6-1
その山道は獣道と何が違うのかという様相だった。人が住んでいるというからには多少は手入れされているものだと思っていたが、そこは想像以上に鬱蒼としていた。
手に付いた雑草の種子だか、それにたかる小虫だかを払い落としながら、アシュレイは行く先に視線を向ける。
街を出て丸一日。ようやく木々の生い茂った山の麓に辿り着いた。地図を見る限り、件の集落へと辿り着くにはこのまま緑一面の山間の隘路を進み続ける必要があるようだった。しかもただ歩くだけでなく、たびたび現れる腰の高さほどもある草を掻き分けながらだ。
道が細く、歩きにくく、視界が悪い。交通の便は劣悪で、並の感覚でいえば、好き好んでこんなところに住んでいる者は酔狂という他なかった。
だからこそ、潜んで待ち伏せを行うには絶好の地形であるように思えた。アシュレイがそれをゲインに伝えたところ、相手は難色を示した。
「途中で野盗に襲われる危険性は低い。話に聞いたところじゃ、住民はときおり獣肉を売りに来る程度の行き来しかしていないらしいじゃないか。賊は恐らく大所帯だ。そういう奴らは常に飢えてる。携行できる程度の量しかない荷物を奪い取るためだけに、僅かな可能性にすがって待ち伏せる余裕なんかないだろう。でかい獲物を探してるに決まってる」
理路整然とした意見。ごろつきのような見た目にはそぐわないものだ。
「だからといって、警戒をしないのも間抜けな話だ。偶然出くわす可能性だってある」
「そうだな。どうにかできるなら、それに越したことはない」
可能性を提示するとゲインはあっさり頷いた。意見の一致を確認してアシュレイは自分が前に立つことを提案した。
視界の通らない場所では待機するよう伝え、脇道に入って大きく迂回するように周囲の情況を窺いながら進んだ。危険がないことを確認し、戻って前進を伝える。
慎重を期していることもあって、二日目の日が暮れようとしているというのに今のところ目的地らしきものは見当たらなかった。地図を信じるならば、日が完全に落ちる前には辿り着くはずだったが。
何度目になるか分からない哨戒行動から戻ったとき、ゲインは背嚢を下ろし、幹の太い木を背にして地面に座って休んでいた。
「だらしがないな。余計に疲れるぞ」
「そっちは底なしだな」ゲインが汗をぬぐう。
「ただ歩いているだけだ。奇跡を使っているわけでもない」
「これでも行軍で脱落したことはないんだが」ゲインが水筒に口をつけ、大きく息を吐いた。「山歩きが得意みたいだが、猟師か? 弓の扱いも手馴れてる」
質問には答えず、アシュレイは水、毛布、食料の詰まった自分の荷物を背負うと、一度だけ手招きして先を急いだ。
背後では慌てて立ち上がる音。無様な足取りでなんとか付いて来ている。その体たらくからは今のところ見るべきところがあるようには思えない。しかしあのとき──この男が仕事を引き受けたとき、嘘は感じられなかった。つまり、この男は賊をどうにかできる自信があるということだ。
そもそもそれ以前、レンディアの群れに襲われた際にも、この男の心境は諦念や絶望とは程遠いものだったことを思い出す。
ふと、風に乗って流れてきたものでアシュレイの思考は中断させられた。
「近いぞ」
人の臭い。生活の臭い。足元を見れば、そこには糸と草木で拵えた小型の罠が仕掛けられてあった。住民のものに違いない。
背後の足音は現金なことに勢いづいていた。
臭いを辿っていくと、森の中でそこだけ伐採、開墾されてぽっかりと開いた空間に出くわした。口が裂けても立派とは言えないものの、十分に人が生活できそうな建物がぽつりぽつりと点在している。そこそこの規模の田畑まであった。
「驚いたな、なかなか生活感があるじゃないか」
横に並んだゲインが若干息を荒げながら感心したように口笛を吹く。
「そうだな」
アシュレイにしてみても予想外だった。今まで歩いてきた道と同程度にみすぼらしい家々──戦災の被害者が寄り集まってできた集落もどき、せいぜい掘っ立て小屋のような家屋が木々に埋もれそうになっている様子を想像していたのだが、思いのほかそこは集落の体を成していた。
「俺が話を進めるぞ?」
アシュレイが頷いて同意を示すと、ゲインは手近なところにいた農作業中の男に向かって近づき、手を上げる。
「やあ、どうも」
その男は集落に足を踏み入れたときからこちらの様子を窺っていた。当然ならひどく警戒していたが、相手の一見友好的な態度を見てか、持っていた農具を構えたりはしなかった。
「こちら、賊の被害に遭われているそうですね」
「あんた、どこでそれを」男はすぐに思い至ったのか、はっとして期待に満ちた声を上げた。「ああ、つまり」
「ええ。レイヤンの商工会の方に聞いてきました」
「ありがたい。助かります……それで、他の方は?」
農夫が目を細めて二人が歩いてきた方を見る。いったいどれほど連れてきてくれたのだろうかと。当然だがそこには誰もいない。
「俺たちだけです。とりあえずは、話の通じる方に面通しをお願いしたいのですが」
男は一転して不信感を強めたようだったが、たちの悪い冗談ではないことを理解すると、やや肩を落としながらも集落のまとめ役のところへと案内をしてくれた。
二人が連れて行かれたのは他とそれほど代わり映えのしない黒ずんだ木組みの建物だった。出迎えたのは疲れの色の濃い顔をした初老の男で、ウィレットと名乗ったその老人は視線を忙しなく動かしながら突然の来客を家に招きいれた。
手っ取り早く話が進むようにとカルドアにしたためてもらった紹介状を渡すと、ウィレットは記された印章を胡散臭いものを見るような面持ちで何度か確かめ、暫くの間それに目を通していた。
読み終わったのか、困惑を浮かべながら老眼鏡をテーブルの上に置く。その顔にはこう書かれてあった。本当にこいつらが?
「その、匪賊退治を引き受けていただけるとのことで」
「ええ」
差し向かいに座ったゲインが短く、はっきりと答える。アシュレイは壁を背に少し離れた位置に立っていた。事前に申し合わせたとおり、余程のことがなければ交渉に口を挟むつもりは無かった。
先日の獣にかなり使わされたこともあり、神気の残量は心もとない。しかし、何はともあれ情報の取得は最優先時効だった。少し消費して老人、それとゲインの反応に神経を尖らせる。
ウィレットは言い難そうに、何度も口を開きかけてやめるといったことを繰り返した末にようやく言った。
「その、使徒様でいらっしゃるとか」
「それについては後で証拠をお見せするつもりですが、とりあえずはどうするか決めてしまいましょう」
唐突に切り出されてウィレットは顔の皺を深くする。
「どう、というのは?」
「もちろん野盗を、どう、退治するかについて、ですよ」言葉を飲み込めていない様子の相手に向けて、ゲインは説明を続ける。「仕事の落とし所について、まずは雇い主と認識をすり合わせておかなければなりませんからね。いえね、奴等の住処を見つけて根こそぎ始末できればそれに越したことはないんでしょうが、こっちは二人しか用意できませんでしたし、それにこの集落の人間を総動員しても、この規模の山で山狩りをするなんてのは不可能でしょう。まさか、すでに野盗どもの所在を調べていたりは」
そうわざとらしく尋ねる。相手は渋い顔をして首を横に振った。
「まあ、そうでしょうね。拠点を複数持っているか、方々を移動しながらその先々で都度奪っているか、余程の間抜けでもなければそのどちらかでしょう。どちらにしろ居場所が分からないのでは一網打尽とはいきません。ちなみに、こちらの集落に戦える人間はどれくらいいますか?」
「僅かですが、先日襲われた時に死人や怪我人が出ましたので、恐らくは十人を満たすことはないでしょう」
その質問を予想していたようにウィレットは淀みなく答えた。その理由は明快だ。何しろ助けにやってきたのはたったの二人の自称使徒。現地の人間をあてにしていると思われても不思議ではない。
「なるほど。まあご想像の通り、ある程度は手伝っていただくことになるかもしれません。ただ、そこまで危険は無いと考えています」
「と、おっしゃいますと?」
声には疑うような響きが含まれていた。ウィレットは口ごもって汗を拭き、慌てて取り繕うが、ゲインの方には毛ほども気にした様子はない。
「何をやるかというと、待ち伏せです。こっちから見つけられない以上、向こうからやってきてもらう必要があるので、これしか無いようなもんですがね。そこで、襲ってきた賊どもを撃退、いや、可能な限り数を減らします」
ウィレットは疑いを隠しきれない様子だったが、それでもその大言を否定するような愚はおかさなかった。そして、重ねた年齢に相応しい抜け目無さで彼は肝心な部分を尋ねた。
「こちらにはどれくらい滞在していただけるのでしょうか」
「帰り道を考えると、七日といったところですね」
「七日ですか、それは──」
短くはないか、そう続けようとしたウィレットの台詞をゲインは遮った。
「申し訳ありませんが、こちらも待たせてる相手がいましてね。ただ、労働を伴わない報酬というのも気が向きませんし、あなた方が商工会に提示した報酬は目標を達成した暁に頂くことにします」
ゲインの視線がちらりと横に向けられる。アシュレイは小さく頷き、異論がないことを伝えた。
「期間中はご迷惑をおかけするかと思います。具体的には休める場所を提供していただければ。食料はある程度持ってきていますが、差し入れも、貰えるのであればありがたいですね」
老人は目を伏せ、白くなった眉を捻じ曲げ、考える素振りを見せる。
ふり、だけ。動悸に変化はない。その内心に逡巡の様子がないことは分かっていた。諦めにも似た心境かもしれない。最低限の経費だけで結構、運良く、いや運悪く賊が現れなかったならば、その金でまた別の人間を雇うといい。そういう話だ。実質、集落側にほとんど損はない。どうせ自分たちが依頼を受けなければ他に誰もこんな所に来たりはしなかったのだから。
「その条件でお受けいたします」
老人はやがて重々しく口を開いた。半ば小芝居じみていたが、白々しいというほどではない。そこに慎ましさが伴う限り、自分の価値を押し上げようとする行為は理解できるものだった。
話がまとまったことを察してアシュレイは声を上げた。
「入ってきたらどうだ」
二人が何事かと目を向ける。ややあって、恐る恐るといった具合に家の戸が軋み、男がひとり姿を現した。この家まで案内してくれた人物だった。




