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妄想男

珠理はどこか見知らぬ部屋の中で拘束されていた。

 贅沢で豪奢な部屋だった。室内には家具は勿論、暮らしに必要な物は全ていっさいの過不足なく揃えられている。しかも、どれも一見しただけで高級品と分かる立派な作りをしていた。無理やり着替えさせられた衣装もまた、美しい絹でできている。細やかな刺繍で彩られ、ところどころには宝石を使った飾りまで縫いつけられた最高級の品だった。部屋自体も決して狭くはなく、珠理が暮らしていた寮の居室よりも広い。両足首に嵌められた鉄の枷と、そこから伸びた頑丈な鎖が柱に固定されていることに視線を向けなければ、自分が囚われの身であるとは実感できなかった。

 会談室で見知らぬ者たちに羽交い締めにされ、何かを嗅がされて意識を失ってから、次に気がついた時にはどことも知れない真っ暗な狭い空間にいた。どうやら木箱か何かの内部のようだったが、真の闇に包まれた空間の中ではそれ以上のことが何も分からず、珠理は恐怖した。思うように動かない身体を必死で動かして逃げようとし、その際に自分が縄か何かで縛られていること、口に布か何かを押しこめられて声を出せない状態に置かれていることを認識したが、自分では縛めを解くことなどできなかった。

 どうにかして逃げ出さねばと、狭い空間の中で必死に身動きしていると、息が苦しくなった。何かで運ばれているらしく、時折断続的に揺れる空間のなかで珠理は再び気を失い、その後も目覚めては失神することを繰り返し、何度目かに目覚めた時にはこの部屋だった。この部屋の片隅に置かれた寝台で横になっていたのだ。

 すでに口を布で覆われているということはない。声も出せるし、言葉を発することもできる。だがそれはつまり、いま珠理がいるこの部屋が不特定多数の人間が暮らす街から離れたところに位置している可能性が高いことも示していた。そうでなければ相当に広い敷地を持つ施設の中にいて、珠理がちょっと大声を出した程度では無関係の者に助けを呼ぶことができないところにいるのだろう。珠理を拉致したのが何者にしろ、この状態で放置しておくのなら、ここは容易く救助を呼べる場所にはないのだ。

 珠理は部屋の窓から外を眺めた。陽は少し傾き始めている。すでに昼を過ぎていることは明らかだった。自分が拉致されてからどれくらい経った後の昼過ぎなのかは分からない。何度か失神したせいで時間の経過がよく分からなかった。少なくとも会談室で襲われたその日ではないと思うが、まだ何日も経ったとは思えない。ならばあの日の翌日か、翌々日だろうか。

 珠理は溜息をついて自分の両足を見下ろした。この鉄枷さえ外せれば、とつくづく思う。これさえ外せれば、ここを逃げ出せるかもしれないのに。

 目が覚めてから、とにかく鉄枷を外そうと試行錯誤を繰り返したが、結果は全て無駄に終わった。鎖は長く、両足が重いのさえ我慢してしまえばこの部屋の中だけは自由に動きまわれる。それで室内を隈なく物色したのだが、当然のごとく拘束具を外すために使えそうな工具などなかった。小刀の一本もない。家具を動かして鎖そのものを破壊することも試みたが、寝台も箪笥も、軽食を摂るための小さな卓や椅子に至るまで全て床や壁にしっかりと固定してあり、どんな手段を使っても動かすことはできなかった。

 逃げることができないのなら、せめて自分がなぜ寮から拉致され、こんな場所で監禁されているのか、その理由を知りたいと思ったが、今に至っても誘拐犯はこの部屋を訪ねてこない。いちおう、昼前に一度だけ女中と思しき女性がやってきて、食事を与えられ、衣を着替えさせられたが、彼女は珠理の問いかけにはいっさい応じようとしなかった。どんなに強く詰問してみても怯えた顔で首を振るだけで、用を済ませると急ぎ足に退出していった。彼女を追っていくことができない珠理は一人、この部屋に取り残され、それ以後、しばし時が経ったがまだ誰も来ない。

 独りきりで放置されて苛立つ感情を持て余し、無目的に歩きまわったり椅子に座ったりしながらどうにかこの苦境を脱する手段を考えているうちに時間が経った。どれくらいの時が過ぎたのか、窓の外の陽光に翳りがさし、夕暮れが迫った頃になって、ようやく再び誰かがこの部屋を訪ねてきた。扉の外から入室の許しを乞う声がする。

 珠理は皮肉な思いを感じた。監禁している相手に礼儀を示すとはずいぶん律儀だ。

 珠理が何も言わないでいると、ほどなくして扉が開いた。立派な衣装に身を包んだ年配の男性が室内に歩を進めてくる。背後には数人の男女を従えていた。勿論、珠理の知っている人々はいなかったが、一人だけ、珠理にも見覚えのある人物がいた。寮に自分を訪ねに来た、あの老女が集団のいちばん後ろに控えている。

 珠理は座っていた長椅子から立ち上がると、警戒心をもって人々を睨み据えた。

 無言の時間がしばし流れる。入室者たちは珠理の視線など意に介した様子もなく平然としていた。先頭にいた年配の男が何かを見定めるように珠理をじっと眺め、そして徐に歩み寄ってくる。珠理の顎に手を添えた。珠理は思わず身を硬くしたが、男はそれ以上何をする様子もなく珠理を見つめ続け、やがて何かを納得したように大きく頷くと、顎から手を放した。それから床に膝をつく。

「――まさか、この年になって再びお会いできる日が訪れるとは思いませんでした。望外の喜びでございます。貴女さまがご無事で生きておられるなど、まさしく神々の御加護の賜物。天はまだ、我々を見捨ててはおられなかった・・」

 男は感極まったような口調で言葉を述べていた。

「長いあいだ、ご不遇のさなかにあって、どのようなお辛い思いをされたか、私にも計り知れません。御身の保護が、これほどに遅くなりましたこと、たいそうお怒りのことと存じます。それにつきましては、私にもお詫びする言葉はございませんが、これより後、私めの一命にかけましても、貴女さまがあるべき場所へお戻りになることが叶いますように最大のご支援をいたします。今しばらくはご不自由をおかけいたしますが、私が保護いたしましたからには、御身にはいかなる危害も加えさせは致しません」

 何を言っているのだこの男は。珠理は男の発言の意味をとりかねた。彼が何を言いたいのか分からない。

「保護って?私を誘拐して鎖で繋ぐことが貴方の仰る保護ですか?」

 珠理は両足首を固定している枷を目線で示した。男はそちらを見やってから、いかにも申し訳なさそうに言葉を述べる。

「ご不自由をおかけしまして申し訳ございません。ですがこれも、御身の安全をお守りするためでございます。我が邸には御身をお守りするために、大勢の護衛を配備しておりますが、穢らわしい賊どもはどのような悪辣な手管を用いて貴女さまを再び略奪しにくるか分かりません。私としましてはもう二度と、貴女さまを失うようなことはあってはならないと考えておりますので」

 略奪したのはそちらのほうでしょう。珠理は内心で吐き捨てた。珠理には、この男の考えていることが良く分からない。ただ、彼には現時点で珠理に積極的な危害を加える意思はなさそうだと判断できた。しかし勿論、珠理としては男の感情を逆撫でしてはいけないことに変わりはない。この場は明らかに珠理のほうに分が悪いのだ。珠理は慎重に言葉を選びながら口を開いた。

「・・私は、いつまでここにいれば良いのでしょうか?」

 男は微笑を浮かべた。見ている者を安心させようとするような微笑み方だった。

「さほど長い期間のことではございませんよ。貴女さまの御身が私どもの許に戻られた今となっては、全ての正義はこちらにあると、証明できるのでございますから」

「・・先ほど、貴方は私と再び会える日が来るとは思わなかった、と仰っておられましたね。けれど、私は貴方と前にお会いしたことがありません。私にお会いした時の記憶がないだけなのでしょうか、差し支えなければ最後にお会いしたのがいつのことなのか、お教え願えませんか?」

 人攫いの戯言と分かってはいるが、珠理はそのことが気になってならなかった。自分と前に会ったことを強調してくる誘拐犯など、聞いたことがない。虚言であることなど承知しているが、なぜわざわざ虚言を弄する必要があるのか。

 男は珠理の問いに一瞬だけ驚いたような顔をした。しかし、すぐに何かを思い返したように微笑む。心なしか悲しげな顔に見えた。

「ああ。貴女さまは私のことをご存じないのですね。無理もないこととは存じます。最後に私めが貴女さまにお会いした時、貴女さまはまだお生まれになられて、三月ほどしか経っておられませんでしたから」

 男はそういって床に膝をついたまま、両手も床についた。そしてそのまま頭を下げ、額を床に擦りつける。

 珠理は唖然とした。男の動作は貴人に対する最上級の拝礼の所作だったからだ。通常は国王か、その近親者にしか行うことがない拝礼方法で、珠理も礼儀の授業でその所作は習ったが、まだ実際に行ったことは一度もない。どう考えても、誘拐犯が人質の娘にとるべき態度ではないだろう。

「私の名は、()(ゆう)と申します。先王の御許で長年、財政(ざいせい)統括処(とうかつどころ)の長官を務めて参りました」

 男に名を聞かされても珠理は驚かなかった。驚きよりも、そのことによって警戒心が膨れあがってくる。財政統括処の長官といえば、この国の財政を司る要職だからだ。その位に就くことができる者は、法でその位に就くべきと、定められた貴族の家系に連なる者だけである。珠理のように平民上がりの人間では、絶対にその地位に就くことはできない。その地位に就いていたというのならば、この男は貴族ということになるが、しかし貴族に一介の平民の学生をわざわざ誘拐しなければならない必要などあるはずがない。あまりにも見え透いた虚言だった。つまりこの男は、珠理に自分の身元や誘拐の目的を明かす気はないということだろう。そうでなければ、妄想癖があるのだろうか。自分はやんごとなき人物であるという妄想に取り憑かれ、自らの特異な妄想に振り回される形でこのような誘拐を仕組んだと、そういうことだろうか。

 そうだとすると、今の自分は単に金品を目的に誘拐された場合よりも、危険な状況に置かれているのかもしれない。珠理はそう思った。この男がもしも、周囲が見えないほどの妄想に取り憑かれているのならば、今後どういう行動に出るか予測ができないからだ。だとすると、虚言と分かっていても適当に男に話を合わせたほうが、珠理は自身の安全を保てるのではないか。

「・・貴方は、財政統括処の長官、だったのですか?」

 珠理が問うと、理優と名乗った男は微笑んだようだった。まだ頭を下げているので表情は見えないが、その気配がある。

「左様でございます。貴女さまのお兄さま、お姉さまの御教育も、先王より直々に任されていたのですよ。聡英さまも、麗理さまも、たいへんに聡明で、明晰な御方でございました。あのまま何事もなければ、貴女さまも、私の教え子となられたかもしれません」

「・・私の兄と、姉?」

「そうでございますよ。先王、()(えい)さまの第一王子と第一王女であらせられました。珠理さまも、いいえ――」

 男は顔を上げた。まっすぐに珠理を見上げてくる。

「珠理姫さま。貴女さまは、今や理英さまの御血筋を継承なさる、この国にただ一人の御方でございます。お恥ずかしいことですが、私は今日に至るまで、姫さまのことはとうに薨去なされたものと思い込んでおりました。御存命であられるはずがないと判断していたのです。しかし、姫さまは市井にあられたとはいえ、お健やかにご成長を遂げられていた。これこそがまさに天の神々が与えてくださった奇跡というものなのでしょう。私は姫さまの御尊顔を再び拝謁できて、いま生涯で最大の幸福を感じております。姫さまを、本来あるべき場所へお戻しし、理英さまや聡英さま、麗理さまのご無念をお晴らしすることが叶うのであれば、私はどのような犠牲をも厭わない所存であります」

 珠理は思わず吹き出した。笑わないほうがいいとは思ったが、堪えることができなかった。

「――貴方は、私が先王の娘で、王女だと、そう仰りたいのですか?面白い御冗談をお考えですね」

 男は慌てたように頭を振った。

「冗談などではございません。私は全て事実を申し上げております。貴女さまは先王の第二王女、珠理姫さま、この事実に偽りはございません。そして理英さまも、御嫡男の聡英さまも、第一王女の麗理さまも御逝去された現在、貴女さま以外にこの国の正当な王位継承者は存在しえません」

「先王の第一王女であらせられる麗理さまは、まだ身罷られたわけではないはずですよ。彼女こそが現在の国主であらせられるのですから」

 自分の安全のためにも、彼の妄想を否定するような言葉はかけるべきではないだろうと珠理は思ったが、気がついた時には口にしていた。ここまで荒唐無稽な妄想にはついていけない。

「先王の御嫡男であらせられた聡英さまは確かに夭逝なさっております。そのために先王亡き後、この国の玉座には彼の妹姫がお就きになられた。先王には、他にお子様はいらっしゃいません。史書をよく御覧ください。第二王女が生まれていたなどという記述は、存在しませんよ」

 しかし男は珠理の言葉を聞く耳など持たないようだった。顔を顰め、吐き捨てるように断言する。

「現王など、畏れ多くも先王とその御一族から玉座を簒奪した穢らわしい逆賊でございます。あのような卑しい者に心清き者たちがどれほど蹂躙されてきたことか。貴女さまを含む大勢の尊き者たちがその尊厳を奪われたのです。このような横暴があっていいはずはありません。しかし、これでもうすぐ世は正されます」

 男は再び額を床に擦りつけた。

「姫さまが私のお傍に戻られたからには、あのような者どもの天下もこれで仕舞いにできるのですから」

 珠理は、かつて感じたことがないほどの危機感を覚えていた。

 ひょっとして、この男は自分で作り上げた妄想に自ら振り回された挙句、現王に対して謀反を起こそうとしているのではないか。珠理の心にはその疑念があった。彼の言動には現王への敵意しか感じられない。

 だとすると珠理の実際の身分など、この男にとっては大した問題ではないのかもしれなかった。たまたま珠理の容姿とか、年齢とか、何かの特徴がこの男の求める「先王の第二王女」にぴたりと符合したため、珠理は彼の妄想に巻き込まれる形で誘拐されることになったのかもしれない。もしもそうなら、少なくとも彼は珠理に危害を加えるような真似はしないだろうと思う。珠理はこの男の中では先王の第二王女なのだから、むしろ丁重に扱ってくれるかもしれない。しかしだからといって、このままここに留まり続けることなどできるはずがなかった。そんなことをすれば、いずれこの男が現王に叛旗を翻した時、珠理までもが逆賊の一員とみなされてしまう可能性がある。いま珠理は自分がどこにいるのか分からないが、ここがどこにしろ、国守によってこの男が正式に逆賊と判定されてしまったとしたら軍によってここが焼き討ちされる恐れもあった。そうなったら、今の珠理には逃げることすらできない。

 珠理のなかで焦りが大きく膨らんだ。一刻も早くここを逃げ出さねば、と思う。逃げ出して、誰でもいいから官に保護してもらわねばならない。しかもそれは、この男が具体的な行動を起こすよりも先でなければならなかった。今や珠理とて、現王を尊敬などしていなかったが、そんなことは言っていられない。そうしなければ遅かれ早かれ、珠理はこの場所で死ぬことになるだろう。


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