7話 それぞれの冒険の始まり
ジェフは神父を抱えたまま通路を走り抜け、ライオンの像をどかし、月明かりが輝く夜の街へ繰り出した。
そして屋根と屋根の間を渡り、塀を飛び越え王都の外へ出る。
「何のつもりだ!」
ジェフは神父の問いには答えない。
森の中を走り、木から木へ飛び回り、落下と跳躍を繰り返す。
崖を飛び降り、転がり、そして走った。
何度か転んだがm元が人間なので、二本足で走るのもそこまで難しくはなかった。
振り回す。
ジェフは徹底的に神父を振り回した。
神父は吐き気を催したことで、ジェフのやらんとしていることが分かったようだ。
「このまま振り回して、私の心を折ろうという……算段だな……だが、これしきのことで―――」
言い終わる前にジェフは、神父を上部に投げ飛ばした。
そして地面につく前に捕まえる。
神父は胃から胃液を吐きだした。
ジェフはそれを自分の顔にかからない程度に避け、そしてまた走り始めた。
この世界にジェットコースターなんてものはない。だからこそ、それにも似た、ジェフの『デート』は地獄にも感じるだろう。
ようやくジェフが走るのをやめたのは、日が沈む直前であった。
◇ ◇ ◇
ジェフたちは劇場に戻ってきていた。
弱みを握られていた者達は事の成り行きを見届けようと、まだ劇団に残っていた。
金で雇われた者は既にこの場にいない。
神父はすっかり衰退し、床に倒れていた。
ジェフもまた、一晩中走り回っていたため、すっかりへばっている。
「もっと効率的な方法があったのでは?」
ジェフの耳元で声がしたので、振り返るとアデルがいた。
「こう言う奴は、殴る蹴るの拷問では聞かない場合が多い。だから精神的な苦痛をやって、心を折る必要があった。まあ俺はあまり頭が良くないから、こんな方法しか思いつかなかったがな」
「そうですか」
アデルはあきれ顔で目を瞑った。
最も、ジェフがこの方法を取った理由は、それだけではなかった。
ここには神父に使える身の者が沢山いる。例え金で雇われたり、弱みを握られていたとしても、多少は慕っている者はいるだろう。
そんな中で、殴る蹴るの暴行を働いては、ジェフたちへの心情が悪くなり、敵に回る者もいるかもしれない。
そう言った事態を避けるために、辛さが想像しずらい、『ゴリラに一晩中連れて回される』という拷問を行ったのであった。
もっともこの神父の衰弱っぷりを見れば、あまり意味の無かった行為でもあるだろう。
しかし、結果的に見れば、この場で敵になる者はいなかったのであった。
「あ、諦めんぞ……」
地面にへばっていた神父がうめき声を発した。
ジェフは倒れたまま目を向ける。
「これしきのことで、わが愛を……我がっ悲願を諦めることはせん……お前の様な奴には……一生わからんだろうが……」
神父はうめき声を発しながら、這って劇の上まで戻ろうとした。
僅かに残っている劇場の俳優たちが、神父から逃げるように距離をとった。
ジェフ起き上がり、その様子を黙ってみている。
「ああ……オリアーナ……愛しのオリアーナ……」
壇の上まで神父が登った時、いつの間にか女の姿になっていたアデルが、指を鳴らした。
すると、袖から一匹の白い馬が現れた。
整った毛並みに、絹のような白い肌。大きめの体で、形の良い骨格と筋肉の付き方をしていた。
「おお、オリアーナ……」
神父の言葉から、あれがオリアーナとやらの役の馬なのだなと、ジェフは判断した。
神父はよたよたと立ち上がり、白馬に近寄った。
壇の袖にマルヴィナがいるのが見えた。
「ああ、お前だけだ。お前だけが私の愛しい者だ……」
今にも消え入りそうな声で、白馬に向かって彼は愛の言葉を吐いた。
しかし、白馬は神父が近づくと方向転換をする。
慌てて神父は追いかける。
「な、何故だ!お前も私を裏切るのか!あいつや、あいつみたいに!父や母みたいに!忘れたか!あの村でかわした約束を!」
神父は馬に追いすがる。
だが馬は神父を後ろ脚で蹴り飛ばした。
彼はその場で蹲る。
「ああ、あああ、ああああああ!!畜生!畜生!何だってんだ!ただ愛したかっただけなのに!ただ結ばれたかっただけなのに!私の何が悪いんだ!こんな国嫌いだ!こんな狂った世界嫌いだ!!ああああっ!」
慟哭。
地の底までと置かんばかりの慟哭が、劇場の中に響いた。
泣き崩れた神父に誰も近寄ろうとしない。
地団駄を打ち、子供のように暴れまわりもした。
そして数時間後、散々泣いてようやく心が折れたのか、この劇を止めることを、ジェフに約束したのであった。
こうして十数年続いた神父の愛の劇は、終幕となったのであった。
◇ ◇ ◇
「あれは神父に弱みを握られていた調教師の方と交渉してやってもらったんです」
黒猫の状態のアデルは、太陽にに向かうようにして言った。
数日後、王都の外のそこまで高くない山の上で、ジェフとアデルとマルヴィナは立っていた。
「そうか、俺だけの力じゃ、神父の心は折れなかったんだな」
「まあ、すでに彼が心身ともに弱ってたから、あんな馬の小芝居で折れたんでしょうがね」
ジェフのつぶやきに、アデルは答えた。
あの後、神父はある程度の慰謝料のようなものを、俳優たちに渡した後、もうこんなことをしないと誓い、騎士団に連れていかれていった。次の日には町中に神父の悪事が広まっていた。明日には彼の裁判が行われる。
まだ動く鎧たちの扱いも、いまだ裁判で争っており、おそらくこの国から強制退去ということになるだろう。
「それで」とマルヴィナは王都を見ながら言った「コーラ先輩は一体どこに……」
劇団が潰れたことは、町中に知れ渡っているはずだが、コーラが戻ってくることはなく、行方は今だ知れず、といったところであった。
もっとも戻ってきたところで、ジェフはゴリラに戻ることはできないのだが。
「そのことでしたら」とアデルは言った「彼女らしきものを見たと言う噂が」
「本当か!」
「ええ、昨日魔界領とこの国を繋ぐ塀を乗り越えた者達が目撃されました。そして噂では数匹のゴリラがいたとか」
「恐らくコーラだ。だがなぜ魔界領に?」
数匹のゴリラは、その辺の動物をゴリラ化し、操っているのだろう。
「わかりませんが、どうやらあなたをゴリラ化したのは、神父の劇だけが理由ではなさそうですね」
「どうでもいいけどゴリラ化って言葉、真面目な顔して言うと凄い変ですよね」
アデルの言葉に、マルヴィナはもっともであるが、どうでもいいことを言った。
「それと、ジェフ・ターバルお話したいことが。あっと、マルヴィナには少し席を外してほしいです」とアデル。
それに従い、マルヴィナは素「わかりました」と言いながら、森の中へ入っていった。
「なんだ?」ジェフは声を潜めていった。
「あなたとはここでお別れとなります。また会うこともあるかもしれませんが」
「そうか」
「あっさりしていますね」
拗ねてるのか、そうじゃないのか、アデルは良く分からない声色で言った。
「まあ今回助けてもらってばかりだからな。いつかは借を返したいが」
「そうですか、実を言うと私も魔界領の夫の元に帰ることになるのですが、もし行き先が同じであっても、一緒に行くことはできません。理由は言えませんが」
「残念だな。だが、仕方がないんだろう」
「はい、ただ最後に一つ忠告させてください」
「願いのことか?」
「はい。ジェフ・ターバル。あなたはマルヴィナに願いを授けることを考えていますか?
「考えていない」とジェフは、無表情で言った「信用をしていないわけではないが」
「確かにその程度の慎重さは最低条件です。とはいえ、これはおせっかいかもしれませんが、あなたは突然願いが叶えることを、よくないことだと思っているのではないでしょうか。願いとは本来自分で叶えるものであると」
「思っている」
ジェフは街を眺めながら言った。
「そうでしたら、願いを叶えるというのは、前借だと思えばいいんですよ。これから頑張る人のために、渡しておくと」
「叶ったら、頑張れないじゃないか」
「願いが一個叶った程度で、頑張るのを止めない人はたくさんいますよ。力を受け取ったということは、あなたなりに考えもあるのでしょう。まあ、あくまで一匹の猫の意見として聞いておいてください」
「……わかった」
「あとそれから、これまた噂ですが、魔界領にはかつて万能を願った生物がいるそうです。わざわざゴリラから人間に戻る力を願っている者を探すよりは、その彼なり彼女也を探す方が効率的かもしれません」
「貴重な情報の提供に、礼を言う。今後の方針として検討に入れる」
「はい、それではいつかまた会いましょう」
そう笑った後、アデルは空に向かって飛んで行ってしまった。
◇ ◇ ◇
「行ってしまわれたんですね」
マルヴィナが戻ってきて、空を見上げながら言った。
「猫は気まぐれというからな」
「これからどうするつもりです?」
「コーラの捜索の必要、人間に戻るために願いを持った者の探索の必要、そしてこの国には人間以外の話す動物は済めない、ということから踏まえ、魔界領へ行く以外の選択肢はないだろうな。そうなると王女様への親衛隊の仕事を放棄することになるが。嘘で取り繕うのであれ、本当のことを書くであれ、手紙を書かなくては」
「正直言って、コーラ先輩が言っていたジェフさんだとは未だに半信半疑です」
マルヴィナは癖の付いた赤い髪をいじりながら言った。
「まあ正直信じてくれない方がありがたい。あと改めて謝罪をしなくてはな。君の妹の薬代の当てを潰してしまって申し訳なかった」
「それはもういいですって言ったじゃないですか。自分で頑張りますって」
「君は良くても、他の者が良くないのかもしれない」
「謝って回るんですか?」
ジェフは首を横に振った。
そんな時間はない。
こんな謝罪は偽善ですらはない礼儀的な言葉にすぎなかった。
「正直に言うと、神父は悪人だったんだし、皆お金が入らなくなるのは我慢しろよ、とか思ってます?」
「そんなことは例え思っていても口に出したら、男として終わりだよ。謝罪をして回るつもりなんてないので、俺はそのことについて口を閉じて甘んじて批判を受けるぐらいしかできない」
「意外と面倒くさい性格してますね……」
「それはそうと、あくまで仮にだが」とジェフ咳払いをしていった「もし何でも願い事が一つ叶うのなら、何がしたい?」
「それは何かの謎かけですか?」
「そのように思ってくれていいが、正直に答えてほしい」
「そうですね」マルヴィナは下を向いて考えだした。「やっぱり妹のことですかね」
「そうか、それは願いを叶える力を手に入れたとして、それにより命を狙われることになってもか?」
マルヴィナはジェフの目を見て、何が言いたいのかわからないという顔をしたが、少し考えて答えた。
「そうですね。私だって平たく言えば、いつも願いを叶えるために行動してるわけになりますが、今更妹の為に、命をかけるぐらいはどうってことはないです」
「そうか……」
だがこんな質問をしたものの、ジェフはマルヴィナの願いを叶えようというつもりはなかった。
信用していないわけではない、というのも礼儀的な嘘にすぎなかった。
だが
「もし超自然的な力により、君の音が胃が叶う時が来るかもしれない。その時に命が狙われるようなこともあるかもしれないから、一応準備をしておいてほしい」
ジェフの言葉に、やはり意味が分からないという顔をマルヴィナはしたが、「はい」と頷いたのだった。
その後ジェフは、別れの言葉を言い、その山を後にしたのであった。
そして、その日のうちに彼はこの国と、魔界領の国境を越えた。
願いを叶えることが出来るゴリラの冒険が始まったのであった。
◇ ◇ ◇
コーラ・クラシアは暗い森の中を、ゴリラたちと共に歩いていた。
密林のような木々が生い茂る森で、彼女の遥か上では空を覆わんばかりに葉が生い茂っていた。
暑さにより重い鎧の下で、コーラは水をかぶった後のような汗をかいていた。
地面も水分を多く含んでいる場所が多く、川や沼と、そうでない場所の違いが付きにくい。魔界領は精霊の影響で、出鱈目な気温や、季節の移り変わりをするのだ。
オオカミと同じくらいの大きさの虫がたむろしており、偶にコーラに遅いかかってくるものが、その時は、ゴリラたちに始末させた。
ただ、彼女はゴリラに乗って移動をするのは、流石に高慢すぎるような気がして、あまりやりたくなかった。だから自分の足で歩いているのだった。
ふと、太い気の音を越えようと足を上げると、泥にもう一方の足を取られた。
バランスを崩し、鎧の少女はは地面に倒れた。
泥に顔から突っ込む。
「もうちょい気を付けて歩いてくれんかのう。どんくさい」
コーラの耳に老婆のような言葉遣いでありながら、少女の様な声が聞こえた。
だが彼女の周りには虫とゴリラしかいない。どちらも言葉を話すことはできない。
声を発したのは彼女の着ている鎧であった。
本来はコーラを、監視、及び催眠をするはずの生きた鎧だった。
「うるさいです……」
コーラは泥だらけになりながらも立ち上がり、また前に向かって進み始めた。
「にょほほ、そんなトロ臭く歩いていて、目的地に着くのはいつのことになるやら」
「黙っていてくれますか……」
「最近の若者は、口だけは達者でかなわんわい。わしなんかは毎日勤勉に口を気かづに砦を守っていたもんじゃ」
コーラは鎧がどうあっても黙ってくれないと判断し、無視して前に向かう。
「ほれほれ、急がんと間に合わなくなるぞ。人類の、滅亡の危機に」
「わかってますよ……でもね」
コーラは一旦止まり、被っていた兜を待ちあげた。蒸れた髪が、外に出たことにより、呼吸をするように開放感を得たのが分かった。
そして兜を自分の顔の前で持ち、言い聞かせる
「私は別に人類が滅びてもいいですよ。最悪ジェッちゃんと一緒にゴリラになって、幸せに暮らせればいい。でもジェッちゃんはそれを拒否するだろうから、私も人類を救います」
「そうかい。最近の若いのはわからんのう」
「別にわかってもらわなくてもいいです」
コーラは兜をかぶり、再び森の奥へ向かった。