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war game  作者: ウンコマン
GlitchMan
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1-2

 地面を踏みしめる際の振動すら体の芯に響いてたまらなかった。うつむき、通りの壁に手をついて体をささえ、気を紛らわせるために石畳にはめ込まれた石の数をひとつふたつと意味もなく数える。


 気付けば見慣れた景色が目に入ってきた。


 住宅街の隅に差し掛かったところで、寝床である簡素な作りをした長屋に辿り着く。他の住人は寝ているであろう時間帯だったが、足音を殺す気にもならず、ゲインはどたどたと音を立てて階段を上った。


 通路に顔を出すと、自分の部屋の前に見知らぬ男が立っているのが目に入った。


 いささか頭髪の薄く、柔和といってよい顔付きをした中年の男だ。こちらに気付き、笑みを深くして頭を下げる。


 「失礼かとは思いましたが、ここで待たせていただきました」

 「どちらさん? もしかして面識が?」


 疲れきって記憶を探る気にもならず、ゲインはぞんざいな口調で尋ねる。


 「いえいえ、今回が初めましてになります。わたくしヤーコブと申しまして、クライン氏族の代理人をしております」


 氏族。嫌な予感がして背筋に冷たいものが走る。思わずよろけて壁に手をついた。ざらざらとした漆喰の感触。朦朧としていた意識が一瞬で覚醒する。


 「仕事のご依頼です。とある都市で労働団体の抗議行動が激化しておりまして、抑え込みにご助力を願えないかと。こちらをお受け取りください」


 そう捲くし立て、蝋で閉じられた封筒を取り出した。半ば押し付けられるようにして手渡される。

 ずっしりとした感触──手紙にしてはやけに重い。


 「依頼主からです。事態が収拾したあかつきには、都市警護団の要職の席を用意するつもりであると伺っております」


 気付かないうちに手のひらが汗で湿っていた。ゲインの内心とは裏腹に、ヤーコブは人の良さそうな笑みを顔に貼り付かせたままだ。


 「いや、いったい何がなんだか」ゲインは視線をさまよわせ、戸惑ったフリをしてみせた。疲れをおしてへらへらと笑ってもみせる。「その、何です? これは」


 「心中はお察しします、ゲイナー・アージェント様。ですが、決して悪い話ではございません。一度、中のものに目を通していただけませんか?」


 代理人を名乗る男は安易な同情をしめした。共感的な表情を浮かべている。下手な芝居に付き合う気はないという意思表示。


 ゲインは大きく息を吐いた。自分が出来ることなどそう多くはない。求められるものは更に少ない。


 「労働者を皆殺しにしちゃあ元も子もないんじゃないか?」

 「いえいえ、そこにいて下さるだけでいいのです。団体には退役軍人も多く在籍しておりますので、効果はてきめんでしょう」

 「ひとつ聞きたいんだが」

 「何でしょう?」

 「少し前にいきなり仕事をクビになったんだが、もしかしてあんたがたの差し金か?」


 ヤーコブは眉をひそめ、とんでもないとばかりに両の手を振った。


 「まさか。しかしそれでしたら、まさしく渡りに船なのでは?」


 もし、いまの話にまったく嘘がないとして──受けたとしたらどうなるか。結末を想像した。何もかもが上手くいかなかった場合の。抗議は収まることなく人の波が押し寄せてくる。見せしめに何人か、何十人か、傷つけるはめになるだろう。運が悪ければそいつらは死ぬに違いない。


 馬鹿らしい。


 ゲインは封筒をつき返そうと腕を伸ばす。しかし体が軋んで言うことを聞かず、その動きは非常に緩慢なものになった。相手はそれを否定の意思とは認めず、後へ下がる。


 「連絡先は中に」


 ヤーコブはゆっくりと一礼して歩き去っていった。

 封筒を僅かに突き出した姿勢のままで、ゲインはひとりその場に取り残される。


 そのまま阿呆をさらしているわけにもいかず、鍵を開け、とっとと自分の部屋に入って封筒を放った。足元に転がっていた空の酒瓶を手にとり、口の上で逆さにする。我に返り、瓶も投げ捨てた。硝子の割れる音。


 どうにもまずいと思いながら硬い寝台に身体を投げ出した。目を瞑って眠ろうと努力する。

 しかし、空腹でうまく寝付けない。たびたび目を開いて舌打ちを漏らした。その都度、受け取った封筒とその重さが頭の中に甦った。飢餓感。焦燥。封筒。繰り返される明滅は延々と続く。


 そのうち限界がやってきた。意識が遠のき、ようやく暗い水底まで沈む。そして今度は逃げ込んだはずの夢の中で過去に追い立てられた。


 石畳や石壁に黒い焼け跡の残るハルマーの街並み。焦げてからからになった人間たち。自分が焼き払った者たち。空洞になった目がこっちを見ている。ぽっかりと開いた口からは慟哭が聞こえる。

 そんなつもりはなかった。殺してもいい相手しか殺すつもりはなかった。まさか非戦闘員が残っているなんて思いもしなかった。

 毎夜毎夜許しを請う。考えの足りない俺を許してくれと自らの愚かさをさらけ出す。それでも夢は毎夜毎夜襲ってくる。きっと払った金額が足りないに違いない。


 避難所から這うように逃げ出したゲインの姿を呆然と見つめる瞳がある。黒く変色した煉瓦の家屋の陰から、長い栗色の髪をした美しい少女が顔をのぞかせている。


 生き残り──ゲインは声が出せない。どのような表情をすればいいのかも分からない。そうこうしているうちに少女は背を向けて走り去っていく。追うかどうかを尋ねてくるオットー・マイア曹長の胸倉を掴み上げる寸前で、いつも通り夢は覚める。

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