対策会議
学生誘拐の報は、瞬く間に学舎中を駆けめぐった。
明玲は珠理が誘拐された件の対策を話し合う緊急の会議の席上で、思案に暮れていた。
会議には、学舎で教授を行う主だった師範たちがずらりと顔を揃えている。その中には、寮の管理と学生の監督を任され、例の不審な老女を寮内に招き入れてしまった寮監の姿もあった。
珠理を連れ去った連中は、彼には用がなかったらしく、縄で適当に括っただけで放置していた。それで、寮監は縛めを自力で解いて事態を警備兵に伝えたのだが、その時にはすでに誘拐犯たちは珠理を連れて学外に逃亡してしまっていた。事態を重くみた警備兵たちは総出で珠理の捜索を始め、師範たちは対策を話し合うために授業を全て休講にせざるをえなくなった。師範は勿論、警備兵も学生も、学舎の者たちは誰もが信じられない思いと不安に包まれた今日、明玲だけは最初に事態の発生を耳にした時から、驚きよりも珠理の安否よりも、なぜ、誘拐犯が選りにも選って珠理を標的にしたのか、ということのほうが気がかりだった。その事実が、明玲にはこれ以上ないほど不穏なものに感じられるのだ。ひょっとして、珠理の素性がすでに公に知られているのではないか、その不安がどうしても心中から消えない。珠理の本当の出自が公になる、そのことは明玲にとって絶対に避けなければならないことで、そんなことになれば、珠理も自分も、もう平穏に暮らしていくことはできなくなる。
寮監は、明玲の耳にもはっきりと憔悴していると分かる声で呟くように報告していた。
「・・あの老女が寮を訪ねてきたのは、まだ昼の刻に達する前です。最初から彼女の名前を出して、こういう名前の学生が在籍しているはずだから会わせてくれと言っていました。彼女はその時、図書館を訪れていましたので、私は老女に彼女が帰ってくるまで会談室で待つように告げたのです。老女は一人で訪ねてきて、会談室に入った時も一人でした。いつの間にあのような侵入者があったのか、私は全く気づくことができませんでした」
師範の一人が寮監に厳しい声音で問うた。
「なぜ、学生に訊ねる前に老女を寮内に入れた?寮を訪ねて外部の者が来た時は、すぐには通さず学生に訪問者の身元を伝えて、確かにその人物と面会の約束があると確認がとれた場合にのみ、会談室に通すことになっていたはずだ。その確認がとれなかった場合、訪問者は不審人物とみなし、如何なる人物であっても寮内に入れてはならないし、学生に接触させてもならない規則になっている。なぜその規則を守らなかった?そなたが規則を遵守していれば、このような事態にはならずにすんだはずだ。しかも寮内に侵入者があったことに気づかなかったなどと、いったいそなたは寮をどのように管理してきたのだ!」
「・・たしかに寮の規則ではそうなっています。そのことは私も理解できています。しかし現実には寮に訪問客があった際、その身元をすぐに訪ねられた学生自身に照会するということは難しいのです。学生は常には寮内におりません。誰もが日々授業に勉学にと忙しくしています。寝る時と食事をする時ぐらいしか寮には戻ってこない者もおりますし、所在がすぐには分からない者もおります。ですから訪問客があった際は、とりあえず客人を会談室に通してから学生に連絡するというのが常態になっていたんです。そうでなければ訪問客を外で長時間待たせることになりかねません。それでは非礼になりますし、訪問客が老人や幼子の場合は、かなりの負担になることもあります。――これまで、それで問題が起きたことはありませんでしたから、それで良いと身勝手な判断をしておりました。全て私の落ち度です。言い逃れるつもりはありません」
師範らがいっせいに言葉を発し始めた。複数の声が混ざり合っているために巧く聞き取れないが、ほぼ全員が寮監の対応を非難する言葉を発しているようだ。明玲はそのことを理解すると、内心でため息をつく。寮監を責めても現実は変わらない。今するべきことは、どうやって珠理を見つけ出し、助け出すか、その方法なり手段なりを話し合うことではないのか。
寮監の監視を逃れて寮に大勢の侵入者があったということだが、明玲にとってそのことはあまり驚くべきことではなかった。いつ起きても不思議のなかったことだからだ。学舎は高い塀に囲まれた広大な敷地の中に各種の建物が築かれていて、授業が行われる学舎も、学生が住まう寮も、師範たちが住まう宿舎も、付属の図書館も全てが同じ敷地内に建てられている。敷地外に出る門には全て警備兵が常駐しており、出入りする外部の者には常に目を光らせているから、一見すると警備は万全のように見えるのだが、実は師範が学生に支給する教材を届けに来た商家として入れば、警備兵は特に警戒しない。出入りの商家は決まっているから、不審人物が入り込む心配はないとみなされているのだ。だが警戒されることがなければ侵入するのは簡単だ。実際、明玲が会議の前に調べてみたところ、美術の師範に教材を届けに来た商家が、問題の連中を臨時雇いしていたことが分かった。つまり侵入者たちは、その商家の使用人の地位に就くことで、問題なく学内に入ることができる態勢を最初から巧みに整えていたことになる。学内に無事に入ることができれば、学生の寮など日中はほとんど無人だ。寮監の目が行き届かない辺りで窓を壊せば容易く入れるだろう。そこまでせずとも常日頃から犯罪のほとんど起こらない学内なら、窓を開放したまま寮を出た学生がいたかもしれない。そして、入ることができたのなら出ることには支障などあるはずがない。警備兵の証言によると、寮監が非常事態を伝えてくる直前に学舎の正門を出ていった商人の馬車があったというから、たぶん珠理はその中に押し込まれていたのだろう。
珠理の誘拐は、明らかに事前に周到な計画を立てた上で行われている。そのことを明玲は悟っていた。単なる金品を目的にした誘拐ではありえない。そんな単純な目的の誘拐ならば、わざわざこんな手の込んだことをしなくても、もっと容易く攫うことができる女子供は街路にいくらでもいるからだ。第一、珠理は王都の孤児院の出身で、身寄りとなるような親族がいない。いないことになっているのだ。だから珠理を誘拐して金品を得られると、そう期待する者がいるとは思えない。それなら、彼女の誘拐は、やはり明玲の危惧した通りの理由で行われたのではないかと思えてきた。だがそうだとすると、いったい誘拐犯は、どうやって珠理の本当の出自を知ったのだろうか。