った行動に対して理解を示すことすらできた。

 要は、無能だったという話だ。このようにやせ細った土地しか残せない先人たち、そのような場所にしがみ付いて干からびていく村民たち。自分もそうであることを否定するつもりは無かったが、それを率いていたプレイヤーこそが、その最たるものであることは疑いようのない事実だった。

 愛想を尽かすのも無理はない。

 

 最後の一人となって初めて迎えた朝、村の家々を回って土を掘り起こせそうな金属器をかき集めた。その途中で見つけた遺体は十三。その全てを墓所まで運ぶのにはひどく苦労した。

 開いた場所に農具を突き立て、地中の硬い岩にあたればつるはしで砕き、掘り返し、使い物にならなくなった道具を取り替え、木こり用の斧、山道を掻き分けるための鉈まで使って数日かけて地面に大穴を空けた。そうしてできた墓穴にまずは母の遺体を、それから放置された他の亡骸を並べて埋葬し、今度はその姿が見えなくなるまで掘り起こした土を被せ、数日、けじめとして掟と習慣に従い喪に服した。



 「故郷は捨てた。維持できないものに拘泥していても仕方がないからな。それからも碌な目には遭っていないし、苦労のし通しだ。ああ……何が言いたいかというとだな、それでも僕はいま、それなりに何とかやっている、ということだ。彼女だって、どうにかこうにかやるだろうさ」


 そうするしかないのだから。ゲインは神妙な顔つきをしている。今の面白くもない身の上話を聞いて哀れみに近いものを覚えている。


 あからさまな悪党ではなかった。心根の卑しい人物でもないように思える。しかし、それが必要とあれば、並みの手合いよりよほど上手く悪徳に手を染めてしまえるだろうということは、これまで目にしたものから容易に想像がついた。

 望むところだった。どうせ手を借りるなら、あれくらい度が過ぎていた方がいい。


 「おい」

 「何だよ」


 アシュレイが語気を強めて呼びかけると、相手はぶっきらぼうに応じた。

 

 「僕の仕事を手伝う気はないか」

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