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ゲインは腹を押さえて地面にへたり込んだ。止むことのない飢餓感を歯軋りで何とか堪える。
「あんた、仕事中だぜ?」
隣に立った男の咎めるような声。この場には二人しかいない。それが誰に向けてのものなのか分かってはいたが、ゲインは返答すらできなかった。昼に荷運びをやってから、体がずっと不調を訴え続けている。
口を閉ざして顔を伏せたままでいると、業を煮やした男に強く肩を叩かれた。
苛立ちのあまり反射的に顔を上げて睨みつける。男の愛想笑いが引きつった。
ゲインは倉庫の壁を支えにふらふらと立ち上がり、自分の頭を音が出るほど強く壁に打ち付け、謝罪した。
「悪い、気が立ってた」
気散じにゲインは周囲に視線を巡らせてみた。面白いものは何も見当たらない。いま背中をあずけている倉庫と似たような建造物がいくつも立ち並んでいるだけだった。不審者などは影も形も見当たらない。
貧富の差はあれど、そもそもが治安の悪い街ではない。事件といえばせいぜい酔漢が度を超えた失態を演じて取り押さえられるといった程度のものばかりであり、倉庫街の見張りの仕事など、本来は退屈との闘いであるはずだった。
しかし、今のゲインの状況は平穏とは程遠かった。ここ数日はろくなものを食べることができておらず、ほとんどをカビの生えかけたパンと水だけでやり過ごしていた。もはや体は限界に近い。
「大丈夫かい? とんでもない顔色してるぜ?」
様子を見かねた男の心配そうな声。
「少し……生活が苦しくてね」
たまたま仕事で一緒になっただけの男は何かを察した様子で笑った。並びの悪い歯がむき出しになる。
「俺も少し前まではそうだった。あんた、兵隊さんかい?」
「まあな」
「俺は検査で落とされた」男の視線がゲインの側頭部に走る傷に向けられていた。どこか後ろめたそうな声──恐らくは兵役逃れ。なぜ自分もそうしなかったのかと後悔に襲われる。
「何かの縁だ、このままってのも寝覚めが悪いし、いいところへ連れていってやるよ」
交代要員に引き継ぎを済ませたころには空が白み始めていた。人気のない四番通りを、いいところとやらに向かっているはずの男の後ろについて歩く。
「行き先はどこなんだ」
「もうすぐ。あれだ」
男が示した先にはこんな時間帯だというのに行列ができていた。いずれもボロをまとったみすぼらしい姿の男女だ。先頭はごみを漁っていた。
「……あれは?」
「あそこは料理屋の裏になっててね、店で出たごみが捨てられるんだ。で、ここだけの話なんだが、そこの料理人がとんでもないへぼで、毎日飽きもせずに仕込みの後や営業後に大量のくずを出すわけよ。それをちょいと頂こうってわけさ」
男は得意げな顔で続ける。
「ただし気を付けて欲しいんだが、見てのとおり俺達の他にもそれ目当ての人間がそこそこいてね、揉め事にならないようにちゃんと決まりってのがある。まあ、大したこっちゃない。新顔は一番最後、それだけさ。最初のうちは大したもんにはありつけないかもしれないが、毎日通ってりゃあそのうち顔も覚えられていい目をみられるようになるよ」
掘り起こした何かの肉の欠片のようなものにむしゃぶりつく老人。それを羨ましそうに眺める他の食い詰め者たち。
ゲインは無言で背を向けた。
「おいおい、どうしたんだ?」
まったくの善意から引き止めようとする男に、ゲインは疲れた声で言った。
「悪いね、急に腹が膨れた」