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「しかし、北東か」パオロが顎をさすった。「あんなところに集落なんてあったか? 周りには山しかない不便な土地だったと記憶しているが」
カルドアは口ごもり、ゲインの顔色を窺うように視線をさまよわせる。
「その……戦争で故郷を失った人間たちが寄り集まって最近できたようでね。たまに狩った獣の肉なんかを売りに来るのさ。行政には村としては認められていないが。そのついでに厄介事を頼まれた、というわけだ」
「この街に受け入れてはやれないのか?」
パオロが思い付きを口にするが、カルドアは嘆息して首を横に振った。
「もうかなりの数を入れているんだ。住む場所と仕事を見つけてやるのも容易じゃないし、難民を優遇するとなると元の住人の反感も無視できないよ」
「難しそうだな。まあ、部外者に言われるまでもないか」
「野盗の規模はどれくらいですか?」
話が妙な方向に飛び火しないうちにゲインは尋ねた。
「夜闇に乗じて行われたそうで、襲って来たのは大体、四、五人程度だそうです」それで全てかどうかは、と声を小さくする。
「そういったことはよくあるんですか?」
「いえ、どうにも初めてだったようで、とにかく焦っておりました」
そうであれば、全員とは思わないほうがいい。様子見も兼ねて仲間内の何人かで襲ったと考えるのが妥当だ。軍にいたころにその手の話を山ほど聞いた。もっといるとして、最悪は十倍。かなりの規模だといえる。
「若い娘がひとり拐かされたそうで」
カルドアがそう言ったとき、ゲインがぎくりとして固まった。隣で我関せずとばかりに食事を続けていたアシュレイの手も止まる。
「そいつはまた……ご愁傷様ですね」山賊、間違いなくは男だろう。攫われた女の末路の想像は容易い。「しかし、離れた街の有力者にまで頼みにくるなんて、余程切羽詰ってるみたいですね。そりゃまあ死活問題なんでしょうが。うちの方では、その手の問題は主に軍隊の仕事でしたが」
カルマムルにおいて賊の討伐のような武力を伴う治安維持は軍の役目だった。兵科の違うゲインには縁が無かったが、経験を積ませるため歩兵、騎兵を問わず新任の部隊長に経験豊富な部下をつけて行われることが多かったと聞いている。効果のほどは中々だと思われた。その時のことを尋ねると、自信を付けたのか自分の活躍を鼻息荒く誇張気味に話す男もいれば、額に二度と消えないような皺を刻んで黙り込む者もいたが、いずれも戦場ではそれなりに頼りになった。
「こちらでも一緒さ。何しろカルマムルとサルタナ、この二つの国はひどく似通うからな」
この半島、ひいてはそこから繋がる大陸には大小様々な国が存在していたが、カルマムルとサルタナは国家において神の為す役割が非常に小さいという点で酷似している。力の大小ではなく存在感の大小。ここ百年あまり、二国の神は奇跡を下賜するのみで、国の運営に関して不介入を貫いていた。形骸化して半ば儀式と化しているが、重要事項における政府の決定を最終的に許諾する以外は完全に政からは距離を置いている。そのため、信徒側には国家運営においてほぼ全権が委任されていた。
手綱を持つ手が恐ろしく緩んだに等しい両国の信徒は良く言えば自律的だった。この設計思想はある面において非常に優れたものだ。全体として正しく動くことさえできれば、各人が能動的であるということは効率に直結する。多様性に繋がる。良し悪しはあれど、変化を呼び込む。
しかし、二国がその性質そのままにまったく異なる文化や政治体制を形成したかというと、そうはならなかった。
個としての自律は全体としての無軌道に陥りやすい。彼らはその節操の無さでもって、これはと思われる文化、技術、思想、その他あらゆるものを他国から吸収、時には窃盗まで行ってきた。地形、気候的な条件が相似していることもあって、特にお互いに対して顕著に。
サルタナが海路を通じて大陸から荒れ地に強い作物の種を仕入れると、その三年後にはカルマムルの各地にその作物の畑が出来上がり、カルマムルの退役軍人の研究者が軍人と傭兵の目的の違いから来る軍の質、士気低下の懸念を訴えると、翌年にはサルタナの傭兵の組合や斡旋業者の不況へと繋がることさえあった。
「あんたのとこは?」ゲインがパオロに尋ねる。
「少し前までは預言者を通じて国政の舵を切っていたが、ここ二世代ほどは神託を議会に授ける形で大方針を決めるだけになっている。国政に多数が関わるというのは不都合も多いが、やはり利点も多いようだ。果ては君たちのようになるのかもしれない」
これも時流かねとぼやく。ゲインは曖昧に頷いた。
ただの操り人形ではそれこそ信徒が存在している意味が無い。いつだったかエシオンが語っていた。効率を求めた結果、盤面全体がこの方向に推移していると。加えて、こうも言っていた。これは自立と服従という性質の異なる要素を両立させなければならないという構造上の難題を含んでいる。
その結果訪れるものを想像してか、気違い女は薄ら笑っていた。
「それで、軍はどうしてるんです?」ゲインが話を戻す。
「嘆願してはみたのですが、どうにも部隊の再編中とかで、色よい返事は貰えませんでした。しかし、休戦からしばらく経つのに兵隊の補充が終わってないなんてあるんでしょうか」
収めた税金の使途に懸念があるのか、表情には明らかな不満が見え隠れしている。ここは危うく戦場になりかけた街だ。住人として明日は我が身かと感じても不思議ではない。
「ご教示差し上げてはどうだ?」
パオロが運ばれてきた鳥の丸焼きから手羽先の部分を千切って口に入れる。口ぶりから恐らく元同業者であることが窺えた。
場合によりますが。そう前置きをしてからゲインが説明する。
「確かに三ヶ月もあれば剣や槍を持って指示された場所に突撃するくらいはできるようになります。ただ、指揮官や弓兵、工兵なんかの特殊な技術を必要とする場合、そうはいきません。ある程度時間をかけた教育が必要になります。この例えが的を射ているのかどうかは分かりませんが、貴方の店で新しく丁稚が働くことになったとして、少しばかり勤め上げたくらいで責任ある仕事を任せられますかね?」
カルドアの口からは納得の声ともため息ともつかないものが漏れた。
「既に訓練の十分な部隊を他所から引っ張ってくるのであればその限りじゃありませんが。どうです?」
サルタナは南こそ海に面しているが、北側の国境でカルマムルと接しているほか、小国ながら西はビーシャフ、東はアラインと三方を異なる国々に囲まれているため、それぞれに方面軍として戦力を分散させなければならない状況にあった。目下のところ最大の問題であるカルマムル以外とは友好的な関係を築いてはいたが、それが国境線の防備を緩めていい理由にはならない。
「兵隊の移動があったという話は聞き及んでおりません。人の移動があればお金も移動しますので、間違いないかと」
確信に満ちた声で答える。つまり編成中との返答は概ね真実で、それらが出張ってくる可能性は低いらしい。
「その集落の自衛力や他の傭兵には期待できないんでしょうね」
軍もだが、それがあてにできるのであればこうして声がかかることもなかったはずだ。どうやっても今すぐには頭数を用意できないということになる。悪い話ではなかった。ひとり頭の取り分は増える。
ゲインは暫く考えてから口を開いた。「具体的に、俺は何をやれば?」
「賊の退治をして欲しい、とだけ窺っております」
「難しいかい?」パオロが茶化すように言った。
勝算のあるなしでいえば十分にあったが、足元をすくわれる可能性も少なくはない。しかし、それでも銀貨百枚はいかにも惜しかった。それに何より、戦争難民が寄り集まってできた集落というのがゲインをその気にさせていた。焼けてくすぶる街並み。黒焦げの死体。逃げる栗色の髪の少女──攫われた若い女。
多少は赦しが得られるかもしれない。悪夢が遠のくかもしれない。
「少し外すが構わないか?」
我欲に目がくらんで不義理を働こうとしているためか、ゲインの声には知らず申し訳なさが混じっている。しかし、予想に反してパオロはあっさりと許可した。
「構わんよ。ここからは街道が整備されているし、多少とはいえ自警団や軍の巡回もある。それに、護衛の報酬は無事に目的地に着いた後に払う契約になっているから、万が一の場合でも損にはならん。まあ、出発前に無事戻ってきてくれるにこしたことはないがね」
「俺の勘違いでなければ、妙な厚意を感じるな」
「そりゃあ、恩を売っておきたいからな。優秀な個体は鞍替えしても大抵の場合は優秀だ。あんたを引き込んだとなれば俺の査定も上がる」
あからさまな誘いにゲインも苦笑するしかない。「篤い信仰心だ」
神の争いが直接的な殴り合いから間接的なものに切り替わったあと、争点は対手の駒を如何にして盤面から取り除くかに推移した。信徒に対する裏切りの誘発や取り込み工作は有史以来あきるほど繰り返されている。
「生憎と俺のような凡夫では横へ自由に移動するなんてことはできない。縦にしか動けないなら、せめて可能な限り上を目指してみたいと思うのが人情だろう? それで、どうだい? もちろん冗談なんかじゃない」
ゲインは両手を膝について頭を下げた。もう誰かに使われるわけにはいかなかった。
「すまん。恩に着るが、誘いに色よい返事はできそうにない」
いいさとばかりにパオロが両手を広げた。「気が変わったら言ってくれ」
「ああ。もしそうなったら真っ先に言うよ。ああ、あと、申し訳ないついでに野宿用のあれこれと、一人助力を借りたいんだが」
「その口ぶりだと、誰でもいいというわけではなさそうだな。どいつだ?」
「こいつだ」
ゲインは隣に目を向けた。その場の注目を集めたアシュレイは、鳥の骨からとったスープにパンを浸しながら言った。
「何やら勝手に巻き込もうとしているようだが、それはいい。ひとつ疑問がある。あんたが、大勢の賊を相手に、一体何をどうするつもりなんだ?」
その台詞の意味を理解したパオロが大笑いし、引きつり、咳き込んだ。周りの連中が何事かと恐る恐る振り返っている。
「なるほどね。てっきり俺は中尉どのがあの獣どもを追っ払ったもんだとばかり思ってたよ」
「やろうとはしたんだよ」ゲインは居心地の悪さをごまかすように料理に手を伸ばした。「こいつが先に片付けちまったんだ」
怪訝そうな顔で見つめるアシュレイに、ゲインが付け加える。
「もちろん、報酬は山分けだ」




