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war game  作者: ウンコマン
GlitchMan
17/30

7-1

 その男、アドラーは脱走兵だった。

 

 大陸に近い北の寒村の農家に生まれ育ったこれといった取り柄もない平凡な少年であり、横暴な兄には殴られる、要領のいい弟には泣かれると、五人兄弟の三男であった彼はとにかく貧乏くじを引かされることが多かった。

 兄弟からですらその扱いだというのにもちろん親になど逆らえるはずもなく、物心がついたときにはすでに家業の手伝いを日がな一日やらされていたものだった。抵抗する機会に恵まれなかった彼は、忍耐を処世術として学んだ。

 

 十五の時に、義務により兵隊にならざるを得なくなった。

 

 兄弟のうち誰か一人を差し出さなければならなかった。兄たちは今や貴重な労働力であり、弟たちは幼すぎた。家に徴兵法の罰金を支払う余裕はなく、視線と、何気ない仕草──無言の圧力がアドラーに注がれ続けた結果、結局は彼のほうから申し出ることになった。

 

 村人達は総出で無事を祈るための宴を催してくれた。出立の朝、母は不安そうな表情で豪華な弁当を持たせてくれた。父は男の務めを果たしてこいと普段より優しく声をかけてくれた。

 

 しかし周囲の期待とは裏腹に、彼の内心は非常に暗澹としたものだった。同年代の村の子供達とは違い、彼は叙事詩に出てくるような戦争の英雄に憧れるような少年ではなかった。争いごとに対して特段憧れのようなものは抱いておらず、むしろ酒の入った村の大人たちの大げさな経験談や苦労話を聞くにつれ、どこか空恐ろしいものといった印象を覚えるようになっていた。

 

 召集場所として指定された付近の都市の公会堂まで辿り着き、無事に検査を終えると、程なくしてそれが間違いではなかったことを思い知らされた。

 

 体の奥底まで響くような怒声で痛罵される。足腰が立たなくなるまで走らされる。その挙句に自分が吐き出したものの中に倒れこむ。教練中の号令で一人だけ全く逆の方向を向いて頬を張られる。

 逃げ出そうと思ったことなど一度や二度ではなかったが、結局、彼はそれらに黙って耐えた。彼にとって苦難とは耐え忍んでやりすごす以外に対処しようがないものだった。

 

 結果としてそれは一定の評価を得ることにつながる。

 

 アドラーは生来の生真面目さと幼少期から培われた忍耐力により、弱音ひとつ吐かずに兵隊家業に勤しんだ。夜の見張り番では一度として居眠りしたことなどなく、ひとを痛めつけて悦ぶために考案されたとしか思えない訓練においても自分の意思で落伍したことはなかった。

 その努力が教官に、一通りの訓練が終了して国境付近に配備されてからは上官に評価されたときには、義務としてやらされ始めたこととはいえ喜びを覚えたものだった。それが高じて新たな兵科の設立を目的とした新編の部隊の一員として選ばれたときには、彼の胸の内には誇らしさのようなものすらあった。

 

 その命運が急変したのは休戦間際のことだった。数十年は膠着状態となっていた国境線での戦いで、自軍が敵──サルタナ軍を打ち破ったことに起因する。

 理由の一端はアドラーが所属する部隊、魔道兵と呼ばれる新たな兵科にあった。運用され始めて間もなかったが、それらは戦場に少なくない変化をもたらしていた。

 

 戦争とはいかにして神の奇跡を効率よく用いるか、その試行錯誤の変遷でもあった。いま現在各国で主流となっているのは、神の奇跡を行使できる信徒を戦術的に有利な地点まで護衛し決定的な戦果を得られる一撃を加えるというもので、凡百の信徒を血肉で出来た土嚢として使い、殺された以上の数を殺す。そういう戦い方だった。

 

 その要となる信徒、神がその威光をあまねく示すための末端の装置として先天的、後天的に作り上げられた存在は、使徒と呼ばれていた。敵からは忌み嫌われ、味方からは──無能でない場合に限り──尊崇の念で迎えられる存在。神より神気を下賜され、それを消費して神の奇跡を代行する存在。

 

 しかし、そういった戦争のやり方には大きな問題があった。使徒は、戦争という消費行為ですり潰すにはあまりに高価な存在であるという点だ。

 神との繋がりを認識し、流れ込む神気を奇跡として行使するためには、長い訓練と何よりも才能を必要とした。法則性があるにせよ感覚的な部分が多く、本人の素質如何によっては発現する結果に大きな隔たりがあるせいで体系化も一筋縄ではいかない。とにかく育成に手間がかかり、そのため急造での補充が大変に困難だった。

 

 消費される数を勘案してあらかじめ頭数を十二分に用意しておけば解決するのかというと、そうでもない。

 神の持つ神気は決して無尽蔵ではなかった。信徒を経由して回収される星髄の量に限りがある以上、信徒に分け与えられる神気の量には限度があるのは当然だった。神の手によって星髄から生成される作られるそれは、板金の工作、井戸の掘削、地下水の汲み上げ、鉱山の排水、果ては情報の伝達に至るまで、多くは国の産業の効率化のために利用されており、軍事への過度な傾倒は国力の減退、財政の破綻を意味していた。神の側から見ても、己のためにかき集めさせた星髄を消費することに対する忌避感がある。

 様々な国の様々な時代の王、預言者、議会、政府は、常にその適切な割り振りを行う努力を強いられていた。

 

 これらの問題を解決するために、ある技術が研究されていた。

 奇跡とは本来加護を受け、許可を得た信徒のみが行使することができるものだったが、それらの不自由、不都合をなんとかできないか、そういう子供の我侭のような要望がその技術の趣旨だった。

 発現する直前の奇跡を不活性化して何かの物質に封じ込める。使用者の意図に応じて再度の活性化を行う。場合によっては発現の方向性の再定義すら行う。

 この神気の操作技術は魔道と呼ばれており、技術としては以前から存在しているものだったが、それを行うためには専用の施設、熟練の技術者、高価な媒体を必要とし、生産される品は非常に値の張るものだった。

 

 カルマムルは他国に先んじてこれの費用の削減に成功する。奇跡の大安売り。神秘の冒涜。国体によっては禁止された技術だったが、自律心にあふれた──信心の欠如した──同国において奇跡、ひいてはそれを司る神を研究対象として俎上に載せる行為は、ごくありふれたものだった。

 それこそが同国の強みであり、カルマムルの神はそれを重々承知していた。自らを利するための試みであれば何もかもを許容する、野心的なプレイヤーだった。

 

 設立に関わった人間やそれを許可した軍の上層部にどう思われていたかはともかく、現場において初めは補佐程度にしか考えられていなかった魔道の実験兵は、次第に有用性が証明されていった。実戦を経て運用が洗練されてくるにつれ、ついには激戦区での働きを求められるようになっていった。

 

 その日、アドラーの所属する部隊は最前線に配置されていた。主力が敵正面を押さえている間に横合いから援護を行うようにとの命令を受けて。しかし山の中で地形が悪く、木々に遮られて射線が通らないことを理由に、部隊長は所定の位置からの前進を命じた。そこには遮蔽物が何も無く、身を隠せるような場所も無かった。

 

 前に進みすぎではないか。正面からの攻撃が始まってから姿を現せばよいのではないか。下士官が慎重に言葉を選びながら部隊長に何度も進言したが、それは意固地ともいえる態度で跳ね除けられた。

 

 最新鋭の装備を渡され、かけられた期待と予算に相応しい武功を立てようと、その部隊長も必死だった──そう好意的な解釈をするには、アドラーは当事者に過ぎた。

 頭の中では様々な罵詈雑言が渦巻いていたが、しかし結局、行動には移せなかった。今までそうしてきたように、ただ黙って耐えることを選択した。

 結果としてそれは致命的な失態になる。前に出すぎた部隊は敵に発見されると、国境線からの後退というサルタナ軍の受けた屈辱を全て込めたかのような攻撃を受けた。雨のような矢、奇跡による火球と石礫に加えて、貴重な砲を用いての攻撃までもが行われた。

 

 手に持っていた盾を掲げ、周囲の戦友が一人、二人と倒れていくなか、歯をかみ締めながらひたすら耐えた。実際には取るに足りない時間でしかなかったが、アドラーにとっては人生でもっとも長いものに感じられた。

 いつしか降り注ぐ敵弾がそれと分かるほどに減り、ようやく終わったかと魂が抜け落ちそうなほど深い安堵の息をついた瞬間、地面が沈み込むような振動を感じた。遠くから微かに大地を踏み鳴らす音が聞こえてくる。練兵場で遠巻きによく耳にした音。

 

 竜の足音。しかも一頭や二頭ではきかないほどの。

 装甲を着用した騎竜の一団が、同じく胸甲を身に付けて長柄の武器を手に持った兵を背に乗せ、土埃を巻き上げながら猛然と突進してきていた。横一列に、隙間なく並んでいる。殺意を持った壁。それが自分たちを押しつぶそうと迫ってきている。

 

 すぐにでも迎撃の態勢を取らなければならなかったが、号令を出すべき男は先ほどの斉射の一部を脳天に受けて草むらの上に横たわっていた。その隣には最先任の下士官の姿もある。

 その事実が他の兵にも伝染病のように広まると、戦列が崩壊していった。手に持っていた武器や盾、兜を投げ捨て、突進してくる騎竜から逃れようとばらばらの方向に散っていく。

 

 否応なしに死の影が脳裏をよぎった。足が震え、喉から情けない声が漏れる。気付けばアドラー自身も走り出していた。手には何も持っていなかった。いつのまにか放り出していた。

 

 背後で雄叫びが上がる。どれほどの規模かは分からないが、勇敢にも反撃を試みていたのが分かった。その後、すぐに悲鳴が上がる。肉と鉄が踏み潰される音に変わる。それを聞きながらアドラーは走り続けた。できるだけ木の生えた場所、障害物の多いところを目指して。時には目の前をもたもたと走る戦友を押しのけて。


 繰り返される悲鳴、怒号、破砕音。それらが聞こえなくなってからもひたすら走り続けた。後ろは振り返らなかった。

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